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2007-04

モーツァルトの周辺。

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1988年の秋、ボクは国立音楽大学の学園長(当時)海老沢敏教授とサントリー制作部(当時)の福井欣也カメラマンのお供をして、オーストリア、チェコスロバキア、北イタリア等へ撮影の旅をした。その頃携わっていた「サントリー音楽文化展」シリーズの図録制作のためにである。毎年クラシックの作曲家を一人取り上げ、その作曲家の母国の研究団体等から、自筆譜面や手紙、遺品ならびに同時代の絵画などを借り受け、展覧会の形で彼の生涯を浮き彫りにしようという試みだった。作曲家の展覧会という企画自体が異色であったし、会場の赤坂サントリー美術館では、そうした展示品のほかに一日数回、作曲家ゆかりの小編成の楽曲が演奏され、ビデオやCDの鑑賞コーナーもある盛りだくさんメニューで、別名「生演奏のある展覧会」という10年間続いた催事だった。

ボクらの仕事は国内の権威に監修を依頼し、企画全体を組み立てるところから始まる。ときに国宝級の展示物を借り受ける海外交渉とその輸送から展示プランニング。会場で販売される図録やポスター、ポストカード、テレホンカード(もはや遺物か!)、それから告知CMなどの制作。イベントに関するパブリシティの媒体社への働きかけ。在日大使クラスも出席するオープニングセレモニーの制作進行。関連イベント(サントリーホールでの演奏会、シンポジウム)の企画制作。そして約二ヶ月間にわたる展覧会そのものの運営業務。母国から立ち会いに訪れるVIPたちのアテンド…と多岐にわたり、そのすべてに関わることはボクの能力の可能性と限界とを思い知らされたけれど、生涯忘れられぬ経験でもあった。

ヨーロッパ出張まで担当したのはその年だけだったけれど、89年の春に二ヶ月の会期が終了した翌日、ボクは激しく胃腸をやられており、恥ずかしながら入院してしまった。

当時50代後半の脂の乗り切った学者と写真家のお供は緊張に満ちていた。
なんせ海老澤センセイといったら、モーツァルト研究の総本山、ザルツブルグ国際モーツァルテウム財団が「この人物は!」とモーツァルト研究家として太鼓判を押した、全世界にたった20数名しかいない研究メンバーのうちのお一人である。また、福井カメラマンといったら、ボクのあこがれ、山口瞳さんらと旅をしながらその著作の写真を撮った方というだけで目がつぶれそうな思いなのに、登り詰めて「長(おさ)」になったセクションで、「生涯いちカメラマン」を標榜して、みずから降格して無冠の人になってしまったような骨っぽい男なのである。当時、まだボクは30歳手前、初海外出張…。展覧会場で販売し、会期終了後はサントリーさんの関連企業、TBSブリタニカから出版する分厚い図録一冊分の写真撮影隊のロケマネージャーの心臓は、2、3週間の間、バクバクだった。

あれから18年。
ひょんなことから、というか、そのときのご縁の長い延長線上で、国立出身の声楽家にして海老澤センセイのお弟子さん筋にあたる、国立北海道教育大学芸術科教授の塚田康弘先生とお会いする機会を得た。函館の七飯出身の塚田先生は、北海道にモーツァルトの芸術を広め、後進の育成の夢も併せ「北海道モーツァルト協会」を主催されている。この会の今後のさらなる進展に、ボクも微力ながらひと役買うお話が静かに進行しており、昨晩は札幌市内の和食の店でグラスを掲げた。

モーツァルトの数少ない肖像画の中でも最も有名な「ベローナのモーツァルト」は、ダッラローザの作品。その画家の師匠がチニャローリで、彼の作とされている肖像画を海老澤センセイは所蔵している。海老澤センセイの許しを得て、塚田先生は自分の企画するイベントの印刷物にこの肖像画を使用しているのだが、さらに先生の働きかけによって、先生の故郷のワインメーカー「はこだてわいん」がこの肖像画をラベルに用いたモーツァルトワインを販売しているというのを初めて知った。なんとこのワインは、その熟成期間中、毎日毎日モーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハト・ムジク」を聴きながら眠っていたのだという。

昨晩はその希少なワインが飲める店ということで、和食ダイニングバー「忍月(しのぶつき)」(中央区南3西4 五番街ビル2F)にお邪魔したのでした(写真後方は店長兼料理長の永井信一さん)。

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大塚の内モンゴル。

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先日まで、三月の東京出張のエピソードを何回かに分けて書いていたのだけれど、その間に雑誌の発売や新しいお仕事に関連したこともはさみ込みつつ、また諸々立て込んで更新が遠のいていました。すみません。

