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2008-11

イ・ミンギとオホーツク紋別2

クリオネ

現在韓国で人気の高い若手俳優イ・ミンギと日本の池脇千鶴さん主演で、件の映画「おいしいマン」は制作された。
イ・ミンギ扮する聴覚を失いかけたミュージシャン、ヒョンソクは傷心の果てに、流氷に閉ざされた音のない町・紋別にやって来る。この町で祖母に育てられ、この町が大嫌いな池脇扮するメグミは、ひょんなことからヒョンソクと出逢う。激しい恋愛も、大きなアクシデントもないが、二人のおだやかな癒しの三日間は過ぎ、やがてヒョンソクは韓国に帰ってゆく。ほのかな愛の物語。

映画冒頭、流氷の妖精と呼ばれるクリオネが画面に映し出される。冷たい海水の中、流氷の下でしか生きられない、春が来れば消えてしまうクリオネがさまざまなことを暗示しているようである。

「映画とロケ地の幸せな関係」を何とか次のステップに持ち込めないか。通常、われわれの仕事も撮影が終わればそこで終わる。むろん、同じ制作者からのリピートや、同じロケ地での撮影はある。しかしながら、それはまた、別の作品、別の仕事だ。今回、風の色とオホーツク紋別フィルムコミッションのHさんは「おいしいマン」を通した町の活性化を語り合って来た。

ラブレターの成功例に見るように、北海道を舞台にした秀逸な作品は、アジア諸国からの集客の潜在力がある。まして今回は、韓国の人気俳優主演による韓国映画である。韓国の(日本)ファンはもちろんのこと、国内の韓流ファンも同時に取り込める可能性がある。しかも、池脇千鶴さんという、日本の若手人気女優が共演している。つまり、「おいしいマン」には、少なくとも韓国と日本の両国に対する訴求力があるはずだ。そして紋別には、「大自然」を観光資源としながら、いまだそれほど浸透して来なかった北海道の最終兵器、「流氷」がある。

映画「おいしいマン」に登場する流氷は、たまたまおまけの綺麗な映像ではなく、ドラマに於ける重要な意味合いを持って描かれているのだ。

去る10月の釜山国際映画祭で、映画「おいしいマン」は初上映された。日本側のラインプロデューサー 山野久治とロケーションマネージャー 小野隆基(いずれも風の色)、そして、オホーツク紋別フィルムコミッションのHさんも釜山に飛んだ。会場内には、札幌フィルムコミッションと山野が代表理事を務めるHFA 北海道映像産業振興連盟のブースが置かれ、僕が作った「おいしいマン」のチラシをツールに、ロケ地紋別の、そしてもちろん、北海道全体に対するロケ誘致などが展開された。

今年5月、僕と山野は、おいしいマンのロケ地マップ制作のために、紋別に出張した。単なる観光地図ではなく、映画「おいしいマン」のロケ地を通して、紋別を眺め直してみようという企画である。そいつを日本語とハングルで作る。来年初旬のソウルでのロードショーの際には、このマップを引っさげて、紋別から応援団を派遣、ロケ地紋別を直接PRして来ようというプロジェクトの一環だ。さらには、来年2月末から3月初旬にかけて、日本公開に先駆けた、紋別先行上映を企てている。いずれもイ・ミンギ氏やキム・ジョンジュン監督(可能なら池脇さん)の舞台挨拶などを交渉中(あるいはこれから交渉)だ。ここへ来て、来年の夕張国際ファンタスティック映画祭での上映も検討されており、紋別とわれわれにとっての追い風である。

今回の出張は、形の整って来たロケマップ「おいしい紋別」をHさんや関係者にお披露目し、方向性の確認や取材協力者へのご報告、新たな取材許可に関する挨拶、追加取材、追加撮影をするためだった。

こうやって紋別の町や人に会う機会を重ねるごとに、紋別に対する想いが深まってゆく。ただののっぺりした町は、僕にとって顔の見える町に変わってゆく。惚れた町や人に喜んでもらうために、また、訪ねてゆく。そしてそのことによって、紋別にたくさんの人が訪れるようになり、来た人も迎えた人も豊かな気持ちになったら、素敵なことじゃないか。



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イ・ミンギとオホーツク紋別1

カニの爪夜

北海道には二つのモンベツがある。紋別と門別。
この文字違いのモンベツを区別するために、道民は、紋別のことを「オホーツク紋別」「糸(いと)紋別」などと呼ぶ。

今年の3月、風の色はオホーツク紋別で韓国映画の仕事をした。
なんと、作品全体の8、9割を紋別で撮影すると言う。
北海道小樽を舞台にした、1995年の岩井俊二監督「ラブレター」がアジアで大ヒットして以降、近年のアジア諸国の好景気も相まって、それらの国々の観光客が「海外旅行」で小樽を皮切りにどっと北海道に押し寄せるようになった。

