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2009-01

潮ノ湯へ3

脱衣所

湯上り、お着替えの最中もふたり楽しそう。
ひさしぶりにコンビを迎えた潮ノ湯の松原さんも嬉しそうだ。

ただ、帰り際に毛利さんが、潮ノ湯の脱衣場にあるひとつひとつを目に焼き付けるように見つめていたのが僕を不安にさせたので、
「今度また運転手しますから、潮ノ湯さんにお邪魔しましょう!」
と大声で言った。

テーブルの上には、土門さん制作、木彫りのライター入れが。

2ショット

毛利雅美さん、土門収さん、湯上りの勇姿。

お二人の後方の通りは、かつてはにぎやかな商店街で、たくさんの店が軒を連ねていたという。数少ない生き残りだった『モーリ時計店』も、今はその名残すらとどめていない。

この後、現役の木地挽き物職人の土門さんは、2月5日から開催される札幌雪まつりでチアガールが使用する、大量のバトンを仕上げなくてはならず、

「せっかくなんだけど今日はこれからひと仕事しなくちゃならないんだ。間に合うかどうか気が急いて、あずましくない」


約束通り、塩谷のご自宅に毛利さんを送り届ける。
いくらお元気でも、もしもなにかあったら、と,柄にもなく少々緊張気味の運転。

帰り際、毛利さんが「これあげる」と差し出したのは、
かつてモーリ時計店に置かれていた、年代物のSEIKOの腕時計だった。



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潮ノ湯2

毛利

なつかしいなあ。
ひろいなあ。
きもちいいなあ。

5年ぶりの潮ノ湯を満喫する毛利さん。
毛利家を出発するときに、奥様からにお土産をいただいた。
知り合いの農家からもらった、おいしい卵だという。

土門

毛利家の敷居をまたぎ、毛利さんの顔を見た途端、土門さんは堰を切ったように語り出した。長年連れ添った黄金コンビは、やはり相方がいて輝きを増すのである。

背中流し

5年以上ぶりの背中の流し合い。
それ以前は毎週毎週何十年も続いた習慣だった。

「いくぞ!」「おう!」

威勢良く気合いを入れながら、こころから嬉しそうに…。

湯船に浸かって、92歳になったばかりの毛利さん。
「あんた、随分としわくちゃになったなあ」

すると、89歳目前の土門さんが返す。
「毛利さんは凄いよ。ぜんぜんかわらないね。
 ただ、カラダを覆っているヒフのホリが深くなった!」




潮ノ湯へ。

談笑

約束は28日水曜日午後1時。
10分ほど前に、僕は自分の車で『木ッ葉職人』土門収(おさむ)さんを仕事場に迎えに行く。土門さんの家は、南樽市場にも近い勝納町にある。

そこから車で約20分、塩谷の毛利さんを訪ねるのだ。
土門さんの家の目と鼻の先に『モーリ時計店』はあったのだが、平成15年10月に閉めて、塩谷の長男の家に移り住んだ。

毎週日曜日の午後6時半になると、土門さんが時計屋さんに迎えに来て、二人連れ立って潮ノ湯へ通っていた。それが平成15年10月以来、ぷつりと途絶えた。

その後も三ヶ月に一度、毛利さんは80年以上通っている床屋にバスを乗り継いでやって来るものの、バスの時間があるので、土門さんと話すのはせいぜい10分とか2、30分程度なのだ。

だから今回は僕が土門さんを連れて毛利さんを訪ねた。
毛利さんは正月2日で92歳。
土門さんは3月7日で89歳。

毛利さんに逢った途端、土門さんのテンションが上がった。
普段以上に口が滑らかになり、口上は名調子になった。
8年前の取材の話から、潮の湯の話になり、平成15年10月以来、塩谷の内風呂ばかりで一度も銭湯に行ったことがないという。

さいわい毛利さんは足腰も確かなので、ちゃんと送って来ますからと奥様に了解をいただいて、毛利さんを連れ出すことになった。次第に毛利さんも浮き浮き顔になって来た。二人の90歳が、少年の顔に戻った。



北海道K2? 富良野塾公演「屋根」ツアー3

ご満悦

お歴々を見送る日曜昼の旭川空港。

初めてお近づきにさせていただいた長友御大は、字こそ違えど同じケイスケさんという。かつての上司吉田が昔と同様に僕のことをケイスケ、ケイスケと呼ぶので、この2日間実にどきどきしていたのだ。