もう、1ヶ月経ってしまったので「六日のアヤメ」どころの騒ぎではないが、3月の13日は出張中二度目の内モンゴルのバト君との約束の日だった。
母国の先輩が大塚で店をやっているというので是非!ということになったのだ。これからいろいろ内モンゴルで「事を起こす」もくろみの風の色としては、もともと札幌の大学に留学していたのが縁でボクらを自らのふるさとの草原に連れて行ってくれた学究肌のバイさん(48)に次いで、バト君(30)の若き感性には大切なブレーンになって欲しいと願っているのだ。

JR大塚駅のホームから見えるビルの一階にその店はあった。その名もチンギスハーン! ビルの入り口の扉を入ってすぐに靴を脱ぐと、もうひとつ入り口がある。そこに足を踏み入れた途端、えええ??おおお!!!と驚愕が走る。確かにボクらはビルに入ったのに、そこは巨大なゲルの中だった! 

ボクらが去年、一昨年と宿泊したバイさんの故郷、アルデレス原生草原のゲルは大人3、4人が寝泊まりするのにちょうど良いサイズだったのだが、大塚のゲルはなんと7~80人はゆうに収容できるほどの大きさである。天井もかなりの高さだし、外周に沿ってびっちりとモンゴルの民族衣装がかかっているのは、この店を訪れた客人は必ず ? この衣装を着て飲食するシキタリだからなのだ!!

 
ボクは東京の広告屋さん時代の先輩と後輩もお誘いしていたのだが、二人とも最初はどう振る舞っていいか勝手が分からず、少々どぎまぎしていた。そりゃそうでしょう。草原でゲルに寝泊まりした事のあるボクでさえ、この演出には度肝を抜かれた。

「さ、これから次々と料理が出てきますから、どんどん食べて飲んでください!」

バト君の先輩がそう言うと、本当に次から次へとモンゴル料理が出現した。それも現地で食べたまま、という印象のものばかりだ。

強い酒がまわりだすと、床にペタリと座っているこの状況が実に心地よく感じられて来る。日本のちゃぶ台での食事感覚にかなり近いからだろうか。

そんな頃、先輩が「ではそろそろ歌を歌いましょう」と切り出す。もちろんカラオケではない。モンゴルの人はおもてなしの心を歌で表現する。よく来た、さあうんと食べて飲んでください、と。そうした気持ちをふるさとの歌に託す。だからボクらも「日本の歌」を返す。うまいとか下手とか、まったく問題ではない。というよりもむしろ、カラオケ屋さんでよく見かける「イヤイヤ、ワタシ、ウタハ、チョット…」的な、自分の歌唱力の程度や、TPO、主義主張に裏打ちされた遠慮の仕方はここでは似合わない。気持ちには気持ちで返すばかりである。
気がつくと、ひとりが最低でも一曲は歌っていた。

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隣の先客は日本人の若いカップルだったのだが、彼氏の方はいつの間にか肌もあらわなモンゴル相撲の出で立ちに強制的にお色直しさせられていた。反対側の背広の紳士は、内モンゴルから東京に働きに来ているビジネスマンで、今宵皆さんにあえたのは実に嬉しい! と上手な日本語でいいながら、笑顔で歌を歌いつつ、ひとりひとりに酒をついでまわっている。その杯を受けたら最後、ボクらは必ずや一気に飲み干さなくてはならない。


昨秋の内モンゴル以来、久しぶりに本来の「酒と歌」の喜びに酔いしれた。
カラオケ屋でありがちな、他人の歌などまったく聴かずにただ一心不乱に自分の選曲に没頭している様子はどこにもない。それどころか、お互い、相手が語りかけているその気持ちを、意味を、内容を理解しようと、コトバの分からない相手の母国の歌に一所懸命に聴き入っている。そして、気持ちは不思議に伝わってくる。

「ホシノさん、とても酒強いね」「いえいえ、そんな」なんて言っているうちに、すっかりボクは酔っぱらっていたらしい。バト君がわざわざ国から持ち帰ってきた酒のお土産を、ボクは店に置いてきてしまった。しかも翌日それを電話で詫びていたら「店で解散したあと、忘れ物に気づいてボクは大塚駅でホシノさんをつかまえて手渡しましたよね」と言われてボー然、ガク然。それも覚えていないどころか、再び受け取った大切なお土産を、結局ボクはどこかで…。お詫びの電話をしながら、二重の赤っ恥をかいたボクは、北海道のお土産を配りまくり、空になってからはカメラその他を入れて、その日一日後生大事にぶら下げていた紙袋に目をやった。カメラこそ無事だったものの、その袋はびりびりに破れており、その中身はずいぶん目減りしているように思われた。

