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2005-12

年越しそば2。

巣篭もり(すごもり)蕎麦。
蕎麦を揚げたものに、蕎麦つゆベースのあんかけが。
鳥の巣をイメージした、江戸蕎麦屋が生み出した芸術的逸品。

蕎麦屋酒、究極の品書き、
だし巻き玉子。

蕎麦味噌で一杯やりながら、
頭の中は来し方、行く末、
ゆるゆると時間が行ったり来たり…。

来年はどんな年になるんだろう。sugomori.jpg

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年越しそば1。

毎年毎年やって来るのさ。
小樽駅のほど近く。蕎麦屋の薮半。
13年の小樽生活でおそらく11、ないし12回の大晦日を過ごす。

これが、合鴨のたたき。
この美しさ、この美味しさ。
酒が喜ぶ、酒飲みが喜ぶ。
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暮れの買い出し4。


みなさんのうえにも

へいあんがおとずれますようにtsuruya3.jpg

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暮れの買い出し3。


正月にはやっぱり餅を食べる。
伸し餅のいい奴は高いので、どうしてもスーパーとかで買う。

「ツルヤ餅菓子舗」はずっと憧れていた。
ここで伸し餅を買ったら、きっと正しい正月を迎えられるだろう、と。
でも、いい値段する訳で、結局、毎年買えずに帰った。

何年目かに、豆餅だけ思い切って買ってみたら、
これが無闇にうまかった。
家に帰り着くまで気にかかってしょうがなく、
クルマを走らせながら引きちぎって食べちゃった。
それが何年か続いた。

そうして一昨年、
ついに「ツルヤ餅菓子舗」で伸し餅を買って食べた。
感無量。

昨年は買えなかった。

そして今年…。

今年は買いましたよ。
伸し餅も豆餅も。

これで正しい正月が迎えられるというもの。

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暮れの買い出し2。


小樽の市場を訪れるたびに、小樽の人に近づける気がする。

毎度訪ねることのできる一軒ができれば、
さらに小樽濃度が高まったような気になる。


中トロ、赤身、平目、北寄貝、シャコ、数の子、甘エビ、
タラバの剥き身、イカ、タコ頭 …
今年は、後先考えず奮発した。

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暮れの買い出し1。


小樽にはたくさんの市場がある。

鱗友朝市もいいし、
南樽市場はよく利用するけれど、
ここぞという時、とくにマグロに奮発するときは、
入舟市場の齋藤さんのところと決めている。

毎年12月30日は、齋藤さんでマグロを買う。
キップのいい奥さんと色男の若旦那。
近海物の質のいい生本マグロが非常に安く手に入る。

とはいえ、
ここでマグロを買うのは、
これまで年に一度のことだった。

今年は頑張って、夏と秋にも訪れた。
今までも随分とおまけをしてくれたんだと思う。maguro2.jpg

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もろはくからエルミタアジュ。そしてじゃばら。



もろはくを出てから、
12月1日にやはり久しぶりに訪れて、
オーナーバーテンダーの中田 耀子さんに、
感動的な一杯のカクテルをご馳走になった
(12月2日の本ブログ参照)
オーセンティックバー
「ドゥ・エルミタアジュ」に忘れ物をとりに行った。

御用納めの12月28日の午後11時近く。
さっと忘れ物だけを手にしておいとまもできず、
ていうか、あこがれのバーテンダーの店に立ち寄って、
用件だけで立ち去れるほどクールな人間ではないので、
当たり前のようにカウンターに腰掛けた。

すると「じゃばら」という果実のカクテルを薦められた。

じゃばらは、柚子でもカボスでもない。
日本で唯一、和歌山県東牟婁郡北山村で生産されている幻の果実。
果皮は柚子に似た香り。
130gくらいと小さく、生産量は少ない。
ビタミンCが豊富で、皮まで使える、
捨てるところのない優秀な果実だとは後から調べた。

