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2009-08

ふるさとの盆。

09花火1
 
両親共に東京の人だったので、たまさか神戸に生まれたけれど三つまで、以降ずっと横濱に育ったからか、ふるさとというイメージがなかった。

故郷、古里、古郷…

幼いうちは、地元だけで完結していた人間関係が、大学以降になると突然全国を相手にすることになる。帰省とか盆帰りなんていう言葉を頻繁に耳にするようになる。「田舎」を持たない自分にとってそれは随分新鮮で神聖なもののように思われた。

17年前、イノシシが昂じて発作的に縁もゆかりもない北海道小樽に移り住んだ。最初に勤めた札幌の会社の最初の暮れ、上司に「ホシノ君は田舎に帰らないの?」と尋ねられたとき、なんとなくジーンときた。そうか、札幌の人から見たら、実家がある横濱は僕の「田舎」「故郷」なんだ、と。当たり前のことだし、子供じみているようだけど、何せ感動してしまったのだから仕方がない。
 
盆暮れ正月はおろか、毎年「里帰り」することもままならぬ北海道生活を送って来たけれど、「僕にも田舎がある」という事実は何となく心の懐具合を豊かにした。

ところが、おととし十一月に病気の母を小樽の施設に引き取り、昨年の春、母が独り暮らしを続けてきたウチを売却したので、実家が消失してしまった。小樽と横濱に二軒の家を持つことは僕の経済力では到底出来ない。ようやく手に入れた田舎がなくなっちゃった。もう帰省は出来ない。帰る場所がない。

盆踊り

昨晩は、現在の地元である小樽市のとある自治会の盆踊りだった。まだわずか十一回目。僕がここに移り住んでから始められた祭りだ。フィナーレを飾る花火大会もやっと十回を数えた。それまでわが町の祭りのなかったこのエリアの人たちが、地道な努力で回を重ねて来た。年々ほんのわずかずつ、花火の打ち上げ数が増えてゆくのが、この町の年輪の様で涙ぐましい。



祭りも盆踊りも異様に好きな僕だけれど、めったに自ら踊ることはない。でも、昨晩は踊った。汗だくになった。母の新盆だからかもしれない。盆踊りをこんな風にとらえたことも、そんな意識で踊ったのも、初めての経験だ。帰る場所がなくなった僕にとっては、この夏祭りが故郷の祭りになるのだろうか。僕にとってはこれから作ってゆく故郷なのだ。

09花火2

高台のわが家のバルコニーが花火鑑賞の定位置なのだが、この十年の間にニセアカシアの樹の背がぐんぐん伸びて、毎年花火の檜舞台を圧迫して来ている。


今日、八月十六日は亡父の十九回目の命日だ。





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新盆。

灯明1

二十年ぶりに母を迎えた父は、
間違えずにここに来ているのかな…

灯明2

あっちではうまくやっているのかな…



CMナレーション。

MA1.jpg

四月に母を見送る前後から、
息もつかずに全力疾走、そんな四ヶ月ほどが経過した。

一昨年の十一月に、横須賀の病院からこちらの施設へ直行。
母のことを誰も知らない北海道小樽で母を荼毘にふした。

五月、書家だった母が屋号を書いた、
父の実家である東京のお茶屋のお茶と海苔を香典返しに送った。

六月、遺骨を抱いて列車や飛行機に乗り、遺骨を抱いたまま東京の居酒屋で酒を飲んだ。

都下の特別養護老人ホームにいる母の姉に母急逝の報告に行った。

三崎漁港の日本旅館に友人たちが集まり、母の前で宴会をした。
納骨に参集した、疎遠だった親戚たちの有り難みを思い知った。

大学卒業欧州旅行の仲間と、北海道余市で十年後に受け取るウヰスキーづくりで四半世紀ぶりに集結した。

七月、内モンゴル行をめぐり、東京名古屋札幌を行き来した。


昨秋から一人息子の僕を分からなくなっていた母なので、自分の中では何度も母とお別れをしていた気になっていた。亡くなったときも葬儀のときも涙は出なかったし、さほど動揺はしていない自分を感じていた。

