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2010-02

酒場の場について。

眺め

心地よく目覚めた。
今朝が晴れ上がって暖かく、海がきれいな日だってこともある。でも、わがもっきりバルの昨晩の客人達が素敵だったことが一番の原因であるように思える。

午後三時開店、六時までは静かだった。
六時半になって、暮れに二回来てくれた女子がお友達を連れて来店してくれた。

初めての立ち飲み。ホッピーにモツ煮込みからマイレシピのピータン豆腐には紹興酒。樽酒には…ワインには…という風に、「この小皿にはこの酒」をジャンルを超えて様々楽しんで欲しい僕の『もっきりバル』観を言わずもがな理解してくれる人はやっぱりニヤリとしてしまう。

しばらくして、弊店カウンター滞空時間では現在1、2位を争う二人の女子のうちのひとりイクちゃんがやって来る。テーブルにも3組ほど、店全体がそれなりのにぎわいを見せてほどよい感じになっていた午後7時半頃、その人はやって来た。

扉からまっすぐカウンターに近づいて来てその人は言った。「横濱のホッピー仙人からここを訪ねてみろって言われたので…」。

かねてから常連さんには仙人の話をしていたし、そのときも、最近仙人が登場した『古典酒場』のホッピーコミックスの小冊子をカウンターで披露していた、まさにそのときだった。そこにいたスタッフも含む数名から思わず歓声が上がる。しかもその人は冊子のとあるコマを指差し、「あ、それ僕のことなんです」と控えめな感じで言った。

それは、ホッピー仙人を訪ねたホッピービバレッジ社の石渡社長が仙人のオリジナルホッピーを絶賛する場面。社長に返して仙人の曰く「今、北海道で作っている秘密のメニューもあるんだよ」。毎月毎月北海道から仙人に通うその常連Hさんは、この新作ホッピー製造に関わっている方らしい。一同感動!

Hさんは弊店の三冷(仙人は三キンと言う)ホッピーを携帯で写している。しばらしくて僕に、「仙人からメールの返事が来ました」と言って画面を見せてくれた。そこには「星野さんによろしく伝えてください」と仙人のコメントがあって再び大感動! なんだか『ホッピー仙人』と『もっきりバル 風の色』の二元衛星生中継(同時通訳付き)の風情で両店が繋がっていた。

さらに昨夜のカウンターには、先週火曜日の初めての来店から、火水木金とさらに今週の火水(月曜は当店が休み、今日木曜日も!)と毎日一人で来てくれていたサラリーマンさんがついに同僚を連れて登場! 

「僕は人間嫌いなんです。だから、苦手な人とは絶対にしゃべらない」と言っていたこの方は、とてもこの店を気に入ってくれたらしく、毎日僕らとカウンターで楽しくおしゃべりして行かれる。つまり本当は人間が大好きなんだろうなあ、と僕は勝手に解釈していたのだけれど…。

テーブルや小上がりが空いているのに、昨晩はカウンターがギチギチになっていた。そこに初登場の二人のサラリーマンが現れて、「ここに立ってもいいですか?」と、僕らが配膳や会計に使っている、お客さんを立たせたことのない端っこを指差して尋ねた。あちらが空いていますが、と誘導しても「いえ、立ち飲みが好きなんです」とニコニコしている。聞けばこの会社員さんは、雑誌オトンの僕が創った広告を見てずっと気になっていたけどようやく来られた、と素敵なことをおっしゃる。

しばしの滞在後、このお二人はさらににこやかに、「いやあ扉が開いてカウンターが見えた瞬間当たりだと思ったけど、やっぱりストライクゾーンど真ん中でした。また来ます!」とスマートなご帰還だった。

仙人の常連Hさんが同じように絶賛の言葉を残して美しく立ち去った直後、極めつけの真打ち登場は、久々のピエール! 6時半からすでに4時間以上立ち飲みしている女子二人組と、火水木金・火水の人間大好きさん&すでにカウンターにはまって大盛り上がりのお連れさんコンビの間に鎮座、いや、鎮立したピエールに、なぜかどこからともなく拍手が沸き起こる。

弊店への身に余る賛辞を三組の方それぞれが井戸端会議みたいに口にしている。それをカウンターの内側から受け止めるだけでウルウルしそうなのに、三組五名のうちの初来店の二名以外の三名が三名とも、僕のブログを詳細にチェックしてくれているのが判明! 互いには初対面の三名が、僕の最新ブログ『馬さんと再会』を皆読んでいて、ラストの馬さんのひと言が素晴らしかった! ジーンとした! と口々に褒めそやす。

一体どうなってるんだ!
不思議を超えた夢みたい!

これだけは言える。
僕は飲み屋でも居酒屋でもなく、
酒場の「場」を作った。

酒場を作るのは客人なのだ。

みなさん、ありがとう。


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馬さんと再会。

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2月9日朝の横濱中華街。
平日でも人通りが多いのはいつもながらとはいえ、春節(旧正月)を目前にしているからか、心なしか沸き立つような雰囲気があった。

三つ、四つの頃から出入りしている街なのに、中華街に行ったらここ、という店になかなか出逢えずに来た僕だけど、近年ようやくごひいき店を見つけた。
「馬さんの店 龍仙」である。もともとテレビなんかにはよく登場していたようだけど、それも齢八十代半ばの店主、馬(まー)さんのキャラクターによるものだ。僕はそんなこと知らずに偶然見つけたのだけれど。

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最近はとみに上り調子らしく、知らないうちに二号店、三号店も出来ていたんですねえ。

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でも、僕の足が向かうの、はやっぱり馬さんがいる本家本元だ。

かつてのホームタウン横濱も、いまではホテル滞在して訪ねる場所になってしまった。半分地元、半分旅人気分の僕にとって、横濱で目覚めた朝に、そのまま気楽に飲み食いできる店はないかと彷徨っているときにここを発見した。馬さんの店は朝八時開店なのである。

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午前十時、まだ馬さんの姿は見えない。
僕は青島ビールと小龍包を注文してちびちび始めた。気がつくと、紹興酒も頼んでいた。さすがにこれから飛行機に乗るので、ネギ油蕎麦で手短に締めた。

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店の入り口横に、馬さん専用の居場所がある。田舎のバス停みたいなその小さなボックスに馬さんは収まっていた。馬さんはとにかくサービス精神が旺盛で、誰にでも気軽に話しかける。ずいぶん長く話し込んだこともあり、僕は「再会」のつもりだけど、馬さんがどこまで覚えてくれているかは定かではない。