搭乗口での別れ際、
「おなじケイスケのよしみでこれからもよろしくね。
 ホッカイドウK2を!」
とおっしゃった長友さんの優しい言葉が、
僕をさらにどきどきさせた。


長友さんのK2の,もうひとりの本当のKは、
あの黒田征太郎さんである。


北海道K2? 富良野塾公演「屋根」ツアー2

ブログフォト

お店に入る毎に、長友さんは携帯を取り出しておいしそうな写真をパチリ。先生のブログ『日々@好日」(http://blog.excite.co.jp/nagatomo)は、なんと滞在中も更新されていた!
(写真の品書きは、倉本聰考案「牛乳納豆茶漬」と「とんかつ茶漬」)

森本山口

くまげら店主森本さんとガラス作家の山口さん。
最近、蔵がかわったというオリジナル日本酒『富良野物語」。

ひろさん

20年近いご無沙汰で再会した鈴木さんと古巣の先輩吉田さん。
再会の歓びは自分の想像を超えていた。

凍結路面2凍結路面3
凍結路面

前日の高温による雪解けと、当日の冷え込みの落差で、路面凍結はひどいものだった。市街の道は鏡面のようで、道外民ならずとも緊張。

へその看板
へそ

徘徊、へそ歓楽街界隈。







ホッカイドウK2? 富良野塾公演「屋根」ツアー

くまげら前

24日土曜日、25日日曜日と、
久しぶりに富良野に行ってきた。

古巣の広告代理店の先輩からお声がかかったのだ。

2008年暮れに終了した倉本聰さんの連続ドラマ『風のガーデン』のオンエア前の夏、番組宣伝も兼ねたある対談が富良野で行われた。倉本先生とガーデンを作った旭川上野ファームの上野砂由紀さん、アートディレター長友啓典さんによるものだ(その模様が掲載されたガーデニング雑誌BISES のアートディレクターは、グラフィック界の巨匠、K2の長友啓典さんである)。

さらに上富良野のラベンダーから作られた、ナイーブというクラシエ(旧カネボウ)ホームプロダクツ商品のPRで、同社の宣伝部長がいらしていたのだが、これら一連にかつての私の上司、ビデオプロモーションの吉田さんが絡んでおり、その際のメンバーで倉本聰さん主催の富良野塾公演「屋根」の観劇ツアーをということになったのである。吉田さんのはからいで,私も運転かたがた参加させてもらったのだ。

なんせクラシエの宣伝部長の鈴木洋治(ひろはる)さんは、
元はと言えばサントリー宣伝部のテレビ担当をされていた方で、僕が11PMのサントリー生コマのコピーを書いていた頃、それをチェックする立場でさんざん厳しい駄目出しを食らった人だ。15年以上ぶりの再会!

富良野に工房を構える山口一城さんは、サッポロビール園のステンドグラスなどを手がけるガラスのアーティスト。長友さんとは30年来の交流があり、丸2日間おつき合いくださった。クラシックカーによる日本一周で富良野にとり憑かれ、大阪から富良野に移り住んで10年。新富良野プリンスのニングルテラスでの山口さんの結婚式はなんと倉本聰台本演出! かくいう私は披露宴でギターの弾き語りをさせてもらった。

文学部演劇専攻だった僕の卒業論文のテーマは倉本聰さんと山田太一さんだった。卒業後に入社した広告代理店で、まさか倉本聰さんのCM制作に関わることになるなんて夢にも…である。20数年前、現在古巣の社長になっている当時の金井部長が、
「こいつ卒論に先生を取り上げたんですよ」
と言いながら倉本先生に紹介してくれた時、先生は苦笑いを浮かべながら、「そりゃあ使い物になんないね」とおっしゃった。


さて、昼は「くんえん工房 YAMADORI」のスープカレー、夜は観劇後にくまげらの山賊鍋と、うまいものづくしの今回の富良野だったのだが…

古巣では、倉本先生出演のサントリーオールドのCMシリーズを制作する上司金井&吉田のチームの末席にいたお陰で、かれこれ20数年前に富良野の郷土料理店くまげらに出逢った。衝撃を受けた僕は、たちまちくまげらの酒と鍋と店主のトリコになった。先輩のはからいで、古巣を離れる際の餞別はくまげらのオリジナル日本酒だったし、憧れの店主森本さんには、富良野塾卒塾式の旅立ちにかけた、素晴らしい結婚式の祝電をいただいた。