そのじゃばらを使った、ギムレット風のカクテル。
中田さん自らがシェイカーを振ってくださったのだが、
ひと口でトリコになった。
独特の苦みのある、酸味の強いギムレット、と言おうか。

2005年の師走は、二度も中田さんに泣かされた。

終電を気にしてビルを飛び出すと、
心地よい酸味がさらに追いかけてきて、
師走の慌ただしさが少しだけ優しく感じられた。

誰にともなくつぶやく。
「良いお年を」zyabara.jpg

もろはくとは。



日本酒は、麹を造るための米と、仕込みに使うお米、
その2種類の米(麹米と掛米)から作られています。
かつて日本酒の作りでは、「片白」という、一方が黒い米、
つまり玄米を使っていました。

「諸白(もろはく)」は「両白」とも書きます。
両方とも白いという意味です。
つまり、麹米と掛米のどちらも精白した米を使っている、
現在の製法をさします。
玄米酒を除けば、現在の日本酒はすべて「諸白」です。
室町時代に諸白が生まれ、酒の味は飛躍的に向上したと言います。

ちょっとウンチクですが、
札幌で「もろはく」といえば、
浜口マスターの日本酒バーのことを指します。


●札幌市中央区南3条西6丁目 インフィニ桂和22ビル6階
 写真は「もろはく」浜口 恭行オーナー。

ご本人の名誉のために言いますが、オーナーのお許しを得て、
私の携帯のカメラで撮った、レベルの低い写真です。
ご本人はこの百倍ダンディーで素敵です。hamaguchi.jpg

もろはくにて。


「もろはく」は、
12年前の開店時に取材させてもらった日本酒のショットバーだ。

記事を書いたのは2回ほど、それから何回かは客として足を運んだ。
きちんと調べたことはないが、
日本酒や酒蔵についての一般的な理解が広まったとはいえ、
日本酒専門のショットバーが現在でもそうたくさんあるとは思えないし、
12年前なら全国的にも相当に珍しい存在だったはずだ。

移転して9年経つというのに移転後初めてお邪魔したのだから、
随分とご無沙汰してしまった。

「声を聞いてすぐ分かりましたよ、ホシノさんって」
と浜口 恭行オーナー。

常連には遠く及ばなかったので、覚えていてもらえるなんて、
まったく考えていなかった。
「当時あんな記事を書いてもらったからこそ今があるんですよ」

その「今」はまさに繁盛店そのもので、
40名ほど収容できる店内の混雑度合いはもちろん、
客層の広さを見るにつけても、
こちらまで誇らしい気分になってくるほどだった。

知る人ぞ知る長野県松本市の酒蔵「大信州」に作らせている、
プライベートブランド一杯で退散するつもりだったが、
遅れて出てきた突き出しがワインのオードブルのように美しく、
おいしそうだったので、もう一杯お薦めの芳水をいただいた。


「もろはく」も、JAL SKI 2006 「北海道を味わいつくす」に、
新年登場(文字情報だけですが)の予定です。kikoan.jpg

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いつもおそばに。

 
年内最後の札幌のお昼は、蕎麦になった。

風の色の新しい仲間の佐々木ひさしが、
東京の修業から戻った12月23日に帰還の会を開いた「喜香庵」。
今取り組んでいる JAK SKI 2006「北海道を味わいつくす」 で、
新春早々12日に取材をさせてもらうことになった、
今もっともお気に入りの蕎麦屋さんだ。

