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2020-02

お江戸日本橋2♪

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それにしても3月10日のことだから、三週間以上前のことを書いている。ひどいもんだ。ためて書くのは日記といえないよなあ。明るい外界の様子を薄暗い店内から眺めると、時間が止まっているようだ。でも、駄目駄目。散歩はまだ始まったばかりなんだから。

東日本橋の衣類の問屋さんをひやかしたりしながら、やがて日本橋へ。
三越さんを超えたら、「日本の道路の起点」でありながら、高速道路に覆いかぶさられてしまった橋が出現します。高速をどこかに迂回させる計画があるとき来ましたが…

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両親ともに東京です。父親の転勤中に神戸で生まれたものの、3歳からずっと横浜で育ち、大学も最初の会社も新宿区でした。広告屋さんをしていたボクのお得意先のひとつが日本橋にありまして、ほとんど10年間もの間、毎日通ったものでした。

今こうして、北海道小樽人として「上京」してみると、まったくひとりの旅の人というか、オノボリサンの感慨をもって日本橋を渡っている自分に気づきます。

いま、ボクは、日本の中心にいるんだなあ…
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お江戸日本橋♪

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ちょっと前後して東京出張三日目の土曜日。

この日に約束していた人が金曜日に繰り上がり、金曜日に予定していた人がインフルエンザにかかっちゃって週明けにずれたので、土曜日はゆるゆるとお江戸散歩としゃれこんだ。浅草界隈から東日本橋方面へ。屋形船を横目で見ながら路地へ入るとなにやら素敵な中華料理屋に遭遇した。

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途中、浅草橋駅すぐの有名中華店「水新菜館」に期待していたのに、あいにく休業でがっくりしたところに現れたのが「鳳凰軒」。明らかに「年代もの」のシブーイ構え。紹興酒の禁断症状が出ていたところだったので迷わず入店。上品なマダムの接客も心地よく、中華のイメージを超越したたたずまいにいやされる。まだ高い太陽をものともせず、紹興酒が進む。餃子もあんかけの焼きそばも気取らぬ味で肩の力が抜けて行く。

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あさがおとほおづき。

いち


夏の風物詩といえば、道民14年生となった今も、やっぱりお江戸の「朝顔市』と「ほおづき市」なのです。

久しぶりにその顔役が、しかも小樽の家で並んだので、ちょっとホームセンターで樽なんか買ってきて、流木と一緒に植え込みに軽くアートしてあげました。朝顔があまり良く咲いていないのは、東京との時差ゆえでしょうか。送ってくれたテラオに御礼言うのが遅くなったからでしょうか?



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ほおづきの朝。

]
毎年毎年、おそれ入谷の鬼子母神、入谷の朝顔市と、ご利益四万六千日の浅草ほおづき市とは欠かしたことがなかったのです。

ほおづきをぶら下げた人の波を縫い、ホッピーをひっかけてほろ酔いのまま、まだこぎれいになる前の花屋敷で、今にも壊れそうな(そういう意味で「怖い」)ジェットコースターに乗って膝ッ小僧を擦りむいたり、北海道の夜店では見かけないアンズ飴を舐めたりするのが大好きでした。

今年期せずしてこの二大市の時期に東京出張が重なって、自分で自宅に送ったほおづきです。売れない演歌歌手が客引きをしている店につかまって、買ってしまいました。

ほおづき




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朝顔の朝。

あさがお


二十日間も日記に手を付けられなかった。

この夏の風の色は空前の忙しさで、カネボウ、サッポロビール、キヤノン、トヨタ、オートバックス、JOMO、スバル、カルビー(敬称略)等々、CMを中心にたくさんロケの仕事をさせていただいています。
(志村動物園のパン君のロケもありましたよ)