小樽から来たと伝えると、バスの車掌みたいな分厚い革のバッグを開いてごそごそ始めた。たくさんの手紙や書類らしきものの中から一通の封書を取り出す。北海道から来てくれたお客さんのだ、と手紙と写真を見せてくれた。小樽とこの住所は近いのか? そうかそうか、それなら一緒に写真を撮ろうと、道ばたにたたずんでいたきれいなお姉さんにシャッターを押してくれ、ついでに一緒にどうだ、なんていきなり話しかける。

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そうしてこの1枚。

別れ際に馬さんは、
「近々にまた来ますから」
と告げた僕の手を握り、僕の目を見ながら二度繰り返してこう言った。

『イノリ イツモ シアワセ』

唐突な言葉になんだか朝っぱらから胸に迫るものがあり、最初の角を曲がっていつまでも見送る馬さんが見えなくなった頃、口の中で僕も繰り返してみた。

『イノリ イツモ シアワセ』


野毛の名店『ホッピー仙人』2

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席数はカウンター8席くらいだけど、いっぱいになればスタンディングは当たり前と心得た常連さんたちが普通に立っている。

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新しいお客さんが入って来るたびに全員で乾杯が繰り返される。
これも実に自然体でいい感じなんだ。

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僕の手みやげの白い恋人のおすそ分けにおどけてくれた皆さん。
僕、このお菓子のCMに出演していたものですから。



高校時代は無口な男で通っていた相棒のタケさんも、青島ビール&紹興酒3本プラス、生ホッピーやぬくっピーのほろ酔いも手伝って、さっき萬里で僕から聞いたばかりの札幌のわがもっきりバルの様子を、自分で見て来たかのように皆さんに自慢してくれている。

常連さんのなかには「俺しょっちゅう札幌出張があるんで必ず行きますから!」なんて言ってくれる人もいた。


渋い酒場好きのためのムック「古典酒場」のホッピーコミックスについに『ホッピー仙人』が登場したのを祝って、仙人が35年前に生まれて初めてホッピーを飲んだ店で先日宴が開かれたという。

その時の記念写真を仙人が見せてくれた。
ある1枚の説明を聞いてびっくり!
写っているのは、仙人を囲んで、吉田類さん、ホッピービバレッジの調布工場長、キンミヤ焼酎(三重県四日市)の当主?、古典酒場編集長…何とも豪華な顔ぶれである。仙人がいかに凄い力の持ち主かがお分かりになるでしょう。


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仙人から、件のコミックスの小冊子化されたものと、3月で100周年を迎えるホッピービバレッジの記念ラベルホッピー、そしてその場でコメントを書き込んだホッピーのメッセージカードをいただいた。
「風の色さんへ」で始まる仙人のコメントは、「北海道のおいしいホッピーを飲みに必ず行きますね!」というような内容だった。

なんてあったかい人だろう。
わがもっきりバルには、ホッピー仙人に訪れたことがある熱狂的な仙人ファンがすでに何名か来店しているし、ホッピー仙人の常連という東京の方も来てくれている。そうした人たちには、このメッセージカードがどれだけ素敵なプレゼントかが分かってもらえるはずだ。全国のホッピーファン憧れのこの店とわがもっきりバルはうれしいご縁でつながっているんだよ、という証明書だ。

さらに仙人自ら「記念写真を撮りましょう!」。
仙人の優しい計らいで、前述のメッセージカードや僕の店の案内状を持ったホッピーで乾杯のツーショット。撮影の大役はタケさん。今宵の酔いでなかなか構図とピントが定まらなかったけれど(笑)。

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目はつぶっているけれど、タケさん8枚中のベストショット。
心にしみるお宝の1枚になった。
仙人、ありがとう!!


野毛の名店『ホッピー仙人』1

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萬里を午後6時半過ぎに上機嫌で後にする。
タケさんと僕は、かつての僕の吉田中学への通学路をなぞりながら、大岡川にぶつかった。

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都橋商店街はこの川に浮かぶ怪しい要塞か空母のようだ。反対側から眺めると怪しさは半減するものの、二階建てのハーモニカづくりと言われるのがうなづける。

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二ヶ月ぶりのホッピー仙人。前回の訪問記に仙人が書き込みをしてくれていたので、なんとなくその時間を感じないでご挨拶できた。前回お邪魔したときにはまだ、わがもっきりバルは開業前だった。

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無事開業のご挨拶の後、まずは全国のファン垂涎の生ホッピー黒をいただく。ひと口で相棒のタケさんの顔色が変わる。明らかに感動している。二杯目のぬくっピーを口にした後にいたっては(ぬくっピー製造中)、

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もはや彼のマナコが仙人に対する尊敬の輝きに満ちていたのを僕は見逃さなかった。どうだタケさん! これなんだよ!

野毛の名店『萬里』

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外食の味覚でもっとも古い記憶に染み付いているのは萬里のレバ(ニラ)炒めである。

横濱は野毛の萬里は、日本で一番最初に焼き餃子を出したとして、知る人ぞ知る大衆中華の名店だ。僕は幼稚園の頃から家族で萬里に通っていた。父は老酒に氷砂糖を入れてちびちび。母は店内を走り回る僕を叱り、僕はレバ(ニラ)炒めの肉汁をご飯にかけて食べるのが楽しみだったのをよく覚えている。その両親はもういない。

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横濱市立吉田中学三年の時、僕は野球部のキャプテンをしていたのだけれど、現在萬里の料理長は僕の次の代のキャプテンをしていた川淵という男で、今でも日本一と思っている萬里のレバ炒めは川淵が作っている。不思議なことに、これが僕の記憶の中のレバ炒めの味と寸分違わずぴったり重なり合う。

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二月八日月曜日。横濱市立櫻ヶ丘高校一年からの友人タケさんと、午後三時半に萬里で待ち合わせた。横濱駅西口徒歩10分のマンションに住む独身貴族のタケさんは、僕の大学時代の友人たちと僕抜きで今でも仲よくしている。高校何年の頃だったか、タケさんと二人で、学校をさぼって川崎駅ビル文化に『ラスト・タンゴ・イン・パリ』を観に行ったことがある。

面白いことに僕の友人たちが萬里に足を運ぶようになったのは、僕が北海道に移り住んで以降だ。それは、大学も職場も公私の活動半径が東京ばかりで、遠のいていた僕の足が横濱の萬里に戻って来たのが、むしろ北海道へ移住して後ということを意味している。

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タケさんに預けているご無沙汰の友人たちのこと。
最近、期せずして酒場の店主になっちゃったこと。
そんなよもやま話を重ねているうち、僕らの紹興酒は三本目に突入した。もちろんDNAに刷り込まれたレバ炒めも食べたけど、敢えてカウンターに座った僕らに、川淵が何かと気を使ってサービスしてくれた。