自分でも蕎麦を打つ私は、蕎麦がないと生きていけない。
酒は蕎麦屋で飲むのがこの世で一番うまいと思っている。
いわゆる「そばや酒」の世界が好きでたまらない。

北海道は日本一の蕎麦の産地だ(生産量)。
北海道の蕎麦粉は、
値の張る国産蕎麦粉の中でもブランド品と言えるほど人気が高い。
輸入品と比べると3倍4倍もの価格だ。
ただし、名産地イコールうまい蕎麦屋目白押しの土地柄とは、
残念ながらいえない。
蕎麦そのものの品質や蕎麦打ちの技術は相当で、
店主もその道の追究者と言わんばかりのご様子なのに、
相棒のつゆがまったくその蕎麦についていってないとか、
「そばや酒」ってなーに? の有り様だったり…。
東京を礼賛して江戸の風を吹かすつもりは毛頭ないが、
やっぱりこれは「お江戸の文化」なのだと思ってしまう。

そばや酒のつまみで言えば「特別なもの」であってはいけない。
居酒屋の品書きとも一線を画すのだ。
というのは、そばや酒のつまみはそばのタネだからだ。
うなぎ屋さんでうなぎが焼き上がるまで、
肝焼きで一杯やるように、
品書きに鴨なんばんがあるから、鴨をちょいと焼くとか、
とじそばがあるから、かえしと合わせてだし巻き玉子を作るとか、
おかめそばがあるから、かまぼこをつまむとか、
天ぷらそばがあるから、そこから蕎麦だけ引き算して、
天ぷらとつゆだけ(「天抜き」という)で一杯やるとか…。
つまり、蕎麦屋らしい酒の肴とは、
焼き海苔だったり、とろろ芋だったり、
蕎麦屋ならもともと置いてあるものばかりだ。
特別ではない、とはそういうこと。
それら、そばのタネが酒とまた良く合う。
最後にそばで締めるまで、ちょいとやるのがいいのである。

もちろん、まず、そば自身が、立派な酒肴である。

だから、だらだら長々と飲んだくれてはいけない。
「長っ尻はなしよ」という訳。
この「ちょいと」が粋(いき)につながる塩梅だ。
これがむずかしい。
酒を飲む作法ばかりではない。
江戸風の濃いそばつゆは、そばの先っちょに少しだけつける。
どっぷり全体をつけたくても、ちょいとだけ。
だから江戸っ子が、
「死ぬ前に一度だけそばにつゆをたっぷりつけて食べたかった」
なんていう笑い話も存在する。
江戸っ子ぶるとか、粋がる、っていうのは、
究極やせ我慢の世界なのだ。

格好つけるのも結構大変だ。

あまりに蕎麦と蕎麦屋の酒肴の取り合わせがおいしくて、
もうちょっと、もう一杯と思っても、
ぐっとこらえて席を立つ。
蕎麦屋でぐでんぐでんは野暮というもの。
私にとって、どんなにこのやせ我慢のむずかしいことか !!

海外のハードボイルドなんてのも、
ところ変われど、
アホな男どものやせ我慢、格好つけの世界なんだ。
そのアホさ加減が愛すべきかわいらしさなんだろう。

だから、「そばや酒」と、
昨今増えてきた「蕎麦(屋風?)居酒屋」とは根本的に違うのだ。

でも、あまりにも求道者の眼差しを丸出しにした蕎麦屋もいただけない。
立派過ぎ高尚過ぎては、くつろいで酒なんか飲んでらんないぜ。
この辺の「ほどの良さ」がまたむずかしい。
だって、たかが蕎麦なんだから。

ちなみに北海道の人がよくそばつゆのことを、
「たれ」というけれど、あれはまったく許されざる間違いである。

せっかく生産量日本一を誇る北海道なのだから、
たかが、しかし、されどの蕎麦屋さんが増えることを、
蕎麦好きの一人として心から激しく願ってしまうのでした。


写真は「喜香庵」さんの玄関(マンションの2階ですよ!)
素敵な蕎麦とそばや酒の予感に満ちていると思いませんか?
●「喜香庵」札幌市中央区南3条西17丁目 すずかけビル2階
日本航空ホームページ/JAL SKI 2006 に2月登場予定です。kikoan.jpg

