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2009-03

潮ノ湯界隈2

時計3

その時計たちは、基本的にいまだにすべて「お預かり中」なのである。職人でなければ直せない、修理も難しい手巻きのゼンマイ時計はもはや淘汰された。それでも毛利さんが引退したそのときまで、毛利さんのところにはそうした時計が持ち込まれていた。昔に比べて劇的に時計が安くなった近年、修理代に数千円払うのなら、新しい時計を買った方がいいと、いつの頃からか、電話で修理代金を聴くとそのまま引き取りに来ない客が増えたという。すでに修理してしまっているのに。

「どれでも好きなの持っていきなさいよ」
土門さんと僕に毛利さんが言う。でも、
「あ、それは駄目だ。もう動かないよ」
「あ、それはまだ、もしかしてとりに来るかもしれないから…」

傷見3

毛利さん。その時計は、もう、いったいいつから預かっているのですか。そのお客さんが、その時計をとりに来る可能性が本当にあるのですか。そのお客さんは、すでに「モーリ時計店」が勝納町に存在しなくて、現在毛利さんがここにいることを知っているのですか?

僕はますます毛利さんが好きになった。
というよりも、さらに敬愛の気持ちを深めた。
尊敬の眼(マナコ)、ピッピッ、である。

さらに素敵なものが、金庫に埋蔵されていた。
この道具、見覚えあるでしょう?
なんという名前ですか、と毛利さんに尋ねると、
「僕らは傷を見る、『キズミ』と呼んでたなあ」
きっと、業界用語なのだろう。

傷見

ちょっとお借りして、装着してみた。
なんだか職人になったようで、わくわく。
本物と偽物。戯れの一枚。


土門さんは、毛利さんといると本当に幸せそうだ。
ヒトを笑わせるのが大好きなのだけど、毛利さんといると、実に心安いのだそうだ。大声で笑う土門さんの声は、毛利さんが一緒だと200%増量されるのだ。だから、毛利さんと離ればなれになったこの5年ほど、土門さんの笑顔はしぼみがちだった。

談笑

3月7日に89歳になったばかりの土門さんの笑顔が好きだ。

時計

僕は、手巻きの腕時計(バンドなし)を金庫開陳の記念にいただいた。リューズを巻くと、仮死状態から甦った様にチクタクいい始めた。なんだか古時計の歌を思い出した。いまどきの時計なら、こうはいかないだろう。

(潮ノ湯界隈のお二人の物語は、発売中の札幌のおやぢのための情報誌『オトン』13号、不肖私の連載「さっぽろお散歩主義」をご覧ください)



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潮ノ湯界隈1


3月7日土曜日夕刻、5日から書店に並んでいる情報誌「オトン」を携えて、木地挽きもの職人の土門さんを訪ねた。取材させてもらった記事が掲載されているのだ。取材の舞台にもなった、徒歩30秒の潮ノ湯にも入浴がてら掲載誌を届けるので、ご挨拶も早々に、同じく一緒に取材させていただいた、元時計職人の毛利さんのお宅に一緒にお邪魔する約束をして退散した。

絵馬

帰りしな、毎年潮ノ湯さんにも謹呈されている土門さん自作の絵馬と、木彫りのライター立てをいただいた。

毛利夫妻2

翌8日日曜日。
午後1時に土門さんの作業場から出発して、車で20分弱の毛利さんの家へ。日当りの良い居間で毛利夫妻と向かい合う。毛利さんはたいそう喜んで、見開きのページを開いたり閉じたり。奥さんは、最初はりんごジュース。次に、静岡に住む毛利さんの戦友のご家族から送られて来るみかん、それから珈琲と、次々におもてなししてくださった。

オトンとミカン

新聞折り込みの広告をパパッと折って、即席のみかんの皮入れを作ってくださったのに、僕は妙に感激した。


毛利雅美さんが時計職人を引退して5年と少し。この正月で毛利さんは92歳になられた。小樽の勝納町、潮ノ湯のすぐならびに在った、いまは亡き『モーリ時計店』に足を踏み入れると、壁という壁にところ狭しと柱時計が架けられていた。そのうちのひとつは、今、僕の家の和室にある。

そんな話から、あの膨大な時計たちはどこへいってしまったのですかと尋ねると、柱時計はほとんど差し上げてしまったのだそうだ。腕時計の類いは一部金庫に鍵をかけて仕舞ってあるという。僕は時計が大好きなので、見たい見たいと騒いだ。

金庫

それならということで、まず金庫の鍵探しとあいなった。
右へいくつ、左へいくつの、あの、立派な金庫が隣の和室の床の間に鎮座している。ダイアルの数字のメモは毛利さん、最後にガチャッの鍵は奥様が保管しているというのだが…

多分、この5年間、一度も金庫は開けられたことがなかったのだろう。僕のせいで事態はけっこう大変なことになって来た。40代の僕ですら、日増しに物忘れが激しく、人生の大半を探しものに費やしており、それさえなくなれば、日々の時間はもっと優雅に流れそうな気さえするというのに…よけいな思いをさせてスミマセン、スミマセン。

金庫2

結局、ダイアルのメモも鍵も奥様が見つけ出し、毛利さんがうやうやしく金庫を開ける。出てくる出てくる! 年代物の腕時計がごっそりと。ひとつひとつに名札がついている。そこに客人の名前、預かった日付、修理箇所、修理代金が丁寧に書き込まれている。そこに時計職人毛利の仕事ぶりが伺える。

