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2009-11

小樽シャコ祭り2

シャコ祭り2

翌22日の日曜日の昼に、シャコ祭りの本体である運河公園の会場に出かける。実は小樽前浜のシャコは隠れた名産で、ときに25センチものシャコが市場に出回るそうな。

シャコ祭り3

漁協コーナーではシャコそのものも売っていたし、焼きシャコやらシャコのスープやら、別の屋台ではシャコカレー、目玉ともいえるのが大きな専用鍋でつくるシャコパエリア!

シャコ祭り4

当日の天気は上々で、どこも長蛇の列が出来ていた。
僕はパエリアに的を絞って並んだのだけれど、結局一時間半も立ち尽くしていた。味は良かったのに疲れ果てた。来年はそのあたりのオペレーションを改善してくれたらもっとシャコの人気は高まり、新しい小樽の名物として定着してくるだろうし、そう切に願うのである。

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小樽シャコ祭り1

焼きシャコ

去年から始まった新しい小樽のイベントに『シャコ祭り』というのがあって、第二回の今年は21日(土)、22日(日)の二日間だった。シャコには春秋2回の旬があり、今時季にちょうど二度目の旬を迎えるタイミングに合わせたも催しなのだ。市内のかなりの数の飲食店が、会期中プラスαにわたりシャコを使った協賛メニューを提供するのが会場以外での市を挙げての仕掛けと聞いたいたけれど、昨年は都合で行けなかった。

ぬた

小樽の僕の大切な蕎麦屋・薮半でもそうした品書があるのは、先日吉田類さんの句会で同店を訪れた際に分かっていたので、イベント会場よりも先に土曜日にお邪魔した。

鰊漬け

一般的には寿司屋でしかあまりお目にかかることのないシャコなので、焼きシャコは単純ながらも意外であり、香ばしくてなかなかである。

塩辛

薮半の店主・小川原さんは、小樽運河保存運動の闘士であり、いまや全国的にも知らぬものがいないほどに成長したイベント「小樽雪あかりの路」の言い出しっぺでもある。国土交通省選定の観光カリスマに選出され、街づくりのパイオニアとして日本中から引っ張りだで、講演活動にも忙しい日々を送っている。

そば

もしやと思い尋ねると、やっぱり。
「いや、言い出しっぺという訳ではないんだけどさ…」
と話してくれたところを要約すると、小樽漁協の相談に乗って、曲折の後にシャコを小樽海産物の新スターに育て上げようというアイデアで始まった試みなのだそうな。

柚子シャーベット

もうひとつの協賛メニューは「シャコぬた」で、シャコを酢みそでいただくのだけれど、僕はたいそうこいつが気に入った。おかげで酒が進み、弾みがついてしまい、協賛とは無関係の、今年の提供が始まったばかりの鰊漬けや、既成概念が崩れてしまいそうな塩から、市内の正しい豆腐屋の湯豆腐から、締めの新蕎麦と柚子のシャーベットまで、蕎麦屋酒ではご法度の野暮の極み、長っ尻をしでかしてしまった。


ミツウマの扉。

ミツウマ9

小樽の町が気に入って、みずから小樽市民になった僕としては、小樽に根ざしたものに触れる時には自然とこぶしに力が入ったりする。不思議なご縁で2002年に印刷物のお手伝いをすることになったミツウマも、まさにそうした存在である。

ミツウマ5

株式会社ミツウマは今年創業90周年を迎えた小樽の老舗企業。
ある年代以上の方なら、長靴と言えば…ミツウマでしょう。
その高いゴム生成の技術は、鉄道の踏切やビルのスロープなどに敷かれた車の滑り止めのマットなどにも利用されている。

ミツウマ1

久しぶりにお声がかかって、19日の木曜日朝一番にお邪魔して来た。工場も事務所の建物もそりゃあ年代物で、通される会議室やそこまでの廊下に染み付いた時間にいつも惹かれてしまうのだ。いや、まずは建物の入口の扉の風情からわくわくが始まる。

ミツウマ8

打ち合わせを終えてご挨拶をしてから、車で一度はミツウマを離れたのに、近々のうちにこの建物が取り壊される可能性があると担当の人が言っていたのを思い出し、急に引き返し写真を撮らせてもらった。

ミツウマ7

時間でしか作り出せない空気みたいなものが、またひとつ消えてしまうかもしれないと思うといてもたってもいられなくなったのだ。なんとか残してもらいたいものだなあ…



小樽放浪記~吉田類さんとの13時間5

大丸1

あった、あった。
小樽で餃子と言えば、僕には五香(ウーシャン)しかないのだけれど、五香は午後7時閉店である。ここ「大丸」は小樽に移り住んで来たばかりの頃、何度かお邪魔したことがある。