それらが僕の、北海道移住の一因になったのは、紛れもない。

自力では臨むべくもない素敵な面子のお供を、あの酒と鍋と店主のくまげらで…

富良野の冬の夜は夢のように更けていった。

(写真右奥から、森本さん、鈴木さん、吉田さん、長友先生、山口さん、そして私)



いとしの木ッ葉職人。

木地挽き物職人土門さん

勝納川がすぐ横を流れる古~い民家。その壁にかけられた板に手書きされている『木ッ葉職人』という文字。木地挽き物職人のことを、略して木挽(こび)き職人などと言うけれど、小樽の木挽き職人、土門 収(おさむ)さんの作業場の入り口には、表札代わりにそう書いてある。

“コッパ役人”なんて言う表現を洒落ているのだろうが、木っ端と書きそうなところを“木ッ葉”としているのがさらに洒落ている。

土門さんと出逢ったのは、僕と同じく1992年に東京から小樽に移り住んで来た四軒隣りのサトーと二人きりで作った、道外民による北海道発信の雑誌『ヌプカ』の取材の折りだったから、かれこれ8年以上前になる。

取材当時、土門さんは80歳だった。
だからもう米寿も越えているはず。

数年ぶり(取材から数年は何度かお逢いした)に土門さんを訪ねてみようと思いたったのはいいが、僕は非常に緊張した。
それは、消息が気になって久しぶりに訪ねる銭湯…その時の感じに似ている。嗚呼、もう営業していなかったらどうしよう。


昨日の夕刻。

『木ッ葉職人』の板きれはそのまま。
作業場からは灯りが漏れていた。

目がしばしばするような、木の削り屑で構成されている宇宙のはじっこに,土門さんはちょこんと座ってTVを観ていた。他には誰もいない。窓ガラス越しに目が合った気がしたので、意を決して僕は、以前もそうしたように、立て付けの悪い扉を勝手に開けて奥に踏み込んだ。

大声で叫んでいたTVの音をしぼり、土門さんは立ち上がって僕の顔を見つめた。ほとんど瞬間的に僕のことを分かってくれたようだった。自分でもよくやるような、思い出せないのに、そうでないふりをして話を合わせているのではないのが伝わって来た。

『いやあ、懐かしい。久しぶりだよ、え?
 あんたTVではよく見かけるけど…』

僕の出演しているCMのことを言っているのだ。もう間違いない。

なんせ、小樽の施設にいる僕の母は、75歳になったばかりだけど、ひとり息子の僕のことを分からない。そんな想いがだぶって、88歳の土門さんが僕を覚えていてくれただけで、僕は涙が出そうになった。

土門さんは現役だった。
仕事の依頼はめっきり減ったけれど、小樽職人義塾大学のメンバーの一人として、来週は市内の中学校へ指導に行くと言う。

『ヌプカ』で僕は、長年想い描いていた銭湯のページを作った。
新富町、勝納町、信香町。今は物寂しいけれど、実は小樽市内で最も古くから栄えていたエリアのひとつであり、鹿乃湯、潮の湯、小町湯という至近な三つの銭湯が作り出す三角地帯には、かつて遊郭や料亭や映画館などもあった。そこにスポットを当てた企画『小樽時間旅行 銭湯開始』で、潮の湯の常連である土門さんを知ったのだった。

土門さんには三つ年上の相棒がいた。大正6年元旦生まれの毛利雅美さん。ゼンマイ仕掛けの昔ながらの時計をきっちり直せる時計職人として、当時もバリバリと仕事をしていた毛利さんは、先日92歳を迎えた計算になる。

最初にお逢いしたとき、その毛利さんが、
「土門さんはね、昭和37年の台風19号による洪水で勝納川の上流から家もろとも流されて来て、そのままこの場所に住みついて今に至るんだよ」と真顔で言う。二人の掛け合いはいつも絶妙に楽しくレベルが高いのだ。

