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2011-01

不安定な朝。

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わがもっきりバルの店番をして夜中に帰って来た。
だから昨晩のご近所の奥さんの通夜に出られなかった。
自治会の同じ回覧板の回るエリアで、僕が移り住んで以降の19年間に、ざっと指を折ってみても7名ほどのご近所さんを見送っていた。

朝10時からの告別式に参列。また喪服を着た。
毎日何度もウチの前を愛犬の散歩で通るご主人が喪主だった。
いつも笑顔の絶えないご夫婦だったのに…。
上品でふくよかなお顔の奥様は目を閉じていた。

合掌。



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おたるすきるの土門さん。



ウィングベイ小樽(旧マイカル小樽)の二階に、『小樽職人の会 サテライトスクエア “おたるすきる” 』(2009年10月31日オープン)がある。職人の会を母体とするNPО法人 北海道職人義塾大學校(2001年設立)が運営するアートスペースだ。要は小樽の職人の作品を展示するギャラリーであり、製作体験やイベントを行う情報発信基地であると理解している。

1996年には『第一回おたる職人展』を開催(~2000年)、1999年の第一回全国職人学会発足時の永六輔さんの講演会には僕も足を運んでいる。職人の技を紹介するにとどまらず、修理や新しい作品の制作依頼の場を設け、ひいては職人になりたい人間のために、弟子入りの門戸を開くユニークな試みに共鳴していた。

1月14日に亡くなった木地挽き物職人の土門収さんが、この職人の会(1992年設立)に所属していたのはご本人から伺っていた。
現役として様々な仕事をこなしながら、学校やイベントで子供たちはじめ様々な人たちに木工制作の楽しさを教えていた土門さん。

土門さんの見舞いのつもりが訃報に触れ、通夜・告別式に参列。併せて理容カナモト消滅の驚愕のまま病院の世話になり、出て来た途端にその顛末にさらにショックを受け、ふらりとこの場所に来ていた。土門さんの作品がここにあるのを知っていたから。


これまでこのスペースをこんなに丹念に眺めたことがなかった。
土門さんの余技とも言うべき可愛らしい掌品はこれまでも直接いただいていたし、ここにあるのはそうしたものばかりだったから。
僕はどちらかというと本業の仕事を拝見したいとかねがね思っていた。土門さんが『専門とするのは、挽物の中でも棒状の木材を削りだして形にする「棒もの」だ。(中略)丸椅子やテーブルの脚、一輪挿しなど。角のある無骨な材料だったものに、丸くてやさしい輪郭を与えていく』(おたるすきるHPより)。今からちょうど二年前にお会いしたとき、これから札幌雪まつりのチアリーダーが使うバトンをいついつまでに100(200?)本作らねばならない。だから今日はあずましくない。そんなことをおっしゃっていたのを思い出した。作業場には大量の角材が積み上げられていた。


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スペースの一角に、彼らのイメージキャラクターが展示されていた。
同じモチーフながら、ガラスで作られたもの。ローソクで作られたもの。木を削り出したもの。
木の作品が妙に心に響いたのでよく見たら、土門収作になっていた。ほぼ同じオヴジェが二点あった。
これも何かの…と思って、スタッフの方に譲ってもらえないか話しかけたところ、非売品だという。それがきっかけで二人のスタッフと土門さんの話になり、先日の訃報、これまでのお付き合い等、ずいぶんと話し込んでしまった。その話の流れで、カウンターのノートパソコンから僕のブログにアクセス、土門さんや毛利さんの写真が出て来て話はさらに盛り上がった。

帰りしな、ほとんどお二人が口を揃えて言った。
「この作品ホシノさんもらってください。どっちがいいですか?」
「このキャラクターはとても評判がよくて、土門さんには追加をお願いしていたんですけれど…二個しかないんです」
「土門さんにそんなストーリーがあったなんて、今日はお話し出来てよかったです」
「そんな関わりがあった方がもらってくれたら土門さんもきっと喜びます」
「もう一個あるし、そっちは私たちがずっと大事にしますから」
「たぶん今もその辺にいて、ワハハと大声で笑っていると思いますよ!」「絶対だよね」