風の色も5年ほど前から、韓国、台湾のCMや映画、ドラマの仕事が増えた。今年は上海のテレビ局制作・北海道紹介の旅番組なんていうのもあった。

そんな中にあって、道央圏から旭川、美瑛、富良野、函館と、全道に広がるアジアラッシュにあっても、あまり彼らが訪れることのなかったオホーツク圏の、地味な港町である紋別が主たる舞台である韓国映画というのは、かなり異色だった。

ところが「韓流」あなどることなかれ。
どこから聞きつけたのか、風の色の事務所に、スタッフの携帯電話に(なぜ!?)、ファンのおば様たちから電話がかかってくるようになった。「今日から撮影よね。イ・ミンギ(主演男優)は何時の便で着くの?」「羽田から紋別の直行便に乗り遅れたので旭川便に乗るから」(なんでわざわざ我々に!)。
ちなみにこの方は、旭川空港からタクシーで紋別入りし(推定料金5万円)、キムチの差し入れを持参して現場に登場。当然、スタッフ、キャストの宿泊ホテルに、撮影現場にさまざまなファンの方々がお越し遊ばした。

われわれ制作サイドも、通常ならそうしたファンを排除するケースが多いのだが、今回は「せっかくなのだから」と、エキストラ出演してもらったり、ケイタリングに参加してもらったり、あえて作る側の手伝いをしてもらった。これには、いつも煙たがられていたファンの方自身が驚いたらしい。非常に感謝され、感動され、地元民やスタッフとの交流を通して、紋別を「忘れがたく暖かい素敵な場所」に変貌させた。

紋別では、北海道内でも一番早くから手を挙げ、『オホーツク紋別フィルムコミッション』を組織していたが、設立以来7年、ロケに恵まれなかった。今回が初めてのロケ隊受け入れだったのである。熱意だけでは覆いきれないノウハウの部分を、風の色はお手伝いした。

そうして、漁協の女性部や水産加工会社の女性スタッフなど、浜のおばちゃん中心の炊き出し部隊が早朝に昼に夕に活躍、地元高校の新聞部員は「紋別に映画がやって来た!」と現場を取材してブログを掲載したし、地元ロケ地や宿泊ホテルは言うに及ばず、スタッフの買い出し御用達のコンビニや、監督お気に入りのスナックも、ホテル近所のパチンコ屋も、たくさんの紋別市民がそれぞれの立場で映画製作に「参加」した。

このような「制作者とロケ地の幸せな関係」はそうそうでき上がるものではない。撮影終了後の打ち上げは、韓国スタッフ、出演者、北海道スタッフ、地元協力者、単なる地元民、遠来からのファンなどなどが出席、くんずほぐれつハチャメチャな盛り上がりを見せたのである。

その紋別に、この週末、僕は5月の終わり以来の出張に出かけた。(写真は紋別の名勝「カニの爪」)



筑紫 哲也さんとジョン・ルイス。

Jlewis.jpg

朝日新聞の記者だった筑紫哲也さんを、初めてテレビに引っぱり出したのは、東京時代の僕の古巣の広告代理店の社長(のハズ)だ。(1978~テレビ朝日『こちらデスク』)
だから僕の古巣は何かと筑紫さんと交流が深く、僕も二回ほどお逢いしたことがある。一度は、新しい番組企画で先輩と一緒に筑紫さんの赤坂の事務所にお願いごとに行ったとき。

もう一度は、MJQ(モダン・ジャズ・カルテット)のジョン・ルイス(ジャズピアニストの神様みたいな人)が、バッハを弾いて世界を震撼させ(日本のレコード会社の企画)、僕の先輩が、彼の日本でのバッハコンサートをプロデュースした時のこと。

全国縦断ツアーの最終日がサントリーホールで、同じアークヒルズにある、カフェコンチェルトで行われた打ち上げに僕も参加していたのだけど、社長がジョン・ルイス ファンの筑紫さんに声をかけて、彼も出席していた。

ごく内輪だけのアットホームな宴で、筑紫さんはジョンへの敬意を込めて乾杯の発声をしたと思う。『知的』とはああいう感じを言うんだろう。物腰柔らかく、笑顔が素敵で、二言三言お話しさせていただいて、僕もすっかりファンになってしまった。

その晩は、偉大なジョン・ルイスと同じ時間を過ごせるだけで感動的だったのに、筑紫さんも加わって、僕の感動は二乗された(残念ながらジョンルイスは、2001年に80歳で亡くなった)。

