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2006-01

手打ちそば「志の家」。


札幌の「喜香庵」、小樽の「薮半」と、
僕の大切な蕎麦屋について何度か書いてきた。
現在進行中の「JAL SKI 2006」の掉尾を飾る
「そば」の掲載店を決めるために、
昨年の晩秋から随分と復習のように蕎麦屋に足を運んだ。

ついでに11月の東京帰省(出張)では、
一週間で5軒も江戸の蕎麦屋ののれんをくぐった。
どうしても基準は「あっち」になってしまわざるを得ないところがある。
これはもう、やむをえない。
老舗って奴は、
理屈や模倣だけでは超えられない時間の蓄積があって、
そのことによってしかなし得ない、
「世界」みたいなものが醸し出される訳です。

それはそれとして、
東京でも北海道でも、(新旧はともかく)
今まで知らなかった店に出逢いたいという気持ちも強いのですね。
で、必死になって探すのです。
JALさんのホームページ掲載の話(札幌・小樽)でいうと、
何かの要素で、おお、と思える店もあるのだけれど、
なかなか「惚れる」ところまではいかない。
どうせなら,惚れるほどの店に登場してもらいたい。
でもとうとう最後の「そば」も27日金曜日締め切りで、
もう悠長なことは言ってらんないのです。
(メイン取材は「喜香庵」さんで終わっているのですが、
原稿はこれからなのと、短い文章でのご案内のみになる、
その他のお薦め2軒を決めかねていたのです。
週末で小樽「藪半」は決定。あともう一軒)
で,今日も昼食はそば屋2軒。

やっぱり「志の家」さんに決めた。

実は10年も前に、「志の家」&「藪半」で、
ある雑誌に「そば屋酒」と「蕎麦屋の酒肴」の大特集を
組んだことがあったのです。
それはわれながらかなり会心の出来と思われ、
結構問い合わせもいただいたし、
ご登場願った二軒のお店にも気に入ってもらい、
その後も懇意にしてくださっているのです。

また、その少し後に、かの「サライ」が、
僕のとそっくりなそば特集をやったときは、
俺の方が先さ!
と秘かに心の中で勝利宣言したりしました。

(当初、
 JALさんのメインはこのどちらかにお願いしたい、
 とも思っていました。
 いろいろあってそれは叶わなかったけれど)

この10数年来のそばブームで、
随分と札幌をはじめ,道内にも手打ちそばの店が増えたけれど、
その当時はまだ本当に少なくて、
全国区のテレビとか、雑誌とかが本格手打ちの店にスポットを当てると、
道内からは必ずや「志の家」さんが登場したし、
そんな状況は,かなり長く続いたと思う。


その後「志の家」さんからは、
今まで使っていた店名の書を変えたいというお話をいただいて、
それが、書道家である僕の母の書を、
僕がプロデュースした最初の仕事になったのです。
おかげで、
そば打ちのまねごとをする僕に、
店主の新納さんは「のし棒」をくださったり、
上質なそば粉をゆずってくださったり、
そば包丁のことを教えてくださったり,
実に喜ばしいお付き合いをさせていただいたのでした。


久しぶりにお邪魔したけれど、
あまりに有名になってしまったけれど、
やっぱり格が違う。
もはや風格すら感じさせるそばがでてきました。shinoya-hashi.jpg

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薮半の品書き。そして「小樽雪あかりの路」。


スペインの「バル」は英語でいう「バー」に当たる。
でも、バルは、われわれのバーの感覚とはかなり違って、
スペインでは学校や病院のない片田舎にすら必ず存在するという。
それは喫茶店であり、食堂であり、むろん酒を飲む場所でもある。
そして、生活に欠かすことのできない、
常に地域の人々が集う「社交場」のようなものだ。

江戸時代の蕎麦屋とは、このバルのような存在だった。
そばを食す場所なのだが、それだけではない。
むろん酒とは切っても切れない縁がある。
人と人が交差する空間「交歓」の場としては、
少々妖しい意味合いも含めて、かなりの懐の深さがあったようだ。