不思議な時間だった。どうもありがとう。大切にします。
金本さんの件の傷心で立ち寄った。土門さんに導かれた気がした。



カナモトの消息。

カナモト

小樽寿司屋通りの理容カナモトのことも、いつかはきちんと書き留めておきたいと思っていた。

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最初に髪を切りに行ったのは、かれこれ15年くらい前のことだ。
北海道に移り住んで最初の勤め先を退職。かなりつらい就職活動を経て半年。ようやく次の勤め先が決まった日。小さな打ち上げのような気分で、ずっと気になっていた床屋さんを初めて訪ねたのがカナモトだった。古くて小さなその風情も、店主夫妻の飾らなさも一発で気に入ってしまった。

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バンブ-といくさん

かつてのメモが今手元にないので正確ではないが、確か金本さんの父上が理容店を始め、この場所は金本家以前も床屋さんだったとか。最初に伺った時点で、すでにこの建物は7、80年に渡って床屋なんだ、と聞いた覚えがある。

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「イク、イク!」と金本政一さんはいつも奥さん(イクコさん?)を大声で呼んでいた。ご夫婦二人で営んでいるのだけれど、たいていはカットと仕上げをご主人、顔そりマッサージ等をイクさんの連携でこなしていた。

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そのイクさんが病で倒れ入院したのが、この週末僕がポリープ切除で世話になったエキサイ会病院だった。7年前、最初の大腸ポリープで僕が小樽協会病院に入院している間にイクさんはエキサイ会で逝ってしまった。夜の外出許可が下りなかったので通夜は断念したけれど、翌朝の告別式に参列のお許しが出たので着替えている最中に僕は下血してイクさんを見送ることができなかった。

カナモト8

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退院したその足でカナモトにお悔やみに行くと、金本さんは生きる支えを失ってしまったとため息をついた。

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イクさんファンがいかに多かったのか! その後めっきりカナモトはお客が減ってしまった。ムキになってご主人を応援するような気持ちで僕はカナモトに通い続けた。年々金本さんは元気じゃなくなるような気がしたけれど、それでも昨年の春過ぎまで僕はお邪魔していた。



昨夏に体調を壊して以来、カナモトから足が遠のいていた。
1月14日にエキサイ会に検査に来たとき、久々にのぞいたらカナモトは更地になっていて愕然とした。懇意にしていた小樽の木地挽きもの職人の土門収さんの訃報を聞いて、ご自宅を訪ねた帰りだった。

金本さんの消息が気にかかりながら、僕はエキサイ会に入院手術ということになった。またしても大腸(直腸)ポリープ。今回も退院した足で、僕はかつてこの通りに三軒あって、いまは最後の一軒となった同業の床屋さんを訪ねた。
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昨年初夏、金本さんは脳梗塞を患い、入退院を繰り返した挙げ句にひげ剃りの手元もおぼつかなくなって8月?に廃業したという。その時期が伺った話通りなら、僕が最後に髪を切った直後に、脳梗塞が金本さんを襲ったことになる。

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そのご長男は会社員だけれど、次男は札幌で理容院勤めをしていると金本さんに聞いていた。彼は実家の古びた床屋なんて継ぐつもりはない、とも。

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今では生活保護を受けているらしい。店と店に隣り合ったご自宅の売却ではご長男(僕も面識がある)が大活躍をしたけれど、現在父親とは絶縁状態にあるらしい。この通りを上がって国道も越え、その先の○○の向かいを入った当たりの小さな古いアパートに独りで住んでいるらしい。



そのまま僕はその界隈に出向いた。
それらしきアパートはすぐに見つかった。○○荘。
二階のひさしから長いつららがぶら下がり、あまり人気はない。共同玄関、共同トイレの木造アパート。ガラリの扉の玄関を入ると三和土に郵便受けがあって、唯一名札の入っていないフタのところに、なんと消え入りそうな鉛筆書きで僕の尋ね人の部屋番号と姓名が書いてあった。ノックしてみたが反応はなく不在のようだった。

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ちょうどその部屋の向かいの戸が開いた。不在の部屋の主のことを尋ねると、デイケアに通っているので、夜にならないと戻ってきませんよ、とのこと。僕はそのままおいとました。

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金本さんはまだ60代のはず。もしも商売を辞めるときには必ず連絡をくれると言っていたのに。カナモトの扉を開けると、いつも脱兎のごとく駆け寄って来た愛犬バンブーはどうしたろう。