ビールで乾杯。餃子とラーメンのはずが、誰かが野菜炒めも所望した。思わず紹興酒アリマセンカ?と尋ねるが、そういうものは置いてなかった。

水先案内の若者は当然乾杯の輪に引き込まれた。
相変わらず僕らが何者かは理解できずにいる。彼も特に尋ねないし、誰も説明しない。どぎまぎしながら、でも、だんだんこの展開を面白がる余裕が出て来たようだ。

吉田さんが謝辞を述べると、

大丸

「いや、僕はただ、小樽を知らない人に自分の街のことを尋ねられたから教えてあげただけ。(よくぞ、店までついて来てくれたね?)連れてってくれって言われたし(笑)、僕もその方が安心だったから。親切すぎないか、何か見返りが欲しいのかって言う奴もいるけど。僕にはいつも普通のことなんだけどな」

大丸2

「いやあ、うんまいなあな。
 やっぱり居酒屋じゃ駄目だったんだよ。これなんだよ」」

吉田さんは希望が叶ってご満悦である。
グルメうんちく野郎とは一線も二線も画す、素直で無邪気な喜び方が素敵だと思った。東京から来たメンバーはみな吉田さんが大好きで、吉田さんと飲むのが嬉しくてたまらないのだとよく分かった。だから一緒に飲みたくて小樽まで来ちゃったのである。

句会『舟』事務局の伊勢さんが、薮半でだったか、誰か有名な人の言葉を引用していたのを思い出した。だいたいこんな内容だったと思う。

詩人は酒が飲めなくても仕方がない。
でも、酒飲みはみな詩人でなければならない。

 「俳句は一番短い詩なんだよね。
  やってみると楽しいでしょ。
  詩をとっちゃったらさ、
  俺なんかただの酔っぱらいになっちゃうから。
  どうせ飲むなら、文学的に酔っぱらおうぜって。
  俺の句会はそういう句会なの。みんなが楽しく集えれば、
  最初は季語なんかなくたっていいいんだよ」

その時、小樽午前2時。
吉田類さんの講演会から13時間が経過していた。


小樽放浪記~吉田類さんとの13時間4

放浪

日付も変わってしばらくした頃、吉田さんが、ラーメンと餃子でビールを! とおもむろに言った。道新の岩本さんがさっそくリサーチを始めるのだけれど、なかなか土曜深夜にやっている店が引っかかって来ない。とりあえず出かけてみよう、ということでふたたび街へ。

たまたまホテルの入口に立っていた若者を喜多さんがナンパした。
「ねえ、ラーメンと餃子でビールが飲みたいの。知ってる? そ、じゃ、そこまで連れてって」凄い手腕である。有無をいわせず、放浪の道連れがひとり増えた。いきなり水先案内人、ご新規ワン!だ。

放浪2

さて、おそるべきは吉田類である。
初雪もとうに降った11月中旬、午前1時のみぞれまじりの小樽を、半袖の、しかもシースルーのシャツで徘徊しているのだ。山男を自認し、ひぐまに逢うために北海道の山に通い詰めたというだけのことはある。

放浪3

にわか水先案内人の若者は、この主役が誰かも、この不良酔漢たちが何者かもまったく分からないまま、ひとえに親切心とあまりにも一方的な大人の女性の語気につられて15分以上の道程を先導している。



小樽放浪記~吉田類さんとの13時間3

わか松

句会が終了した頃には6時半をまわっていた。
お別れのご挨拶をしていると、
「星野さんは(二次会)行かないんですか?」
とどなたかが言ってくれて、事務局の伊勢さんも
「ぜんぜん大丈夫ですよ、よかったらどうぞ」
なんてことになった。
この先はどこどこまでのメンバーで、ということはないようなのだ。
来たい人はみ~んなおいで、そんな感じ。

会場は、残念ながら見逃していた『酒場放浪記』の小樽篇に登場した日本酒の店「わか松」。僕も一度だけ訪れたことがある。

東京からの舟のメンバーは、道新東京支社の方、熊本県東京事務所の方、ライターさん、女優さん、と多士済々。これに道新本社の方、札幌から句会に参加した親子、小樽と札幌の小説家、地元のお医者さんと、二次会から新たに登場の方もいて、これまたにぎやかな二次会になった。あ、愛知からの参加者もいたっけ。

わか松2

夜も更けて会はお開き。わか松の玄関には離れがたしといった風情で参加者が別れを惜しんでいた。薮半に引き続き、記念撮影で散会。



渡辺淳一さんが師匠である小説家の喜多由布子さんは札幌からの参加だけれど、しっかりホテルを押さえており、臨戦態勢。いよいよここからは宿泊組だけが残るのだけれど、気がつけば僕も小樽駅前に新しく出来たホテルのロビーに居た。買い出し隊が戻って来たタイミングで、部屋飲みにご相伴だ。