年越しそばの項でもご紹介した小樽の蕎麦屋「薮半」には、
言葉には尽くせない、そば好きを虜にするフェロモンのようなものがある。
蕎麦屋とはただそばを食わせる場所ではなくて、
「蕎麦屋という世界」であって欲しい私としては、
移り住んだ先である小樽に、よくぞこんな店が在ってくれたな、
と感じ入ってしまったのだった。

長い前置きで申し訳ないが、
その薮半で最初にまいってしまったのは、
実は店主の小河原 格さんである。
とにかくお品書き(メニュー)の作りが凄い。
マックを駆使した自作の一冊は、
現在使われているものが約100ページ。
「そば屋酒」のこと、供する酒肴のこと、むろんそばのこと、
失われかけていたものを移築した店の建物のこと、等々。
完全な「読み物」として仕上がっており、
内容の濃さ、デザイン性の高さ、その面白さに於いて感嘆に値する。
この品書きがしょっちゅう持って行かれちゃうのもうなづける。

この2月1日の新しい品書きの誕生に向けて、
ねじり鉢巻で制作作業中の小河原さんに、
JAL SKI 2006 でのご紹介(文字だけですが)をお願いしに行った。

この方は、小樽運河保存運動の闘士、
活動の中心的役割を果たした人物である。
小樽運河には現在、国内のみならず、世界各国から人々が訪れる。
小樽観光に欠かせない小樽運河は、
小河原さんたちの闘いなくして存続し得なかった。
内閣府を中心に組織された実行委員会によって、
平成16年、全国の「観光カリスマ百選」のひとりにも選出された小河原 格 さん。
小樽の街に対する小河原さんの愛情は、
よそ者である私の想像の範囲を超えている。

その小河原さんが言い出しっぺであり、
「もう一度街とセックスする」
という猛言とともに取り組み、
北海道を代表する冬のイベントにまで成長させた
「小樽雪あかりの路」は今年八回目を迎える。


※ かの札幌雪まつりと同時期に開催される「小樽雪あかりの路」は、
 雪祭りとは対象的な、こころに染み入る「静」のまつり。
 今年は、2月10日(金)~2月19日(日)の実施です。
 第3回のイベントサブタイトル「ほっと、ノスタルジー」、
 企画趣旨・概要は、恥ずかしながら、私のコピーです。
 以下、参照ください。
 http://www.otaru.gr.jp/8-ivent/akari3/akari3.html

※ 薮半ホームページ
 http://www.yabuhan.co.jp/yabumenu.jpg

おでんの一平と瀬戸 國勝。

昨日まで札幌の丸井今井で個展を開いていた漆器作家の瀬戸 國勝さん
(1月10日「大晦日のてふてふ」「新年の丸井今井“瀬戸 國勝展”」参照)
と、ひょんなことから「おでんの一平」
(昨年12月8日「屋台のジョン・レノン」参照)
で合流する形になった。
僕らは、風の色の身内だけの遅ればせの新年会を一平さんで開いていたのだが、
そこに個展最終日を終えた瀬戸夫妻がやってきた。
一週間の札幌滞在で、瀬戸さんの一平訪問は三度目だという。
能登は輪島から来道しているご夫妻を、
一平に最初にご案内したのは僕だった。
1997年の1月のことだ。

日本中を旅して歩いている瀬戸さんは、
食には一家言持っている方で、なかなかにうるさい。
素晴らしく美味しい店を全国にご存知で、
横浜出身の僕が、
瀬戸さんから横浜の目からウロコの旨い焼き鳥屋を教わったりしている。

全国にその名を轟かせ、
人間国宝の作品なんかも採用している最高級寿司店「すし善」が、
本店も東京の店でも瀬戸さんの器を使っている。
自分の器に食べ物が盛られる訳だから、
食に敏感なのはうなづけるが、
その辺瀬戸さんは度合いが超越していて、
その人を食べ物屋に連れて行くのはなかなか勇気がいる。

10年前に取材させてもらって、
その味に、谷木さんという店主に、
いきなり参ってしまった「一平」を、
その瀬戸さんがやたらに気に入ってくれた。
毎年個展で札幌を訪れるたび、
一度の滞在中に何度もいらしているという。