考えてみれば、飲食店でシャッターを押してしまうことの多い僕が、萬里で川淵の仕事ぶりを写真にしたことがなかった。お店と川淵にお断りして厨房の様子をパチパチ。

今でも逢うことのできる、数少ない中学と高校の同窓生がここにいる。

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すでに命を落とした野球部員の話なんかも話題に上る。
体育会の先輩後輩は、卒業から三十五年が経過しても口の聞き方ひとつからして変わりがない。でも、さすがに五十を過ぎると、上下というよりも同士という感慨がわき上がって来て、少しだけ胸が熱くなった。

仕事の取材で出逢う料理人たちと同様、気合いを入れて食材に向かう姿はすごく格好よかったよ、川淵。



わたしの箸とやげん堀。

箸袋

近年はマイ箸ブームとか言って、自分の箸を持ち歩く人が増えている。僕は二十年以上前から実践しているので、ブームに乗っている人のように言われるのは正直心外である。

これまで一番気に入っていたのは『花見箸』という名前の、真ん中からねじ式で二つに別れるようになった紫檀の箸だった。品の良い藍染めの巾着に納められていたのだけれど、1万2千円もした。そいつを都内の飲み屋でなくしてしまった。僕が箸の持ち歩きを始めた時分は、まだ携帯用の素敵な箸を探すのは容易ではなかった。それが昨今は巷に箸屋さんをずいぶん見かけるようになり、ブームとは恐ろしいものだと思う。

当時あまりにもその箸を気に入っていたので、まったく同じものを再度購入。だが学習能力のない僕は、またしても飲み屋で紛失してしまう。時を同じくして、身の回りに箸を持参する人が増えているのと、それを「マイ箸」なんて下品な言葉で呼んでいるのに気づいて箸を携行するのが嫌になってやめてしまった。


二〇〇七年の秋だったか、生前母が入院していた横須賀で素敵な黒檀の箸を見つけ、ひさびさに『マイ箸』を欲しくなった。より高度な職人技を要求されるという五角形のと悩んだ挙げ句に、僕の手に馴染んだ八角形のものを購入。都内の箸屋よりも何割も安かった。

その時同時にすだれの箸巻きと朱色の巾着式箸袋を買い求めた。
今度こそはと大事に大事に使っていたのだけれど、昨年晩秋に菊浦史と新宿で飲んでいてやってしまった。なくしたのは箸袋だけではあったが痛恨の極みだ。花見箸の時以来にその箸一式を気に入っていたんだもの。

それから随所で同じ箸袋を探したけれどどこにもなかった。
二月八日月曜日、東横イン浅草千束をチェックアウトして、しばし浅草寺界隈を歩いた。何軒か見て回った後、以前のほど心に響いた訳ではないけれど、仲見世の箸屋さんで箸袋を購入。寒桜の紋様が施してあった。


薬研掘

その足で新仲見世の「やげん掘」を覗いて驚いた。札幌のデパート催事でしかお目にかかったことのないやげん掘の寅さんが店頭にいたのである!

この人は百貨店の催事専門に日本中でやげん掘を商う旅をしているので、僕はその口上のあっぱれさも併せて心中ひそかに寅さんと呼んでいた。寅さんが東京に戻ると、寅屋では必ず騒動が起きるけれど、やげん掘の寅さんは僕を見るなり、「ねえ、10分か20分時間ある? あるなら浅草一美味しい珈琲ごちそうするよ」。もちろん僕はこうしたお誘いを断らない。

いつもまわりの人間に、僕の七味は星野オリジナルブレンドと自慢している。「辛味を強く、山椒と麻の実を多めにして…」というわがままに応えてくれていたのはこの寅さんである。

この何年か札幌で寅さんを見かけなくなり、店番のおばちゃんに同じリクエストをしても、寅さんブレンドの味と香りに到底及ばない。それがつまらなくて、実は箸同様、最近七味を持ち歩くのがめっきり少なくなっていた。かつては箸・七味・山椒を携帯の三種の神器と呼んでいた僕なのに…。でもそれらを携行しない時に限って、たまさか焼き鳥屋や鰻屋に出かける展開になり、口惜しい思いをして来たのだ。

寅さんブレンドは、やっぱり群を抜いている。
目の前で調合してもらったのを鼻先にかすめただけで、その違いは歴然だった。

寅さんに珈琲をごちそうになりながら、わずかの時間で、寅さんが酒を飲めるようになった経緯(いきさつ)やら、(やげん堀の)社長から、定年の際に現職に引き止めてもらった話やらを伺った。

来る三月の札幌東急が久々の登板というので、僕らはその時の再会を約束して珈琲屋の席を立った。



天空の句会/ヒコー中年3

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天空句会は19時近くに終了。
二次会は前回(十二月)の三次会でも類さんと訪れた『Barly ASAKUSA』にて(残念ながら「NEW王将」はいっぱいだった)。

僕の詠んだ十二月の兼題「練炭」の句に天をつけてくださったジャーナリストの有田芳生さんも二次会にいらしていた。
「この前、札幌のお店の葉書をいただいたんで返事を出したんだけど届いた?」と有田さん。練炭の兼題を出したのは、句会常連の有田さん当人だったので、僕は舞い上がってしまったのだった。

この席で、吉田類さんご本人からも「舟の北海道支部よろしくね。句会開催の暁には、会場は北星さんの店で」と直々にお達しがあった。初めて小樽でお目にかかってから三度目、三ヶ月足らず。思いもよらぬ展開に喜びがこみ上げて来る。

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立て続けに乱入しているおかげで、顔を覚えていただいたり、北星の俳号で呼んでもらったり、仲良くさせていただいたり、まったく新しい『場』に参加させてもらっているのが不思議で、言葉にできないくらい嬉しい。

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御礼の気持ちの表明に、十二月に続いて北海道夕張郡栗山町の小林酒造「北の錦」の純米酒をみなさんにお裾分け。わがもっきりバルの日本酒はこの北の錦に背負って立ってもらっている。バーリィさん、毎度の持ち込み、申し訳ありません!

