FC2ブログ

2011-03

回忌法要2



3月27日日曜午前8時30分。
タケさんのマンションを出て横濱駅に向かう。旅行鞄には両親の位牌を詰めているし、供物の果物も一対の仏花もあり大荷物だ。しかもカメラバッグ。

三崎口

途中、震災報道の初期に目にした横濱駅の近くの地割れを横目で見ながら進む。お金をおろし忘れていたことに気づき、コンビニを探して徘徊、汗だくで京浜急行快速三崎口行きに飛び乗る。荷物を棚に上げていると後ろから声をかけられた。亡父の弟夫妻だった。父の実家、僕の本籍地でもある渋谷区広尾のお茶屋を切り盛りしている三男夫婦なのだ。道連れが出来て話は弾み、三浦海岸で下車予定が終点の三崎口まで乗り過ごしてしまった。


手続きを済ませて墓前まで。お参りの前に雑草取り。
午前11時から40分。父の二十三回忌と母の三回忌法要は無事終了。墓に参る。
この日は素晴らしい快晴で霊園から臨む太平洋が素晴らしい。けれどこの海は…。

三浦霊園

予約した店のマイクロバスに乗って会食の席へ移動。
法事には昨晩線香をあげたえみさんのご主人、カズオさんも参列してくれた。えみさんの四十九日もまだなのに、カズオさんはえみさんを同伴していた。お二人以外は全員親族なのに、昨年の母の一周忌もおととしの納骨もカズオさんとえみさんは来てくれた。ほとんどの参列者が三年続けて顔を合わせているので、えみさんの訃報は衝撃だった。

冒頭の挨拶で僕は簡単に顛末を語り、カズオさんと親族の許しを得て、えみさんに献杯を捧げた。酒好きのえみさんの写真の前には彼女のグラスが置かれた。

会食のえみ

目前の窓枠いっぱいに蒼い蒼い海が広がっている。

三浦の海

あの日この浜にも0.9メートルの津波が到着したという。遠浅の砂浜の沖の沖まで潮が引いて、誰も一度も見たことのない水底が姿を現し、住民は慌てて非難した。海沿いの道路は封鎖されたけれど、幸い大きな被害はなかった。こんなにおだやかな青い海も、被災地の海とひと続きだ。でもこの日の海の蒼は、えみさんや父や母の哀しみを少しだけ癒しているようだったし、願わくば、彼の地の尊いひとりひとりを少しでも鎮魂してくれたならと。合掌。


スポンサーサイト



回忌法要1

 
3月26日土曜午後。
横濱で高校一年生からの友人タケさんと待ち合わせた。
突然の申し出にも関わらず、1泊させてもらえることになった。

昨年から決まっていた両親の法要だけれど、自分が北海道から人の流れに逆行するのはともかくとして、震災後の諸々の中にいる親族たちを呼び集めてよいものか。さんざん電話で各位と相談した挙げ句、予定通りとり行うことになった。事務所や店も月末年度末の何かと慌ただしく大切な局面を失礼して抜け出して来た。

泊まるところも定めずに飛行機に乗ったものの、供物や供花を自分で調達しなければならない。どんなに面倒くさくても、異様に高価な霊園お任せにするつもりは毛頭ない。第一、自分や故人の好みでしつらえられない。去年も一昨年も自分で選んだ。

そのかわり、目的地が翌朝の三浦海岸なので、都内ではなく横濱の友人に頼った形になった。

供物

彼の住まいは横濱駅西口から徒歩十分。それでいて駅と反対方向には下町風の素敵な商店街がある。彼の案内で訪れた松原商店街で果物屋と花屋を探す。どちらも期待以上の高品質、安心価格だった。

供花

独身貴族タケさんのマンションに大荷物と供物、供花を預けて、僕は横濱駅にとって返し、京浜急行で能見台へ。2月17日に急逝、今回の法要に出てもらうはずだったえみさんのお宅に線香をあげに行くためだ。ご主人のカズオさんも、昨年の一周忌、一昨年の納骨の際に参列してくれた。晩年の母はこのお二人にひとかたならぬ世話になっていた。お二人の住まいは僕が15歳から30年間実家だった場所の近所なのだ。