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温泉のジョン・レノン。



15年ほど前、まだ都内のアパートに住む横浜人だった頃。

翌日に予定のない男同士で金曜日の酒を飲みながら、
このまま何も起きなければ、
イブは温泉もいいだろうという話になった。
その年も確かクリスマスは週末だったのである。

広告代理店でメディア担当の後輩キタゴーとむなしく盛り上がりながら、
長身で色男のくせに多分予定のないであろうテラオにも電話をして、
クリスマス仲間を増員した。
大学の同期生だったテラオは、
在学当時は鴻上尚史主宰の第三舞台(同じ頃同じ大学にいたのです)で
芝居をしており、化粧して六本木を歩いているようなとっぽい男だった。
12月23日の晩はそうして過ごした。

昨晩からの流れで、その年のイブは、
かつて僕が住んでおり、
その時はキタゴーが住んでいた、
西早稲田の6畳ひと間のアパートの部屋で目覚めた。

待ち合わせの駅に向かう前、
テラオから急きょ行けなくなったと連絡があった。
午前中に医者で痛風であることが判明して、
温泉どころではなくなったという。
完全に露天風呂モードに入っていた僕とキタゴーは、
もう酒の飲めない身体になっってしまった!
と嘆くテラオの深刻さをまったく理解しようともせず、
また、15年後に自分にも降りかかる災厄とも知る由もなく、
医者に行くのが来週だったと思えば、
今晩だけ飲んだって態勢に影響はないだろうと引き止めた。
だって、どうせ昨日までは飲んでたんでしょ、と。
しかし、日頃知っているテラオらしくなく、
その日の彼の決意は非常に固かった。

東京から列車とバスを乗り継いで4、5時間、
築百年を越える那須の「北温泉旅館」のクリスマスイブは、
だから、結局、また男二人だけになった。

渋い客室での夕食や、
プールほども広い露天風呂に浮かれながら、
否応なくハイピッチで進む酒のペース。

夕方から降り続いていた雨。

予感はあった。

ありったけ持ってきて、ずっとかけ続けていた音楽テープの中に、
かの山下達郎の名曲はあったかどうか…。
その晩「クリスマスイブ」の歌詞通りに、
雨は夜更け過ぎに雪へと変わり、
男二人の温泉のイブは最高潮に達したのである。

そうだ。
テラオを悔しがらせてやろう。

客室のテレビでやっていたのは何の映画だったか…。
とにかく、
同じ文学部演劇専攻だったテラオが、
その晩観ていないはずはない作品だった。
その映画のエンドロールが終わるか終わらないかのタイミングで、
テラオの自宅に電話をかけた。

「もしもし…」

テラオの声だ。
その瞬間、僕ら二人は

「メリークリスマス!」

とか、

「こっちはホワイトクリスマスだぜい!」

とか叫びながら、
受話器にラジカセのスピーカを押しあて音楽スタート!
曲はジョン・レノンの「Happy Christmas~戦争は終わった」。

(12月8日付け「屋台のジョン・レノン』参照)

全一曲を再生して、そのまま電話を切った。


翌朝、二日酔いの視野に入ってきたのは予想外に積もった大雪。
まだ、早朝である。
大変だ。
こいつは早いとこ、露天に直行だ。

本州の人間、街場の人間は、ホワイトクリスマスにめっぽう弱い。

そのとき、僕はわが目を疑った。

きしんだ扉を開けて、テラオが現れた。

ジョンの歌声が効きすぎて、
テラオは未明、クルマのハンドルを握った。
北温泉に続く峠の道で雪のためにクルマを乗り捨て、
それでもここまで自力で到着した。

肩に雪を積もらせ、
白い息を吐きながらテラオが言った。

「メリークリスマス!」christmas.jpg

冬の花火。

地震被災の中越の町の、
祭りのドキュメンタリーをやっていた。
新成人が山車を引きながら8時間も町中を練り歩く。
大声で叫び、踊りながら。
関所のようなところで「おとな」に一升瓶を手渡し、
「ここを通してください」と。
酒を受け取ったおとなは「新成人から酒をもらったぞ!」と叫び、
これをもっておとなの仲間として認める儀式とする。