吉田類『酒場放浪記』さながらに、この夜のわれら類さん一行は、さらに浅草界隈を放浪することになる。


  しのぶれど こころが折れる 紙ひひな
                       北星


※吉田類さんのブログ「酒王」に十一月の小樽句会の様子が! 
 私も登場します(「小樽吟行」)!
http://blog.digital-dime.com/sakeo/



天空の句会/ヒコー中年2

選考1

今回の兼題(必ず詠み込む季語)は「雛(ひな)」。
二句出し(二句を提出)のうち最低一句は、雛の句でなければならない。無記名で提出された句をばらばらに並べ、スタッフが紙に書き出したものをコピーして全員に配布する。

選考2

自作以外のすべての句の中から、自分が一番良しとするものに「天」、二番目に「地」を投じる。ワインをたしなみながらの選句の時間の後、全員順番に自分が天と地に選んだ句を発表していく。「星野北星選、天です。○枚目○番目…」という具合に。

外国の

(一月の鎌倉吟行にも参加したという米国代表ジョナサンさん)

岩本夕

(天空は窓外の景色に時のうつろいが体感できて、なんとも句会に興を添える。暮れ色の空が胸に染み入り、ワインも進んでしまう)

次に、天地を多く集めた句から順番に、その句に一票投じた全員がそれぞれその理由を延べる。ひとしきり発言が終わったら、最後にその句の作者が名乗りを上げ、自分の思いを表明する。そしてまた次の句、という風にその繰り返しで会は進行する。

最後には、天地の入らなかった句の作者も自作へのひと言を順繰りと述べ、結果、すべての出席者が一度は発言する趣向である。

途中から吉田類さんのご指名で『披講』の大役を仰せつかった。
披講とは作品を読み上げることを指す。

披講

「星野さんは声がいいから読んでみて!」
小樽で最初に舟の皆さんと会った十一月の夜、吉田さん宿泊のホテルの部屋での何次会目かの戯れに、その日の句会のプリントから指定された句を「披講」させられた。珍しい趣向、いや酒肴である。

類さんは、きっとその晩のことを思い出して僕を指名したと思われる。吉田類さんから俳号北星を授かったのは、まさにその夜、その部屋、披講の直後のことだった。そのときとほぼ同じことを、類さんは二月月例会の参加者に向かって言った。
「ね、みなさん。同じ句でも読み手によってぐっと素敵な句に聴こえるものでしょう? 北星さんには毎月来てもらわなくちゃ」
て、照れくさい。

最初は「披講」の意味がよく分からず、今回北海道に帰ってから物の本を引いてみた。「リズム、声質、抑揚、余韻などによって作品の感じられ方ががらりと変わってしまうので、その力量を問われる非常に重要な役割」。こりゃあ重責過ぎるぜ…。
 


  思えども すすめぬ道の 忘れ雛

                  北星


天空の句会/ヒコー中年1

天空

二月七日の日曜午後三時。
ほろ酔いで向かうのは浅草駒形橋のたもと、老舗和食店の「むぎとろ」だ。こちらの屋上ラウンジが「天空」で、吉田類主宰の句会『舟』の月例会場でもある。

窓外1

その名の通り限りなく天に近く、屋根はなく、

窓外2

ここから七月最終土曜日開催の隅田川花火大会を鑑賞したら、どんなにか圧巻だろう。

僕は昨年十二月第一週の日曜日以来、二回目の参加になる。

十一月十四日の小樽で、吟行に訪れていたこの句会とその面々と知り合ってわずか三ヶ月足らず。金曜日に句会事務局の伊勢さんから、「舟」北海道支部立ち上げに協力の依頼をいただいた僕は、この日、生涯五句目と六句目の俳句を詠みにやってきた。

宮沢

句会参加一年の宮沢さんは、小樽の吉田類講演会で進行をされていた方。この二月一杯で北海道新聞東京社会部から釧路の支局に移動になるということでご挨拶。

岩本

同じく北海道新聞東京社会部で宮沢さんの部下だった岩本さんは、同じ三月の移動で札幌本社勤務になる。この句会の北海道支部誕生の際には中枢を担って行く人だ。

乾杯

そんなご紹介の後、吉田御大による白昼堂々の乾杯の音頭で句会は幕を開ける。


日曜の至福。

場外

句会の朝は二月七日の日曜日。
浅草の場外馬券売り場界隈はコートがいらないくらい暖かい。新聞片手に地べたに座り込んでいたり、煮込みをお供にモニターに固唾を呑んでいたり。いつもの情景だ。

屋台

真っ白な世界を抜け出して来た身としては、まだ吹雪の朝よりも「こちら側」の世界の方が長い、見慣れた情景とはいえ、年々道産子比率が高まって来ている訳で(32:18)、同じ日本とは思えない。

ホッピー通り

両脇にホッピー屋さんが立ち並ぶあたりは、大学生の頃から出入りしているから、かれこれ30年にはなろう。記憶を呼び起こさないとならない夜が明けたばかりとはいえ、この情景の中にわが身を置かずして、何の人生。そのための東横イン浅草千束である。

ホッピー通り2

このアングルを肴に飲んでみることにした。
いや、北海道にホッピーの発信基地を造った人間としては、これは紛れもなく仕事である。

ホッピー2

わがもっきりバルの「三冷」とはタイプを異にする「中(なか)、おかわり!」タイプのホッピーが出て来た。この界隈のお約束だ。飲ん兵衛は、1本のホッピーで3~4杯の「中」を注文し、胃袋に流し込む。僕はこの世界も大好きである。日差しがあまりにも気持ちよい。

モツ煮

お約束にはお約束で、煮込み(牛スジ)を注文。

厚焼き

こんなものや、

うなぎ

こんなものを研修しながら、

ぬる燗も研修しつつ、午後3時からの句会に備え、紙と鉛筆を取り出してひねりはじめる。



ハチ公と四谷新路。

ハチ公

二月六日土曜日。
世界を股にかけて活躍する馬頭琴演奏家のチ・ブルグッドさんと午後五時にハチ公前で待ち合わせ。渋谷もハチ公もずいぶん久しぶりで、あまりの人間(特に若人)の多さにひるむ僕は、すっかりオノボリサンだ。今でも父の実家、渋谷区広尾が本籍地というのに。

チ・ブルグッドさんと会うことになったのは、彼のバンドのライブにストーリー性を持たせられないかという相談を持ちかけられたからだ。なかなか座れないマックのコーヒーで二人きりの下打ち合わせの後、六時からはバンドのメンバーと合流。

地球規模の壮大なテーマを下敷きに、五つのプロットを持つ組曲の、物語のシナリオに沿って曲作りを行ってはどうかという僕の草案に、それぞれが好印象を持ってくれたようだ。とりあえずもう一歩踏み出して、僕がプロットごとの物語の詳細を進め、次のステップで楽曲のイメージをメンバーが譜面に落としてみようということに。今件がうまく進めば、ここ数年続けている内モンゴルプロジェクトの2010バージョンの基調イベントとしてライブを位置づけ、さまざまな企画との連動した展開をクライアントに提示できるかもしれない。