時計と名札






六日のあやめ/小樽の赤2

赤い運河

小樽の時間、ということならと、一番最初は志佐さんに連れて来てもらった『樽』の扉を開ける。独りのときこそ来たくなる、数少ない「酒場」と呼べる中嶋さんの店。こういう古い店は、本当の常連さんと訪れると、また味わいが深くなる。

カウンターに腰を下ろすと、志佐さんは奥隣に座っていたちょんまげ結びの男性と話し始めた。話を聴いていると、この店の内装のもろもろの造作に深く関わっている方らしい。しかも、樽を訪れる、聞き覚えのある文化人のお名前が次々と登場して、いったいこの人は何者だろうと思った。

土曜の夜は一番ひまだから来て、と最近中嶋さんに言われたという志佐さんだったが、常連客は次々現れ、なかなか店主を独占することはできない。とはいえ、いつのまにか映画好きの中嶋さんと日本映画のアカデミー賞受賞から、写真の話、文章書きの話と話題は尽きることなく、ちょんまげさんはお帰りになった。


赤が気になっていた僕の眼球に一枚の絵が写った。
ずっと以前からその暗がりの壁に掲げられていたかもしれないのに、僕には今日初めてその場所に居座った感じがあった。

それは赤い小樽運河の油絵だった。
作者は、あのちょんまげさんだという。

(携帯写真、ピンぼけでゴメンナサイ)



六日のあやめ/小樽の赤1

薮雛一番

十日の菊みたいな話だけど、2月の最後の土曜日に薮半を訪ねた。
久しぶりに写真家の志佐公道さんと待ち合わせをしたのだ。志佐さんはたびたびこのブログに登場していただいているのだが、運河の保存運動に参加した、僕の敬愛する小樽人である。カメラマンとしての志佐さんとお仕事がしたいのだが、なかなかその機会がない。

いつもそう思っているので、仕事は実現していなくとも、事務所の忘年会だお花見だという機会があると必ずお誘いする。たいていは一度話を引き取って、後から正式な返事をもらうのが世の常だが、志佐さんの場合は99パーセント即答である。いける。いけない。しかもほとんどが出席で、一升瓶なんかぶら下げてすうっと現場に表れる。実に男らしい。

たとえば薮半の小河原店主、たとえば峯山冨美さん。
小樽が好きで小樽に移り住んで来た身としては、札幌の事務所に通いながら日々の生業に埋没して来た自分を感じると、もっと小樽濃度の濃い人に逢い、小樽の町に寄り添っていないと、ここにいる意味がない、と自分を戒める。

小川原店主の薮半では、暮れ、正月からひな祭りまで、僕のお気に入りの座敷席の天井から、紅白の餅をあしらった手作りの柳飾りが下げられている。この日はさらに古い雛飾り。このそば屋はいつも時間と戯れていて、小樽の古い時間に逢うことが出来る。

薮雛

先日ソウルの町を歩いていて、韓国の赤がやたらと目についたけれど、この日は妙に小樽の赤が目に飛び込んで来た。

小樽で何回の桃の節句を眺めて来たのだろうか。赤がもうとうに血の色のどぎつさを失って、おだやかさあたたかさをもって、たゆたう時間に句読点をうっているようだ。

今朝の海。

快晴1

ここのところ、妙に公私ともにモロモロしていて、はずかしいけれど、目がかすみ、足元がふらつくような感じだった。疲弊している自分を感じていた。昨晩は久しぶりに録音スタジオのブースに入って、下手なナレーションのデモCD用の収録をしたのだけど、違う脳を使うことで少しだけリフレッシュした気がしていた。

快晴2

朝の気分は面白い。
目が覚めて、ブラインドの隙間からのぞく朝陽の加減で今日の天気を推しはかる。明らかに悪天候なら暗いままにしておく。塩梅が良さそうだと、一気にブラインドを開けて、海の方を眺める。必ずしも晴れていれば海が美しく見えるとは限らないし、海の向こうに存在する増毛連峰も見えたり見えなかったりする。

今朝は最上級に近いコンディションで、そうなるといてもたってもいられず、クロスカントリーの板を履いて、ちょっと自宅の前を散歩してみた。

快晴3

伸び切ったゴムの様にしおれた気分だったけれど、こんな風景に向かって歩いていると、もう少し頑張れるような気がしてくる。だって、こんな朝の海を見るために、横濱から今の場所に移り住んで来たんじゃないか。


『おいしいマン』 in 夕張映画祭

夕張1

2月27日金曜日、午後1時30分。
夕張国際ファンタスティック映画祭の会場の一角。
風の色のボス山野が製作した、映画『おいしいマン』製作にまつわるドキュメンタリー映像20分の上映の後、映画ロケとロケ地の関わりから生まれる地域活性化についてのシンポジウムが行われた。いずれも経済産業省の主催である。

夕張2

観客の手元には、シンポジウムのパネラーのプロフィール、関連資料のほか、ソウル公開版の『おいしいマン』チラシ、私が作って、先日ソウルの特別試写会の際にも観客に贈呈した完全保存版ロケ地マップ『おいしい紋別』、そのソウル特別試写の北海道新聞の記事などが配布された。

これは関係者ならずとも非常に中身の濃い、有意義なシンポジウムだったように思われる。現場は厳しくとも、それから丸一年経過しても風化しない日韓スタッフの間に生まれた何かが、その後も酌み交わし、交歓し続けた時間が、本編とはまた別に、20分の映像になり、こうしたシンポジウムに昇華したことは感慨無量である。なにより、手前味噌ではなく、これからの日本の映像産業の振興に一石を投じる意味合いを持つものだと確信した。


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