一方、ホシノセンムといえば、ロケはあえて最低限のお手伝いにさせてもらって、独りイベント事業部でようやく噺家の古今亭八朝さんとの仕事が決まったり(9月3日に新富良野プリンスホテルで「八朝と仲間たちVol.1/五感をふるわす驚愕ナイト」として、いっこく堂さん、ルーフ広宣さんのステージを手がけます。後日詳述しましょう!!)、独り企画制作部でその関連の印刷物(チラシ、チケット)も制作させてもらったり、独り編集出版事業部では10月新創刊の大人の雑誌「O.tone」の巻頭大特集の取材執筆の依頼をいただいたり、3年前に発行した「KITABON(キタボン)北海道映像制作スタッフ手帳」の続刊の話をさっぽろフィルムコミッションと進めていたり、独り旅行事業部では来年以降に商品化すべく、昨年に引き続き内モンゴルへプレツアーを企画していたり(どなたか一緒に下見しません?/9月第2週出発予定)…… 死人がでそうな状況です。


そうしたいくつかの仕事の関連で、七夕から数日間東京に出張しました。
惚れ込んだがゆえに移り住んだ北海道なので、後悔はあっても口にしないようにしてきましたが、実は最大の後悔は、毎年欠かしたことがなかった、7月6、7、8日の入谷朝顔市、9、10日の浅草ほおづき市に行けなくなってしまったことでした。

そのことを一番知っている大学からの悪友テラオが、ここ数年、毎年朝顔市の朝顔を小樽に送ってくれます。その優しさに打たれながらも、口惜しさ切なさはさらに募っていました。だって、毎年この時期はロケの仕事が一番忙しくて、帰省どころではないのですから…。

東京滞在は毎日いくつかの仕事の約束があって、ほとんど駆け抜けたような感じでした。むろんテラオに連絡もせず、他の友人に会う余裕もありませんでした。でも、移住14年にして、この時期東京にいるのはたった2回目の幸運のめぐり合わせと、浅草に立ち寄って、いつも持ち歩いている薬研掘(やげんぼり)の七味唐辛子と山椒、そしてほおづきを実にしばらくぶりに買って小樽に送りました。

帰宅すると、例年同様、テラオからも朝顔が届いていました。
なんとなく、東京にいたことは余計にいい出せなくなってしまったのでした。



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七味きんちゃく。

七味きんちゃく。


七味と山椒、箸を三種の神器として持ち歩いていることは先に書いたのですが、月に何度か必ずと言っていいほどバッグの中で栓が抜けて大変なことになるのだ。ようやく気に入った入れ物が見つかったのでここにご紹介します。
ちょっと幸せ。
長い日記が続いたので、今回は軽~く。



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やげん堀でなけりゃ!

やげん堀


常日頃からバッグに忍ばせている三種の神器がある。
折りたたみの箸。
やげん堀の七味唐辛子。
やげん堀のサンショウ。

こいつがあれば、
突然焼き鳥屋に入っても、
急にうなぎを食べることになっても、
通りすがりの櫻に思いあまって花見の野宴をはじめても、
香り高い、みやびな時間にありつくことができる。

ただ、自分の箸を取り出すのは酒席が多く、
当然入店時と退店時では脳味噌の状況が変化しており、
これまでに3本も飲み屋でなくしている。
(お気に入りの紫檀の継ぎ箸は12,000円もしたのだけれど、これをなくしたのが口惜しくて、またまったく同じものを購入。それも再びなくして、これはいかんと廉価な、でも桐の鞘が素敵な竹の箸に変えたのだが、昨年末、蕎麦屋酒中に紛失。以降、箸の持ち歩きは自粛している)

カプサイシンダイエットとかいって、
一時期、女子高生が「マイ七味」持参なんて騒いでいた頃、
「あれのマネですか?」なんて言う愚か者がいたけれど、
軽々15年以上も携行し続けている僕と一緒にしてもらっては困る。