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同席していたカラオケ好きの後輩キタゴーから深夜にメールが来ていた。
「タイトル:いい酒だった/異国の人との酒の酌み交わしは滅多に無い事。でも今日は感動しました。マスターの素敵な唄と、引き付ける話。バド君の誠実な人柄。国内でこれだけ感動したのだから、現地で、果てしない地平線、満天の星、歓待の酒と唄…そんな状況になったら僕はどうなるのでしょうか。
久しぶりにそんな素敵な気分に浸れて、楽しいです。
内モンゴル自治区、取り急ぎ世界地図を見たい。そしてマスターも言ってた、遊牧民としての歴史的背景もひもときたい。
そんな素敵な場をありがとうございました。本当にいい酒でした」

すし善 嶋宮 勤さんと晩餐。

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2000年に、同じく東京から北海道小樽に移り住んできた隣人と二人で出版した雑誌(現在休刊中「ヌプカ」)の二号目で取材させていただいて以来、昨年夏に6年ぶりにすし善の嶋宮勤さんにお会いした。昨年10月に創刊して、昨日めでたく第三号が発売になった「オトン」の取材だった。続いて全国誌「一個人」の大寿司特集の仕事でも続けてお邪魔させていただいた。

そんなことがご縁で、いま進行している嶋宮さんの新しいプロジェクトのお手伝いをさせていただいている。なんせ嶋宮さんといえば、アメリカ大統領婦人が主催するワシントンの櫻祭りで寿司を握る日本のすし職人たちの団長を、もう10数年も務められている方で、「日本のすし」を世界に広めるために日々奔走している。東京の汐サイトの電通本社ビルの完成とともに、その最上階に出店した「すし善」東京店は非常に繁盛していると聞く。

昨日、そのプロジェクトの打ち合わせは、東京出張からの帰りに、嶋宮さん自ら運転して千歳空港から札幌円山の本店に舞い戻った瞬間の夕方5時から始まった。
前回の打ち合わせは、嶋宮さんが東京に旅立つ前日の4月2日月曜日だった。われわれの打ち合わせは、忙しく飛び回っている嶋宮さんのスケジュールの合間合間を縫って行われる。今年の櫻祭りのために4月11日から19日まで渡米してしまう嶋宮さんが札幌にいる10日までの間に、なんとか目鼻を付けなくてはならないのだ。

午後7時に打ち合わせは終わったのだが、嶋宮さんはボクを夕食に誘ってくださった。いい加減お疲れだろうに。三日間の東京滞在中のランチやディナーのお相手はそうそうたる方々ばかりで身が縮こまる。某ビールメーカーの役員。今度文化勲章を受賞する予定の芸術家。すし善東京店の大家さんの副社長。40年来の親交があり、「すし善」の屋号を著した、かの平山郁夫画伯!

そ、その次のご飯の相手がボクでよろしいんでしょうか!?
「ボクはね、ここのハンバーグが大好きなんだ」
と言って連れてきていただいたのは札幌は裏参道の“100%北海道炭火焼ハンバーグ”のKAMADOという店だった。嶋宮さんは意外にもまったくアルコールを口にしない。ボクにはビールを進めながら、ご自分はカシス酢のソフトドリンクを飲んでいた。

嶋宮さんの話は熱い。世界に広めたいすしの話。北海道出身で優秀な人は、料理人でも、政財界にも、芸術家でもたくさんいるが、みんな東京に行ってしまった。自分は絶対に北海道を離れずに、東京を、日本を、世界を見据えて生きていくのだというお話。東京ミッドタウン、汐留、恵比寿をはじめとする巨大プロジェクトに思うこと。皆、同じに見える。日本の魅力はやっぱり「家屋」でしょう!

「道を造ろうなんて思っちゃいけない。一生懸命やっていたら、道っていうのは開けてくるものなんだから」

なんだかボクは、嶋宮さんのひと言ひと言をメモしたいような衝動にかられた。

ボクの幸福な夜は、嶋宮さんの運転で、ボクの帰宅の最寄り駅、JR桑園駅に送り届けていただいたところで幕を閉じた。

あ、あった!

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何やってんだ、ボクは! まったくもう。

写真は、ボクを呼び出すために、お手洗いで携帯電話を取り出した際に、そのままそいつを便器に落下させてしまい、電話を成仏させてしまった平野編集長と関川さん。4月4日「おでんの小春」にて。

オトン創刊第三号、本日発売。

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昨年10月5日に創刊した、季刊、大人のための札幌情報誌「オトン」第三号が本日発売であります。今回も第一特集を担当させてもらいました(「今夜は一杯やろうや」)。当ブログではここ数回、三月中旬の東京出張の模様を遅ればせで書いておりました(この後もまだ書く予定です)が、本日は雑誌発売日ですので!