部屋

薮半での句会の作品一覧を、一日中参加者の世話を焼いてくださっていた道新東京の岩本さんが取り出す。僕がときどき声の仕事をしているという話から、喜多さんが選んだ句を僕が詠み上げるという、部屋飲みの趣向、ささやかなイベントが始まった。

みんな心優しき方々なので、僕のへたくそな俳朗をほめそやしてくれるのだ。吉田さんなど、

「ね! おんなじ言葉でもさ、詠み方によってとても素敵に聴こえたりするものなんだよね。いいねえ」

すると誰かが、

「酒場放浪記の最後の類さんの俳句、こんどからホシノさんの声でやってもらったらいいんじゃないの?」



ほめすぎである。
でも、そうと分かっているのに、やっぱり悪い気はしない。
「あ、そのナレーション、ぜひ、やらしてください!」
すっかりいい気分にさせてもらって僕もお調子者である。

僕の好きな北海道の呑み屋の話をすると、吉田さんは、

「そうそう、そういう情報がありがたいんだよね。いっそ、番組に出演してもらおうかな。僕がそう言やあ決まっちゃうんだから」

と次第にエスカレート。むろん吉田さんのリップサービスであり、あるいは酔った勢いの記憶に残っていない発言かもしれないけれど。ただそれは、今度の正月に酒場放浪記の4時間スペシャルが企画されており、その冒頭が北海道篇で、12月にロケのためにふたたび北海道を訪れる、という話の流れでのことである。4時間のスペシャルとは番組と吉田さんの人気のほどが伺える。

これだけでもたいそう嬉しい展開だったのだけれど、究極の幸せはもうひとつやって来た。小説家の喜多さんと僕、道新さん以外で唯一残った地元参加者に、吉田類さんがじきじきに俳号を付けてくれることになったのである! 喜多さんは言葉のプロフェッショナルとはいえ(一応僕も物書きの端くれではあるけれど…)、二人ともその日生まれて初めて俳句を詠んだのである。

喜多由布子さんは、遊嵐(ゆうらん/でしたっけ?/この晩、アイドルのアラシの札幌公演があり、飛行機もホテルも満席満席だったそうな)。

で、わたくしめは、
「北海道のスター、北のホシノさんだから北星(ほくせい)にしよう。いいじゃない、ねえ」(吉田類談)

小樽放浪記~吉田類さんとの13時間2

薮半2

吉田類さんが主宰する俳句の会『舟』は、毎月浅草のむぎとろで句会を開くのだという。その後、ニュー王将やバーリィ浅草に流れていくのだろう。そもそも今回吉田さんが小樽に訪れたのは、小樽の街並を吟行して句会を開くためだった。東京から舟のメンバーが大挙訪れている。講演会は句会の後づけだったのだそうな。

で、その句会にまだ席の余裕があるということでお誘いを受けた。
恥ずかしながら俳句なんてものを一度もひねったことがない。しかしながら、気にせず気楽に参加してくださいという優しいお言葉と、わが愛する蕎麦屋「薮半」が会場というので勇気を持って参加することにした。虎穴にイラズンバ、である。

午後三時。句会スタート。
今回はまず、ひとり二句詠んで無記名で短冊にしたため、回収後は順番も作者もばらばらにしてからすべての句を書き出し、コピーしたものを全員に配布する。26名、52句。自分の作以外で気に入ったものを二句選択し、一番を『天』、二番目を『地』として投票する。



ここまでの段取りですでに酒が入っている場合もあるそうだけれど、小樽の句会ではこのあたりでようやく乾杯となった。

薮半3

酒は小樽の北の誉。すぐ横に勝納川が流れる本社のミュージアム酒泉館でしか販売していない限定酒「まつる」だ。しばし歓談。薮半の小川原店主が、いたわさに付ける本わさびの正しいおろし方を講釈して回る。句会にはうってつけの風情ある展開だ。膳にはほかに、そばみそ、旬のシャコ。もちろん締めは新蕎麦である。

薮半4


唇も潤い、気持ちもゆるやかになった頃、天と地を数多く集めた順に、その句を選んだ人間がひとりひとりその選考理由を述べる。最後に作者が明かされ、当人の思いを聴く。そして次の句…。

絶妙な言の葉の構築に舌を巻いたり、思わず大笑いをしたり、吉田さんの人間性そのままになごやかな句会だった。むろんすべての句会がこのように気楽で楽しげなものではあるまい。言葉を研ぎすますあまりに互いに批評し合う胃の痛くなるような会もあるに違いない。

