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2020-05

昭和の子、野球の子。


こう見えて僕は、野球少年だった。
団地の広場でも、小学校のグラウンドでも、いつでも野球、野球。
なかなかレベルの高い横浜地区にいて、
こう見えて僕は、野球部ではキャプテンなんか勤めていたのだ。
(中学のときだけど)
横浜スタジアムが昔、その前身の「平和球場」だった頃、
夏の大会でその土を踏んだこともある。
横浜スタジアムが立派な「横浜スタジアム」になった時には、
第一号のアルバイトとして青いスタジアムジャンパーで働いた。

亡くなった父も野球好きで、筋金入りの巨人ファンで、
わが家の新聞は、ずっと、読売と報知だった。
かなり幼い頃から(横浜スタジアムができる以前)、
川崎球場へ、よく「巨人?大洋戦」に連れて行かれた。
ときには、ドームになる前の後楽園にも行った。
ビールを飲みながら観戦している父の横で、
僕はかなり幼い頃から、
けっこう親爺臭いヤジを客席から飛ばしていた。
必然、かなり幼い頃から、なんの検証もなく、
巨人ファンということになっていた。
(まだ、横浜がホームの球団もなかった)

イチロー(一浪)して入った大学には、
当時四年生の岡田さん(→阪神→阪神監督)がいて、
最初に味わった早慶戦を制して、いきなり母校が優勝した。
まだ新宿コマ劇場前の噴水は埋め立てられておらず、
優勝パレードの果てにそこを中心に繰り広げられる狂乱にも参加した。
恐ろしい数の学友が暴徒化して、電信柱に登り、
噴水に頭から飛び込んで額から血を流し、
「これはある出身代議士さんからの差し入れです!」
と、突然登場した背広の紳士が運び来んだ一斗樽の日本酒に、
おびただしい数の学生が群がり、
手にした紙コップを二の腕まで突っ込んで酒を酌んでは、
雄叫びをあげながら一気のみをし、
残り少なくなった樽を頭からかぶるようにして酒を浴びる奴がおり、
ディスコに逃げ込めば、踊っている奴らはすべて、
紙の角帽をかぶった学友であり、なぜか皆、全身びしょ濡れだった。

いつも野球があった。

それがいつからだろう。
つきものが落ちたように、ぷっつりと野球に興味がなくなった。
ごひいき球団、なんてのもなくなってしまった。
ペナントレースや日本シリーズの話題に花が咲いている職場でも、
まったく首をつっこまない男になっていた。

平成に入って、あきらかに野球は肩身の狭い存在になっていた。
野球よりサッカーが好き、と表明した方が平成には似合った。
僕の野球離れは、そうしたことを意識した訳では全然なかったけれど…。


このところ、しきりに「昭和」が脚光を浴びている。
少し前から「昭和レトロ」が飲食店の趣向であったり、
イベントやテーマパークの演出などにも導入されたりして、
そのことには少なからず関心を抱いていた。
というより、明らかに僕の琴線に触れてくる。

ささやかに骨董を集めるのも、
銭湯や市場や路地裏が好きなのも、
単に古いモノが好き、ということを超えて、
その頃にしかなかった大切な何か、を感じるからだろう。
失われつつある、精神的な何かをいつくしむからだろう。

そこに「ALWAYS 三丁目の夕日」が登場した。
日本の映画賞を総なめにした。
その時代を生きて来た人たちにも、知らない人たちからも、
圧倒的な共感を得たことは、
あの頃の生活や、
モノはなかったけれど、
そこに存在していた家族のつながり、なさけ、
そんなものたちの価値や必要性を、
平成の時代が強い「危機感」と共に感じさせているからに違いない。

