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2007-01

睦月の雨。

あめゆき


北海道の冬に傘はいらない。
雪はさらさらでパッと払うだけでこと足りる。
あまりさらさら過ぎると、雪ダルマや雪合戦は結構むずかしい。
そんなこと知らなかった。
こちらに来て学んだのは、
地元の人はフードのあるコートを着ていることだった。

一月から二月にかけて、
例年なら一番寒さが厳しく雪も多い時季だ。

「雨は夜更け過ぎに雪へと変わるだろう」
道民になる以前、このフレーズに胸ときめかせた。
昨晩の雪は今朝、雨に変わっていた。
ホントに地球は暖まってきている。

無理矢理暖められてしまった地球と、
このところ諸々落ち込んでいるボクの、
心を映す、ナミダ雨。

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眠れない。

横ロゴ

1月17日の晩から酒を飲んでいないので、
かれこれ丸二週間になります。

お酒を伴う夕食は外でも家でもゆっくり時間をかけて、
酒肴も酒そのものも味わう気になるのですが、
意識的にアルコールを避けていると、
食事自体はものの5分で終了してしまうし、
なんか生きている悦びがまったくない感じです。


オトン第二号(あるた出版/焼き鳥特集)は読んでくれましたか?

一個人三月号(KKベストセラーズ/ラーメン特集)は、
北海道ではおとといの月曜日から書店に並んでいるようです。


それと、今晩(31日水曜日)の北海道新聞夕刊の
「ここがお気に入り」というコーナーに、
風の色のホシノとして、
恥ずかしながら小さな写真付きで掲載されます。

夕張郡栗山町の造り酒屋、
小林酒造(本店)直営の酒亭「七番蔵」を紹介(取材は道新)しています。

ちらし


ボクが四代目と一緒に店名のネーミングをして、
書道家の母にその字を書かせ、
デザイナーと一緒にロゴ化をはかり、
2003年9月の開店から印刷物の一切や品書きを手がけている店です。
(実は「風の色」のロゴも同様にして作りました)
蔵直送の汲みたての日本酒をたしなみながら、
地鶏を中心とした酒肴を楽しむのです。

………

生きている悦びが感じられない夜は、
なかなか寝付けないものですね。

想いが溢れているのに、
無理矢理おさえつけて涼しい顔を作ろうとしているような…。
そんな、なにかと低空飛行な今日この頃、
深くたれ込めた夜の向こうに誰かの顔が浮かんだ気がして、
意味もなくしたためてしまいました。

横ロゴ

やるせない夜に。

キッチン1


話したいことがある話したい相手に、
話したい時に連絡がつかない。
それも、
こちらがそう思っていることを相手がどうも気づいており、
意識的にかわされているような気がしないでもない。
これはかなりつらい。
話したい用件がたいしたことではなく、
つまり君と話しがしたいのだ、
という他愛もなく切実な場合は、
とくにつらい。
実際にはぐらかされている訳ではないとしても、
思い過ごしも鬱のうち、
それを相手に確認できない訳だから、
それは酒でも飲むしかないのだ。
なんせ連絡がつかないのだ。

キッチン2


ところがもっとつらいのは、
間違いなく、
少なくとも自分はそう思い込んでいる状況なのに、
酒すら飲めない場合だ。

何百本も何千本も酒瓶があるはずの行きつけのバーに、
今宵に限ってたった一本のボトルも一滴の酒もない感じといおうか。

まあ今晩は街の酒場にいるわけではなく、
慌ただしい一週間の始まりを目前にして、
自宅で息をひそめて身構えているのだけれど。
で、
いつもならキッチンドリンカーになるところだが、
なんせ酒をトメラレテいるのだ。

酒をトメラレテいるので、
酒に逃げることが出来ない。

キッチン3


だから、
このバーのカウンターの上には、
自分のやるせない想い以外、
何もないのだ。

ダストボックス。

ゴミ箱


昨年晩秋、キッチンをリニューアルした。
ある日、割と突然に、料理する時間を楽しくしたくなって、壁を取り払い、窓を海側に大きく開き、オリジナルのカウンターをしつらえた。これはイノシシのボクが発作的に横浜を捨てて小樽に移り住んで以来の「えいやっ」だった。先立つもののことを何も考慮しなかったのも同じだ。