『酒場放浪記』では、毎回吉田さんが店を後にする際に、その日の店の印象を詠み込んだ句をテロップとナレーションで流して締めとなる。吉田さんはそのまま宵闇にまぎれるように放浪を続ける。

僕の処女作に「地」が二票。
うわあ、これ、嬉しいものだなあ。
作者が思っても見なかったようなことまで深読みしてくださったり。こりゃ、やみつきになりそうだ。

薮半5


   くれないへ
      染めきらぬまに
            風花の 

               北星




小樽放浪記~吉田類さんとの13時間1

薮半1

13日の金曜日を大過なくやり過ごして迎えた14日土曜日。富良野くまげらの二階で目覚め、一階のカウンターで森本さんが落としてくれた珈琲をいただいて早々に小樽に戻る。

北海道新聞社の小樽支社で、吉田類さんの講演会があるのだ。

BS - i(TBS)の『酒場放浪記』は、酒場詩人、俳人、エッセイストの吉田さんが下町の酒場を尋ね歩く人気番組。特別な酒肴、いや趣向がある訳でもなく、なんということもない(失礼)展開なのだが、吉田さんのひょうひょうとした人柄と、明らかに真剣に飲み、真剣に語らい、真剣に酔っぱらっている放浪ぶりが素敵で、僕もだいぶ以前から大好きな番組だった。もう七年も続いていると今回初めて知った。

東京のテラオとタケさんはビデオに録ってその店を訪れるのを楽しみにしているという。

もともと絵描きで「巴里時代」があり、その後イラストの仕事をしていたが、この居酒屋探訪および執筆が忙しくなりすぎてそちらまで手が回らなくなったとか。僕もずいぶんこの番組のDVDがたまっている。

その吉田類がわが小樽にやって来た。
最近、上京するたびに立ち寄る浅草のニュー王将に吉田さんがよく出没するのは店主の飯田さんから聞いていた。その店で今年還暦の吉田さんが仲間たちから赤いちゃんちゃんこを着せられ、祝わってもらったというエピソードが吉田さんご紹介の冒頭のコメントにあってワクワクした。

肩のこらない楽しい一時間強が過ぎ、質疑応答でニュー王将のことを聞いた。店主に教わって、こちらも頻繁に通っているバー、バーリィ浅草も吉田さんの縄張りだ。

講演後、質問が印象に残ったのか、最前列に座っていた僕に、吉田さんの方から名刺を差し出してくれた。





くまげらときつつき。

山賊森本

13日の金曜日は富良野へ。
2年間苗場に行っていた新富良野プリンスホテルの支配人が、今春から前職に復帰していたのにご挨拶できずにいたからだ。

考えてみれば、今年は倉本聰率いる富良野塾の公演があるたびに富良野演劇工場に出向いている。以前ならロケだけでひと夏に何度も訪れることがあったけれど、今年はロケでは来ていない。1月公演、3月卒塾式、7月公演。1月と7月は古巣の吉田先輩とK2の長友さんにご一緒した。羅臼の阿部さんはじめ、素敵な方にたくさん出逢った。卒塾式の際には天宮良さんやヘアメイクアーティストの荒丈志さんと再会した。

その足でくまげらへ。まだ午後5時前だったけれど、僕は昼も食べてなかったのでぼちぼち始めた。車で来ているので、つまりもう帰れないってことだ。

最初にくまげらに来て山賊鍋を食してから、たぶん24年くらい経っているはずだ。今年で29周年というから、20年のお祝いにお呼ばれしてからでもすでに10年近く。富良野に山賊鍋と店主森本さんがいなかったら、つまりくまげらがなかったら、もしかして僕は道民になっていなかったかもしれない。

啄木鳥

くまげらが午前零時で閉店すると、よく店主の森本さんと「ちっこ食堂」に出かけた。山賊鍋を食べた後だというのに、ちっこ食堂でさらにさくら鍋を食し、締めにラーメンなんていう悪食を数えられないほど続けて来た。でも、そのちっこ食堂も今はもうない。

ちっこと並ぶ富良野の二次会の定番は『啄木鳥(きつつき)』。
考えてみれば、くまげらもキツツキの仲間である。ギターで津軽じょんがら節を華麗に演奏するマスターは、北の国スタッフの間でもりえママ似と囁かれて来た。駅前の雑居ビルが焼けてしまってからは『へそ歓楽街』に移転して営業している。