でもそれはとんでもない誤解だった。
どこかストンと抜け落ちている腑抜けの自分がいて、思いもよらぬ状況で目に大怪我をしたし、血圧は上がり、飲んだくれで痛い風の予感は増大した。

老化だけが原因ではない、とんでもない忘れ物や、電車の乗り過ごしなんて何度やっちまっただろう。茶飯事をこなしながら、ちょっと背筋が凍るような凡ミスを繰り返した。

八月、内モンゴルから戻って後、中耳炎、結膜炎、喉痛、偏頭痛、高熱と、小学校卒業間際の大病以来の持病の集大成みたいなものがいっぺんに襲いかかってきた。いい加減ペースを母の死以前の日常に戻さねばと焦れば焦るほど、心身がいうことを聴いてくれない、恐怖にも似たもどかしさ。

いや、本来のペースとの逆行は、思えば母が発病した一昨年の盆から始まっているようだ。北海道と東京を往復し続けた半年間。自分の乱調は、すでに丸二年にも及んでいることに最近気づいた。


昨晩、CMのナレーションの仕事をした。
北海道の未来を担う、北海道米の新種デビューのTVCM。
地道な研究開発が身を結んだ、さわやかで少し厳かで、希望に満ちた前向きな作品だった。

録音ブースの中で、ずいぶん久しぶりに無心に声を出した。
ヘタクソなりに悪くない感じがしたし、ディレクターに少しだけお褒めの言葉をいただいて、ふうっと心が軽くなったような気がした。ロケの仕事や、物書きの仕事、モンゴルでの様に自らビデオやスチールのカメラを携えた映像制作、あるいはイベント業務とは、使う脳の部位がまったく違ってリフレッシュ出来た。


そう、今日から母の新盆なのだ。
あれから文字通り丸二年が経過。
未明から雨がしとしと降っている。

十六日は父の十九回目の命日だし、少し心静かに暮らしてみよう。こんな想いで真っ向から迎える盆は、僕には初めてのことだ。




宴の後。

星ッ!


余韻残る草原の空に星も揺れる?


星っ


そして静寂が訪れた。



風の盆踊り。

盆踊り0

草原最後の夜。

出発前から何とか実現したいとお願いしていたのが、草原の盆踊り。地元の子供たちのモンゴル民族衣装と、浴衣や祭り半纏などの日本の民族衣装の共演を夢見て、親御さんに各自衣装の持参をお願いしていたのだ。

盆踊り8

東京音頭、炭坑節、北海盆唄の三つの音源を準備していたのだが、言い出しっぺとしては、誰も踊らぬどっちらけ状態を何よりも恐れていた。が、幸いにも千葉県で遊びと学びの塾『レオぽっくる』を主宰するオンバが九州出身! 『炭坑節』なら任せとけ! ということで、先頭切って振り付けを披露。

モンゴル人も日本人も、大人も子供もオンバに続く! 

「掘ってぇ掘って! 押してぇ押して!」

彼女のかけ声に誰もが唱和して…。


整列1

草原の暗闇に白樺の炎が立ちのぼる。
皆の衆の熱気は一陣の風となる。

夕餉の後のひとときは、
満艦飾の衣装競演による日蒙『炭坑節』大会からお国の歌合戦へつづく…。


男子のゲル。

ゲル少年

高校三年生、野球部のタクマは、地元の高校三年生サチルホと熱き友情を交わしていた。

いや、片言の英語すら役に立たないこの交流では、正確には、積極的に働きかけるタクマと、無口なサチルホがそれを静かに受け止めている様子が微笑ましかった。

なんだか、初恋の男女の不器用な恋愛模様を眺めているようで、参加していた大人の誰もが口を揃えて、
「こっちが恥ずかしくなっちゃう」と。

われわれの食事の支度やら、さまざまに世話を焼いてくれる父上を手伝う下働きの立場のサチルホなので、礼儀の厳しいモンゴル文化にあって、父親が働いている間にタクマと交流と言うわけにはいかない。だから、ボクらの食卓にサチルホは同席できない。

