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2006-10

櫻が呼び起こした記憶。

きおく


すっかり日が短くなった。
夜が明けるのも遅いから、なんだか損した気分だ。

私が大切に思っている人の中で、病院に行かない人がいる。
最近いろいろ調子が悪かったりするのだけれど、
どんなにすすめても、
なんだか理屈の通らないことばかり言い張って、
結局、絶対病院には行かない。
それは、私にとってちょっと悲しいことだ。

実は今日は、
私たちの仕事をいつも手伝ってもらっているある仲間の、
手術の日です。

病院嫌いがたまたま受けた、
「すこやか検診」で肺に影が見つかって、
以来いくつものお医者をかけ持ちして検査した結果、
がんが判明したのです。
早期発見で命に別状はないと言われてはいますが、
左の肺の半分を切除するそうです。

彼は絶対元気に帰ってくると確信していますが、
16年前に63歳で亡くなった私の父は直腸がんで、
早期発見で良かったとみんなで喜んでいたのも束の間、
手術で転移が発見されて、診断は一転、後3ヶ月です、と。

私は絶望的に父親とすれ違っており、
物心ついてから、
まともに口をきいたこともありませんでした。
結局、
命は残り3ヶ月と言われてから、父は3年間生きました。
人工肛門の苦しい毎日のルーティンワークとともに。

私は、
東京にアパート暮らししなくては体力的に持たないほど、
広告屋の仕事が多忙を極めていましたが、
できるだけ横浜に帰って病院に顔を出すようにしました。

父は想像以上に元気で、
案外このまま直っちゃうのかな?
とまで思うこともありました。
だからあの日、奇跡的に休みが取れたお盆に、
私はタイ行きのツアーを申し込んでいました。
アパートから、今まさに、
成田へ向かって出発!
と玄関で靴を履いていた終戦記念日の朝、
電話が鳴りました。
母からでした。

「お父さん、危篤よ」

危うく人非人になるところでした。
日本が一年で一番混雑するお盆に海外で訃報を聞いても、
おそらく私は帰ってくることもできなかったでしょう。

私が病院に駆けつけると、
親戚がたくさん集まっていた。
もう父はすでに意識不明だったけれど、
小康状態が続いていたので親戚たちは夕方には帰っていった。
看病疲れの母も家に返し、
その晩私はひとりで病室に泊まった。

深夜、急に父の呼吸が荒くなり、
慌てて当直のドクターと看護婦を呼ぶ。
人工呼吸も功を奏さず、ドラマでよく見る、
あの心臓に電気ショックを与える機械が運び込まれた。
でも、二人とも経験不足なのかでくのぼうなのか、
苦しそうに息をしている意識のない父の横で、
機械の扱いが分からず、取扱説明書を読み始めた。

こんなときに。

あまりの腹立たしさに、
とにかく思い切り殴ってやろうかと思った。

でも、ここは病室だ。
いま、父は死にかけている。
そんなことをしている場合ではない。

私はどうすることもできず、
おろおろと父の足をさすった。

やがて父は静かになった。




向こう見ずな無頼を気取って、
不摂生や病院嫌いを自慢げに標榜する、
ありきたりで幼稚で愚かな人間だった。私も。

でも、父が死の淵から遠ざかったように見え、
一度は退院した父と同じ病院に、
入れ替わるように、
今度は自分が過度のストレスで入院してから、
少しだけ考えが変わった。

人は、健康でないと、喧嘩することもできない。
人は、健康でないと、憎むことすらできない。

だから、
自分の身体を気遣うのことは、
決して照れくさいようなめんどくさいようなことではなく、
自分を大切に思ってくれている廻りの人たちへの、
ある種の優しさなんだと思うようになった。


だからHさん、

私のために、
素敵なご両親のために、

もっと身体を気遣って、
病院にも普通に足を運んでください。
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罪深い人。

花咲く


14年前から数年間、横浜から小樽に移り住んだばかりの頃。
春先の櫻の便りに、東京と北海道では一ヶ月以上の時差があることに愕然として、道南の松前に道内で一番早い花を愛でにいくことで、渇きを癒した。

250品種1万本。品評会のように、品種や開花時期の違う櫻が何ヶ月かにわたって咲き続ける松前に感激したボクは、4種類の櫻の苗を小樽に持ち帰った。
別途購入した平安枝垂れと合わせて、猫の額のわが家の庭に、5本の櫻が植えられた。櫻といえばコレ、の染井吉野。桃色の八重桜。珍しい黄緑色からピンク色に花の色が変化する御衣黄。そして、真っ白な八重は雨宿り。