明日はライブだという久林(くばやし)マスターが、ライブの相棒の尺八の方と、リハーサルがてら数曲披露してくれた。

それにしても週末の夜というのに人通りが少ない。

一方、昼の顔だったあの超混雑店「三日月食堂」がさら地になったばかりと聴いたものだから、ちょっとショックを受けていた。富良野の中心街はずいぶん印象が変わってしまった。もうあの懐かしい味の塩ラーメンは食べられない。

変わってどの街でも見かけるお店が富良野にも増えて来た。
ニッポンの町がどこも同じに見えてくる。
なんだかなあ。




だるま湯終焉ーー風呂屋と焼き餃子6

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これまでたくさんの番台小町にお逢いしたけれど、
これほど上品で美しい人は…

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最後の最後の僕たちを、高村さんは出口まで来て見送ってくださった。どうかお元気でいてください。



だるま湯廃業と五香創業で思い出したふたつのエピソード。

10年ほど前、小樽の別の銭湯の最期に立ち会っていた。
そのとき僕は忘れられない光景に出逢った。

その銭湯の長年の常連と見受けた父親と小学校低学年の子供の自宅には、いまだ風呂がないらしいことが二人の会話で分かった。幼い息子は、親のしつけが行き届いているようで、脱衣籠の衣類はきちんと畳まれ、籠にふたをするように几帳面にバスタオルがかけられていた。その息子が父親に小声で言った。

「お父さん、僕たち明日からお風呂どうしたらいいの?」



小樽生まれの小関さんは、佐世保で中華料理の修業中に奥さんと出逢い結婚。小樽に戻ってすぐに五香(ウーシャン)飯店を開いた。それから今年で40年が経過した。

最初に五香を取材させてもらって何年かした頃だから、今から10年と少し前だろうか。奥さんが佐世保に帰省するので、一週間ほど店を閉めるという。それがなんと結婚以来はじめての帰省だというのだ! ほとんど30年ぶり?

だから小樽にいても、ずっと旅行でもしているみたいな気分だった。そんな意味のことを奥さんは言ったと思う。

その頃僕は横濱から小樽に移り住んでおそらく7、8年。道内のどこかに出かけて小樽に戻って来ても、まだまだ旅が続いているような気がしていた。小樽が新鮮だった。その気分と奥さんの言葉が重なり合って、もっと五香が好きになった。奥さんが素敵に思えた。自分も奥さんもよそから小樽にやって来て、まだ旅の途中なのだと。

それから今日まで、奥さんの佐世保への帰省はもう一度だけ、都合40年で二度きりだという。

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五香の定休は毎週月曜と元旦のみ。
大晦日まで働き、正月二日から通常営業する。
営業時間は正午から午後七時。日曜と祝日は午後5時まで。それらの休みと奥さんの帰省以外で店を開けなかったのは、40年間でたった1日! どうにも熱が下がらず医者で点滴を打ったら少し楽になったので当人は店に出ようとしたが、さすがに止められた、その1日だけだというのだ!

頑張って住宅ローンが年内で終了するので、来年からは少し楽をさせてもらうことにした、という。そのココロは?と尋ねたら、
正月は二日まで休ませてもらいます、だって!

今年齢七十。今も現役のラガーマン小関は、五香は死ぬまで続けると心強い発言をしてくださった。小樽に五香があるのは、小樽の誇りだと僕は思う。

心から申し上げます。お身体ご自愛ください!



だるま湯終焉ーー風呂屋と焼き餃子5

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すべてが絵になる


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極楽の情景


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僕のお風呂セット


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これもだるま


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これもだるま


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二十年近く通ったが、女湯から眺める番台は初めての光景。


だるま湯終焉ーー風呂屋と焼き餃子4

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お逢いするのは初めてだったけれど、高価そうなカメラを抱えた小樽の某高アクセスのブログの作者も最後のお客の一人だった。

僕とその人は高村さんの計らいで、すでに最後の客を送り出した女湯に導き入れられた。ついさっきまで、お元気でね、本当にお疲れさまでした、ありがとう、街でお見かけしたら声をかけますね、などと口々に最後の言葉を交わしていたのが耳に残っている。

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見るからに女湯は男湯よりも広くて清潔感があった。懐かしきお釜型のドライヤーがあった。首の長い体重計があった。すでに何年も使われていないサウナ室もあった。


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少年三人もブログの主も帰っていき、塚田先生と僕が最後の最後まで残った。先生はもうすでに次の講演のためにだるま湯からお借りするゆかりの品についての打合せを高村さんとしていた。