演出家・久世 光彦さん、
作曲家・宮川 泰さんの死去は、
あらためて昭和の終焉、もう帰れないあの時代を浮き彫りにした。

その一方で、

昭和と平成の二人の天才、孤高の人が、
日本中を「野球」で感動させた。
自分自身の技と精神性をとことんまで突き詰めてきた二人。
天才は天才の心を知る。
そんな凡人には計り知れない境地が、
想像を超えた感動を生み出した、ということもあると思う。
けれども、天才王が巨人の王でなくなり、監督としても追われ、
福岡のチームの指揮官になってからは、
ファンと居酒屋で酒を飲むような気安さを見せるようになった。
王さんの長女ですら、
「東京時代の父は、同席した知らない人と口をきくなんて、とても考えられませんでした。福岡に行って、父は明らかに変わりました」
それには「神様が降りて来た」印象すら感じた。
そのおだやかさは、孤独と重圧の先に見えてきた境地なのだろう。現役時代あまりにも偉大すぎる境地に到達してしまったがゆえに、選手との距離が、ギャップが大きすぎて、監督としての王貞治は、必ずしも評価されるものではなかった。それどころか、低迷を続けたダイエーと王に向かって生卵が投げつけられるという屈辱すら味わった。


日本も世界をものぼり詰めてしまったイチローの孤独にも、
「苦しみをも分かち合える仲間」「心通じ合い共に戦う同士」
が必要だったに違いない。
少々強引に引きつけていえば、
天才の乾き、にも昭和的な何かが求められていたのだ。

天才には無縁と思われながら、
実はひたすら流され続けてきたのは、
「汗」だと思う。

今回のWBCの顛末でイチローは、
これまでの「イチロー像」を完全に覆して、
喜怒哀楽を露(あらわ)にし、
率先して大声を出し、自らが先頭に走り続け、
チームのみならず、国民までを牽引してしまった。
天才の汗に、天才も人間の感情をもった人であったことに、
誰もが心を打たれた。
仲間を賛美するイチローの姿からは、
心を許した家族の中にいる安らぎと強さのようなものを感じた。


大人も子供も「汗」を疎ましく思い、
楽してどうにかしてやろう、
と多くの人間が考えているのが平成という気がしてならない。
ライブドアの問題はその一番分かりやすい象徴だ。
実業より虚業。
実態よりも外見を取り繕う経営者はもちろん、
老若男女、小学生までが株を云々している貧相さ。
敗戦から奇跡的な復興を遂げた日本の底力は、
モノづくりではなかったか。
そこで流された汗ではなかったか。

神様から人間に降りて来た昭和の天才・王貞治と、
仲間を家族を求めた平成の天才・鈴木一郎が、
満を持した素晴らしいタイミングで出逢った至福。
そこに今回の栄光があった。
「尊敬する王さんに、恥をかかせるわけにはいかない」
なんとかチルドレンという、ヘドが出そうな言葉が蔓延しているが、
今回の日本チームは、師であり父である王をたてて、なにが何でも男にしてやる、という息子たち=選手の思いがある時ひとつになった賜物だ。


街頭のテレビに人が群がり、
日本の戦士の一挙手一投足に息をのんで応援する光景は、
まさに昭和のそれだった。
やっぱり日本人、こんなに野球が好きだったんじゃない!
やっぱり俺、こんなに野球で興奮するんじゃない!

ここでまた日本的に「王ジャパングッズ」
(この「◯◯ジャパン」という言い方も大嫌い!)
が爆発的に売れているそうだ。
そのことは、まあ、ともかく、
「野球をやってみたい」「僕も世界一になりたい!」
という子供たちが増えていることには希望を感じる。
でも、
栄光や感動は、そして、天才の成り立ちにすら、
ひた向きな努力と流し続けられる汗なくしてはありえない。
そこの部分だけは見失わないで欲しいと心から願う。
そしてそれが、
今回の日本の野球が美しかったことを解く、
もうひとつのキーワード、
「品格」ということとも関連していると思うのだ。

王さん率いる日本代表チームの働きは、
だから底知れぬほど大きい。
本当にありがとう、そしてお疲れさまでした!
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