食事をしながらのミーティングは、初めて会うメンバーそれぞれの素敵な個性と友好的な雰囲気の中で前向きに進行して、なんだかとても幸せな気分になった。


メキシカン

早めの散会の後、午後10時過ぎに四谷で LARGO の菊浦史と合流。足かけ5年に及ぶ僕の内モンゴル行に毎度付き合ってもらっている男だ。互いにすでに酒が入っている。彼も用事を切り上げて時間を作ってくれた。
「ホシノケイスケが東京に来てると分かってて、会わない訳にはいかないでしょう!」
僕の東京の友人の中では、ここ数年比較的ひんぱんに会っているのに、こんな嬉しいことを言ってくれる。暮れに酒場を始めた関係で、何かと飲食店のメニューが気になる僕の気持ちを理解している彼は、僕が勝手に飛び込んだメキシカンのバールのお兄さんに大声で、
「この男が絶対に喜ぶ、この店一番のおすすめ小皿料理を三つ出して!」
なんて困らせている。

始めた店の様子や今年の内モンゴル企画のことをやや高ぶりながら早口に話す僕の話を、ウンウンと相づちを打って聞いてくれる菊浦さん。でも、ときどき鋭い意見を返してくれるので、こちらの話を真剣に、でも優しく聞いてくれているのが伝わって来て、僕の幸福感はさらに加速度を増して来るのだ。テキーラのボトルはたちどころに空になった。

ふらふらと四谷新路に迷い出た僕たちは、次の居場所を求めて彷徨する。
菊浦さん、もうマウンテンバイクで帰るのは危険だよ。
僕も菊浦史も朝になれば今宵の多くを忘れているのだろう。最近どんどんそいつがひどくなって来てる。忘れてしまったことの中にはきっと、彼がさっき僕を泣かせた、珠玉の名言なんかも含まれているに違いない。でも、その時点ですでに、それがどんな言葉だったか自信がない。また己を呪う後悔と反省の朝を迎えるのだ。



土曜日の劇場。

新橋演舞場

つかこうへいの『飛龍伝』を、かつて新宿紀伊国屋ホールで観た。
いや、『熱海殺人事件』も『蒲田行進曲』も紀伊国屋だったはずだ。僕の在学中には演劇研究会(第三舞台)に鴻上尚史がいたし、東大には夢の遊眠舎の野田秀樹と、小劇場運動の華やかなりし頃である。つかこうへいに関しては、戯曲のみならず、小説やエッセイを集中的に読んでいた時期があって、たしかその頃読んだエッセイの中に芝居小屋と観劇料についてこんな意味のことを書いていたと思う。

芝居なんて安っぽい固い椅子の痛さをいかに感じさせないかを考え抜いて創るものだ。自分の芝居が5千円もとるようになったら俺は芝居をやめる。

二月六日。リニューアルした新橋演舞場でつかの『飛龍伝2010』はA席が9千円だった。桟敷席に至っては弁当付きで1万1千5百円! 自ら芝居に携わるものを河原乞食と卑下しながら同時に胸を張っていた男の芝居は、もはや『演劇鑑賞』に変貌を遂げていた。ロビーでは1千200円のプログラムの他に劇場限定販売の上演台本が2千円で売られ、桟敷にありつけなかった観客は、休憩時間に食べる昼食(夕食)を事前に予約する。

往時を懐かしみ、立派な劇場でありがたく鑑賞する演劇に上り詰めたことを批判している訳ではない。つかこうへい肺がんの報道により稽古にも本番にも立ち会えない現状を知り、つかの今を知りたくなって、北海道からチケットを予約した。

六年前に十五歳でつかこうへいに見出された黒木メイサが輝いていた。


歌舞伎座

昼公演の芝居がはねて午後三時の界隈を歩く。
演舞場から至近の歌舞伎座の前に出た。こちらは五月から長期の改装工事に入ると聞いている。劇場本体は低層の現状を踏襲するというが、高層のオフィルビルを併設するらしい。

東京からまたひとつ、江戸の風景が失われてしまうのだろうか。



句会『舟』事務局、伊勢さんと門仲の夜。

河本2

二月五日金曜、僕は羽田から木場に直行した。
吉田類さんの句会『舟』事務局、伊勢幸祐さんとの待ち合わせだ。

伊勢さんとは昨年十一月に、吉田さんの句会ご一行が小樽吟行にいらした時に知り合った。その後、僕が師走の浅草の句会に赴き、今回で三度目。二人だけでお逢いするのは初めてだ。一度ゆっくり二人でというお誘いを受け、吉田さんゆかりの店をご案内いただけることになった。

吉田さんの『酒場放浪記』に近々登場するという木場の「河本」は、午後六時半、あいにくの満席。その古色蒼然たる偉容に、外観だけでも圧倒される。店内は一瞬かいま見たのみだったけれど、ただならぬ空気が感じられた。河本は午後八時には閉店してしまうので、今回は断念せざるを得ない。

しばし歩いて門前仲町『大坂屋』。
月島の「岸田屋」、森下の「山利喜」、千住の「大はし」の老舗三店に、ここ「大坂屋」、立石の「宇ち多」を加えて「 東京五大煮込み」というらしい。こじんまりした変形カウンターだけの店内に全員ネクタイをした御仁がすし詰めになっている。でもさすが名店の常連は違う。自分を奥の片隅に追いやって、僕らのために場所を空けてくれた。

さっそく煮込みとサッポロラガーで乾杯。
吉田類さんの右腕の案内で、絶品煮込みをいただけるなんて。
岸田屋、山利喜、大はしはかつて訪れたことがあったので、伊勢さんのおかげで五大煮込みの四軒目までは達成できたことになる。

永井荷風を愛し、東京の町歩きをライフワークとする伊勢さんは、一日の散歩の終わりに良き酒場を訪ねるのを旨としている。東京の西の果てから東の果てまで脈絡もない行き当たりばったりの酒場放浪で、何度も何度も遭遇したのが吉田類その人だったとか。そうしたご縁で、今は盛況を誇る句会『舟』は、お二人を含む、たった三人の酒場談義から始まったという。

三軒目に連れて行ってもらったのは、同じく門前仲町の『だるま』。元旦の『酒場放浪記4時間スペシャル』内で再放送されていたのを僕も観たのだけれど、まさかこんなすぐにこの店にお邪魔できるとは思ってもみなかった。この独特の活気はどこでも味わったことないものだ、一人一人の酔客が実に楽しそうなんだ。