けっしてこれで終わりではないのだ。
終焉を始まりにし、未来に繋げようと懸命になる。
そこが先生の素晴らしいところなのだ。



だるま湯終焉ーー風呂屋と焼き餃子3

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最後のだるま湯にやって来て、素直にはしゃいでいる初めての銭湯の少年三人となんとなく気が合った。10時でもうここは永遠になくなっちゃうんだから最後までいろよ、なんて僕も調子に乗って少年たちに言った。少年も、うん、わかった!なんて、女湯から「帰るよ」を連発している声だけの母親をほったらかしていた。

おかあさん、ごめんなさい。
だって彼らがやって来たのはまだ8時前だったはずだ。


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9時を過た頃だろうか、僕が勝手に師と仰いでいる銭湯博士、札幌篠路高等学校の塚田先生が現れた。高村さんとは旧知の仲の風情で、番台越しに終焉のご挨拶を交わしている。先生は北海道中の銭湯のご主人たちとこのように親しくされているのである。

銭湯の素晴らしさを伝え、守ろうとし続ける先生に対するご主人たちの信頼は厚い。私もこの夏に一年間の連載を終了した銭湯のページで、念願の先生の登場を実現させてもらった。

先生がいらしたので、僕もふたたび、いや、三たび浴場に足を運ぶ。先生は湯舟で目を閉じて、あるときはじっと一点を見つめながら、だるま湯との歳月を反芻しているようだった。


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件の少年たちは、本当に最後までだるま湯に残った。



だるま湯終焉ーー風呂屋と焼き餃子2

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10月29日木曜日午後5時過ぎ。
意を決してだるま湯に向かうけれど、番台には別の女性が座っていた。こちらは昭和の終わり頃からだるま湯のお手伝いを続けている方で、かれこれ22,3年になるという。その日は、『だるま湯最後の日の最後の瞬間』を取材させて欲しいというお願いで伺った。

どうしてももう一度だるま湯の客になりたかった。
一方でなんとしても僕が触れただるま湯の歴史のほんのささやかな片鱗でも、自分の手で記録に残しておきたくなった。
この僭越さはもう、職業病のようなものである。

奥様が戻るまでしばし五香のカウンターで待機する。と同時に五香にも取材のお願いをする。僕が五香の記事を雑誌に掲載したのは15年も前だ。それからずっと懇意にさせていただいている。僕がお邪魔すると必ず一品サービスしてくれる。近年は鶏肉の煮こごりが定番。こいつが絶品でそれを肴に、僕の大好きな五香の時間が毎度幕を開ける。

☆のさんの後、もうずっと長いこと取材はすべてお断りして来た。でも、☆のさんならいいよ。自由に書いてもらって。

ありがたきお言葉をいただく。



10月29日木曜午後7時前、だるま湯の主人、高村悦子さんに電話をして二階の自宅へご挨拶に向かう。
テレビ、ラジオ、新聞と、ずいぶん取材の申し入れがあったようだ。新聞だけでも、道新、読売、毎日と三紙も。

想いを告げてお許しをいただく。
高村さんはあくまで自然体で、いつも通り明日の金曜日は休業するし、なんとか日曜日までという声もあるけれど、10月いっぱいと決めたので、その通り土曜日まででおしまい、とおっしゃっていた。

31日土曜日。廃業当日は午後に一度お邪魔して様子をうかがう。お断りをして写真を数枚。番台の女性によれば、いつもの土曜日同様に昼過ぎはけっこう混雑していた、と。

午後4時過ぎから遅い昼食を五香で。
カウンターで談笑していると、最後のだるま湯から上がった湯客がビールを注文した。学生の頃小樽にいてだるま湯の世話になった。最後と聞いてやって来たのだと言う。五香には昔から小樽商科大学の学生の常連が多い。

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別の五香の年配の常連客が、写真を撮っている僕に向かって、自分の大切なこの店を、もうこれ以上露出されたくないという趣旨のことを少し咎める調子で言った。いつも自分はこの店がなくなったらどうしようと思い、考えるだけで悲しい気持ちになるのだと付け加えた。

主の小関さんが取材を断り続けていたのも同じ理由で、取材が入ると日常の混雑がさらに加速して、常連はもちろんのこと、結局は新たな客たちをも長く待たせたり、断らざるを得ない状況になるからである。たった二人で切り盛りしているのだから。

その人に向かって僕は、矛盾するかもしれないけれど、自分も基本的に同じ気持ちなのだということを、自分なりに誠意を持ってていねいに伝えた。僕自身もここがなくなっちゃったらどうしようと常々感じていること。別にショップガイドを作りたい訳ではなく、店を越えて素敵な人間の存在を多くの人に伝えたいという抑えがたい願望も一方にあるのだということ。

幸い想いを理解してくれたようで、分かったと言う替わりに、あんた見た目は恐いけど、意外に優しい気持ちの人なんだな、と小関さんに向かって同意を求めるように語りかけた。



