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2011-04

はじまり?

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4月29日。GWのスタートに足並みを合わせたかのように、わが庭の染井吉野の蕾がひっそりと弾け、花芽をのぞかせていた。

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でも一方では山のみならず残雪も多く、あちらこちらでこんな情景が見受けられるのだ。





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肇ピエール矢萩のこと。

ピエール

そもそも肇ピエール矢萩が風の色の店にやって来てくれたのも、小西 由稀さんのブログ「北海道のおいしい時間」で店の情報を見てくれたからだった。吉田類さんの句会に引き込んだりもした。店が休業してからは、お互い顔を見ることが少なくなり、Facebookでの交流が中心になってしまっていた。何かとwebでの縁がある。

でも、現実世界で知ってる人間とネット上だけで交流しているのは、やっぱりどこか不健康である。しかも『実際に知り合い』が建前のfacebookで、100人も200人も『友達』がいるなんて人はザラなのだ。始めるとなんとなく中毒っぽく日に何度も覗き込んで、挨拶したりコメントしたりしてしまう。ピエールもかなりいれ込んでいるように見受ける。やっぱりfacebookで『友達』を増やさなくちゃいけないのかな。いや、僕自身にとっては、現実世界の人間関係をきちんと立て直す方が先決のような気がする。

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昨日、久しぶりにピエールの店、札幌三越にある『マルシェ・ド・ピエール』を訪ねた。ドライフルーツ屋さんだ。こいつがめっぽう美味い。パッケージのコンセプトは、OLがオフィスでコンピュータの横に置いても様になる…だそう。なるほどおしゃれなパッケージだ。

現実世界のピエールに久々に会って少々安心した僕は,何となく彼と飲みたくなった。ピエールも同じように思ってくれたらしい。1時間以上も店頭で四方山話に花を咲かせた後に彼は言った。
「このまま飲みに行きたいところなんだけど、明日から三日間イベントでその仕込みをまだ何もしていないんだ…」

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あえなくふられた僕は,ピエールのドライフルーツのアプリコットとトマト、わさび味のフライドコーン、隣のチーズショップでも数種類を少しずつ楽しめる「ちょこっとセット」を購入。まっすぐ帰宅して、赤ワインとしゃれてみたのだが、ちょいとペースが早すぎて…

チーズ

店ではホワイト、飲めばときにブラック!
一筋縄ではいかない変幻自在の男ピエール。

札幌三越地下一階です!




進展。

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昨日と違うよね。

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山わさびを養う。

山ワサビ

調理用に使ったものをうっかり放置していたら…芽が出てふくらんで、毎日水を取り替えて育てている。

小樽銭湯の今頃2

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何より辛いのは、久々に訪れた湯屋が廃業しているとき。花園に近いJR踏み切り脇のこちらは、看板は下ろしたものの、まだ建物が残っているからいい。固定資産税やらの関係で、いきなり更地になっていたりすることも少なくない。以前取材させていただいた鹿の湯の建築が消滅した時には、大げさでなく文化的喪失と思った。小樽駅に近いデンキ湯さんも好きだったなあ。名前がまず素敵。小樽市民になった最初から素敵だと思っていた小樽駅近く、国道5号線沿いの稲穂湯は、文字通り焼失してしまった。二度と入ることはできない。

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手宮の亀の湯さんも気に入っていた。看板はもうないけれど、男女別の入口のサインが残っている。内風呂の普及による利用者の銭湯離れ。経営者の高齢化。跡取りの不在。建物の老朽化。燃料の高騰。どこでも同じ話しばかり聞こえて来る。現在小樽に残る銭湯は17軒と聞いた。この一ヶ月だけでも、僕の知っている限りではオタモイの満寿美湯、長橋の都湯が廃業している。

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すし屋通りにある滝の湯温泉は、階段で下ると地下にも浴槽がある2フロアの珍しい作りだったけど、だいぶ前に地下は封鎖したと耳にした。風呂上がりにすし屋で一杯なんて、く~ッ!