道民は七味唐辛子を使わない。
ほとんどの道民は一味しか使わない。
水を向けても、
七味唐辛子の素晴らしさを知ろうともしない人は多い。
この辺の文化的ギャップがあるために、
僕は完全に道産子にはなりきらずに、
(なろうと思ってなれるものでもないし、誰も望んではいないだろうが)
双方の良さを身につけたバイリンガル的存在になりたいと思っている。

横浜から小樽に移り住んでから、
やげん堀の入手は、帰省時以外では、
百貨店の江戸物産の催しのときに限られる。
毎年2回は札幌の百貨店に現れる、やげん堀の山口さんとは、
だから、お互い顔を認知し合うようになって、
かれこれ14年ほどになる。
僕の七味唐辛子の「七つの味」の配分は、
僕の希望を伝えて、山口さんがブレンドしてくれる。
これが絶妙。星野オリジナルブレンドだと、人に言いふらす所以だ。
「辛味を強めにして、サンショウも多め、あと、うーん、
 麻の実も好きだから…」
ここで気をつけなくてはいけないのは、
勢い余ってあれもこれも多めに、とリクエストしてしまうと、
ぐるりと回って元の配分に戻ってしまうことですね。

いつもお客とお店側の立場でしばし立ち話、
という程度の交流だったのだけれど、
先の吉實さんとの蕎麦包丁のやりとりがあった、
同じ催事に山口さんもいらしており、
今回は少し山口さんのプロフィール情報が詳細になった。
かつて、さるレコード会社で洋楽の宣伝を担当、
誰でも知ってる大物アーティスト来日のケアなどの仕事をしていたが、
36歳から突然やげん堀の「布教」役に応募して、以来22年。
とてもそんな年齢には見受けられなかったのだけれど。

次回の催しでは、少しゆっくり話しましょう、ということになった。
22年来の札幌小樽通いで、
すっかりこの町の事情に詳しくなったという山口さん。

「ホシノさん、札幌小樽はまかしといて。
 こんどあなたの知らない、いい店に連れて行ってあげますよ」


※ やげん堀のパンフレットから
「薬研掘は、今から三百余年前「寛永二年」、
初代からし屋徳右衛門が江戸両国薬研掘において漢方薬からヒントを得て七味唐辛子を売り出しました。その独特の香味と程よい辛味が江戸っ子の嗜好に叶い「薬研掘の七味唐辛子」として、江戸名物の一つとなり、土地の名がそのまま唐辛子の代名詞となり現在にいたっています。

当店の七味は、香りよい黒胡麻、陳皮(ちんぴ/みかんの皮)、厳選された最高級の唐辛子二種(生と焼)、粉山椒、けしの実、麻の実と七種の材料がバランスよく調合されています。

唐辛子にはコレステロールを分解し、血行を良くし食欲増進、発汗作用があり、又良質のリノール酸を豊富に含む黒胡麻等、江戸の漢方から生まれた優れた食品です。浅草本店では、お客様のお好みに合わせて調合もいたしております。

  やげん堀 七味唐辛子本舗  合資会社 中島小店

わたしの蕎麦包丁3

包丁3


(「わたしの蕎麦包丁2」からのつづき)

当時僕が雑誌に連載していた、食べ物屋の道具をめぐるエッセイみたいなページの「蕎麦包丁の回」を、吉澤さんに見せた。
この連載では、見開き2ページにどーんと道具の切り抜き写真を配して、そのまわりに文章が流し込まれている。現在進行中のホームページ企画
“JAL SKI 2006”『北海道を味わいつくす!』
http://www.jal.co.jp/jalski/ でもご一緒した、札幌の本田写真事務所の本田 匡さんと組んだ初期の仕事だ。
そのページで取り上げていた包丁は、蕎麦職人界のカリスマ的巨匠が自ら考案した逸品で、彼のお弟子さんたちは皆使っている。購入すると1丁20万円以上はする代物だ。吉澤さんはそのページを、あたかも本物の包丁を目利きするような塩梅で、上下左右さまざまな角度から検証していた。
そしてひと言、
「これよりもいいのを作ろうな」
と吉澤さん。