それ以来、今まであまり考えたこともなかったのだが、美しいゴミ箱が欲しくなった。だらしないボクは、どうしたら部屋をきれいに片付けられるかに頭を悩ませることはあったけど、部屋を美しく保つために、そこに存在するゴミ箱から美しくしたいと思ったのは生まれて初めてのことだ。だって、新しいキッチンカウンターのまわりに、納まり悪く生ゴミが散乱している様子は堪え難い。

ある人がとても素敵なゴミ箱と共に暮らしているのを目撃したのも、ひとつの要因かもしれない。それはもうゴミ箱と言っては失礼なオブジェだった。そう、こいつはやっぱり、ダストボックスなどと呼ばねばなるまい。何だか生活がとても豊かな感じに見えるのがうらやましかった。

それから随分とダストボックスを求めて彷徨った。
かなりの数を見て回ったけれど、そのほとんどは「ゴミ箱」だった。
あるとき、ひと目で惚れ込んだダストボックスに出逢った。
でも、それはボクにはとても高価なものだった。何と呼ぼうが、中に入るのはゴミなのだから、すぐに捨ててしまうゴミの入れ物にお金をかけるのはいかがなものか、とかなり悩んだ。

おかげで年末から「ゴミ箱』と「ダストボックス」のことが頭の中を占有する時間が多くなってしまった。
でも新しいキッチンを彩るオブジェと考えると、やはり「ゴミ箱」よりも「ダストボックス」の方がふさわしいように思える。
あのダストボックスでなければ、美しい暮らしは出来ない。
あの人の豊かさに対抗することは出来ない。

意を決して、昨晩そのダストボックスを連れて帰った。
想像以上にボクは満足している。
ただ、小樽はゴミの分別が結構進んでいて、あと4、5種類はゴミ箱が必要なことが分かった。むろん、いままでもそれなしで暮らしてはきた。でも、昨日仲間にしたダストボックスの名誉のためにも、美しい相棒を連れ添わせなくてはならないと、今、激しく思っている。

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疾風怒濤。

窓辺

昨年から始めた通称「歩くスキー」。
玄関でスキーを装着して、そのまま目前の風景に突入して行く。
最寄りのゲレンデまでは、クルマで五分くらい。
最寄りの海水浴場までも、おんなじくらい。
そういう環境なので、山と海を臨む自宅の立地は、そうした気軽なスポーツ、というよりも「散歩」感覚の歩くスキーには最適だ。
横浜から雪の多い小樽の高台に移り住んで15年になるボクとしては、こんなに素敵でお金のかからない贅沢を、なぜもっと早く始めなかったのかと後悔しきり、今シーズンの開幕を楽しみにしていた。

ところが、多ければ多いで大変なのだけれど、今冬はホントに雪が少ない。「いち月はいく」の言葉通り、年明けからあっという間の一月終盤になっても、このあたりは拍子抜けの冬を過ごしていた。


先週、久々にロケの仕事で出陣した。
東京からのロケ隊は小さな編成だったので、ボクは一人でビッグバンというマイクロバスにロケ隊を伴い、サラブレッド銀座と言われる新冠、静内界隈の牧場を訪ねてきた。

撮影が終了して、ロケ隊を千歳空港から送り出した帰り、右足の甲に違和感を覚えたボクは、本来なら寄るはずの札幌の事務所に戻らず、高速に乗ってそのまま小樽の自宅にたどり着いた。その晩からボクの足は激しく悲鳴を上げた。自宅の前に大きなバスを放置したまま、翌日からボクの右足の甲は丸太のように腫れ上がって、歩くことができなくなった。