筑紫さんの突然の訃報に触れて、ふと、かの小宴を思い出した。あの晩、僕を感動の二乗に誘った音楽家とジャーナリストは、これで二人とも故人になってしまった。

筑紫さんの死を告げる番組を眺めながら、僕はこの週末、久しぶりにジョン・ルイスの 『プレリュードとフーガ』を引っ張り出した。

キース・ジャレットのチェンバロのバッハを聴いた時、どこからあのケルン・コンサートのインプロビゼーションのような展開になるのかとわくわくしながら、最後までとことん「クラシック」であり続け、ある種落胆しながらも驚愕したのに対し、

ジョン・ルイスは、同じく正統クラシックに始まりながら、まばたきの間にふらり揺らいだかと思うと、すこしもジャズ・ピアニストの古老をきどることなく、あくまでやさしく知的に、どちらにも加担し過ぎることなく揺れ続ける。いつの間にか「境い目」は判然としなくなり、あまりの心地よさに身もココロもゆるゆると溶け出してしまいそうだった。

今まで知らなかった種類のおだやかな感動を覚えながらも、それは驚嘆とか驚愕というような激しいものとは違っていた。

久しぶりに、ビールでもワインでも焼酎でもなく、
まして毎日愛飲のホッピーでもなく、
ウイスキーが飲みたくなった。

筑紫さんへの レクイエムに
ジョン・ルイスのバッハを聴きながら




さよなら、横須賀5(もーり)

もーり品書

壁いっぱいの品書に目をやる。
名前にも見た目にも似ず、ホッピーはなかなかの強者である。
気づかないうちに、僕はかなりほろほろしていた。

実は「ちゅうさか」からのハシゴなので、お腹もけっこうくちている。品書に目をやりながら、目も脳みそももうつまみのことなど追っかけてはいなかった。壁の文字は模様になり、記号になり、ゆるゆると走り出して、この一年のさまざまな情景と重なりあい、混ざりあって、回らない走馬灯と化す。

もーり親爺

店主にしばらく来られないかもしれない旨を伝えた。
この日、お勘定まで店主とはほとんど口をきいていなかった。

「そお、元気でね。また横須賀来たら寄ってよ。母さん大事にね。大変だけど。お客さんのことは間違いなくずっと覚えてるから」

強面のようで実に優しく歯を見せるもーりの店主は、最後はちょっと照れくさいような硬い笑顔でぼそぼそと僕に言った。がらりの扉を後ろ手に閉めようとしたとき、カウンターの奥の厨房から、「ありがとう、またおいでよ!」と今度はかなり大きな声が追いかけて来た。



さよなら、横須賀4(もーり)

もーりアジフライ

1995年までは食堂だったそうだが、店内の作りもメニューのイメージもまさにそういった感じ。でも30年以上前からホッピーを出していたらしく、大衆食堂もーりと大衆酒場もーりの違いはいったいどのへんにあるのだろう。

僕の場合、この手の店でホッピーを呑む際にはアジフライが欠かせない。最強のコンビだ。去年の9月に最初に訪れたときもそうだった。だから、この日もしばしお別れ、惜別の念を込めてホッピーとアジフライを注文した。

もーりポット

もーりも、いわずもがな「三冷」をかたくなに貫く。
ジョッキとホッピーは冷凍庫と冷蔵庫、焼酎は専用のポットに入れて冷やしてある。店主はキンキンのジョッキにポットからジャーッと焼酎を注ぎ、客は仕上げに自らホッピーを注ぎ込む。もーりでは焼酎をたくさん入れてくれるので、おそらくはホッピーが少々余るだろう。ノーマルと黒以外に、プレミアムまでラインナップされているのだ。


さよなら、横須賀3(もーり)

もーり宴会
 
午前10時開店に驚いてはいけない。
横須賀のもうひとつのホッピーの聖地「もーり」は、午前9時開店年中無休である。

昨年夏に母の一件が勃発して以来、何度この店を訪れ、何度癒され、慰められただろう。何をしてもらったという訳ではないのだけれど…。
 
L字のカウンターの角のところにいつも陣取るのだが、右の壁にある「朝9時より飲み会もできます」という張り紙を見るたびに、意味もなく元気が湧いて来た。

「もーり」は、母が入院していた病院から近いのと、なんせ朝からやっているので、病院の帰りがどんな時間帯であっても、落ち込んだ僕をぽっかり口を開けて待ち構えてくれているようで心強かった。

そして、スキンヘッドで長身、強面の、実は心優しい店主が、ときに話を聞いてくれ、また、ふたりきりでもときに無言のまま時間が過ぎて、僕は“受け入れてもらっている”安堵感に、ゆるゆると自分を解放することができた。




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