一平の主人・谷木さんも谷木さんで、
最初に瀬戸さんをご案内した年の個展会期中、
昼間ふらりとその百貨店に足を運んで瀬戸作品を購入。
のちに一人で一平のカウンターに座っていると、
すっと瀬戸さんの椀でおでんを供してくださったりする。
そんな人だから、僕が参らない訳がない。

今では間違いなく、
瀬戸さんの方が一平ののれんを数多くくぐっているはずだ。
飛び抜けたものづくりの人であるお二人は、
すっかり互いを認め合い、気心を通わせているご様子なのだ。

いつも同行している瀬戸夫人もむろん舌の肥えた方なのだが、
一平のおでんは「間違いなく日本一よ」と断言する。
彼女のお嬢さんは飛行機に乗って一平のおでんを食べにくる。

そうした素敵な広がりの真ん中にいるはずの自分は、
冥利につきるのだが、凡人は取り残されているような気もして、
少し寂しくない訳でもない。


昨年移転した一平で、珍しくカウンターではなく、
奥の座敷から谷木さんを観る。
小劇場の看板役者みたいに、
その場所にきっちりと収まっていて、
男から観てもホレボレしてしまう。

瀬戸さん、また来年、一平で。
(南3条西4丁目 克美ビル5F)ippei.jpg

JAL SKI 2006 第三期サイトアップ!

『JAL SKI 2006』のホームページの中で、
僕が手がけさせてもらっている
「北海道を味わいつくす!」コーナーの情報が、
今日から第三期に入っています。

今回は、仲の良いご夫婦で営む隠れ家フレンチ、
「プロヴァンサル・キムラ」
(札幌市中央区北3条西18丁目2-4 北3条ビル1F)と、
アレルギー児童を持つ親御さんからの問い合わせも殺到する自然派ラーメン、
「麻ほろ」
(札幌市西区西野4条西2丁目14-18)
(本店/小樽市色内1丁目7-7)
について書いています。

http://www.jal.co.jp/jalski/

にアクセス、トップページにある、
「北海道を味わいつくす」の窓をクリックしてもらうと、
以降が私の企画コーナーであります。
どうぞ覗いてみてください!

セッション・イン・喜香庵。

昨年暮れから何度かご紹介していた、
私が惚れた蕎麦屋「喜香庵」の取材当日。

撮影点数は6点。
ご主人の蕎麦打ち風景。緑色が美しい蕎麦の実。
せいろ蕎麦。鴨がき。そして、
踏み石の玄関アプローチ。店内。

本田 匡 カメラマンとは、かれこれ10数年来のお付き合いで、
店のご主人も含めて最初に段取りを打ち合わせた後は、
それぞれがそれぞれの作業に邁進する。
僕がご主人のお話を聞き出している最中に、何も言わずとも、
本田さんはご主人が不在でも撮れるカットを進めてくれている。
その辺の呼吸が気持ちいい。
ご主人が蕎麦打ちに集中するシーンを撮影する際には、
「ホシノさん、ご主人の口が動くからちょっと黙ってて!」
と、ご主人に聞こえないように小さく鋭く声がかかる。
なんせ、限られた時間の中で(特に今日の場合は開店時間までに)、
僕は必要な言葉を引き出し、
本田さんは必要なカットを撮り切らなくてはならない。

僕がカメラマンに求めるのは、
自分の文章の構想を立体的に見せてくれる映像の切り取りだ。
あらかじめ本田さんに伝えているつもりだけど、
取材対象者から構想以上のお話が飛び出せば、
急きょ別のカットに切り替わることもある。
それによって当然文章の構成までが変わってくる。また、
本田さんがファインダーを覗いて、より以上のアングルや被写体が出現すれば、
そのことによっても書き手の軌道修正が行われる。
あらかじめの構想、イメージがない取材はろくな結果に終わらないが、
現場で構想をよりよく上回る展開が生じると、
僕らはわくわくしながら瞬間的にイメージを切り替えて取り組む。
そのわくわく感の共有、
いい意味での裏切られ方が僕らのセッションを高めてくれる。
音楽も同様だけど、
信頼できるパートナーと組んだセッションで、さらに、
バンドを打ちのめすようなゲスト(取材対象者)が登場すると、
さらに興奮は増幅されて思いもよらぬ演奏に仕上がる。