なんせ、靴どころか、長靴を履くこともできない。
足に靴が触れただけで、ひぃっと大声を上げてしまう。
ようやくたどり着いた病院では即、車いす。
血液検査。レントゲン。
こっちは今苦しんでいるというのに診察までなかなかたどり着かない。
4年前に大腸ポリープの切除をしてから、同じ病院でその後も内視鏡検査を定期的に受け、病因嫌いには天からの恵みと、それを契機にだらしない自分の生活習慣の戒めに、月に何回か、最近では1~2ヶ月に一度は先生に様々な数値を見てもらっていた。

1年以上前から尿酸値が高く、一昨年の初夏には「いつ発作が起きてもおかしくない数値」と言われていた。その秋には、初めて手足に「違和感」を感じたけれど、それ以降、昨年になっても違和感どまりで『あらゆる痛みの中でも最強』と言われる「この病」の痛みまでに至ったこはなかった。ただビールはホッピーに変え(プリン体ゼロ!)、週に数回はスポーツクラブで朝泳ぐ殊勝さも身につけ、それからもう随分月日は流れた。

ところが、昨夏の繁忙期に、忙しさにかまけて定期診療の予約をすっぽかしてしまってから、ロケ、雑誌取材、執筆、イベントプロデュース等々が折り重なり、秋には内モンゴル、仕込みの東京出張なども続き、せっかく身に付いた病院通いがすっかり途絶えてしまった。

もともと意志が弱い人間な上に、酒にも弱く、仕事でも特に最近は飲食店の取材をして文章を書くことが多く、昨年末も雑誌かけもちで、朝からラーメンを五杯食べて夜には焼き鳥、なんてことが多々あった。疲れ切るとなおさら、一人でも自分を打ち上げてあげたくなったりしてしまう。
「よくがんばったねぇ」
大晦日まで働いて、そのまま10年ぶりに年越しのための帰省(15年間で2回目 !!)をして親元や親戚をめぐり、友人と再会し、正月二週目には30年ぶりの同窓会があって再び横浜に帰り…時節柄、そのすべてに、通常よりも過剰な飲食を伴うのは言うまでもない。

そんなこんなで、疾風(はやて)のように、風は吹いた。

久々に駆け込んだ件の病院は、なんと昨秋から内科が消滅していた。
詳しいことは分からないけれど、大学から内科医が回してもらえなくなったとかどうとか、とにかく、小樽で一番大きな総合病院から内科がなくなっちゃった!!
だから主治医もどこか遠くへ…。とりあえずということで、内科機能の一部を引き継いでいる消化器科だの、足の痛みなら整形外科だのぐるぐる引き回されて、ボクは足の痛みと風が吹いたショックと病院の騒動のストレスやらでくたくたになって帰宅。

消化器科の先生も、整形外科の先生も、口を揃えたのは、
「とにかく、なにしろ、歩かずに安静、そして薬服用、それしかない!」

金土日月火…。安静5日(月曜はしかたなくバスを移動させたけど)。
昨水曜の晩から小樽に大雪。
おお、これは歩くスキー日和だ!!!!

嗚呼、sigh…


窓辺2

瀬戸国勝さん、一平、そしてエルミタァジュ。

 
昨日まで札幌の百貨店、丸井今井で個展を開いていた漆器作家の瀬戸国勝さんとは、1988年の大晦日に能登半島の輪島にある、彼の店「てふてふ」で出逢った。
それは僕がまだ東京のアパートで一人暮らしをして、東京の広告屋をしていた横浜人の頃で、1992年の夏に、何の縁もゆかりもない北海道小樽に移住してしまったのは、ひとえに今年年男であるボクがまさに計画性のない「イノシシ」だったからだ。

移住後の1996年1月に前述の丸井今井で瀬戸さんと衝撃的な再会をしてしまってから11年。当時の瀬戸さんは「加賀老舗展」という物産展のいち参加店であったけれど、その前後で急激に作家としての評価を高めていった瀬戸さんは、数年後からは「加賀老舗展協賛、輪島 瀬戸国勝 漆展」として華々しく昇格された。