名店だるまで、僕は伊勢さんから句会『舟』の北海道支部の立ち上げ構想に力を貸して欲しいと正式な依頼をいただいた。浅草の月例会運営に深く関わっており、吉田類さんと伊勢幸祐さんに俳句を師事する北海道新聞東京社会部(文化・ほん欄担当)の岩本茂之さん(俳号:碇)の三月からの本社札幌勤務が決まり、かねてからの構想実現が加速度を増したのである。なんとも光栄な話だった。

昨年十一月十四日、吉田さん、伊勢さん、岩本さんにめぐり逢った日、しかも生まれて初めて俳句を詠んだその日に、吉田さんに俳号北星をいただき、二回の句会で二回とも自作に得票があって、すっかり『酒場詩人のすすめ』(吉田さんの著作)にはまってしまった僕がいた。そうしたビギナーズなんとやらの有頂天にも優しいのが舟の最大の特徴だろう。

だるまの酎ハイのあと、もう一寸だけ、のわがままに付き合ってくれた伊勢さんは、たった三人の句会を始めた店に案内してくれた。ライターを生業とし俳句をたしなみ、東京の町歩きとそこに息づく酒場を愛する伊勢さん。こんなにおだやかで知的な紳士にひさしぶりに出逢った。この上なく嬉しい時間を過ごした僕は、終わりかけの地下鉄に飛び乗るべく、二人小走りに駅へ急いだ。


ホッピー仙人と吉田類さん。

仙人

昨年12月の日記『いとしのホッピー仙人』と
http://kazenoiro.asablo.jp/blog/2009/12/13/4755248
『東京の人』で、
http://kazenoiro.asablo.jp/blog/2009/12/13/4756216
12月5日土曜日の出来事について書いた。

最北端

今回ホッピーを取り扱う酒場を始めるにあたって、聖地ともいえる横濱野毛のホッピーのショットバー『ホッピー仙人』にご挨拶にお邪魔した話と、その足で新宿御苑の大切な友人の店の26周年の宴に駆けつけたエピソードについて触れたのだった。

その時の日記に、つい数日前、仙人ご本人からコメントをいただき感激。返礼のコメントにまたお返事をいただいて、また感激。その二度目のコメントに「先日吉田類さんと電話で話をしたときに星野さまのことを話ししてましたよ」とあって百倍感激。

仙人のコメントがきっかけで、本当はその流れで12月6日日曜日のお話を書くつもりで取り紛れていたことを思い出した。

天空夕方

そもそもは11月14日に小樽で吉田類さんに出逢ったこと
http://kazenoiro.asablo.jp/blog/2009/11/19/4704696
http://blog.digital-dime.com/sakeo/(吉田類さんブログ『酒王』)
に端を発するのだけれど、翌月12月の6日、浅草は駒形橋のたもとの老舗和食店『むぎとろ』の屋上ラウンジ天空で開かれた吉田類さん主宰の句会月例会に参加した話を書きたかったのだ。

吉田句会

生まれて初めて俳句を詠んだ小樽の夜、僕は吉田さん宿泊のホテルの部屋で、吉田さんご本人に俳号を授かった。だから浅草の句会に、僕は三句目と四句目を詠みに乱入したのだ。

昼が短い冬の一日は夕暮れの斜めの日差しから漆黒のしじまへ。
ワインで唇を潤しながらの俳人な時間が過ぎてゆく(笑)。

天空様子


二次会は神谷バー。
句会常連のジャーナリスト有田芳生さんが、ご自身が出したその日のお題(兼題)で、生まれて三句目の僕の句に「天」をくださったのが嬉しくてご挨拶。小樽に引き続きはしゃいでしまう。ビギナーズなんとかで、さらに俳句?(飲める句会?)が病み付きになりそうだ。

有田さんと

この神谷バーから、吉田さんはホッピービバレッジの話題の三代目副社長、石渡美奈さんに電話をしてくださった。僕が新しく始める酒場でホッピーを出したい旨を話したら、副社長=ホッピーミーナさんと懇意にしている吉田さんがこの日の句会に呼んでくれていたのだけど、あいにく都合がつかなくなっていらっしゃらなかったからだ(翌々日、僕は赤坂のホッピー本社に出向き、ホッピーの根付きづらい北海道でホッピーの発信基地を創ります、と豪語してきた)。

神谷バー前

アウェイの小樽とは違いホームゆえか、吉田さんの次の店にくっついて行ったのは、僕の他に小樽にもいらしていた熟年の女性がお一人だけ。吉田さんの行きつけ、New 王将のご主人に教わってから僕も何度も通った『Bar バーリィ浅草』だ。

木村さん1

小樽のときに話していた北海道夕張郡栗山町の北の錦(小林酒造)の純米吟醸を吉田さんにプレゼントしたら、吉田さんの計らいでチーフバーテンダーの木村誠さんはじめ、お客さん全員にその場でふるまわれることになった。

木村さん2

「ホシノさん、申し訳ないけど明朝から番組ロケで北海道なのでこれで失礼します」

バーリィ類

こちらは北海道から来ているのに入れ違いだ。吉田さんは翌日から根室と稚内を放浪するのだ。番組とはもちろん、BS-TBSの人気番組『酒場放浪記』のこと。しかも、元旦放送の四時間スペシャル!(もちろん観ました!)

僕は吉田類さんを入口までお見送りした。


実は今週土曜、2月6日に本業?(酒場ではない方)の企画で渋谷に用事が出来た。翌7日は第一日曜日。天空句会の日ではないか。
かくして僕の東京出張は三度目の句会付きとなった。

滞在中に時間を見つけて、ホッピー仙人にもご挨拶するつもりだ。


未明のいこい。

バー?

酒場開業一ヶ月の小さな宴は、ホルモン屋にはじまり、ホッピーもあるご同業の一杯呑み屋、とんがったお客の多いBar FM…

兄貴とひさしはタクシーを止めたけれど、僕とKAZは帰りそびれてそぞろ歩き。はじめてのバーの扉を開いたのは午前三時頃だったろうか。少し前までの饒舌の時間は過ぎて、少ない言葉で気持ちを小出しにするような、そんなおだやかなひとときをふたり過ごした。

ねえ、もう四時になるよ。
でもこんなのもたまには悪くない。


一ヶ月。

一ヶ月

初めて話をしてからちょうど一ヶ月で店を創り、開業からさらに一ヶ月が経過した『もっきりバル 風の色』。

早仕舞いをした一月最後の日の営業終了後、メインスタッフでささやかな打ち上げをした。この二ヶ月はただ走り続けていたので、そうした時間が少しもとれなかったからだ。

想像を超える来客数は北海道新聞さんや雑誌オトンの力であり、一過性の現象としても、来てくださったお客さんがおおむね喜んでくれているのが実感として伝わって来て、考えていたより遥かに大きな手応えを感じている。