般若心経

仕事帰りのカズオさんと16号線のマクドナルドで待ち合わせ。隣の西友ストアと共に照明が落とされている。駅前のローソンも同様だった。慌ただしい半日を過ごして、ようやく震災の影響を実感する場面だった。いや、そういえば、羽田以降のいくつかの駅では構内のエスカレータが停止していた。

初めてお邪魔するお二人の部屋。母が泊めてもらって三本川で寝たこともあるという場所に新しい仏壇があり、3月9日で54歳になるはずだったえみさんが笑っていた。

『その日仕事から戻ると、えみはここに倒れていたんです』
カズオさんは、玄関から続く台所と仏壇の部屋の境のあたりを指差す。驚いたのは仏壇の横の壁に書道家だった母の作品が架けられていたこと。その般若心経は長いこと実家の母の仕事部屋にあった。かなり若い頃の作品と記憶している。2004年11月に、母が突然一軒家を売り払って横須賀のマンションへ引っ越した時にも大活躍してくれたえみさんにプレゼントしたのだろう。

レバニラ

かつての実家の近くを通り抜け、金沢文庫駅まで徒歩20分。
野毛の萬里でタケさんと落ち合う。日本で初めて焼き餃子を出した店。僕が幼稚園の頃から愛し続け、いまだ日本一と信じて疑わぬレバ炒めは、現在は僕の中学時代の野球部の一年後輩が作っている。カワブチは今や萬里のチーフコックなのだけど、彼の作るレバ炒めは、半世紀近く前の僕の記憶の味と寸分違わないのだ。



祈りの海。




震災からちょうど一週間。
幸いわが小樽は被害に縁がなかったけれど、関係者が東北方面にいて安否が解らない方が僕のまわりにもいるし、北海道としては函館と釧路に津波はやって来て死者も出てしまった。僕の親族友人はほとんど首都圏で生活している。それぞれ距離感こそ違えど、日本中どこに住んでいても無関係ではない。

遠くから大切な人の安否や生活の平安を気遣う、距離のもどかしさ。
つい先ほど、午後2時46分。「その時間」に黙祷が捧げられた。
亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、被災されたすべての方にお見舞い申し上げます。


おととし四月に母が亡くなって、四十九日に父の墓に納骨した。
昨年が一周忌、今年が三回忌と続くのでどうしようか迷っていた。

というのも、一人息子の僕が北海道小樽に住み、両親の墓は神奈川県の三浦海岸にあるからだ。生前、横須賀で入院していた母を小樽に連れて来るのも容易ではなかったが、小樽で荼毘に付したので、遺骨と位牌を持って飛行機に乗るのはけっこう一大事だった。

それと、親族は首都圏及び近郊に住んでいるとはいえ、三浦半島の先端に近い霊園は、年配の参列者には楽な距離ではない。

昨年末、親戚と話し合いの結果、平成24年の父の二十三回忌を一年早めて母の三回忌と併せて行い、以降はこうしたご案内は控えることで、やっぱり今年法要をとり行うことになった。日取りは3月27日。

このときはもちろん先週の災害を知る由もなかった。
親族からはとっくに出欠の返事をもらっている。
震災被害の悲惨さを毎日目の当たりにし、原発の問題も加わった。
首都圏を脱出する人が増え、個人疎開という言葉が生まれた。

その流れに逆行する僕自身はともかく、計画停電や規制中の交通事情の中、さらには放射能云々が囁かれる折り、親族を呼び立てていいものか。しかも向かうのは太平洋の海辺の霊園なのだ。

そういえば、母が発病した2007年夏、ちょうど前後して出張した街は仙台だった。あのとき取材させていただいた方々はいま…


さて、どうしたものか。



NEW ENTRY «  | BLOG TOP |  » OLD ENTRY

カレンダー

02 | 2011/03 | 04
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

プロフィール

azumashikikuni

天気予報


-天気予報コム- -FC2-

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

FC2カウンター

FC2ブログランキング

FC2 Blog Ranking

全記事(数)表示

全タイトルを表示