個展で各地を旅している瀬戸夫妻は、自他ともに認める食いしん坊で、日本中のうまい店の抽き出しをたくさん持っている。お二人の口からは、九州や四国や東北やさまざまな場所の、それも和食に限らず、フレンチでもイタリアンでもおいしいお話が途切れることなく溢れ出すのだから。もと横浜人のボクに、全くボクが知らなかった、感動してひっくり返ってしまうような横浜の小さな小さな焼き鳥屋を教えてくれたりする人なのである。

札幌が世界に誇るすし業界の巨匠にして、昨年は雑誌「オトン」や「一個人」でさんざんお世話になった嶋宮勤さんの「すし善」でも、人間国宝級の作家の器や美術品とともに瀬戸作品が使用されている。

そんな瀬戸さんにお店を紹介するのは勇気がいる。
ところが、11年前に再会を果たして、最初にご夫妻をお連れした店をお二人がたいそう気に入ってしまった。百貨店の催事のために7つの夜を過ごした札幌滞在中に、6日間通った年すらあったというのだからその惚れ込みようがお分かりいただけるだろう。

谷木 紘士さんの「おでん 一平」である。
瀬戸さんに話を聞いたお嬢さんや、お国の重要文化財の仕事をしている食通の表具師さんやらが、一平を楽しむだけのために飛行機に乗ってやって来る。
かつて取材をさせてもらって、谷木さんにも、一平にも激しく惚れ込んでいるボクとしては冥利であるけれど、65歳の谷木さんと62歳になる瀬戸さんは「創る」仕事をする男同士として共鳴し合っているご様子で、間を取り持ったということだけが功績であるボクとしては、自分の凡人を痛感して少々嫉妬気味でもある。

昨晩、一年ぶりに瀬戸夫妻と一平のカウンターにいた。
「なんかさ、先生とか呼んでくれる人がおるけど、名前で呼ばれた方がよっぽどうれしいのになあ」と瀬戸さん。
「先生なんかになったらつき合わねえよ」と谷木さん。
奥さんが嬉しそうに間の手を入れる。

おでんの感動に加えて、瀬戸さんのおかげで、常連の中でもワンランク上の証しのような「別口」の逸品が次々にカウンターに供され、幸せが加速する。
恒例になったこの時間が好きだ。

「そろそろ乾いた酒でも飲みますか」なんていう瀬戸さんの合い言葉で、二件目にバー、元気が残っていれば最後にラーメンの年もかつてあったけれど、ここ最近は一軒でおとなしくご帰還ということが多い。
昨晩も一平さんを出て、明日は大阪・梅田阪急デパートに向かうとお二人と名残を惜しみつつお別れした。

nakata.jpg


なんとなくおさまりのつかないボクは、年に数回だけどそんなときに立ち寄る、中田燿子さんの「ドゥ・エルミタァジュ」に顔を出した。
二年前に亡くなった忠海光朔さんの「仔羊亭」は、切ないとき、やるせないときにシェルターのように駆け込んだものだけれど、中田さんのバーには、少し嬉しいとき、その幸福感を持続させておきたいときにお邪魔することが多い。

一杯目はジンペースでオレンジとレモンのさわやか系。
二杯目は最近のオリジナルで、さる粋人の常連客が名付けたという「ラ・ガンヴィ」。イタリア語で「苦い酒」の意味だという。ベルモットのドライとロッソ、シェリー酒のフィノを用いたイタリアとスペインの競演だ。

三杯目。茹でたプチトマトのオードブルが目においしそうで、中田さんに「これに合いそうなカクテルを」と無理を言った。
中田さんは、くせの強い独特なスパイス・アニス系の香りがするリキュール、ブラックサンブーカとカンパリ、シシリー産のライムで即興の一杯を作ってくれた。

軽めの二杯の後に、瀬戸さんご夫妻と、一平、谷木さん、そしてこの優しいエルミタァジュとの夜を締めくくるように、中田さんのやや強めのインプロビゼーションでキリリとフィニッシュ。

トマトとの相性?
幸せはさらに加速した、と申し上げておきましょう!

coktail.jpg

瀬戸 國勝 さんがやってきた!

