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2010-07

小樽0709

0709小樽

ガード下放浪。
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昨晩のもっきりバル 風の色

乾杯

さすがのピエールもご満悦。

ピエール

長い夜の間、一度もプラックピエールに変身しなかった

吉田類、本日上陸!

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7月10日(土)の栗山吟行、11日(日)の札幌共催ホールでのトークショー&ドリンクラリーに先立って、『酒場放浪記』の吉田類さんが本日8日から札幌入りします。

まずは、本日夕方のHTBの情報ワイド「イチオシ」に、ゲストコメンテーターとして出演(15:45~17:00)。イベントの告知もさることながら、番組ラストでもおなじみ「一句」披露する予定ですので、ファンの方要チェックです!

夜は狸小路6丁目のわが「もっきりバル 風の色」はじめ、界隈に出没予定。9日金曜日は小樽周辺も熱くなりそうです。

類さん最近 Twitter をこなしているようなので、つぶやきで行動をチェック出来るかもしれません。これも要チェックですね。


八朝師匠の形見分け。

IMG_2499.jpg

4日日曜日に7月10日、11日の吉田類さん関連の催事の打ち合わせをご当人と句会事務局長と済ませたのだけど、7月15日には札幌のわがもっきりバルが寄席に変身するという一大事が続き、5日月曜日は、そちらの出演者である噺家の古今亭八朝師匠とお目にかかった。

場所は日本橋室町の砂場。
八朝さんの師、三代目古今亭志ん朝が最も愛した蕎麦屋だったと伺って、蕎麦好き、落語好きとしては感無量である。志ん朝師匠は2001年に63歳の若さで惜しまれながら世を去った、現代の名人の誉れ高い落語家だった。父親は五代目古今亭志ん生、兄は十代目金原亭馬生。サラブレッドである。

「ウチの師匠は、高座がはねると、よくここに俺を連れて来てくれたんだ。いつも緊張してたなあ」
「え!? 師匠でも緊張するんですか?」
「当たり前だよ。師匠と弟子ってのはそういう関係なんだ。この世の中で一番尊敬している人なんだぜ。世界で一番好きな人なんだ」

IMG_2484.jpg

志ん朝師匠が亡くなられる前、もうほとんど食べ物を口に出来なくなっていた頃。入院見舞いの弟子たちを前にして「石町(こくちょう)の砂場の蕎麦が食べたい」ということになり、八朝師匠がこちらに訪れた。砂場のはからいで蕎麦猪口まで用意してもらって病院に運んだ。

「でもさ、師匠はほんの二本くらしか食べられなかったんだ…。
ようやく最近だよ。泣かないでここの蕎麦を食べられるようになったのは」

志ん朝師匠が好んで食べていたという「天抜き(こちらでは天水/てんすい)」を八朝師匠が頼んでくださる。一滴も呑まない八朝師匠に勧められて、お銚子を一本だけいただく。これまでも、蕎麦好きの八朝師匠と何度かこんな風に蕎麦屋酒に興じたことがある。ただひとつだけ違うのは、師匠の隣に女将さんの乃里子さんがいないことだ。

ちょうどひと月前、乃里子さんは急逝された。
いつものように呑めない師匠と楽しくお酒の席をご一緒されて、いつものように師匠の運転で夜遅くに帰宅して、車を降りた所で転倒。「酔っちゃったぁ」と倒れたままにっこり笑って、それが最期だったという。師匠の運転ではしごさせてもらいながら、僕と女将さんが呑んだくれる。ずいぶんそんなことがあった。

僕は乃里子さんの通夜と告別式に参列した。

IMG_2487.jpg

八朝師匠が突然扇子を取り出した。

「これはね、林家いっ平が真打ちに昇進したとき、赤塚不二夫先生がお祝いにくれたものなんだけどね。まわりまわってウチにいただいてさ、乃里子は汗っかきなもんだから、いっつもこれ使ってたんだ」

そういえば見覚えがあるような。

「これもらってやって。あげます」
「ええ? だって乃里子さんの形見じゃないですか!」
「形見はたくさんあるから」
「そんな …… 。ありがとうございます。大切にします」
「いいよ、大切になんかしなくても」

僕は胸がいっぱいになってしまった。


「ウチの師匠はね、本当はビール好きだったんだけどね、この店であるお客さんに『蕎麦屋だってえのに最初にビール飲む奴がいるのは野暮でいけませんやねえ』とか言われてから酒だけにしたみたいだな。さあ、蕎麦屋の長っ尻はまずいから、そろそろ〆のそばだ。ここはね、量が少ないから気をつけないといけないよ」

何を気をつけるのかよく意味が分からなかったけれど、僕は古今亭志ん朝師匠がいつもそうしていたという通りに、もりを一枚、そうしてかけそばを一杯いただいた。


一族。



吉田類さんの札幌での講演会を目前にして、最後の打ち合わせも兼ねて上京した折りも折り、祖父の二十三回忌の法要が重なり、青山霊園にある龍泉寺に駆けつける。

群馬県から十代で単身東京にやって来た祖父は、渋谷区広尾に「お茶と海苔の星野園」を創業する。ここはつまり僕の父の実家であり、現在も僕の本籍地なのだ。1905年生まれの祖父は生きていれば実に105歳。祖母は95歳で存命である。

法要後の会食がこの二十年来の恒例になっている表参道の「南国酒家」で行われた。それ以前の星野家御用達は新橋に享保年間から営まれていた天ぷらの老舗「橋善」だった。

現在、お茶屋を継いでいる三男の挨拶が心に残る。
「今日20数名が集まってくれましたが、父が群馬の田舎からわずかなお金を握りしめて夜行列車に飛び乗って上野に降り立ち、広尾に店を作らなかったら、ここにいる誰一人として存在すらしていなかったと思えば、感慨深いものがあります」

一族

1歳から81歳まで、この日集まれた者だけでも23名。
血のつながりの重みを身の内に感じる年代に到達したということか。


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