僕は、かのコピーライター氏が編集長に言っていた「いずれ人間国宝」という言葉を思い出していた。モノの本によれば、
【 いわゆる「人間国宝」とは、重要無形 文化財指定の技術等の保持者として認定された者を指す 】
ということで、『吉實』は、正確には「東京都江東区重要無形文化財指定店」であり、長男操さんの父上は、その「保持者」なのだ。
そんな人が言う、「これよりいい」とはどういうことを指すのか。
そういう人に、オーダーメードすると、どういうことになるのか。
これはもう、わくわくを超えて足が震えた。
だいたい、職人さんに直接モノづくりをお願いするなんて、もちろん初めてのことだ。それもこんな凄い人に。「おいくらですか?」なんて聞いていいものか。ど素人の分際でこんなビッグマンにずうずうしくお願いしておきながら、「お手柔らかにお願いします」とか言うのか?
吉澤さんとの間には、結局「いくらでお願いします」という会話はなく、「雑誌の写真の包丁は20万円以上もするらしく、そこまではとても」という、僕の「気持ち」だけは表明しておいた。

約束通り「文通」した、緊張の一年が過ぎた。

同じ百貨店の同じ催事の場で「贈呈式」が行われた。
何重にも新聞紙を巻き付け、ていねいに包装された「それ」を順繰りとひも解いてゆくと、中から雅な一丁の包丁が現れた。その美しさに僕は息をのんだ。もう、細かいこと(?)はどうでもよくなった。
そこへあっさりと、
「◯万円でいいかい?」
と吉澤さん。

僕は、拍子抜けとかいうよりも、猛烈に感動した。ものの値段はあってないようなものかもしれないが、どう考えても、そんな金額ですむ訳がない。あまりにも高い極みの世界にいる方が、恐れを知らないど素人に対して、もはや苦笑失笑で、まあ頑張れよ、とエールをくださったのだと都合良く解釈した。ありがたかった。
そういえば、当初価格を抑えるために、握り手の部分はそのままにしておくから、後から自分で布を巻くなりして使うといい、と吉澤さんは言っていた。それが仕上がりを見ると、鋼の握り部分をきちんと木で覆った柄が作られ、さらにそこにひも状になった籐がていねいに巻き付けられていた。半端じゃない素晴らしい仕上げだ。さすがにそれは言わなければと、「その分だけは追加ですから払います」伝えると、
「そうか、そう言ってたっけ。うーん…」
と長い沈黙。
これで一気に値段は跳ね上がってしまうかもしれない!
吉澤さんは目が疲れた時にするように、左手の人差し指と親指で、目と目の間の鼻の付け根あたりをもみながら、きっと頭の中はぐるぐるしているのだろう。再び僕も緊張に包まれた。
そして、ようやく言った。
「じゃあね、あと5千円ちょうだい」


最後に吉澤さんは、真新しい包丁に僕の名を入れてくれた。
まず畳の上にあぐらをかくような形で、その左足の親指等で包丁の柄の部分を固定する。左手には小さな釘状のもの。右手には小さな金槌。左手のとんがった物の先を包丁のある面にあてながら、反対側の頭の部分を右手の鎚で、こんこんと叩く。これで「ほし野」を刻印してゆくのだ。究極の職人芸に圧倒されて、思わず、
「凄いっすね。どうしてそんなこと出来るんすか !?」
と僕は幼稚な感嘆の言葉を吐いた。
それに対する吉澤さんの返事は、これまで様々な取材をしたなかでも、三本の指に入る印象的なフレーズだった。普通なら、たいしたことないよ、とか謙遜するようなことを言いそうな場面だ。