ただ、次第に「お許し」が出て、われわれのピクニックの先導をタクマとコンビで務めたり、食卓に後から加わったり、乗馬の時間を共にしたり、最後の晩には、日本の男子チームのゲルでの宿泊も許され、遅くまで,タクマの教えるトランプ(神経衰弱、7並べ、ババ抜き等)に興じていたようだ。

汚れた大人たちは思った。

彼らのラストシーンは、ウルルンに違いない。



草原にあるものないもの。

草原風呂

草原には、トイレがない。
水道がない。電気がない。

だから当然、風呂もない。

足かけ5年の草原歴からして、そうした認識だった。
けれども、日本の文化を愛し、日本人の奥さんをめとったチ・ブルグッドさんの草原は草原の常識を超えていた。

みずからのモンゴル文化と日本文化との融合をはかる彼の草原にはトイレがあった。

2005年、初めて訪れたアルデレス原生草原で「トイレは?」と尋ねたら、「好きなところで」という返答だった。
「井戸のそばだけ避けてくれれば」
「男は用を足すとき、周囲の人間に『馬を観て来る』と言い、まわりもそれで彼がトイレに行くことを察する」
そんなことを教わった。

なのに6回目の内モンゴルの草原には、日本の和式の便器があり、水の入った大きな瓶(かめ)とバケツが置かれた「水洗」のトイレがあった。母屋から少し離れた林の中に、囲いはあるけれど、扉も天井もない,開放感いっぱいの厠(かわや)だ。

そして、さらに驚いたのは風呂があったことだ。

カマドに薪をくべて湯を沸かす。
風呂桶は酒樽の職人に特注で作らせたという。

湧き水を風呂桶に引き込んでじっくりと貯め、周囲の森から燃料の白樺を調達する。湯船の掃除からはじめると、大の男の半日仕事だから、草原の入浴も楽じゃない。

この日はピクニックからの帰還を見計らって、チ・ブルグッドさんが仲間たちと風呂を沸かしてくれた。露天と行きたいところだけど、女性のためにテントが守っている念の入れようだ。

湯上りに草原の風が死ぬほど心地いい。
き~んと冷えたビールがあったらどんなに…



日蒙 子供の食卓。

子供の食卓

遅めのお昼ご飯。
お互いの名前をお互いの国の言葉で教え合う。

草原の子供たち。

草原交流

さっき会ったばっかりで言葉も通じないはずなのに、なんだか仲良くはしゃいでいる。9歳から15歳までの女の子。

7月25日の草原。

ピクニック

東京では隅田川の花火の日。

祭り好きにはちょっとくやしいけれど、
西ウジムチンの空は素晴らしく晴れ上がった。

参加した日本の子供たちは、DSもテレビもない草原で、自分たちの力だけで楽しく時間を過ごしている。きっと今までの「広さ」のものさしの目盛りが、心地よく崩壊しちゃったんじゃないだろうか。おかげで眠っていた「遊びの天才」の本領を発揮し始めている。

羊の解体を目の当たりにした。
ひと晩で背が高くなった草花にも気づいた。
だから少しだけ生命のことなんかも考えた。
草原が学びの教室であり、草原が遊びのステージだ。

今回の草原サマーキャンプの主催者、馬頭琴演奏家チ・ブルグッドさんの夏の家の母屋の前に立てられた二つのゲルが子供たちの寝ぐらだ。僕は相棒のKさんと、ゲルの隣にシェラデザインズのテントをしつらえて寝起きしている。

小高い稜線のどこからか湧き出しているという泉を探しに、これからみんなで草原のピクニック。



風の草原。

草原から

草原から帰って来た。

7月19日にモンゴル出張の打合せのために東京、名古屋と2泊の出張をこなし21日に北海道に戻り、中一日、22日からふたたび東京、北京経由で内モンゴルの西ウジムチンの草原に出かけて来た。

癒しの草原だったにもかかわらず、この数ヶ月に渡る公私ともの疲労とストレスがたたって、結膜炎、中耳炎、喉痛と、耳鼻咽喉のすべてをやられ、手足の指先は痛い風の予感に溢れ、満身創痍のご帰還である。われながら情けない。


詳細は後日として、とりあえず無事帰国、ご無沙汰の一報を。


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