これまで毎日、ひたすらお客さんに感謝して来た。
僕らの勝手な都合で創ったこの場所に集ってくれてありがとう。
土曜日の、まさしく『立錐の余地もない』状況を眺めながら、どーしてこんなにここに人がいるんだろう…と、宇宙の出来ごとのように呆然としていた。不思議でならなかった。そうして今度は、頑張ってくれた仲間にありがとうがこみ上げてきた。

素人衆の風の色をもり立ててくれたカウンターマイスターKAZは、バーテンダー経験のある俳優、ナレーター。僕の考えた“もっきりバル”をメニューで具体化してくれた素敵な料理長は、カンヌのレッドカーペットをタキシードで歩いたことだってある映画助監督であり、一億三千万人の兄貴だ。なあ、ひさし。

感謝すべき人はもっともっとたくさんいるのだけれど…

ひとまず、おつかれさま。

さくら咲く。

さくら

二十九日金曜日、三十日土曜日と、記録的な混雑をした、わが『もっきりバル 風の色』。お店に入れなかった方々、本当にごめんなさい。これに懲りず、ぜひまたご来店ください。

三十一日日曜日は、ずいぶんゆったりした展開で、でも、先週に引き続きザルのご夫婦がいらして、相変わらずのムードメーカーぶりを発揮してくださいました。なにせお二人でホッピーを二十杯以上、つまみもたくさん頼んでくださって、思いっきり弊店の客単価を上げてくれたのでした。

テーブル席も怪しい小上がりも空いているのに、カウンターから埋まっていくのは素敵です。カウンターコミュニケーションは花盛り。僕らもお客さんとゆっくり話が出来るし、いい感じです。ホッピービバレッジ百周年でハイボールに続くのはまさしくホッピーであるとか、吉田類さんと僕のなれそめのお話で盛り上がったり…。個別に話しながら、でも、カウンターの方、テーブルの方の相互交流で一体感が醸し出されたりと、店全体がひとつの場になっていくのが感じられるのです。うれしいなあ。

印象に残ったのは、店舗デザインを生業にしているというお客様。僕らの店の美術家による内装から、自分たちの図面では表現し得ない情感、あるいは演出家の意図…みたいなものが感じられて驚いた、と。今後何らかの形でご相談に乗っていただきたい。そんな風に話しかけてくださった。

こうした展開は、まさに僕の望むところであって、場を持つことでしか出逢えない方と出逢い、そのことがまた、想像もつかなかったような新たな局面へと繋がる可能性を感じさせてくれるのだ。


締めのお客さんは、北海道演劇財団さんと関係各位。
なかのお一人が入店時に、これ差し上げますと季節外れのさくらの生花を。いったいどこから?

あっという間の開業一ヶ月、逝ってしまう一月の、さらに遥かにある春の印を先取りしたようで懐のあたりがぬる燗になった。

狸小路新年会と羅臼の阿部さん。

海老

十二月二十六日、札幌狸小路六丁目に酒場を開いた。
その時から僕は狸小路六丁目町内会の住民になった。
あれよという間に一ヶ月が経過した一月三十日土曜日に、その町内会の新年会に出席した。同じ町内会のサンルートホテルの二階にある中華レストランが会場だった。

僕が横濱から移住して小樽市民になってから約十年ほど、僕の友人菊浦史さんが経営する新宿御苑のアウトドアショップ Largo 面々がスノーボードツアーで訪れたときに定宿にしていたのがこのホテルである。だからこのホテルには友人たちの送迎や彼らの部屋飲みに乱入したりと少なからず想い出がある。

かつては行き交う人々とぶつからないことにはすれ違うこともできなかったという狸小路も、日本全国の商店街と同様、年々シャッターを下ろす店が増えて来た。さらに近年の札幌駅前の元気にやられ、衰退の一途がささやかれていた。その中で昨今気を吐いているのが六、七丁目界隈であり、個性的な飲食店の進出に、少なからずにぎわいを取り戻しつつある様に見える。なかでも六丁目は、一丁目から八丁目までの狸小路町会の中で唯一テナントに空きがないというから心強い。

町内会長はわが『もっきりバル 風の色』のすぐ隣、この地で五十年も商売を続けている札幌新倉屋の斉藤会長が務めている。この日は同業者や写真館の旦那、美容室の女性、酒屋さん電気屋さん、不動産屋さん等々、老若男女の経営者が二十人ほど。最近加盟したという「シアターキノ」の中嶋洋さんもいた。

新参者としてご挨拶をさせられたり、円卓を回ってお酌しながら名刺交換をしたり、席に戻ってからは重鎮たちにやたらと紹興酒を薦められ、最近寝不足の僕は粗相なきよう、けっこう気遣いながら杯を重ねていた。あ、でもこの中華なかなかいけますよ。

にぎやか

二時間強が経過して、失礼ながら中座させてもらった。
今宵は広告屋時代の一番の先輩である吉田さんが東京から出張に訪れ、わが店に立ち寄ってくれるのだ。午後八時二十分頃、扉を開け、絶句。テーブル席も怪しい小上がりもびっしり満席なばかりか、立ち飲みのカウンター&丸テーブルも、もう一人だって詰め込むとは出来ないほどの空前のにぎわいを見せていた。信じられない光景だった。さらに次々にお客さんが扉を開ける。残念ながらお断りをせざるを得ない。いったい何組もの人を返してしまったことだろう。

吉田さんは小上がりで一杯始めていた。
オーナーとKAZが顔を引きつらせて人ごみをかき分け行ったり来たり。その中で店主たる自分が小上がりでお客さんをするのは、かなり気が引ける状況だった。先輩もかつての部下の店が、まさかこんなににぎわっているとは想像もしていなかったようだ。

事務所社長兼オーナーが注文を取りにくる。
心苦しくも黒ホッピーをオーダー。当店はとりあえず、ホッピーだ。ややしばらくして、一斗樽と酒林(杉玉)を提供してくださった造り酒屋、北の錦の小林酒造四代目の顔が入口にあった。開店のお祝いに自ら急階段を上って樽と杉玉を運んでくれた四代目が初めて客として奥様同伴で来店してくれたのだ。良かった。奇跡的に二人がけのテーブルが空いたところだった。

阿部さん

午後九時頃だったろうか。羅臼の阿部満晴さんが一足遅れでやって来た。昨年夏、吉田さんのセッティングで、K2の長友啓典さんやサンアドの松浦会長、長友さんがアートディレクターを務めるガーデニング雑誌の編集者らとご一緒して、倉本聰さんの富良野塾公演を鑑賞した。観劇後にくまげらの二階で紹介されたのが、知床は羅臼で釣具屋を営む阿部さんだった。