さて、
移住以来、一度も外壁のケアをしてこなかったことを何人もの人に脅かされたけど、北海道に住むのにはお金がかかるなあ、とため息をついてこれまでほっておいた。今春、雨漏りやいろいろな要因が重なり、ようやく塗装する決意とともに、キッチンの改装も併せてすることになった。

外壁と共にもうひとつ脅かされていたのは、キッチンの至近に植えた雨宿りだった。あんなに建物の近くに植えたら必ず土台からやられますよ。櫻の成長と根っこの力をなめたらあかんぜよ。と。

伐る


ボクの家の食堂からは小樽の海が見えて、リビングからの山の景色とともに、今ボクがここに住んでいる最大の要因でもある。

真っ白な花を咲かせる雨宿りは、その海のある風景に彩りを添える、重要な一本だった。この十数年、何度春の心をなごませてくれたことか。

その雨宿りを伐らざるを得なくなった。
キッチン改築の設計はともかく、あのとき植えたどの櫻よりも、雨宿りは著しい成長を遂げた。近年、素人目にも土台の心配をしなくてはならなくなった。
恥ずかしいけれど、小さな小さな苗木がこれほど成長してしまうことへの知識というか想像力が欠如していた。

切り株



ボクの無知無計画が、一本の櫻の命を奪うことになった。
10月16日月曜日、今回の着工で、まず、真っ先に雨宿りを伐るという。

前日の日曜日、いろいろ調べると、櫻の挿し木は難易度が高く、接ぎ木の方が…ということが書いてあった。季節もどう考えても今の時期が適切とは思えない。でも、時間がなかった。

ボクは雨宿りの枝をいくつか切り、赤玉土と鹿沼土、発根を促す液体を購入して挿し木してみた。

月曜日、ボクは出勤を遅らせて作業に立ち会った。
3人掛かりで枝を落とし、幹を分断し、根を掘り起こす。
身を切られるとは、こういう感情のことをいうのだろう。
こんなことを書くのもなんだが、なぜか、
病室で父を見送った日の情景が鮮やかに浮かんだ。
胃の底の方に淀む不快感が三日経った今も続いている。

神様、ボクをお許しください。
お願いします。
なんとか、新しい命を。

圧巻! すし職人五十人衆。

職人


祝日の9日、札幌の名だたるすし屋の職人が横一列に数えて50人、500人の客を相手にお好みですしを握るという夢のような催しに参加してきた。

さけ


札幌鮨研究会主催の「SUSHI 美味求真のつどい」は、今年で四年目。 北海道の魚介や道産米などのさらなる普及をめざして、フードランド北海道の一貫として開催されている。

うに


今月5日に創刊した新札幌情報誌「オトン」の巻頭すし特集を担当させてもらったのがご縁で、なかなか入手が困難なチケットを東寿しの冨永社長に譲っていただいた。

品書き


風の色の新若頭・ひさしと、東京の大手CMプロダクション在籍の経験をも持つオノッチ、われらが一億人の兄貴こと、川瀬さんと、この夏の殺人的な忙しさを乗り切ってくれた社内外の仲間の労をねぎらう意味もこめてのすし三昧である。

中締め


なにしろ、冒頭に書いた通り、札幌プリンスホテルの大きなバンケットホールに展開される風景を目の当たりにするだけでも6,000円の会費を払う価値はある。注文の都度握ってもらえるすしが食べ放題なのはもちろん、酒造メーカーさんらの協賛で、ビール、日本酒、焼酎、ワインなども飲み放題。妙に浮き足立って、声を高ぶらせている自分の貧乏性が情けない。

会場


ああ、やっぱりすしは素敵…

本日創刊!

おとん


この日記で何度かご紹介してきた、大人の、男の、おやぢのための新札幌情報誌「O'tone オトン」(あるた出版)が本日創刊しました。創刊号の巻頭大すし特集の大半を担当した私としてもちょっとワクワクしています。

この新しい雑誌が出来上がるまでを北海道文化放送(uhb)の「スーパーニュース」が6分間のコーナーとして取材してくれましたが、そのオンエアも本日であります。ホシノのすし屋さん取材風景や原稿執筆風景、インタビューの模様も(カットされてなければ)あるはずなので、見られるエリアの方、ぜひ、午後6時20分頃、チャンネルを合わせてみてください!

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