はし


昨日から、札幌の百貨店・丸井今井で開かれている「加賀百万石展」に併せて、恒例の「瀬戸國勝個展」が同時開催されている。
1988年の大晦日に能登半島は輪島の瀬戸さんの店「てふてふ」で出逢ってから18年、1996年の札幌丸井今井「加賀百万石展」で衝撃の再会を果たしてから11年が経過した。
昨日、会場にご挨拶にお邪魔したが、昨年の同じ頃に瀬戸さんについて書いた文章を採録した。

(以下、「大晦日のてふてふ」より)


1988年の大晦日、僕は能登半島の輪島にいた。

東京西早稲田のアパート、一人暮らし。
年末年始の酒はドクターストップを受け、
恒例の年越し北海道も諦めていたのだが、
発作的にクルマを北上させた12月30日は、
新潟で日本海にぶちあたり、そこから西へ、
勢いで富山駅までやって来てしまった。
その晩は駅前でおとなしく一泊。

で、翌大晦日はふらふらと石川県の輪島までたどり着いちゃった。
飛び込みの民宿のおばさんの、じき晩ご飯ですから、
の言葉に見送られて、朝市で有名な街をそぞろ歩く。

夕暮れ頃、
一軒の雑貨店で漆塗りの箸などを眺めていると、
後ろから声がかかった。
僕はその年最後の客だったのだ。
店じまいを告げられるのだと思っていたら、
声の主はこう言った。

「これから仲間うちで蕎麦を食うんですが、
 よろしかったら一緒にどうです?」

この手の誘いを、僕は絶対に断らない。
焼き物や塗り物を陳列した棚のある店の中二階に通されると、
三々五々、街の顔役らしき旦那衆が集まって来る。
次第にこの集まりの様子がわかってきた。
彼らは月に一度、
この店「てふてふ」で旨いものを食す会を開いている、
ちょっとうるさ型の面々らしい。

「こいつは料理の天才なんだ。今日は年納めに、
 こいつが栽培、製粉、手打ちした蕎麦を食べる」

どうやら僕は、想像以上に最高の大晦日の宵を迎えたようだ。
天才の蕎麦は、たぐった「そば」から香り立ち、
鮮烈な切れ味で一瞬のうちに僕をトリコにした。

一度は絶滅しながら甦ったといわれる、
隣の珠洲市のざらざらした珠洲焼きを棚からおもむろに取り出し、
誰かがそれでいきなり本わさびをすりおろし始める。
なんだか、とても大人な夜にまぎれ込んでしまった。
主人は見るからに逸品と思われる一升瓶を掲げ、
「いけるんでしょ。なかなか手に入らない酒ですよ」と奨める。

この手のお酌を、僕はもちろん断らない。
うまい蕎麦、うまい酒。
幸福感が加速する。
二十九歳の暮れ。


足もとをふらつかせながら宿に帰り着いたとき、
夕食の時間はとっくに過ぎていた。
ふと、ドクターの顔が浮かんだ。

ぐい飲み


という訳で、瀬戸さんのお話の第二話(「新年の丸井今井」より)です。写真は私の瀬戸作品コレクション。

(「大晦日のてふてふ」からの続き)

1996年1月、僕は塗り物のぐい呑みに見とれていた。
札幌の百貨店・丸井今井「加賀老舗展」でのこと。

1992年7月から、僕は小樽市民になっていた。
東京の会社を辞め、アパートをたたみ、横浜の実家を離れた。
札幌の出版社にもぐり込み、少しは北海道生活に慣れてきた頃だ。

「いいでしょ、その器」と後ろから声がかかる。
なんとなくこの状況、その声、どこかで…。
斜め後ろへ振り返ると、やはり覚えのある顔がそこに。
忘れもしない8年前の輪島の大晦日、
生涯で最も強烈な蕎麦のもてなしの記憶。
「てふてふ」のご主人だった。