阿部さんが釧路の役場に勤めていた頃、さる高名な画家の水先案内をしたことがはじまりで、その魅力ある人柄とロケコーディネイター裸足の土地勘とセンスによって、「北海道に行ったら阿部に会え」という評判が画壇、文壇に広がったという。そうして釧路を訪れたひとりに開高健がいた。孤高の釣り人開高健を釧路川に誘い、イトウ釣りの魔力の虜にしたのは阿部さんだった。このときの出逢いが、後の『オーパ!』モンゴルのイトウ釣り紀行へと発展して行くのである。

巨匠倉本聰も阿部さんに釣りの指南を受けた。
北海道富良野を舞台に二十数年続いた国民的テレビドラマ『北の国から』の最終回が、突然羅臼のエピソードで大団円を迎えるのは、実は阿部さんの影響であるらしいのだ。

阿部さんの口からは文壇画壇の御大の名前や、編集者、マスコミ、開高健ゆかりの人々の話題が次々に飛び出す。開高健の命日やボジョレを楽しむ会となればその集いに呼ばれ、そうした関連でサントリーのトップはじめ、経済界のそうそうたる面々とも縁が深いようだ。齢七十にして忙しく日本中を駆けめぐる阿部さんが、商工会の会合などで札幌に来るたびにお電話をくださる。ケイジのルイベだのシシャモの薫製だの、海川の幸の調理人としても舌を巻く凄腕で、その晩も絶品活帆立を持参された。

特別にその帆立を僕らの卓袱台でいただく。
「いい帆立は庖丁をいれずに手で千切るんだ。
 庖丁を入れると味が落ちる」
その帆立を小林酒造四代目のお席にお裾分け。小林社長がわざわざ阿部さんに返礼に見えて、しばしのご紹介タイムの後、僕らもわが店を後にした。

もろはく

健康上の理由で一番好きな日本酒を控え、普段は焼酎をたしなむことの多い阿部さんと吉田さんを、私の切り札、日本酒のショットバー『もろはく』にお連れする。浜口店主の日本酒の造詣の深さに、うるさ型の阿部さんも感心してくれた様子で、

「これで札幌に来る楽しみがまたひとつ増えたよ。
 ホシノの店があんなに繁盛してるとは思わなかったし、
 俺をこの店に連れて来た、お前のセンスが気に入った」

夜も更けて、阿部さんがタクシーに乗った後、僕と吉田さんは倉本聰さんとも縁の深い、『カムバック・フォレスト』の神山慶子さんの店『ソワレ・ド・パリ』へ。久しぶりに彼女のピアノ弾き語りで、倉本聰作詞、宇崎竜童作曲の名曲を聴くことができた。

ライブが終了した神山慶子さんとしばしの歓談。午前一時を回った頃、手洗いに立った先輩を見届け、僕は『おおとも』に電話を入れた。「これからいいですか?」
風の色オーナーのごひいき寿司屋だ。
手洗いから戻った吉田さんが、小腹がすいたとひと言。ふふ、段取りにぬかりなし。東京時代、僕はこうした先回りを諸先輩方にずいぶん仕込まれた。道民になってからはかなりのんびりにしまったが…


そうしてこの夜の幕引きは、もう少し先のことになるのだ。


一月の一平。

三つ葉とわかめ

社会人1年生の時、古巣の広告代理店の初仕事は、某化粧品会社の男性用メイクアップ用品という画期的な新商品のCM製作だった。

トランペットの世界の日野皓正さんと競演する若者のキャスティングが、紆余曲折の末、僕の提案した天宮良さんに決定した。文学部演劇専攻だった大学の卒業論文で、倉本聰さんと山田太一さんをテーマに取り上げた僕にとって、オンエアが終了したばかりの倉本ドラマ『昨日、悲別で』に主演していた天宮さんは、実に新鮮で魅力的なキャラクターだったからだ。

そしてさらに、天宮さんが当時所属していたタップチップスの代表赤尾マーサさんから倉本聰さんを紹介してもらい、サントリーオールドのCMシリーズが誕生することになる。以来、倉本先生とサントリーさん、そして僕の古巣のコマーシャル三者契約は四半世紀に渡り、その間に先生の主宰する富良野塾塾生の生活を切り取った雑誌広告のシリーズや、北海道新聞掲載のエッセイ広告シリーズ、先生の様々な舞台への協賛等々、長いおつき合いが始まる。

前述の通り、そのきっかけを創ったのは僕だ! という密かな自負がある。誰も褒めてくれないので密かなのであり、きっかけはきっかけに過ぎず、それを永いおつき合いに紡いで来たのは僕の敬愛する上司たちの仕事ぶりゆえということも理解している。でも、一度くらいはそこを思い出してよ、と今でも思っているのは事実だ(笑)。

シメサバに数の子

さて、枕が長くなってしまった。
先の日記にもしたためた能登輪島の漆器作家瀬戸國勝さんを、札幌のおでんの一平にお連れしたのは、かれこれ14年ほど前になる。道外のお客さんを飲食店に誘うとき、「いかにも北海道的」な店になることはやはり多い。能登からのお客さんをおでん屋さんに紹介するのは勇気がいったけれど、一平はただのおでん屋じゃあない。ただならぬ料理屋である。その当時、雑誌の取材をさせてもらったばかりの一平の谷木紘士さんは、僕にとってあまりに素敵な職人であり、ジャンルを問わず、ここ以上に素晴らしい食の店は考えられなかった。


谷木さん

その狙いは的中して、瀬戸ご夫妻は見事に筋金入りの一平ファンになる。その熱の入れようは、一週間の札幌滞在中に6回通った年があったとか、ご夫妻のお嬢さんも一平のおでんにとり憑かれ、このおでんを食すだけのために京都から飛んで来たりと、エピソードは尽きない。

谷木さんは谷木さんで、瀬戸さんの個展会期中にふらりと足を運び、瀬戸作品を購入。その後、僕が一平を訪ねると、そっとその漆器でおでんを出してくれたりする。粋な親爺なのだ。

お二人は同年輩で、ジャンルこそ違えど、創造の世界にいるもの同士、互いの仕事を讃え合い、尊敬し合い、そこに深い絆が生まれたようにお見受けしている。そうなると、凡人の僕は、凡人ゆえの卑屈さで、お二人の素敵な関係を横目にして、ため息をつく。もう僕の出る幕はないや。お二人を引き合わせたのは僕なのになあ。

もちろん僕はよく分かっている。
どちらも大好きな仕事人なのだ。
それもこれも、きっかけはきっかけに過ぎない。
ご縁を繋げられたことこそ冥利。

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