そんな幸福な取材を、本田さんとの仕事で僕は何度も経験してきた。
だからまた、彼におつきあい願うのだ。現場が熱いんですね。
音楽セッションとの違いは、演奏は現場でおしまいなのだけど、
カメラマンはポジを、プリントを、データを納品で一段落だけど、
書き手にはそれから孤独の執筆作業が待っているのでした。

昨年創刊15周年を迎えた、料理雑誌の金字塔「dancyu」で、
本田さんは北海道の取材部分の写真を創刊数年後からずっと撮り続けている。
北海道新聞から本田さんの写真による「木」の本が出ていて、
彼はそちらの方にも明るいのだが、料理関係の写真が8割を占めるという。

なお、本日のセッションの模様は、
“JAL SKI 2006” ホームページ「北海道を味わいつくす」に2月登場予定。kiko-honda.jpg

鏡開き。

もともと鏡開きは武家社会の風習で、
正月二十日に行われていたんですって。
でも、徳川三代将軍家光の月命日が二十日で、
それを忌日として避けるようになってから、
十一日になったのだそうです。

正月に飾られていた鏡もちを割るのには、
大正月の終わりと、仕事始めの意味があるのですね。
ちょっと早く仕事しすぎたかな。
飾りを解いたらお餅を食べるのですが、
切ってはいけません。
そのあたりが武家社会の風習ゆえで、刃物はいかんのです。
金槌でぼかっとするとか、怪力で割らなくてはイケナイ。
お供え物をいただいて一家の無病息災を祈ります。
食べ物を大切にする気持ちも教えてくれます。

いや、伸し餅に奮発しすぎて(大晦日のこの項参照)、
わが家のお供えはスーパーの間に合わせだったんですね。
切るも割るもなくて、裏返してお尻を開けると、
パックのお餅が出てきます。
なかなか「鏡開き」をイベントとして実施する家庭も少ないでしょうから、
便利と言えば便利ですが、やはり味気ない。

なんとか伸し餅と豆餅にプラス、
ツルヤさんでお供えのお餅も買えるように、
今年も頑張らねば。

正しい日本人になりたい。kagamibiraki.jpg

JAL SKI 2006 第二期サイトアップ!

そうそう!
年が明けてしばらくして、
『JAL SKI 2006』のホームページの中で、
僕が手がけさせてもらっている
「北海道を味わいつくす!」のコーナーの情報が、
更新、というか追加され、第二期に入っています。

今回は、北海道ワインさんのフラッグシップワインと、
小林酒造(本店)さん直営の酒亭「七番蔵」について書いています。

http://www.jal.co.jp/jalski/

にアクセス、トップページにある、
「北海道を味わいつくす」の窓をクリックしてもらうと、
以降が私の企画コーナーであります。
どうぞ覗いてみてください!

新年の丸井今井 ? 「瀬戸國勝漆器展」。

(「大晦日のてふてふ」からの続き)

1996年1月、僕は塗り物のぐい呑みに見とれていた。
札幌の百貨店・丸井今井「加賀老舗展」でのこと。

1992年7月から、僕は小樽市民になっていた。
東京の会社を辞め、アパートをたたみ、横浜の実家を離れた。
札幌の出版社にもぐり込み、少しは北海道生活に慣れてきた頃だ。

「いいでしょ、その器」と後ろから声がかかる。
なんとなくこの状況、その声、どこかで…。
斜め後ろへ振り返ると、やはり覚えのある顔がそこに。
忘れもしない8年前の輪島の大晦日、
生涯で最も強烈な蕎麦のもてなしの記憶。
「てふてふ」のご主人だった。

「かあさん、ほら覚えてる?」
と話しかけた先には、あのときの奥さんがいた。
「うんうん、えと、お名前は確か…ホシノさんよね」
びっくりした。まさか名前まで。

「てふてふ」主人、瀬戸 國勝さんは、
この8年の間に漆器作家としての評価を一気に高め、
作品は「サライ」「ミセス」などのクオリティの高い雑誌等々で
広く紹介されるようになっていたのだった。
恥ずかしながら、全然そんなこと知らなかった。
僕にとっては、ただ、8年前の大晦日、突然見知らぬ僕を招き入れて、
蕎麦と酒をふるまってくれた、素敵なご夫妻でしかなかった。
それもたったひと晩のご縁。
しかも、あのとき僕は東京在住の横浜人で、
お逢いしたのは石川県輪島市。
それが8年後、
小樽市民になった僕と札幌でばったりなんて…。