10月31日土曜日、午後7時過ぎ、高村悦子さんの最後の番台の時間に合わせて、僕も五香を引き上げる。

男湯には二名ほど先客がいた。
ご挨拶をして僕も衣服を脱ぐ。

身体を洗って浴槽へ。味わうように湯舟に浸かる。

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一通りの行程を終えて、いったん脱衣場へ。
そこに野球部の中学生二人と、そのうち一人の小学5年生の弟が入場して来た。三人とも銭湯は初めてで、前30日の夜、僕も取材された某道内TV局の情報番組を見た母親の提案で、最後のだるま湯に一緒にやって来たのだという。




だるま湯終焉ーー風呂屋と焼き餃子1

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小樽は花園のだるま湯が10月いっぱいで廃業した。

今年も何回かお邪魔したのだけれど、10月25日の日曜は、北海道新聞の記事で月末の廃業を確認した上で訪れた。入口を開けた途端にテレビカメラがこちらを向いており、取材が入っていることが分かった。

僕にはだるま湯の利用パターンがふたつあった。湯上りに、隣の北京家庭料理「五香(ウーシャン)飯店」で紹興酒や白乾(パイカル)で一杯やりながら小樽一番の中華を楽しむ。水天宮や潮の祭りの行き帰りに…。だからこの日はひとつ目のパターン最後の実践のつもりで湯船につかった。

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でも、だるま湯の奥様にご挨拶して、そのまま五香で一杯やりながら、いつも抱いて来た気がかりが現実になってしまったことが、想像以上に自分を打ちのめしていることに気づいた。

いつもの気がかりとは、
「このお風呂屋さんがなくなっちゃったらどうしよう」
ということだ。それは五香に訪れるたびにとらわれる感情とほぼ同じである。「この最高の餃子が食べられなくなっちゃったらどうすればいいんだ!」

だるま湯は昭和6年創業(以前の経営者を含む)。店主の高村悦子さんは、ご主人がお亡くなりになる以前から、50年以上に渡って番台を守って来た女性だ。五香は店主の小関さんが30歳で創業、今年40周年を迎え、ご本人は70歳を迎えた。

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したり顔で言う訳ではないが、お嬢さんばかりの小関家なので、小関さんが中華鍋をふれなくなったら五香は幕を引かざるを得ない。さらに看板メニューの絶品餃子は、奥さんとの共同作業によって生み出されている。どちらが欠けてしまうことも考えられない。二人合わせて五香なのだから。

銭湯をめぐる諸々も、かならず行き着くのが、経営者の高齢化、後継者の不在、建物の老朽化、燃料費の高騰、家族経営の銭湯に対して、企業の論理で展開するスーパー銭湯の台頭などである。根っこはみな同じだ。商店街しかり。市場しかり。床屋さん…。

僕にとっての小樽スペシャルのひとつ、だるま湯&五香のセットが片翼をもがれてしまった。


ゆめぴりか。

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週末に愛知県から客人が来た。
彼の土産を仕入れるためにまず市場に赴いた。

そこで目にしたサンマがあまりにも旨そうだったので、当初の肉を焼く予定を変更して“握る”ことにした。魚屋のお兄さんが、30分塩をして1時間酢でしめるとぐっと旨くなると教えてくれたのがさらに背中を押した。

中トロに赤ガレイ、旬のシャコにトロサーモン等々を買い込み拙宅へ。寿司飯にこの夏デビューしたばかりの北海道米「ゆめぴりか」を炊いた。

『ホッカイドウからニッポンの米を。
 ゆめぴりか、この秋、誕生』

道内で流れるこのテレビCMのナレーションは、僕が読んだ。
北海道が満を持して世に送り出した、世界に通用する米への思いと自信が伝わるようなコピーだ。だからゆめぴりかのことは他人事には思えないのだが、この夏の悪天候でいきなり不作だったらしく、前評判に比して流通量があまりにも少なかったようだ。

値段もいいので、様子見に10キロは避けて、おそるおそる5キロだけ買おうとしたら2キロしか手に入らなかった。

炊き上がりがやや柔らかかったのは初めての米、新米への水加減の不手際として、もっちりとして僕は好きなタイプだった。

客人はもとより優しい男で、米を褒めた上に、僕の握り職人としての技量も上達したじゃないかと、寸評の気配りも忘れなかった。〆サンマが素敵だったのは言うまでもない。

(写真はイメージです)