ややぼけバンブ-

「今、コーヒー入れるからゆっくりしてきな」
髪を切り終わると決まってそう言って、奥の厨房で湯を沸かし、インスタントコーヒーを運んでくれた。夏場は冷えた缶コーヒーのこともあった。正直あんまりおいしくなかったけど、気持ちが嬉しくて、いつも大カップのコーヒーを最後まで飲み干したものだ。

カナモト1

ベタベタした夫婦にはほど遠かったけれど、やっぱりイクさんがいないと調子が狂っちゃったんですよね、金本さん。今度様子を見て、顔を見に行きますから。

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夢の割合。



おととい、網走で昨年より一日早い流氷初日を迎えた。

大学で最初の友だちになったのは北海道、中湧別出身の男だった。

当時遠軽にあった彼の実家を頼って、はじめのうちはそこを拠点にさせてもらい、その後はあてどもなく、在学中数え切れないほど道内を旅した。

1980(昭和55)年3月のある朝。
知床はウトロに接岸した流氷をバックに、東京から来ていた女子二人組の記念撮影のシャッターを切ってあげたのが縁で、その片割れと遠軽の相棒は後に結婚。彼はその後もずっと今に至るまで東京都民であり、横濱人だったはずの僕は19年前から小樽の人となった。

彼と出会わなければ、あるいはあの朝女子のシャッターを切らなければ、おそらく僕は道民になってはいなかったと思う。

大学一年の頃、その彼がよく言っていた。
東京に住むようになってしばらくは友だちも出来ないし、北海道が恋しくて、東京が嫌で、夜ごと見る夢は北海道のものばかりだった。それが東京とその生活に慣れて行くうちに「夢の割合」が次第に逆転し始めた、と。

後に僕はその反対を味わうのだけれど、「割合」の逆転を実感するのは、北海道での冠婚葬祭が増えて行くことと比例していたように思う。

このところまた、悲しいかなとくに葬儀参列が増えている。
もっとも印象に残っているのは、かつて雑誌で取材させていただいた小樽の一風変わった焼肉屋「みのかさや」のご主人廣瀬聴寿さんの通夜だ。

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みのかさやの店主の訃報は通夜当日、出版社からの電話だった。
とるものもとりあえず、斎場に向かう。

葬儀の終わりに、故人のプロフィールを喪主ないしは葬儀委員長が紹介する北海道独特のスタイル。その晩はご長男がその役目だった。その中で、とある文章の引用(かなり膨大!)にどうも聞き覚えがある。それは雑誌に掲載した僕の文章だった。

葬儀終了後、喪主のご長男に先ほどの書き手である旨を挨拶すると、
「父は自分が取材されたあの文章をとても気に入っていました。今日はたとそれを思い出し、書いてくださった方に参列していただきたくて、雑誌社に電話させていただきました」



2008年6月に急逝、北海道に来てからもっとも一緒に仕事をこなしたデザイン&印刷会社の社長が昨年末の僕の夢枕に初めて現れた。56歳の誕生日に間に合わずに逝った彼の胸に、僕は顔を埋めるようにしながら、「なぜ(ご自分が召されてしまったことに)気づかないのですか!?」と激しく泣きじゃくっていた。彼はそんなことおかまいなしに、ゆったりとおおらかに微笑んでいた。



本日のランチとディナー。

前日食事

この7年間に4回の大腸内視鏡検査、そのうち2回、大腸ポリープの切除手術をしたのだけれど、今回発見された腫瘍は場所も初めて直腸であり、どうやら今までほどやわな相手ではなさそうなのだ。直腸がんで父親を送っている身としてはおだやかではない。

予定表

食事規制の厳しい一週間を過ごして来たけれど、明日に手術をひかえ、これも初めての経験だけれど、病院から前日用のレトルトランチとレトルトディナーを強制された。

ランチ

これがランチ。

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こいつがディナー。素敵でしょ。

最後の晩さんと本日の服薬を終え、首を洗って観念したところだ。



九十歳の巨星たち。

運河

土門さんの葬儀に参列出来なかった土門さんの仲良し、94歳の毛利雅美さんに、土門さんとの写真を添えて手紙を書いた。


土門さんの葬儀は、僕がその大きな人生のほんの片鱗にだけ触れさせていただいた、もう二人の九十歳の記憶を導きだした。

小樽運河保存運動の峯山冨美さんにお目にかかったのは、2008年の10月だった。

還暦を過ぎてからこの運動の先頭に立ち、町づくりの市民運動の先駆けとして30年以上経過した当時もあちこちから講演の声がかかる。たしかそれらの功績を讃えて建築学会の賞を受けたばかりの頃だったと記憶している。