「かあさん、ほら覚えてる?」
と話しかけた先には、あのときの奥さんがいた。
「うんうん、えと、お名前は確か…ホシノさんよね」
びっくりした。まさか名前まで。

「てふてふ」主人、瀬戸 國勝さんは、
この8年の間に漆器作家としての評価を一気に高め、
作品は「サライ」「ミセス」などのクオリティの高い雑誌等々で
広く紹介されるようになっていたのだった。
恥ずかしながら、全然そんなこと知らなかった。
僕にとっては、ただ、8年前の大晦日、突然見知らぬ僕を招き入れて、
蕎麦と酒をふるまってくれた、素敵なご夫妻でしかなかった。
それもたったひと晩のご縁。
しかも、あのとき僕は東京在住の横浜人で、
お逢いしたのは石川県輪島市。
それが8年後、
小樽市民になった僕と札幌でばったりなんて…。

「坂本は覚えてる?」

もちろん。あの料理の天才のことだ。
「坂本は何年か前から、輪島の隣の珠洲で旅館を始めたんだ。
 一日三組限定。うまい料理を囲炉裏端で食わせる。
 これが当たっちゃった。必ずあの蕎麦も出すんだよ。
その宿で僕の器も使ってもらっているんだけど、
 風呂も僕の作品でね。漆塗りなんだ。この前もサライに載ってたな」


そば


ボクと瀬戸さんとのなれそめ、その第三話です。
昨年に書いた「新年の丸井今井」からの再録です。
(以下、再録文)

その年の暮れ、
僕は能登半島に向かった。
輪島に一泊、珠洲の「さか本」で二泊。
瀬戸さんの漆の風呂につかり、
囲炉裏端で和を中心とした圧倒的な「坂本料理群」に舌鼓を打ち、
「あの蕎麦」に再会して感涙にむせんだ。

※ 「さか本」は、2月6日発売の雑誌「和楽」3月号に掲載されるそうです。 興味のある方はぜひ !!

●注釈/これは2006年です。ご覧になりたい方はバックナンバーで。


それから毎年一月は、丸井今井の「加賀老舗展」に足を運ぶ。
もちろん瀬戸夫妻に逢いに行くのだ。
旨い物をいただきに一緒に街へ出た年もあった。
実は今日も顔を出してきた。
何年か前から、瀬戸さんの出品は物産展を離れて、
同時開催の「瀬戸 國勝 個展」という形に昇格している。
昨年は、ニューヨークの高島屋で個展を開いた。


ほんの少しずつだけど、
ホシノ家の食卓に瀬戸さんの作品が増えてきた。
ぐい呑み、椀、醤油差し、そばちょこ…。

現在、札幌丸井今井一条館8階にて、
「瀬戸 國勝 展」開催中(1月16日月曜日まで)。



●注釈/2007年は1月15日月曜日までです! 
 ぜひ、お運びください!!

オトン創刊第二号本日発売!

オトン2表紙


大人の、男の、おやぢのための札幌の情報誌、
「O'tone オトン」第二号が本日発売です。
ボクは創刊号に引き続き、巻頭特集を取材執筆しました。
創刊号のすし特集の次は、焼き鳥。「特集:あずましき宇宙/焼き鳥のある風景」と題して35ページ、うち23ページに携わっています。

ここのところ雑誌の仕事づいていて、KKベストセラーズの全国誌「一個人」で、オトン創刊号の直後に100ページのすし特集(昨年11月26日発売の1月号)に参加、札幌小樽の市場とすし屋さんを8ページ書かせてもらいましたが、1月26日発売の3月号では同規模のラーメン特集が同誌であり、年末年始にまたがってラーメンづけになりました。

暮れのある日などはオトン二号の焼き鳥と、一個人のラーメンの取材が重なって、朝からラーメンを5杯食べた夜に焼き鳥という胃袋のハードスケジュール。
おかげで大晦日も新年も原稿の校正に追われています。

本日発売のオトン第二号では、東京札幌の焼き鳥行脚の果て、記名のエッセイ風文章なども6ページほど書いておりますので、ぜひ!

暮れは師が走り、
新年はみなさんが本屋に走ってくだされば…

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