「坂本は覚えてる?」

もちろん。あの料理の天才のことだ。
「坂本は何年か前から、輪島の隣の珠洲で旅館を始めたんだ。
 一日三組限定。うまい料理を囲炉裏端で食わせる。
 これが当たっちゃった。必ずあの蕎麦も出すんだよ。
その宿で僕の器も使ってもらっているんだけど、
 風呂も僕の作品でね。漆塗りなんだ。この前もサライに載ってたな」


その年の暮れ、
僕は能登半島に向かった。
輪島に一泊、珠洲の「さか本」で二泊。
瀬戸さんの漆の風呂につかり、
囲炉裏端で和を中心とした圧倒的な「坂本料理群」に舌鼓を打ち、
「あの蕎麦」に再会して感涙にむせんだ。

※ 「さか本」は、2月6日発売の雑誌「和楽」3月号に掲載されるそうです。
  興味のある方はぜひ !!



それから毎年一月は、丸井今井の「加賀老舗展」に足を運ぶ。
もちろん瀬戸夫妻に逢いに行くのだ。
旨い物をいただきに一緒に街へ出た年もあった。
実は今日も顔を出してきた。
何年か前から、瀬戸さんの出品は物産展を離れて、
同時開催の「瀬戸 國勝 個展」という形に昇格している。
昨年は、ニューヨークの高島屋で個展を開いた。


ほんの少しずつだけど、
ホシノ家の食卓に瀬戸さんの作品が増えてきた。
ぐい呑み、椀、醤油差し、そばちょこ…。

現在、札幌丸井今井一条館8階にて、
「瀬戸 國勝 展」開催中(1月16日月曜日まで)。seto1.jpg

seto2.jpg

大晦日のてふてふ。


1988年の大晦日、僕は能登半島の輪島にいた。

東京西早稲田のアパート、一人暮らし。
年末年始の酒はドクターストップを受け、
恒例の年越し北海道も諦めていたのだが、
発作的にクルマを北上させた12月30日は、
新潟で日本海にぶちあたり、そこから西へ、
勢いで富山駅までやって来てしまった。
その晩は駅前でおとなしく一泊。

で、翌大晦日はふらふらと石川県の輪島までたどり着いちゃった。
飛び込みの民宿のおばさんの、じき晩ご飯ですから、
の言葉に見送られて、朝市で有名な街をそぞろ歩く。

夕暮れ頃、
一軒の雑貨店で漆塗りの箸などを眺めていると、
後ろから声がかかった。
僕はその年最後の客だったのだ。
店じまいを告げられるのだと思っていたら、
声の主はこう言った。

「これから仲間うちで蕎麦を食うんですが、
 よろしかったら一緒にどうです?」

この手の誘いを、僕は絶対に断らない。
焼き物や塗り物を陳列した棚のある店の中二階に通されると、
三々五々、街の顔役らしき旦那衆が集まって来る。
次第にこの集まりの様子がわかってきた。
彼らは月に一度、
この店「てふてふ」で旨いものを食す会を開いている、
ちょっとうるさ型の面々らしい。

「こいつは料理の天才なんだ。今日は年納めに、
 こいつが栽培、製粉、手打ちした蕎麦を食べる」

どうやら僕は、想像以上に最高の大晦日の宵を迎えたようだ。
天才の蕎麦は、たぐった「そば」から香り立ち、
鮮烈な切れ味で一瞬のうちに僕をトリコにした。

一度は絶滅しながら甦ったといわれる、
隣の珠洲市のざらざらした珠洲焼きを棚からおもむろに取り出し、
誰かがそれでいきなり本わさびをすりおろし始める。
なんだか、とても大人な夜にまぎれ込んでしまった。
主人は見るからに逸品と思われる一升瓶を掲げ、
「いけるんでしょ。なかなか手に入らない酒ですよ」と奨める。

この手のお酌を、僕はもちろん断らない。
うまい蕎麦、うまい酒。
幸福感が加速する。
二十九歳の暮れ。


足もとをふらつかせながら宿に帰り着いたとき、
夕食の時間はとっくに過ぎていた。
ふと、ドクターの顔が浮かんだ。

(「新年の丸井今井」へ続く)hashi.jpg

ジョセツ、じょせつ、除雪!