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JR小樽駅から最も近いのは柳川湯。商店街のど真ん中にある。

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手宮の日の出湯は、建物外観にしびれる小樽に残された数少ない風呂屋だ。

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手宮辺りにはラベンダーの湯と、一番の中心部、現在のつぼ八の隣にも一軒あった。銭湯が多い界隈には床屋も多い気がする。

ということで、本日は同じく手宮の富士の湯温泉さんにお世話になることに。入った瞬間から番台のおばちゃんが、僕の自前の木桶と木の椅子を見てしきりに「珍しい珍しい」と喜んでくれた。気を良くして思わず長風呂になった。

銭湯は大切な日本の文化やマナー、エチケットの宝庫だ。昔は顔も知らないおっかない親爺に叱られながら、みんなここでそれらを学んだ。みんなが銭湯に行かなくなったから、日本には情けない犯罪が増えたのだと僕は思っている。みんな、銭湯へ行こう! 今行かないと間に合わなくなる。


小樽銭湯の今頃1

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ふと思い立って、23日土曜、市内の銭湯をぐるぐるめぐった。
まずはご近所新光町の新光湯。随分ご無沙汰だ。

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おなじみ、松原さんの潮ノ湯。木地挽きもの職人 土門さんや時計職人 毛利さんとの思ひ出が一杯。さて、今日はどこでひと風呂いただこう。

小町湯

僕が移り住んで来た20年前には、50件近いお風呂屋さんがあった。
温泉を名乗る銭湯が小樽には多い。こちらでは青いポリタンクに入った冷泉で熱いお湯をうめるのが作法。

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小町湯と並んで創業の古い中央湯も温泉だ。僕が越して来た当初は、番台に100歳近い大奥様が座っていた。

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中央湯のある奥沢には同じ通り沿いにもう二軒の銭湯があった。奥沢の山側の裏道を抜けて入船に出ると京の湯がある。

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グリーンロードにある大正湯にはなんとプールがある。奇数日と偶数日で男女が入れ替わる。


三回忌。

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4月23日は母の命日。亡くなって二年になる。
認知症を患って、横須賀から小樽のグループホームに入所後、わずか1年5ヶ月で急逝してしまった。病は深刻だったけれど、当面は命の心配などしていなかったので不意を突かれた。

2007年お盆、横須賀で一人暮らしをしていた母の病が発覚。
上京して病院嫌いの母を無理矢理病院に連れて行ったけれど、一ヶ月後にあれよの間に入院。病状は重たく、11月末に小樽の施設に入ってもらうまでの三ヶ月間で、僕は小樽と横須賀を7往復した。

病状発覚後、母が暮らしていたマンションの人たちとのにわか交流で、さかのぼること三年前に母が引っ越して来た早々から「怪しい言動」があったことを聴かされた。本当に、まったく、ひとり息子の僕は、母の生活も現実も知らなかった。

母の生活に近かった方々が怪しいと思ってから、僕が介入し、医師が診察して病名が分かるまでに少なくとも三年経過しているのだ。僕は母の日常を知る努力をしていなかった。これはきつい。自分を責めざるを得ない。たったの…と思っていたけれど、あくまで僕が気づいてから母が亡くなるまでが1年半強だったのであって、この空白の三年が悔やまれてならない。

母3

倉本聰さんの名作『りんりんと』は、当時でいう老人性痴呆症の母親を息子が老人施設に入れるための東京から北海道までの道のりを、姥捨ての旅に見立てた深刻なドラマだった。それは子が親を捨てるのではなく、実は子が親に捨てられる旅なのだという深刻なテーマだった。

倉本さんを卒業論文に書いた僕は、横須賀の精神科から小樽の施設への6時間の行程の間中、しきりにその作品のことを思い出してた。

http://kazenoiro.asablo.jp/blog/2007/11/



お好きでしょ?

ハイボール

ネットの向こうの友達?が某社のCM映像をアップして、そこにコメントがたくさん集まっていた。たまたま諸々の在庫があったので、思わず協賛してしまった。

キリキリと胃が痛むくらいさみしい夜に。



今朝の海 0419

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今日はずいぶん増毛連峰がよく見える。
ホントに同じ海でも毎日様子が違うのです。

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おまけで第三テラスからの眺め。
第三というと、第一や第二もあるのか、と聞かれますが…、



今朝の蕾。

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一歩一歩。




夕暮れの小樽港。

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海と空の色の境目がなくなった夕暮れ。

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赤い灯台と白い灯台のある風景。

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海がおだやかだと、時間もゆるゆると流れる。

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これから参戦なのですね。



満開。

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ようやくだ。我が家のクロッカス。

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東京の櫻を追いかけるように。
櫻に関してはあちらと約一ヶ月の時差があるので…。




わたしのヒーロー。

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昼間歩くことの少ない小樽花園。飲み屋の中心街だ。
札幌狸小路のわが『もっきりバル 風の色』は4月1日から休業中なのだけど、すすきのもどこもかしこも飲食も観光もみんな元気がない。

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自分の町はどうだろう。
飲屋街が昼間ひっそりしているのは当然だけど、逆に古い住宅があることに気づくのも新鮮で、当たり前ながらこのあたりにも生活があるんだなあ。