「そうだよね。
 職人って不思議だよね。
 左手でこう、ガイドしながら名前を打ち込むんだけど、
 俺だって日常生活では当然左手で字なんて書けないよね。
 でもこの字の形は左手が作っている訳だ。
 何度も何度もやってるうちに、
 手が覚えて自然とできるようになる。
 それが職人なんだよね」

(つづく)

わたしの蕎麦包丁2

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(「わたしの蕎麦包丁」からのつづき)

96年の春だったと思う。
札幌の百貨店の江戸物産展で、
僕は短く刈りこんだ髪で包丁を研いでいる強面の兄さんに話しかけた。
ショーケースには、出刃やら柳刃やら、たくさんの包丁が並んでいる。

「あのお、こちらでは蕎麦の包丁とかは扱ってないんですか」
「もちろん扱ってるよ。でも、催事には持って来ないなあ。というより、蕎麦包丁なんかの場合、基本的には職人さんと相談しながら、あつらえる訳なんだけど…」
「ボク、蕎麦包丁が欲しいんです」
「そう。おたくは蕎麦屋さんなの?」
「あ、いえ、ただ趣味でやってるんですけど」
「そうか。うーん、作ってあげたいんだけど、
 こう見えて俺も結構忙しいんだよね」

とまあ、そんな会話があったんだけど、この人のしゃべり方や面構えが、あまりにも格好よくて、その後会期中に何回か顔を見に行った。

東京亀戸の料理庖丁「吉實(よしさね/登録商標)」の吉澤 操さんは、先代からもう二十年以上にわたって札幌の催事にやって来ているという。こちらで購入した包丁に限って、幾ばくかを支払うと名人芸で研いでくれる。中には随分と年季が入った、刃もすり減って、かなり小さくなった包丁を持ってくる人がいて、それを見て、

「おう、これは親父の包丁だね。うん、しっかり使い込んでくれてる。ね(と、たかって来たその他の方々に向かい)、これは二十年以上前に、僕の親父が売った包丁なんですよ。ホントの鋼(はがね)を使っていると、ここまで使い続けることができるんです。よく女の人はステンレスと比べて、ステンレスは錆びないし安いのに、おじさんのは高いから、なんて平気で言うんだよね。靴とかには何万円もかけるくせにさ。でもその靴は20年も履けないでしょ。で、ステンレスの包丁を持ってくる人もいる。切れなくなったから研いでって。言っとくけど、ウチはステンレスは売ってないし、ステンレスってのは研げないんだからね」

こうした口上に、通りすがりの人も足を止める。

たまたま吉澤さんと食いもの屋の話になって、
その頃取材した、札幌のおでん屋「一平」のことを言ったら、
(この日記の昨年12月 8日「屋台のジョン・レノン」、
  今年の1月17日「おでんの一平と瀬戸 國勝」参照)

「なんだ、一平の谷木さん知ってるんだ」と吉澤さん。
「そうか…」と何やら思案げな面持ち。
どうやら吉澤さんと谷木さんは相当の仲良しらしい。
札幌の神輿担ぎである一平の谷木さんが、毎年浅草の三社祭の神輿を担いでいるというのは、いつかご本人から聞いたことがあった。でも、三社の神輿は一般の人は担ぐことができない。谷木さんは、吉澤さんの計らいで三社が担げるのだとこの時知った。その神輿を担ぐために谷木さんは、年が明けると身体を鍛え始める。そんな道産子には珍しい男っぽい谷木さんに僕は惚れていたのだが…。
同類の匂いがして惹かれた吉澤さんが、まさか、直接谷木さんとつながっていたとは!

しばしの沈黙の後、吉澤さんがぼそりと言った。
「包丁、作ってみようか」
「え?」
「ホシノさん、僕と文通しましょう。
ライターという仕事柄、ホシノさんはいろんな職人と会うでしょう。 
蕎麦職人と会ったら、まあ、中にはいやがる人もいるだろうけど、その人の包丁を触らせてもらうんです。重さ、バランス、刃渡り…。
頼んでOKなら、使いやすそうな包丁を、紙にこう、輪郭をなぞらせてもらうといい。それを僕と時間をかけて手紙でやりとりしながら、ホシノさんに合った包丁に仕上げて行きましょう。
東京と北海道で文通する訳ですよ」

僕は有頂天になった。
これから一年かけて吉澤さんと「文通」。
僕の、僕のためだけの、蕎麦包丁をあつらえる!