そして、祭りのクライマックスは、花火。

おとなの決意を表明する、新成人の花火。
新しい仲間として受け入れる、おとなたちの花火。

この町では、年に一度、花火にコトバを添え、思いを託して打ち上げる。

白血病で亡くなった16歳の妹を弔うため、
稼ぎのすべてを花火につぎ込んだ二十歳の兄の花火。
「この花火は俺の全財産だ!」
泣きながら叫ぶ兄。

32歳で急死した長男を弔う両親の花火。

あの地震で奇跡的に全員助かったけれど、
目前で長年住み慣れた家屋の撤去を余儀なくされた家族の花火。

この町では、花火を打ち上げる前に、
必ず託されたそれぞれの思いが読み上げられる。

夜空を見上げる町民たちは、
一発ごとに願いを添え、感謝を込め、涙を流し、笑顔が溢れ…。

こんな感動的な花火を見たことがない。
一瞬ごとに消えてしまう儚いひかりが、
これほど重たく感じられたことはない。


今朝方の訃報や、去年急逝した、年下のかつての二人の同僚のことや、
生き死ににかかわる数々の断片も思い起こされ、
涙が止まらなかった。

僕もそうしたいくつかの思いのために、
花火を打ち上げたい。hanabi.jpg

訃報。

昨晩は事務所の忘年会だった。
久々に人前で歌ったり,着ぐるみショーをしたこと、
面白おかしく書こうと思っていた。

痛い風の持ち主のくせに、
やっぱり朝まで飲んでしまった。
荷物を置きに会社に向かうおり、
携帯電話が鳴った。
東京の友人、イナピンから。
胸騒ぎ。
急に激しく雪が降って来た。
訃報だった。

新宿御苑前のアウトドアショップ
(今はスノーボード屋と主は言ってるが
/8月にその主とモンゴルに行った)の仲間。
タマちゃん。
ある時は金髪、ある時はモヒカン。
過激な言動の癖に,妙に優しい男。
叩いても死にそうもない奴だった。

昨年末,発病して、
今年2月、妻子とともに広島の実家に帰っていたこと。
全然知らなかった。
肺がん。
四十歳。
子供は四歳。

イナピンとサラダといっちゃんが、
これから広島に向かうという。

こんなとき、
距離がもどかしい。

無性に腹が立つ。
なぜそんなに早く逝くんだ。
ふざけるな。
お子さんには会ったことないけど、
かわいいかわいい奥さんはよく知ってる。
なぜおいてっちゃうんだ。
役割ちゃんとまっとうしろよ。


だめだ、もう書けません。

合掌。

屋台のジョン・レノン。

25年前の今日、第二外国語のフランス語の教室は、
ジョン・レノンの訃報で沸き返っていた。
その晩、学友のテラオと大学の近所のおでんの屋台で追悼した。

大根、ちくわぶ、コップ酒。
それから、東京、師走のすきま風。
ラジオからは終わることなくジョンの歌声が流れていた。

それから、毎年12月8日はテラオと一杯やるのが決めごとになった。
お互い就職をして忙しくなってからも、結構無理をして長く続けた。
ただ、13年前に僕が北海道小樽に移り住んでからは、
「しわす!(12月の挨拶)」と、
電話やファクシミリでの交流に留まっているけれど。

僕が道民になって3年目くらいだったろうか。
だからかれこれ10年前。
雑誌の取材で、札幌の素敵なおでん屋に出逢った。
その記事の中に、1980年の12月8日のことを書いた。
だから、ことしの12月8日はこの店に来よう、と。