ふった

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初雪はいつも、紅葉をかきけしてしまう









仇討ちのプラド。

プラド

25年前にプラド美術館を訪ねた時、僕と相棒は日本人という理由で入場させてもらえなかった。

貧乏旅行のバイブルである日本の旅行ガイドブックのクチコミ情報に、当時駅のロッカーが封鎖されていたマドリードでは、ブラド美術館のクロークを上手に利用すると、美術館をロッカー替わりに身軽になって街を歩き回れる、とあった。

その情報を真に受けたゲージュツに興味のないわが同胞たちが、きっと猫も杓子もプラドをロッカーとして使ったのだろう。すっかりその魂胆は見破られており、結果、フラチな日本人は全面的に出入り禁止状態だったのだ。


けっこう真面目にプラドのゲージュツ鑑賞を楽しみにしていた僕と相棒は、けんもほろろの対応になすすべもなく、途方に暮れて美術館前の広場にぺたんと腰を下ろしていた。

プラド2

だから、今回の旅の最大のテーマのひとつに、プラド美術館での仇討ちがあった。今度こそ、ベラスケスや何人かの絵画を柄にもなくきっちりと鑑賞して恨みを晴らさなくてはならないのだ。

四半世紀の時間は伊達じゃない。
プラドの入口にはものものしく空港のゲートにあるのと同じX線の荷物チェックの機械があり、いわずもがな大きな荷物は預けた上で、持ち込むすべてのものをそのマシンに通さなくてはならなかった。

プラド3

チケットオフィスの横にある入口にすっかり荷物を預けてしまい、ようやく25年越しの仇討ちは果たされた。


そう。正面玄関ではなくて、きっとこのあたりだったと思う。

プラド4

途方に暮れた25年前の僕と相棒の前に、日本でいうところの社会科見学みたいなものなのだろう、地元民と思われる女子高生がざっと百人。わらわらと現れた。彼女たちは妙に親日的で、やれサインをくれだの、自分の名前を日本語で書いてくれだのと、あっという間に二人のハポネスは取り囲まれた。

そのうちその国際交流は不思議な盛り上がりを見せ、いつしか口三味線ならぬ口ギターと口カスタネット、そしてパルマ(手拍子)もよろしく狂喜乱舞。入れなかったブラド美術館前の広場は、圧巻100対2の即興フラメンコ劇場と化したのだった。



生ハムの博物館。

ハモン1
 
そういう名前のバルなのだ。

あ、お話はハロウィンから、ちょうどひと月前、10月1日のマドリードに戻った。

生ハム=高級嗜好品のイメージが強いので、ちょっと尻込み。
ただ、生ハムが大好物であり、まだ本当に美味しい生ハムを食べたことがないんじゃないかと常々思っていた僕の目前に、この店はいきなり登場した。壁一面生ハムが覆っている。おおおおお。

ハモン5

普通に小売りしているらしく、ショーケースに圧倒的な品揃えで生ハム、チーズなどが並んでいる。

 
そこだけ見ると肉屋なのだが、一方に目をやると、カウンター席もテーブル席もあるバルであり、その圧倒的なにぎわいから、もの凄い繁盛店であることが分かる。

ハモン6

おそるおそるカウンターに近づき、きっと種類はたくさんあるのだろうけど単純に「生ハム(ハモン)」と生ビールを注文する。ビールのつぎ方のあまりの豪快さにしばし呆然。間髪入れずにハモンがバーンと叩き付けられるように目の前に置かれ、その物量にさらに圧倒される。

ハモン2

この豪快さ、この気楽さは、どう考えてもこの店の大衆性を物語っている。それにしてもこのハモンの厚さ枚数はどうだ。だまってオリーブも出て来た。パンも自動的に出て来た。

少し我れにかえってまわりを見渡すと、多くの人がチーズなんかと一緒に最初からパンに挟まった奴を食べている。そういえば最初の注文の時、お前はそうしなくていいのか、と尋ねられた気もしないでもない。そいつがパニーニってものか。たしかにハモンとチーズとパンが単品単品でやって来ると、ひとりの客には手に余る。でも、もう、注文してしまったのだから仕方がない。

それにしても生ハムの概念がくつがえる。
分厚くて存在感たっぷりの奴をがんがん口の中に放り込む。でも皿も上のハモンはぜんぜん減った様子がない。う、うまい。

庶民的なスーパーですら、日本では向こうが透けそうに薄いくせに、ほんの少量でけっこういい値段するあれは一体なんだったんだろう。

ハモン4

誰もが口にするほとんどのものを手づかみで食している。
手についたハモンの油を紙ナプキンで拭き、オリーブの種を口から出すと、みんなそれらを平気で床に落としている。それ用のゴミ箱らしきものもあるのだけれど、あまりその中に入れることには神経を使っていないようだった。



ハッピー・ハロウィン

ハロウィン2


10月の終わりに…


ハロウィン1




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