それからしばらくして、当時勤めていた札幌の出版社の編集長からこんなことを言われた。

「ホシノさん。私の知り合いの札幌のコピーライターなんだけど、この人のお友達に東京の包丁職人さんがいてね、その職人さんがこう言ってたんだって。
『この前の札幌の物産展でおかしな奴がいてね。
 素人なんだけど、蕎麦包丁を作りたいって言うんだ。 
 あんまり熱心なんで、つい引き受けちゃったよ』
 で、そのコピーライターの曰く、
『●●ちゃん(女性編集長の名前)、分かる?
 その人(吉澤さん)はさ、いずれ人間国宝になるような人な訳。客はみんな一流料理人ばかりで、ど素人の包丁なんて、普段はつくらないんだって!』
 あなた、いつか包丁がどうとかっていってたけど、これってあなたの事?」
 
私が死ぬほど赤面したのは言うまでもない。
(つづく)

わたしの蕎麦包丁1

 
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三十歳の頃、
木曽路の開田高原というところでキャンプをしたことがある。
まだ、道民になる以前のことだ。
大学を五年で卒業する直前、
卒論提出の日にひょんなことから仲良くなり、
一緒に酒を飲んだ勢いでそのままヨーロッパの長旅を共にした学友が、
地元に帰って名古屋で就職していた。
春先まだ厳しく冷え来むキャンプの夜にひとり酒を飲みながら、
ここなら両者の中間?(横浜と名古屋)地点あたりだろうということで、
翌日電話して、名古屋の友人を呼び寄せた。

一人旅をしていると妙にテンションが高くなることがある。
そんなわがままを受け入れて、
即日素直にやって来てくれる友人は得がたいが、
あの日のテンションは蕎麦打ちが原因である。

開田高原あたりは蕎麦の里で、バイクを飛ばしていると、
その頃はまだ珍しかった蕎麦打ちの教室を見つけた。
飛び込みで初めて体験してみたのだが、
まず、「蕎麦を打つ」行為が激しく楽しく感じられた。
次に「自分で打った蕎麦」が感動的にうまかった。

その後、休日の手慰みに蕎麦を打ってみるのだが、
実に無惨だった。
開田高原では、マンツーマン付きっきり、
手取り足取りに教えられた訳で、
冷静に考えれば、とうてい「自分で打った」とは言いがたかった。
落ち込んだ。へこんだ。
でも、そのうち忘れてしまった。

それから数年。
僕は北海道民になっていた。
雑誌の取材で蕎麦職人に会う機会が幾度かあり、
それが日本一の蕎麦生産地に今住んでいるという実感に拍車をかけ、
再び僕の中に蕎麦打ちへの思いがむくむく湧き上がった。
通信教育で蕎麦打ちの指導を受けたりしながら、
間に合わせの道具で修業は再開されたのだけれど、
今ひとつ上達しないのは「道具」のせいだ、と都合良く結論した。

そうだ、蕎麦包丁を手に入れよう。
マイ包丁ならずんずん上達するに違いない。

それからは、モノの本を頻繁にひも解いてみた。
札幌の有名刃物店を覗いてもみた。
蕎麦打ちの何たるかもよく分かっちゃいないのに、
いまひとつピンとくる包丁に出逢えずにいた。
そんなとき、札幌の百貨店で江戸の物産展に足を運んだ。
老舗の食べ物に混ざって、職人さんの実演販売がいくつか。

そこで「吉實」の吉澤操さんに逢った。
(つづく)

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