僕は実践して、10年前の12月8日、「おでんの一平」のカウンターにいた。
少し酔いが廻ってきたころ電話が鳴って、
店主の谷木さんが「ホシノ君に」と受話器を手渡してくれる。
え? ここにいることは誰にも言っていないのに…。

テラオからだった。

記事を読んでくれたテラオが「たぶんあいつのことだから」と、
誌面でご紹介していた番号にかけてきたのだった。
電話の向こうから聞こえてきた声。
「やっぱりいたな。しわっす!」


今晩、テラオに25周年の電話をしよう。

追記。
12月8日は、真珠湾攻撃の日、コメディアン三波伸介の命日でもある。

歌のお稽古。

ただいま帰宅。
日曜だというのに、夕方から会社へ。

12月9日の金曜日は、風の色の忘年会なのです。

今年は、
俳優、声優、ナレーターのユニット「アーシストボイス風の色」
との合同で実施することを色濃く打ち出して、
宴会というよりは、
ほとんどライブパフォーマンスという演出です。
なんと会場は札幌で一番有名なディスコ・キングムー。
貸し切ってしまいました。なんて愚かな企画でしょう。
今晩は諸々レッスンしてきたのです。

一年目、小樽の蕎麦屋の座敷。
二年目、札幌のおでん屋の座敷。
としみじみやっていたのに、
なにをとち狂ったのか五年目の師走…。

でも、わたし、唄います。
ひょっとしたら踊ります。
寸劇めいたこともします。

歌はギター片手に、クラリネットその他の楽器と共演します。
歌は、いまだ、文章よりは上手だと思っています。

これを読んだ方、私たちを知っていようが、いまいが、結構です。
いらしてください。キングムーをいっぱいにするためには、
なりふりかまいません。

来年はまたきっと「しみじみ」に回帰すると思われるので、
もう今後はこの愚挙を目撃することは不可能でしょう。
連絡待ってます。ぜひ。
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お江戸の芸と永さんと(後編)。

小学生の頃、僕は毎年の夏を父親の実家である渋谷区広尾で過ごした。
そこはお茶屋さんで、叔父が毎日配達に出かけるのだが、僕はいつもその助手席でラジオを聞いていた。
TBSの「誰かとどこかで」は、特にに必ずと言っていいほど聴いていた。
永六輔さんと遠藤泰子さんをパーソナリティに現在も続くこの番組は、放送1万回を越えたと聞く。

その後、野坂昭如さん、小沢昭一さんと共に「中年御三家」としての歌手活動や、刑法175条、尺貫法を社会問題として訴えるライブ、今でも僕のシンガーベストワンである長谷川きよしさんとのジョイントコンサート等々、中高生から大学にかけて、僕は何度も何度も永さんのステージに足を運んでいる。いや、そのもっと前からNHKの「若い広場」や「テレビファソラシド」「YOU」など、永さんの手がけた番組はいつも知的で、でも軽やかに楽しくて引き込まれた。だいたい、そのもっともっと前には、すでに「こんにちは赤ちゃん」や「上を向いて歩こう」「見上げてごらん夜の星」とか、日本歌謡史に残る大作詞家として、すでに大きな足跡を残している訳で…。まったくなんて人なんだ!

文章家としての、その職人の世界、旅の世界、近年の「大往生」…。どうしてこうもすべて僕が夢中になってしまうものばかりなんだろう。僕には、永さんのその「面白さ」の質が、この世の中に存在する、数ある「面白さ」の中でも群を抜いて気が利いており、硬質で、でもときに柔らかで、知的興奮と庶民的活力がごちゃまぜなった、他に越えるもののない面白さのように思えて仕方がないのである。


今回、八朝師匠とのご縁で、再び永六輔さんの「コトバの世界」が僕の中に大きく広がっていった。

そういえば確か、と思って東京時代に勤めていた広告会社のプロフィールをひも解いたら、昭和35年の創業当初、永六輔さんや野坂昭如さん、前田武彦さんら錚々たる方々をマネージメントしていたことを確認した。