小樽市内のすし屋で峯山さんは開口一番「なんでまた小樽に?」と、横濱から小樽に移り住んだ僕に訪ねた。
峯山さんは当時94歳。あまりにも整然と明晰で、しかも今もなお小樽の町への熱い思いに満ちあふれていて感動した。

同じ年の私の祖母が、90過ぎまで矍鑠(かくしゃく)として家業のお茶屋の店番に立ちながら、急激に衰えてその頃病院をたらい回しにされていた。峯山さんと字まで同じ冨美という名前の私の母は、峯山さんより20も若いのに当時認知症で小樽の施設にいた(2009年4月没)。

峯山冨美さん

すし屋をごちそうになった別れ際、峯山さんは45歳年下の僕に「これからも小樽をよろしくお願いしますね」とおっしゃった。19年前に小樽に棲み始めたばかりの頃、入れ替わりに故郷兵庫県に帰っていった舞踏家の小島一郎さんに言われたのと同じ言葉だった。

翌月、「地域に生きる」という峯山さんの講演にお邪魔した。
すし屋で署名していただいた峯山さん著書がそのままタイトルになっていた。その素晴らしさに涙が出た。

2010年12月28日午後11時45分、消化管出血のため逝去。96歳。前夜式は30日午後6時、葬儀式は31日午前10時から。いずれも小樽市富岡、日本キリスト教会小樽シオン教会で。

関連URL
http://azumashikikuni.blog16.fc2.com/blog-entry-261.html
http://azumashikikuni.blog16.fc2.com/blog-entry-262.html


小春店

北海道で最も知られたおでん屋の店主であろう、小春の小野寺春子さん。後年、写真嫌いで取材を受けないことでも知れれていた小野寺さんに、雑誌の取材をお願いしに伺ったのは2007年の2月だった。

その頃ですでに創業から58年。小野寺さんご自身が開いた店だ。
北大の学生や教授陣、文化人に愛され続け、86歳の当時も小野寺さんは毎日店に立っていた。呑み屋が人生の学校であることをきちんと体現している、今では数少ない場ではないだろうか。

僕の申し出はやはり固辞され、交渉は暗礁に乗り上げていた。大分経ってから小春さんはぽつりと言った。

「あんたはさっきからみてると、
 いい面構えをしてるねえ。
 やっぱり男はあんたみたいにガシっとしてないとね。
 ほんとに必ず人にいい印象を与えると思うよ。
 感じがいい。その目元も口元も、笑顔もいい。
 うんうん、いい男だ」

小春2

急転直下、交渉成立。
半世紀以上に渡っておでんの湯気の向こうに人間を、人間模様を見続けて来た女将から授かった言葉は身に余る光栄だった。小春さんは仕上がった盟友本田カメラマンのポートレイトを欲しいというほど非常に気に入ってくれた。

今年1月7日。
取材の紹介者であり登場人物であった、小春暦40年を越える北海道テレビの関川信明さんから電話をいただいた。
小野寺春子さんの訃報だった。聞けば新年は5日から営業。その日も6日もいつも通りに店に出て笑顔を見せていたという。2011年1月7日逝去。90歳。小春は創業62年。通夜は身内のみで9日。10日告別式。常連客たちは2月19日に「しのぶ会」を計画。

献杯。


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http://azumashikikuni.blog16.fc2.com/blog-entry-191.html








土門さんの通夜。


16日日曜午後6時からの木地挽き物職人土門収さんの葬儀に参列する前に、僕は花園の五香に顔を出した。一昨年に隣接していただるま湯が廃業してしまい、湯上りのサッポロラガーが飲めなくなってしまったけれど…。

五香の小関夫妻は礼服で現れた僕を少し気遣ってくれていた。
僕は簡単に事情を話し、さらに更地になってしまったすし屋通りの理容カナモトの消息を尋ねたけれど、小関夫妻もご存知ないようだった。

土門さんや毛利さん、潮ノ湯にだるま湯、ここ五香や小関夫妻も、そしてカナモトも、よそ者の僕にとって古き良き正しき小樽という気がして長年お付き合いをしていただいて来た。20年近く経って、そうしたものがどんどん失われつつある。