除雪は雪をかいて行く。
排雪は雪を持って行く。
今日のは大排雪だ。
目前を何台もの除雪機、排雪のダンプがごう音を轟かせる。
小樽市の今冬の除雪費用は、一月で底をついてしまうらしい。

これも自宅前。
救世主のようにも見える除排雪隊。

だが、実は機械でかいた後の雪は、
新雪の十倍も重い。
彼らの去った後こそ、
われわれの闘いが始まる。
zyosetsu2.jpg

zyosetsu.jpg

ななくさ。


大晦日から元旦だって、
同じ一日の移り変わりなのに、
特別な日としてカウントダウン、
その前後をどう過ごすかは結構一大事な訳です。

ところが明けてしまえば、
三日で御節に飽きていつもの日常、
あっという間に今年も一週間が過ぎている。
また今年の暮れに「一年なんてあっという間」
と話しているに違いない。

そんなあたりに七草の日を設けているなんて、
昔の人はつくづく凄いと思ってしまいます。
暴飲暴食に疲れ、仕事始めに疲れ、
改めて小休止したくなる頃合いなのですから。

冬至のカボチャとゆず湯とか、
なるべく欠かさないように気をつけています。
そうしないと子供たちに届く手前で途絶えてしまうかもしれない、
素敵で大切な習俗がいくつもあると思います。

だから今朝のわが家は七草粥。
胃が落ち着くと、心身が安心します。

そういえば、札幌の谷木さんの店(おでん)では、
一月七日には七草のお粥がいただけたはず。
行きたかったな。
そんなさりげない心意気に満ちた一平が好きなんだ。
(12月8日「屋台のジョン・レノン参照)


もういくつ寝ると、お正月。nanakusa.jpg

異常寒波。

 
こちらに来て初めて知ったのだが、
雪国の屋根の方式に「落雪式」と「無落雪式」がある。

「落雪式」はとんがった三角屋根とかで、勾配があって、
ある程度積もると自然と雪が下に落ちる。
落ちないときは雪下ろしが必要とされる。

ウチは「無落雪式」。平らな形状で、
雪は落ちないけど雪下ろしの必要がない、という。
(ウチの場合?)屋根に仕込まれた電熱線のスイッチを入れると、
雪が溶けて、といを伝わって流れて出す仕組みだ。
そいつはラッキー、と暮らし始めたのだが、
最初の冬、そのスイッチは、驚くべき金額の電気代をもたらした。
以来10数年、そのスイッチに触ったことはない。

近年、わが家もひとシーズンに何回かは、
屋根の雪下ろしをするようになった。無落雪だけど…。
なんせ、雪が積もるとその重みで襖や障子が開かなくなってしまう。
去年はサッシの鍵が閉められなくなった。
壁にヒビが走る…。


今日もさんざんテレビで、
新潟県その他の地方の屋根の雪下ろしの映像を流していた。
さらに、雪の重みによる家屋の倒壊などの悲惨な現実を伝える。
昨年末から衰えることのない寒波の脅威だ。

東京発のテレビが「雪のお勉強」を全国に流している。
大きな一軒家の雪を下ろすのに大人一人で丸三日かかる。
1立方メートルの湿った雪は500キログラムにも達する。
同量の雪をスコップで「投げる」には27回の作業が必要になる。
たった1立方でだ。
行政の除雪作業は時間的にも予算的にもすでにパンク状態。
業者をやとえば数回で数十万もかかる。
高齢者だけの世帯で労働としての除雪ができないのははもちろんだが、
じゃ、プロを雇えるかと言えば経済的にも無理がある。