そんなこんなの想いを八朝師匠に告げると、楽屋で挨拶させてやると言ってくれた。けれど、師匠自身が「永先生」に呼ばれると足が震える。というくらいに、芸人さんたちにとっても、永六輔は神様のような存在らしいのだ。やすやすと僕などがご挨拶できる方なのかどうか…。

今回の上京の際には、古巣の会社の創業者を訪ねて、永さんが所属していた当時の話も伺った。何か、すべてが大きな所で繋がっていたようで嬉しくなって、一人で勝手にはしゃぎつつ、もしも「ご挨拶」ってことになったらどうしよう、と小心者は怯えたりもした。そうなったときは、何か差し入れるべきなのか、面識もないのに出過ぎたマネなのか、思い千々乱れるというやつである。

結局、タイミングが合わず、「小粋組」の時も「八朝の会」の時も、ご挨拶はかなわなかった。「永六輔と知り合いになってきます! 『小粋組』を北海道で僕にやらせてもらえるよう、直談判してきます!」と豪語、無理矢理一週間の出張に仕立てた僕としては、少々気まずい感じもあったのでした。

東京から戻ってきてしばらくしてから、永六輔さんに手紙をしたためた。
お逢いできるかと思って、広尾の「お茶と海苔の星野園」のお茶を用意して臨んだけれど、差し上げることができなかった、と書いた。古今亭志ん朝という現代の名人のために一肌脱いだ永さんに、その弟子である八朝師匠ですら足の震える永さんに、恋いこがれて逢えなかった永さんに、一方通行のファンレターだった。

昨日、小樽の星野家のポストに1枚の葉書。
永い片思いの相手から、1枚の葉書が届いた。eihagaki1.jpg

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お江戸の芸と永さんと(前編)。

ブームと言われているからだけではなく、最近落語が気になっている。
北海道に惚れ込んで移り住んだものの、ときどき無性に江戸的なるものが恋しくなる自分としては、蕎麦なんかと同等の、文化への慕情みたいなものかもしれない。北海道でも頑張って落語を紹介しようとする動きがあるようだが、いかんせん集客もきびしいらしい。

この3月頃、僕も自分なりに北海道に落語を持ってくるようなことができないかと考えていた。
そして思い当たった。
「俺、噺家さん知ってるじゃないか!」
東京時代に仕事で何度かご一緒していた古今亭八朝師匠だ。

八朝さんは、名人として名高い5代目古今亭志ん生(享年83)の二男・古今亭志ん朝師匠(2001年10月1日没。享年63歳)のお弟子さん。その優れた企画力から、古今亭一門の頭脳と呼ばれている。

思い立ったら何とやら、最後にお逢いしたのはかれこれ15年くらい前なので、現在の連絡先が分からない。で、落語協会にメールをしてみたら、数日後に協会からメール、その数日後にご本人から電話がかかった。

「なんだよ、どこかいなくなっちゃったと思ってたら、北海道にいたの? え、当たり前だよ、覚えてるよ、あんたには何度も世話にになったもの。俺たちを北海道に呼んでよ、門戸開いてよ。あ、そうだ、ホシノさんに見せたいモノがあるんだ、東京来ない?」

そこからはトントン拍子だった。
八朝師匠がどうしても僕に見せたいと言ってくれたのは、芸者衆の粋なお座敷芸として発祥、志ん朝師匠が生前懸命に保存しようとしていた女性芸人さんばかりでやる「木遣り」。志ん朝師匠の意思を継ぐ形で、永六輔さんのサポートによって旗揚げとあい成った「大江戸小粋組」公演だった。

八朝師匠のご手配によって、発売、即完売となった3月29日の国立演芸場の席に僕は座っていた。司会進行は「しゃべるめくり」として永六輔さん。凄かった。ふるえた。かっこ良かった。芸人衆も、永さんも。