降りしきる雪の中、土門さんの葬儀は盛大だった。九十年の職人人生。参列すると聴いていた盟友毛利雅美さんの姿はなかった。

斎場は車でないとなかなか不便な場所にある。
吹雪の中しばらくのろのろ歩いたけれど、バス停まではまだ遠い。
身体も冷えきって来た。そうか、土門さんの追悼なら潮ノ湯でひとっ風呂浴びて行こう。と、名案がひらめいた瞬間に激しく転倒した。

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痛めた右肘をさすりながら、礼服のまま潮ノ湯へ。
番台には松原夫人。

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ご商売とご主人の体調不良で通夜は行けなかったけれど、明日の告別式には、と松原夫人。

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何度言っても湯銭をとってくださらない。
しかもタオル2本と石鹸を貸してくださった。
ひとしきり故人の話をして湯船につかる。

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潮ノ湯はいつ来ても清潔でお湯も透き通るようで心地いい。

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なんとなく哀しみも癒されるような…。

着替えていると、夫人から打ち身用の塗り薬を渡され、ご子息が車で僕を自宅まで送り届けてくれると言う。恐縮しつつもありがたくご好意に甘える。
20年近い潮ノ湯とのお付き合いで、ご子息とは初対面だ。
小樽の町の話をしながらしばしドライブ。

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帰宅後、これまで土門さんにいただいた作品を引っ張り出して来た。
作品と言っても、むろん彼の本職は家具等を作ることだ。これらは基本的に人様に差し上げるものばかり。けれどこうした掌品に土門さんの優しいお人柄が実に良く現れていると思う。

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一番最近に僕の土門コレクションに加わったのは、潮ノ湯の松原さんから土門さんの亡くなった日に譲り受けた、ペットボトルで作った灯籠である。木製の台座の仕事こそが土門さんの本領なのだろう。

土門さん追悼の夜を自らうすら灯りで照らし出していた。

合掌。


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土門さんからの年賀状。

土門さん年賀状

土門さんからの年賀状は1月10日の消印だった。
土門収さんは小樽市勝納町に住む現役の木地挽き物職人。
昨年のクリスマスに再入院、まだ帰宅出来ずにいるとあるけれど、僕は土門さんが入院していることすら知らなかった。

かつて勝納町の銭湯『潮ノ湯』を舞台に、土門さんと土門さんのご近所の仲良し、時計職人の毛利雅美さんのお二人の取材による雑誌記事を2000年と2009年の二回僕は書いている。

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カメラが趣味で、徒歩二分の潮ノ湯に赴く時だってひょいとスカーフを首に巻くダンディな毛利さんは、初対面の日にいきなり僕に古い柱時計をくださった。作業場になんどもお邪魔して、その度にペン立てや絵馬など自作の土産を持たせ、あるときは立体のカモメが飛んでいる木製の葉書で便りをくださった土門さん。

僕はお二人が本当に大好きで、だから、最初の取材の後も毎週日曜日恒例、午後6時30分のお二人の潮ノ湯行にお供して背中の流しっこにときどき混ぜてもらったし、もう一度どうしてもお二人の軽妙にして洒脱な会話を、その少年みたいなお付き合いを記しておきたくて、8年以上経ってから再び取材のお願いをした。

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徒歩一分で行き来していたお二人だったのに、毛利さんが2005年に『モーリ時計店』を廃業して、市内塩谷のご長男のお宅に隠居されてから、相棒と離ればなれになってめっきり潮ノ湯への足も遠のいた土門さんはどうも元気がないように見えた。あんなに饒舌でひょうきん者の土門さんがである。

モーリ時計店

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僭越ながら僕は、車に毛利さんを乗せて安全に塩谷ー潮ノ湯を往復すると毛利夫人にお約束して、二度目の取材を実現させた。再会したお二人はすぐに以前の名調子を取り戻したし、あんなに嬉しそうな土門さんを見たのは実に久しぶりだった。何十年も毎週潮ノ湯に通っていたお二人は、4年ぶりに背中の流しっこに興じていた。

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2009年の二度目の取材からほどなくして、毛利ご夫妻は突然札幌へ引っ越してしまった。微妙な経緯は定かではないが、仲良しの土門さんすら連絡先を知らないようだったので詮索することもできなかった。先の年賀に毛利さんの住所の件が登場するのはそんな理由からである。