長年、毎週日曜日の午後6時半になると、モーリ時計店に土門さんが迎えに来て、二人して潮の湯に通うのが“決め”の仲良しだった。そんな二人の潮の湯での様子を取材させてもらったし、黄金の三角地帯(僕が勝手に名付けた)をそぞろ歩くお二人の小さな旅を誌上で再現した。取材後も何度か、お二人の“決め”にお供して、背中の流しっこにも加えていただいた。

「♪哀しみと失望と落胆を胸に秘めながら、しおらしく昔のことを思い出しながら、まだわたくし、いとしい人を求めております!♬」

潮の湯の脱衣場での三人の風呂上がり、突然即興で謳い出した、土門さんのあの名調子が忘れられない。



当時、土門さんの作業場からも、潮の湯からも30秒くらいにあるモーリ時計店の主だった毛利さんは、取材から数年の後、店を畳んで市内の息子の家に隠居してしまった。

昔話に花が咲いて一時間半、突然土門さんが立ち上がり、彼もご無沙汰している毛利さんに電話をかけた。30秒先の潮の湯に出かけて行くときでさえ、ふわりと首にスカーフを巻き付けるようなダンディだった毛利さん。さしもの毛利さんも、電話口の土門さんの言葉だけでは僕のことを思い出せなかったらしく、自分も毛利さんにご無沙汰しているし逢いたいから、と一週間後に僕の運転で毛利さんを訪ねるという素敵な展開になったのだった。




もの想い。


たとえば とおい日のお絵描き
たとえば ことし一年 じぶんへのご褒美

  ほんとは だれに見せたかった
  ほんとは だれにほめてもらいたかった

  ね
  だれに
  とどけたかった の?





『瀬戸 國勝 創作漆器を楽しむ 午後のひととき』

suzu.jpg

標題の催しにお呼ばれした。
1月14日の午後2時である。

百貨店の小さなバンケットルームに20名弱。
1988年からのご縁である、瀬戸さん(みなさん『先生』と呼んでいた!)の器を実際に飲食のシーンで体感してもらうのが眼目で、昨年はお節料理をいただいたそうだ。

ことしのテーマは漆器と珈琲の相性。
茶の湯の席でも、漆器は助演者として重要な位置を占めてはいるが、主役を張ることはない。まして珈琲となれば…

酒呑みだけれど、珈琲も大好きな瀬戸さんが、珈琲に合う器とその場面を引き立てる共演(饗宴)者を考え抜いた挙げ句、常々日本一と賞賛する珈琲焙煎の巨匠にわざわざ京都から来ていただいた。

銘々の席には、不思議な色の平皿。
漆と金属である錫のコラボレーションを追究する瀬戸さんの近年のテーマ。錫を粉末状にしたものを、黒の漆を仕立てた素材にまぶすようにして合わせてゆく。錫を定着させるために、さらにその上から黒の漆を。そのバランスによって、錫の発色が自在に変化する。

その平皿の上に、これも瀬戸作品である黒の楕円のお重から、瀬戸さんのお眼鏡にかなったきんつばと、初めて見るクラッカーに載せられ、蜂蜜をひとかけした KIRI のチーズがスタッフによって取り分けられる。

mag.jpg

新作の珈琲マグは、薄い板を張り合わせ、そこに巻いた布の上から黒漆を重ね塗りしてしつらえた平板のランチョンの上に置かれていた。布の意匠が、僕も訪ねたことのある、能登輪島の瀬戸さんの工房の横に流れる川の水面をイメージしているのだとか。瀬戸漆器の基本である、黒と赤のコントラストが美しい。

焙煎の巨匠の、簡単な珈琲の説明があり、赤の珈琲マグに、一人ずつ、珈琲とミルクを注ぎいで回る。本日の一杯目はカフェ・オレだ。これをチーズ&クラッカーと共に試してください、と瀬戸さん。

新作マグに口をつけた瞬間、カップの淵の柔らかなカーヴの心地よさに、この塩梅が決まるまでの時間を思った。焙煎の巨匠が創り出した液体は、この口当たりの印象を微塵も裏切ることなく、繊細な泡立ちと優し気でおだやかな喉越しで口中を満たしてくれた。この至福をチーズとクラッカーの味覚触感が迎え討つ。おお。