この大雪は七十年ぶりとか八十年ぶりとか、
そこここで聞こえて来る。
温暖化かと思えば大寒波。
先日、地球温暖化による大津波のあと、
ニューヨークが氷河に覆われてしまう「デイ・アフター・トゥモロー」を,
テレビで観たばかりだ。


とにかく縦割り行政を廃止して、
社会保険庁などの役人が行った天文学的な無駄遣いの金を弁償して、
この際、新潟はじめ(小樽も!)雪国の除雪費に当ててもらおうじゃない。yukioroshi.jpg

国本 貴文さんの一輪挿し。


お互いがお互いに出逢えたことに、
なんとなく素直に嬉しい気持ちになれる。
また、ぜひお逢いしましょう、と別れる。

昨晩の国本 貴文さんの取材はそんな感じだった。
国本さんは、その証しのように、ご自分の作品を僕にくださった。

二種類の一輪挿し。
不思議な形をした宇宙。

白っぽい、背の低い方の一輪挿しは、
一昨年北海道を襲った、
大きな台風によってなぎ倒された札幌のポプラを用いている。
一度死んでしまったポプラは、国本さんによって、
新たな生命を吹き込まれた。

「僕の所にやって来てくれた木」
単なる素材という言い方ではなく、そんな表現をする国本さん。

作品のひとつひとつ、
素材の木ひとつひとつに、
彼を突き動かす物語がある。20060131235815.jpg

トゥレベルク工房 ? 取材という仕事。

仕事始め。

風の色の業務は明日6日からだったのですが、
ボス山野と佐々木ひさしも、昨日準備で今日5日からロケだし、
私も「JAL SKI 2006」の取材が新春早々いきなり三軒。

だいたい、風の色って何屋さんかよく分からない方が多いと思う。
代表者の山野は日本俳優連合所属の俳優にして、
20年来のロケーションコーディネイター。
だからまず、風の色の生業の最大の柱は、
映画、ドラマ、CMなどのロケーションサービス部門。
私は東京での広告代理店勤務を経て、
広告等の企画制作、取材編集・出版、イベント企画など何でも担当部門。
事務所周辺には、
ナレーター、俳優、声優、またそれらを目指す人がたむろしていて、
ユニットを作っています(アーシストボイス 風の色)。
そんな環境ゆえ、ときどき私もCM出演やナレーションの仕事を
やらせてもらったりしています(基本的に道内です)。

昨年から企んでいるのは、寄席の開催と、内モンゴルツアー。
言えば言うほど、何だか分からん会社ですねえ。

ここのところは、出世した東京時代の後輩の縁でいただいた仕事、
JAL さんのホームページの取材執筆に没頭しています。

基本的になんにもないところから、
空気みたいなものを生み出す仕事ばかりです。
テレビを作るとか、野菜を作るといった、
確かな実態のない仕事です。
でも空気みたいなものを作る仕事はやっぱりやめられない。
好きなんですね。

中でも最近あらためて、取材は本当に楽しい。
いや、すごく厳しくもあるのですが、
何かに真剣に取り組んでいる人の考えや人生を垣間みるというのは、
なんと興味深く、身になることでしょう。
それを文章にしたてるところで七転八倒するのですが…。


それはいいとして、
本日の三軒。

北海道で唯一、道産サフォーク種の羊料理専門店「サフォーク大地」。
凄いです。北海道名物にして、今東京でもはやりのジンギスカンとは一線を画します。
ちなみに、現在、ジンギスカンの羊肉は99%が輸入ものだそうです。
次に、
北海道の牛乳に魅せられたご夫婦で営む“アイスクリームバー”、
「HOKKAIDO ミルク村」。ここいいです!