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昨年の3月7日で土門さんは90歳になっているはずだった。
毛利さんは元旦生まれで、四つ年上の94歳。


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1月14日。僕は朝から病院で検査漬けだった。
午後から別の病院に回らなければならなかったのだけれど、土門さんがずっと気にかかっていたので、お昼休みを狙って小樽病院の456号室に直接出向いた。扉に名札と人気がないのが気にかかってナースステーションへとって返す。

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土門さんの見舞に来たことを看護士に告げると、一瞬間が開いてから、僕は何者であるかを尋ねられた。年の離れた友人と答え、土門さんの年賀状を見せた。さらに間があってから、これは本来言ってはならないのだけれど、という調子で、土門さんは昨日手術をされて、本日未明そのままお亡くなりになりました。それ以上のことは言えないので、直接ご自宅なりにお問い合わせください。

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めまいがした。意味がよくわからなかった。
僕の想像の中にそうした選択肢は皆無だったから。照れくさそうな笑顔で僕を出迎える土門さんしか…。いかにも来てくれと言わんばかりの文面だったじゃないですか! とその笑顔に向けて投げかける台詞だって用意してた。

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個人情報云々という大嫌いな名目で、
「土門さんは死んじゃった」ことしか分からなかった。
まだ12時間も経っていない。

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土門さんの作業場には数知れず招き入れられたけれど、同じ建物で別入口のお住まいにお邪魔させてもらったのは初めてだったし、土門さんの奥様もお嬢様も初対面だった。お二人以外にも、ご親戚や近所の方だろうか、茶の間には人が溢れ、電話が次々になっていた。

木地挽き物職人としての通常の受注以外にも、小樽の職人の会の仕事で小学校に出向いて話をしたり、実演をしたりと何かと忙しくしていただけに、世の中とのつながりも普通の九十歳とは違う。さすが現役職人の土門さんだ。



茶の間の奥の部屋の簡易ベッドに土門さんは寝かされていた。

顔を見てやってください。星野さんからの年賀状に毛利さんのこととかも書いてあったので、私が病院の父に届けたのです。お返事書いた方がいいんじゃない?って。本当に書いていたんですね。とお嬢さん。


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土門宅を失礼して、僕は徒歩二分の潮ノ湯へ。
土門さんと毛利さんの取材でとてもお世話になった松原夫妻にご挨拶するためだった。月曜定休の銭湯がほとんどの小樽で、潮ノ湯は金曜定休。ちょうど休みの日だ。どうぞあがってください、と奥様。

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松原さんのご主人も、昨年大病をされたという。駄目だ。僕は何も知らなかった。しばし故人のお話を。毎年恒例の土門作の絵馬は松原さんはじめ、ご近所に配られる。今年は病床で作っていて、ちゃんとウサギのそれが松原家に届いていた(年賀状のウサギの絵も土門さん自筆)。

松原夫

次の病院で次の検査を受けなければならない。時間がなかった。
早々においとまして、町の中心部にあるエキサイ会病院へ。
病院のすぐ近く、すし屋通りを下ったところに、ご夫妻でやっている古い床屋さんがある。小樽市民になって初めて僕が大腸ポリープをこじらせて協会病院に入院していた時に奥様が亡くなって、葬儀に参列出来なかった。その奥様を生前一度だけ見舞いに来たのがエキサイ会だった。僕は退院したその足でBarber カナモトの金本さんにお悔やみを言いに行った。あれから何年経ったかな。

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昨夏から体調を崩していた僕は、行きつけのカナモトからしばらく足が遠のいていた。そのことも気になっていて、受診の前にカナモトを覗きに行った。あれ? 気づくと僕はどうやらカナモトを通り過ぎていた。そんな馬鹿な。引き返してみて僕は愕然とした。

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カナモトは更地になっていた。
いや、正確に言うと、隣のすし屋の駐車場になっていた。
一日に二回もこんな場面に出くわすなんて。膝ががくがくした。
金本さんご無事ですか? でも僕は病院に行かねばならない。

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今日、1月16日は土門さんの通夜だ。
毛利さんも参列すると土門さんのご家族に伺った。
金本さんの消息はまだ分かっていない。