昨晩午後8時、デザイン事務所での打合せを終えて札幌駅で切符を買い、小樽への帰路、JRのホームに立っていた時に携帯電話が鳴りました。今号で取材をさせていただいたHTB 北海道テレビの関川さんで、まさに取材店である「おでん 小春」から。
「そうか、札幌駅なら15分以内だな」
こちらの状況をさしはさむ余地はまったくありません。私も瞬間的な決断で、改札機を通らずに切符を見せて外へ出て、真っすぐ地下鉄をめざします。

今回の特集35ページのうち、ボクは23ページを書いているのですが、その最後は恥ずかしながらボクのエッセイめいた記名の文章で、東京の広告代理店勤務時代のエピソードをしたためています。その文中に、今件の取材にまつわる話として関川さんについても触れさせていただいておりました。

関川さんと「オトン」編集長平野たまみさんが「小春」で飲んでいるのは承知していましたが、特にお声もかからなかったので、こちらから乱入するのは控えて帰宅しようとしていた矢先の「呼び出し」でした。

特集そのもののテーマが「ちょっと一杯のお誘いを受けたときの心得」的な内容で、ボクのエッセイめいたものでは、社会人のしきたりみたいなことをボクに仕込んでくれたかつての上司とのモロモロのエピソードと、そのテーマを地でいくような、今回の取材後に関川さんのお供をさせていただいた際の関川さんの人となりのエピソードがオーバーラップしていきます。自分としては、相当気合いを入れて書いた(入れ過ぎ!)一文でありました。

前回のご相伴同様、ボクは札幌の事務所で目覚めてこれを書いています。

写真は、ボクを呼び出すために、お手洗いで携帯電話を取り出した際に、そのままそいつを便器に落下させてしまい、電話を成仏させてしまった平野編集長と関川さん。「おでんの小春」にて。の、はずだったのですが、今、そのツーショット写真を撮ったはずの自分の携帯電話のデータを開いてみて、その写真がどこにもないことに気づき、愕然としています。

入水した携帯電話の件に責任を感じたボクは、午後6時からスタートして、かなり出来上がっていたお二人に急ピッチで追いつき、追い越すことでしかお詫びの表明の方法が見当たらなかった訳で…。

お江戸日本橋2♪

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それにしても3月10日のことだから、三週間以上前のことを書いている。ひどいもんだ。ためて書くのは日記といえないよなあ。明るい外界の様子を薄暗い店内から眺めると、時間が止まっているようだ。でも、駄目駄目。散歩はまだ始まったばかりなんだから。

東日本橋の衣類の問屋さんをひやかしたりしながら、やがて日本橋へ。
三越さんを超えたら、「日本の道路の起点」でありながら、高速道路に覆いかぶさられてしまった橋が出現します。高速をどこかに迂回させる計画があるとき来ましたが…

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両親ともに東京です。父親の転勤中に神戸で生まれたものの、3歳からずっと横浜で育ち、大学も最初の会社も新宿区でした。広告屋さんをしていたボクのお得意先のひとつが日本橋にありまして、ほとんど10年間もの間、毎日通ったものでした。

今こうして、北海道小樽人として「上京」してみると、まったくひとりの旅の人というか、オノボリサンの感慨をもって日本橋を渡っている自分に気づきます。

いま、ボクは、日本の中心にいるんだなあ…

お江戸日本橋♪

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ちょっと前後して東京出張三日目の土曜日。

この日に約束していた人が金曜日に繰り上がり、金曜日に予定していた人がインフルエンザにかかっちゃって週明けにずれたので、土曜日はゆるゆるとお江戸散歩としゃれこんだ。浅草界隈から東日本橋方面へ。屋形船を横目で見ながら路地へ入るとなにやら素敵な中華料理屋に遭遇した。

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途中、浅草橋駅すぐの有名中華店「水新菜館」に期待していたのに、あいにく休業でがっくりしたところに現れたのが「鳳凰軒」。明らかに「年代もの」のシブーイ構え。紹興酒の禁断症状が出ていたところだったので迷わず入店。上品なマダムの接客も心地よく、中華のイメージを超越したたたずまいにいやされる。まだ高い太陽をものともせず、紹興酒が進む。餃子もあんかけの焼きそばも気取らぬ味で肩の力が抜けて行く。

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