それから7ヶ月強。
11月9日に「大江戸小粋組」の第二回公演が、さらに11月14日には、八朝師匠の落語会に永六輔さんがゲスト出演すると聞いてまた胸が騒いだ。
かつての「六八九トリオ」(作詞家・永六輔、作曲家・中村八大、歌手・坂本九)をもじって「ひさびさの六八コンビ!」という謳い文句だ。いてもたってもいられなく、僕は再び東京へ。

実は、僕は少年時代から、永六輔に魅了され続けているのだった。

(以下、次号)koiki.jpg

13年に。


風の色がお手伝いさせてもらったホームページ「JAL SKI 2006」内のコンテンツ『北海道を味わいつくす!』の第一弾が12月1日にアップしました。

http://www.jal.co.jp/jalski/

にアクセスして、『北海道を味わいつくす!』の窓をクリックしてね。

師走の初日は、このページの第二弾の取材で、北海道で最も古い造り酒屋のひとつである北の錦(小林酒造/小林本店)直営の酒亭を訪ねました。
「地の酒、地の鶏 ○田(まるた)七番蔵」。かれこれ10年前、こちらの酒蔵に雑誌の取材でお邪魔したことがご縁で、2年前の創業にあたり、店名のネーミミング、ロゴ制作、リーフレット、チラシから品書きなどの印刷物全般の制作をお手伝いしたのです。その時の模様は、風の色ホームページ
http://www.kazenoiro.co.jp/
の「トピックス」コーナーのバックナンバーをご参照ください。



「七番蔵」オーナー、四代目小林米孝社長に一杯やりながらお話を伺った帰り道、第一弾のページ内でご紹介したバー「ドゥ・エルミタアジュ」にご挨拶に行った。

札幌の重鎮、今年47周年を迎えた「BARやまざき」の山崎達郎さんの門下生であるバーテンダー、中田耀子さんの店。もう説明をする必要もないくらい、バー好きには知らない人はいない名店である。
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北海道に移り住んできた13年前、現在の風の色のボス山野に連れられて、初めて訪れた札幌のバーが、昨年10周年を迎えた「ドゥ・エルミタアジュ」に先行する姉妹店「きゃふぇ ゑるみたあじゅ」だった。

その日、大好きだった俳優の笠智衆さんが亡くなったニュースが日本中を駆けめぐっていた。「きゃふぇ ゑるみたあじゅ」のカウンターでもそんな話題がひとしきり続いて、俳優でもある山野と追悼の献杯を捧げたのを覚えている。

そして昨晩、久しぶりにゆっくりお話させてもらった中田さんに、改めてそんな話をした。
「そうですか、13年ですか。でも、星野さんとお逢いしたのは、もっと以前のようがします。そうそう、今日『きゃふぇ ゑるみたあじゅ』の方は、ちょうど23周年を迎えたんですよ」と中田さん。

そうか、そんな記念日に中田さんを訪ねてよかった。

カウンター越しの会話とカクテルの発注は、お目当てのバーテンダーにお願いしたいもの。中田さんを含めて3名のバーテンダーが対応してくれるいつも忙しいこの店で、僕はこの夜、中田さんに3杯のカクテルを作ってもらった。

その3杯目のカクテルを、中田さんは少し多めにシェイクして、僕のグラスと自分の小さなグラスに注いだ。そして、僕の前にグラスを置いた後、自分の小さなグラスを僕の方に掲げてこう言った。

「13年にー」
13年



※ 改めて調べたところ、笠智衆さんが亡くなったのは、平成5年(1993年)3月16日(享年88歳)。僕が小樽に移住したのは、平成4年7月で確かに13年前なのだが、札幌で最初にバー「きゃふぇ ゑるみたあじゅ」を訪れたのは、正確には年が改まってからだった。写真は、あまりにカンゲキした僕が中田さんにお許しをいただいて、携帯電話のカメラで写した1枚。

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