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鏡開き無情。

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九月のブルース。

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七月寄席、八月句会に続き、九月のもっきりバルはアコースティックライブ。全国のライブハウスで活躍、札幌の重鎮ベイカーショップヴギのアキラさんにも認められているというMojoHouseのお二人。

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ギターのデュオ、ギターとバイオリンがヴォーカルと共に心地よく謳って和製ブルースを奏でるひととき。いいねえ。いい感じだ。

狭い店内は想像を超えた熱気に包まれて…。


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九月の名工。

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北海道新聞の『ステイタスデザイン』の取材でカメラマンの本田さんから声がかかり、久々にすし善嶋宮勤さんにお目にかかる。

2000年に自費出版した雑誌「ヌプカ」でわれながら大胆な企画(嶋宮さんに銭湯でヌードを撮らせていただいた)をお願いして以来、あるた出版の「オトン」での再会後も、全国誌「一個人」やら、嶋宮さんが初めてすし屋ではなく、和食屋さんに挑戦した際にお手伝いさせていただいたりと、何かと可愛がっていただいてきた。

それらはいつも本田さんとのコンビの仕事で、この日の嶋宮さんは今まででも最高と言っても過言ではないほど、上機嫌だった。

「いやあ、やっぱり好きな人たちと仕事ができると幸せだねえ!」

2008年には「現代の名工」に選出され、ますます日本を越えて世界にまでその存在感を見せつけていらっしゃる御大ゆえ、さすがにそのあけっぴろげなお言葉には恐縮してしまう。

写真はみずからも絶賛したほど美しく庖丁が入った本マグロをこちらに向けてポーズ。ブログ掲載にも例によって気安く応じていただいたのだが、
「あ、ホシノさん! このわさびそのまま写る? こりゃ今撮影が終わったんでたまたま…」。そんなことを可愛らしく気にされる巨匠なのだった。

その際の巨匠の「発行されたら打ち上げしよう!」のお言葉通り、11月10日に、来年創業から40周年を数えるすし善の最新店(大通ビッセ店)で、本田さんと北海道新聞社のご担当中田さんと共にごちそうになる。なんたる光栄!

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しかもその後、巨匠のひと声で、一同わがもっきりバルにまで足を運んでくださる。スタッフに太巻きの折りのお土産までの気配り様!

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大衆酒場であるもっきりバルのメニューをうまいうまいとたいらげる現代の名工。白衣に庖丁のときの鋭き眼光とは打って変わって、やんちゃでお茶目な愛すべき嶋宮さんに改めてまいってしまう。至福の1枚のシャッターをプロカメラマンの本田さんに僕のカメラで。

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あ、あれ、あのちょっとピント甘くないっすか?




九月の哀愁。

9月句会

九月。句会出席。スカイツリーは毎月見ていると微妙な成長が分からなくなってきて、ありがたみが少なくなる。

チ・ブルグッドさんに会った。
従姉妹に会った。
戻ると大分水害からの復旧が進んでいた。

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何かと荷物整理をせざるを得ないので、書道家だった母の一周忌を大幅に過ぎてもそのままにしてあった筆たちと向き合った。

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八月の句会。

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八月末、わがもっきりバル風の色で吉田類さん主宰の北舟俳句会の第二会例会(第一回は7月の栗山小林酒造への吟行)が開かれた。

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第一回から参加しているハジメ・ピエール・ヤハギは、始めたばかりの自分の句に参加者の評が早速入って、「オレは天才だ!」とご満悦である。


八月の墓参。

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自宅が水害に見舞われている頃、僕はそんなことは知らずに仕事の合間を縫って両親の墓参りに出かけた。京浜急行の三浦海岸駅からバスで15分程の霊園に両親は眠っている。都心から遠いのが難点だが、海軍兵学校出の父と、やはり海の好きだった母にはなかなかの眺望である。

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母は一昨年の4月、父はかれこれ20年以上になる。
今年の春には母の三回忌と父の二十三回忌を前倒しで併せて両親の法要を行い、親族にご案内するのは最後にしようと考えている。

このあたりには北海道とはまた違う、正しい田舎の空気感がある。
都心から遠いと書いたけれど、品川から快速特急で70分ほど。れっきとした神奈川県である。海水浴の町のひなびた感じが好きだ。