そして、トゥレベルク工房。木工クラフトの作家、国本 貴文さん。
また、出逢ってしまったという感じですね。
もう、こういう時の嬉しさは仕事を超越しています。
作品が素敵なのは目に見えることですが、
それを裏打ちする考えや喜び、苦悩に触れた時、
作品はまた別の表情を見せ始めます。
「取材という仕事」の醍醐味です。

その喜びは、
料理人や、ものづくりの職人を取材させてもらっても同じことです。
葡萄を栽培した人の心をきいて、ワインを味わう。
酒を醸した杜氏の話に耳を傾けて、その酒をたしなむ。


国本さんが、長年とことん木とつきあい続けて来て、
学んだことがふたつあるといいます。

思い通りにならない「わがままな」木と向き合うには、
謙虚さしかない、ということ。
この世の中には身近にたくさんの宝物が隠されている、ということ。

この辺の詳細については、
二月、JAL さんのホームページで。kunimoto1.jpg

五香飯店に捧ぐ?。


三が日を過ぎると、御節に飽きて来る。
「おせちもいいけど、カレーもね!」
というのは、やはり秀逸なコピーですね。

で、わが家は「五香飯店」にやって来る。
注文が入ってから奥さんが皮を打つ餃子は絶品ですよ!
焼きそばもチャーハンもいいけどね。
そうそう、塩味のラーメンも忘れてはならない。
で、今日は、餃子と焼きそば、リュウ豆腐。
サービスでいただいた、ピータンにネギと味噌を添えた奴が、
やたらと中国酒・白乾(パイカル)と合うのを知った。


佐世保の中華料理屋で修業していたことのある小関さんは、
佐世保から奥さんも連れてきた。
取材でそんな話を伺ってしばらくしてから、
年末年始も元旦しか休まない五香が、
一週間くらい店を閉めていたことがある。
小樽に嫁いで数十年、
以来「初めて」佐世保へ里帰りするのだと聞いた。

え?

それを聞いて僕は、
奥さんの小樽への旅はまだ続いていたんだと思った。
里帰りで、ようやく、長~いひと区切り。
帰ってきて、やっとほんとの小樽の人になったのかな。


横浜から小樽に移り住んで十三年。
たとえば富良野や函館や、道内のどこかを旅して小樽に帰り着いた時、
あ、まだ、旅は終わっていないな。
と感じることがたくさんあった。
最近はそれも少なくなってきたけれど。
少しまた小樽の人になって来たのかな。


細身の長身なのに、
鍋を振る左腕が異様に太い小関さんは、
この四月七日で六十七歳になる。

いつもニコニコしながら、
僕の酒を何度も席に運んでくれる奥さんは、
すっかり小樽の人になったんだろうな。

僕は小関夫妻の大ファンなのです。goko2.jpg

われらが中華。

飲食店を取材させてもらって、そちらの文章を書く。
その文章を気に入ってもらって、そこから長いおつきあいが続く。
東京で広告の仕事をしていた時には知らなかった喜びだ。

十年前に二年間連載した記事のお陰で、移住後の人生が豊かになったな、
と思えるおつきあいがいくつかある。

創業127年になる栗山の蔵元「小林酒造」四代目当主、小林さん。
おでんへの認識を根底から覆された「一平」の谷木さん。
毎年、年越し蕎麦を食べに行く「薮半」の小川原さん。
そして、われらが「五香(ウーシャン)飯店」の小関さん。

小樽の花園町にあり、地元の人でいつも混んでいる。
小樽商科大学のサークルの面々や先生がたも贔屓にしている。
卒業して何年もたってわざわざ食べに来る。
知る人ぞ知る逸品餃子を札幌や、さらに遠方からも食べに来る。

年季の入った中華鍋で炒め物も揚げ物もこなしてしまう。
ご主人の小関 啓人さんは昼から夜までずーっと、
とにかく黙々とコンロに向かったまま注文をこなす。
奥さんが「お次、餃子、五目焼きそばと麻婆豆腐!」と声をかける。
この店では注文したものが出て来るまで30分くらい待つのはざらだ。
でも、誰も文句を言う人はいない。
だって、
トイレにも行けずにひたすら鍋を振っている小関さんを目の当たりにしているし、
待ったことが報われるだけの美味しさを知っているからだ。

仕事柄、中華でも格式の高い○○料理の味も知っているけど、
そういうお店と比較してどうこう言うような類いの店ではない。
けれども、
そういった高級店、有名店では味わうことのできない、
「理屈抜きの喜び」がここにあることも僕は知っているつもりだ。
「大衆北京料理」と謳っているわれらが五香飯店は、
つまりは下駄履きの中華だ。goko1.jpg

新年。

素晴らしい一年を。kazari.jpg

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