折りに触れたお二人の漆器と珈琲のお話を聞きながら、二杯目はイエメン産の苗木をハワイで育て収穫したモカストレート。会期二日目にギャラリーを訪ねたとき、瀬戸さんが自ら煎れてくださった「あれ」である。マウイのモカは、瀬戸さんの韓国の友人が焼いた器でいただく。しっかりとした苦みをたたえながら、切れ味のよいすっきりとした後味が、讃岐の銘菓和三盆のそこはかとない甘味と絶妙の相性である。こいつはちょっとしたカルチャーショックだ。


お酒も良いけど、珈琲もね。

禁酒に突入して二週間目の折りも折り、至福の午後は、残りの平日の僕を使い物にならなくした。アルコールもなく知的なにほいすらする時間が、心地よく自分を駄目にする。それはそれは初めての経験だったのだ。





地デジ と KURO 600A

antena.jpg

数年前に地上デジタル対応の室内アンテナを購入した。
その頃は、わが小樽の全域までは視聴可能エリアが達してはいなかったし、今ひとつ興味も湧かなかったので「室内用」だった。

ただ、広告に携わってきた昔から、TV関連だけは最先端をかじり、恥ずかしながら、ないお金を使って来た。20年以上も前、27歳のときに27インチで27万円もした SONY の伝説の名機、Profiel PRO を、西早稲田の6畳ひと間のアパートにデンと置いた時、マスターズのオーガスタのグリーンは圧倒的に美しく、涙が出るほどだった。布団を敷けばいっぱいのひとり住まいの部屋に一点豪華主義!(今でも現役こそ引退したけれど、寝室で隠居生活。ときたま色褪せた画面を拝んでいる)。その当時は、今と違って27インチはまだまだ相当「大画面」だった!

その後、プロフィール27インチの跡取りとして、満を持して SONY の WEGA(ヴェガ)37インチを購入したつもりが、世は完全に液晶とプラズマの時代に突入、 SONY 自体がほどなくブラウン管テレビから撤退した。そうして昨年12月、パイオニア KURO 600A がわが家にやって来た(僕にはどうも、心寂しい時に大きな買い物をする衝動があることをこの時改めて確認した)。

WOWOWは開局直後から加入しているし、今でもCS放送は、BSデジタルにおまけのようについてくる「e2」ではなく、単体チューナーを必要とする原点「スカパー!」の方である(最近スカパー!HDになった)。

近年では映像に関わる仕事も増え、テレビを新調したこともあり、がぜん地上デジタルが気になり始めた。ただ、巷で日々叫ばれる『地デジ』という省略語の響きが嫌いだ。

国民全員に新しいテレビを買わせる国策を、流行のようにやんわり浸透させる目的で、若者に媚びたネーミングで洗脳するのは、かつて山手線を突然『E電』と名付けて失敗した時と同様、高速の ETC と並んで実に不愉快である。

新たに地上デジタル専用の屋外アンテナをとも思ったけれど、よく見れば、すでに所有している室内アンテナが『室内外兼用』とあるのに気づいて,暮れから何度か屋根に登った。“兼用”も充分実用の範囲であることが分かり、昨日の祝日、ケーブルを少々いいものに変え、2011年7月に向けた準備は完了した。

年末年始の休み中、小樽にはほぼ一日も晴天がなかった。

昨日は見事に晴れわたり、久々にくっきりと増毛連邦が日本海の向こうに浮かび上がっていた。禁酒の誓いを立てていなければ、澄んだ空気の中、屋根の上で一杯やりたい気分だった。





輪島の瀬戸國勝さんから。

ゆべし

札幌の丸井今井デパートで、10日土曜日から今年も加賀老舗展が始まった。そして、1988年の大晦日に能登は輪島で出逢い、1996年1月このデパートで衝撃的に再会した、瀬戸國勝さんの漆展も例年通り同時開催である。

11日日曜日に個展の会場を訪ねると、先客がたくさんいて、お互いに目配せはしたものの、なかなか正式なご挨拶に至らない。奥様も顧客の対応に追われている。札幌のセレブが大勢訪れる、同デパートのギャラリーの年間の催事の中でも、瀬戸さんの漆器展はドル箱なのだ。

瀬戸さんがこの正月の丸井今井の催事に出展を始めて20年を越える。ここで再会を果たして13年にもなるのだから、さもありなんだけれども、1996年当時はまだ、輪島の雑貨店「てふてふ」としての出展で、個展には至ってなかった。