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ぼーぼーにのびた墓石まわりの雑草とりでへとへと、喉カラカラの僕は、駅前の居酒屋でランチ。なんとホッピーがあったので一杯だけもらって、三浦三崎名物のマグロのどんぶりを流し込む。

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この日は慌ただしかった。
出張最終日だったけれど、飛行機に飛び乗る前に横濱で音合わせをしている馬頭琴の世界的奏者チ・ブルグッドさんのバンド「ヒーメイル」のスタジオに顔を出す。御大はモンゴルへの演奏旅行中で不在だったが、昨年冬からバンドのメンバーとは何度か面識がある。

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現在彼らはコンサート全体がひとつの物語性を持つ新しいライブを模索中で、ブルグッドさんからの依頼で僕がストーリーを書いた組曲『水の惑星』の曲造りに励んでいるのだ。この日は少し前に送られて来たデモテープがさらに進化しているというので、立ち会いに来た。

2011年。この曲がどう立ち上がって、僕と彼らの新しい展開になるのか楽しみにしているのだ。

八月の水害。

昨夏以降、いい年をして人間不信とそのあたりから来る著しい体調不良とで、まったくブログを更新出来なくなっていた。その後の大分以前にも、その間に抜け落ちていた諸々を少しずつ書きとめていくと宣言していたのだけれど、それもままならなかった。

心身の膠着状態もここにきて底をついたようなので、改めて簡略に記していこうと思う。

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昨年八月はなかなか激しかった。
毎月恒例の上旬の東京出張から戻ると、不在中の豪雨で屋根から大浸水があり、その直下の私の二階の仕事部屋と一階のリビング、和室が壊滅的打撃を受けた。電気器具の設置箇所を含む天井に開いた穴という穴からジャージャーと雨水が流れ落ち、和室の畳は水没。

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水が引いてからは畳からカビが発生して臭気も半端ではない。
幸い火災保険で直せるとのことになり、その三部屋のすべての天井と床をはがして断熱材から入れ替え、天井と壁紙、床のフローリングをを張り替え、電気器具、障子、襖もすべて新しくした。

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リフォームをプロデュースしてくれた小樽の老舗相澤疂店の相澤社長にはずいぶんわがままを言った。疂はかねてから憧れていた琉球疂に、和室の中央には、小樽に移り住んで来たばかりの頃、骨董品屋で買い求めたけれど長年我が家でのおさまりが悪かった欅の炉縁を埋め込んでもらった。壁には珪藻土を塗り付け、母の逝去と共に母の部屋から引き上げて来た仏壇を納める棚も…。

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とにもかくにも、大工さん、左官屋さん、経師屋さん、電気屋さん、そして畳屋さんが出入りする日々が一ヶ月以上続いた。

かくして「器」は以前よりもかえって立派になったけれど。



雪の塩梅。

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目覚めると穴蔵みたいに暗いので、相当な荒れ模様かと思いきや、本当に穴蔵になっていた。数日来の猛吹雪で屋根から雪が垂れ下がっている。穴蔵から除き見る空は快晴である。

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穴蔵を抜け出して外から塩梅を眺める。

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多いところでは1メートルに迫る雪と風のオヴジェだ。

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屋根一杯の雪は何トンにもなり、障子や襖の開け閉てを狂わせる。
やれやれと舌打ちしながら、少しだけワクワクしている自分には、19年経ってもまだ何パーセントか横浜人、本州人が残っているのかもしれない。歳月を重ねても、北海道の強烈な暖房にはいまだに馴染めないでいるのも同様だ。

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バルコニーの穴蔵の隙間から見上げる、小さく切り取られた空が、ちょいとシミル感じで色づいて来た。



なくて、七草。

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遅ればせの謹賀新年。
昨年は公私とも、心身とも、生涯最大というくらいに激動だったし、さまざまなことのそれぞれがうまく行きそうで行かないことの連続で、人とのすれ違いも改めて重くのしかかった。

年が改まって昨日はようやく病院の検査にも行ったし、新春早々早くも疲れを感じるちょうどいい頃合いに七草なんてのが訪れて心憎い。やっぱり昔の人は偉いもんだねえ。

病院の帰りに仕込んできた七草セットで、今朝はそっと2011年のどんでんがえしを祈ったのでした。

でも、世の中で日本古来の…と思い込んでいる風習習俗の中に、中国や韓国がその源流であることがいかに多いことか!


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