一年ぶりのご挨拶と共に会場内のソファに腰掛け、近況を語り合いながら、瀬戸さん自らがいれてくれた『イエメン』のコーヒーを、ぜいたくにも瀬戸さんの器に和菓子を載せたものと一緒にいただく。瀬戸さんのお嬢さんは、現在京都で自家焙煎の珈琲店を営んでおり、この珈琲は彼女の師匠の手に寄るものだと言う。深い苦みをたたえながら、すっきりした後味に舌を巻いた。

かれこれ三時間。
瀬戸さんは、お話に興じては顧客の接客に戻り、こちらもソファから立ち上がっては作品を眺めなおす。

13年間のうちに、僕の手元には瀬戸作品がわずかながらも増えて来た。ぐい呑み、味噌椀、飯椀、醤油差し、蕎麦猪口…。ようやく手の届く小ものばかり。いずれはと思って我慢していた中もの大もの(ほんとの大ものは10万円の位を越えてしまうが…)は、瀬戸さん評価の高まりと共にお代も上がって来てますます手が出ない。必ず毎年新作も登場するので、手に入れたいものはどんどん溜まってしまうのが切ない。

近年、瀬戸さんが力を入れている、漆と錫(すず)のコラボレーション作品を何かひとつ、と迷いに迷い、表が赤の漆、内側が錫の片口を長い時間手にとり、こいつで酒を嗜む自分をイメージしてみたものの、この一週間禁酒生活に突入していたことを思い出し、結局、シンプルな黒と赤の平皿を一枚ずつ購入した。

setoblack.jpg

地元北海道で能登の人をお迎えしながら、毎年瀬戸さんからおみやげをいただく。今年は柚餅子(ゆべし),梅のお茶、その他。

14日水曜日開催の、瀬戸作品を使ったお茶の会『瀬戸國勝創作漆器を楽しむ 午後のひととき』にお誘いを受けた。これまではディナーと瀬戸作品のコラボだったのだが、百貨店側が顧客招待の形で開催するセレブ向けの会だったので、お声がかからなかった。

setored.jpg

14日には、さきの珈琲の巨匠がわざわざ珈琲を点てに来道、弟子であるお嬢さんがアシスタントを務めるという。その様子は改めてまた、ここで。







なくて、七草。

七草

病と怠惰の正月に飽いた頃、今年もきちんとやって来てくれた七草。襟を正す感じで七草がゆをいただく。

僕の生活圏にはない、暖かな土地からやってきた農作物。
この時期にしか、見ることもない七つの野菜。

暮らしに句読点を打つ昔の人の智恵を感じつつ、同時に、雅な日本の歳時記でもあるのだから、冬至のかぼちゃや柚子の風呂などと同様、イベントと流さず、少し真面目に毎年取り組んでいる。


あずましき国、あずましき時間。

元旦

あけましておめでとうございます。
みなさんの上に平安が訪れますように。

正しい大晦日。

薮半

午後3時40分。
大晦日の儀式、薮半へ。

横濱から小樽に移り住んで17年目。一年最後の日にここで一杯やらなかった年は、1、2回ほどしかない。とある歴史的建造物の解体に際し、譲り受けた二代目がこの地に移築して甦らせた。この蔵作りの小上がりで飲むと、時間がゆるゆるとまとわりついてくるようだ。北海道弁でいうところの『あずましい』感覚。居心地がいい。くつろげる。といった意味合いだ。

僕はこの言葉が好きで、時々使う。でも、道民は否定形で用いることが多い。『あずましくない』居心地が悪い。くつろげない。気に入った言葉をわざわざ否定的に応用したくないので、僕はもっぱらあずましい一点張りだ。

若女将2

2008年から、二代目のお嬢さんが若女将として店に出ている。
京都だかの飲食店で仲居さんの修行をして帰って来ただけあって、というか、「そば屋酒」気違いの僕が移り住んだ、江戸ではないこの土地にこの店が存在するのは奇跡だとすら思っている薮半の主人と女将のお嬢だけあって、小粋に和服を着こなして、この空間を違和感なく泳いでいる様がまたあずましい。

若女将

おかげさまで、
僕の悲喜交々の2008年は、
加速度を増して、
でも傷口を隠したおだやかな装いで、
大団円へとのぼり詰めてゆく。


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