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花園銀座通りにある大衆中華の店『五香(ウーシャン)』は蕎麦屋『薮半』と並んで小樽で僕が頻繁に足を運ぶ数少ない店のひとつ。

店主の小関さんが30の時に始めて、この5月から43年目に突入するという。

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二年前に二度目の雑誌取材をさせていただいたとき、年末年始は今も元旦しか休まないのですか、という質問に申し訳なさそうな顔をして「もう年なので来年からは2日も休ませてもらおうと考えている」とおっしゃった。定休日の月曜と九州出身の奥様が帰省された際を除いては、40数年でたった一日しか店を休んだことがないという。

奥様の帰省と言ったって、僕が最初に取材をさせていただいたのが17年ほど前で、それ以後に結婚以来初めて奥様の帰省で店を一週間休むと聞いた記憶がある。奥様は結婚と同時に小樽へ来て五香も始まったというのだから、最初の帰省が42-17…いきなり25年ぶりだったことになる!

それがいかに凄いことか。たった一年と数ヶ月でも飲食店経営を経験した僕には(しかもその店は休業中だ)想像を絶する。ひたすら続けることの力。同じ土俵で物を言うのすら恥ずかしい。

震災の影響を聴くと、
「うちには観光客は来ないし、地元の人だけを相手にしているからいつも通りだよ。増えも減りもしない(笑)。二人だけでやってるし」

小樽観光の中心、堺町通りに人影がないと囁かれ、観光寿司屋の勇にして大立て者の政寿司が運河近くの店を閉めたと聞く昨今、地道に続けることの偉大さを改めて知る感じだ。

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本日の昼食は小関さんのやきそば。こちらの餃子はもっちりした皮で大きくて、遠方から食べに来るファンも多い。チャーハンも大好きだ。地元客から愛され続け、商大生御用達でもある。僕はカウンターで小関さんと差し向かい、餃子をつまみに中国酒をいただくのが好きだ。そういう客を小関さんも大事にしてくれる。


「小樽では中華屋でそういう飲み方をしてくれる人が少ないんだ」
とかつて言ってもらったことがある。

二年前の雑誌取材の際、夫婦二人ではこれ以上のお客はこなせないから、もう何年も取材はお断りしてるんだ。でも、ほかならぬホシノさんからのお話だから…とありがたい言葉をいただいた。

その時常連さんからは、
「こんな大切な店を安易に取材して欲しくない。その時だけしか来ない客にこの店を荒らされたくない。実際、もしもこの店がなくなったらと思うと本当に悲しくなる」という趣旨のことを言われた。

この店がなくなったら途方に暮れる人が山ほどいるはずだ。
でも、僕もまったく同じだ。というより、想像するだけで涙が出そうになる。

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愛しているからこそ教えたくない気持ちと、この素晴らしさを多くの人に知ってもらいたい気持ちと。これはもう、職業的な性でもある。

小関さん、いちファンの勝手なわがままですが、一日でも長く。
お正月なんて、じゃんじゃん休んでください。だから、
よろしくお願いしますね。



蝦夷の蕎麦と東北の酒。


小樽市民としての二十年のうち十八回ほどの大晦日を過ごした蕎麦屋へ顔を出した。品書に東北の酒をラインナップすると聞いたからだ。

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店主に尋ねるとまだ思案中とかで、品書に加わるのは来週以降らしい。とりあえず神田まつやでもそうするように、鳥わさとわさび芋を所望した。

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自宅作業を抜け出して来たし、昼間でもあるし、東北の酒もまだだし、わが北海道根室の蔵、北の勝でちょいと口を湿らせてすぐに退散しようと思いながら本わさびを擦り下ろしたりしていた。

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先日、浅草並木の薮が更地になっていた衝撃で再読している『江戸そば一筋』をぱらぱらめくりながら、北の勝をちびちび。二年に一度、江戸の老舗蕎麦屋を全従業員でめぐるこちらの若女将にもそんな話をしていたら、店主の差し金らしく、
「これが社長と板長のイチオシなんです。福島の蔵太鼓。喜多の華酒造場さんの純米ですね」
と、僕を帰れなくした。

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と、野暮な長っ尻の気配を人のせいにしながら、店主のこうした粋な計らいがもう嬉しくて仕方ないのである。大好きな白づくりの塩辛も追加しちゃった。

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ちゃんとお代をとってくれないと頼めないからと断って、もうひとつ福島の大七酒造の生酛(きもと)を、これは板長のお薦めでぬる燗にて。うわあ、柔らかくてなんて優しいんだ。

さけ

蔵太鼓の芳醇と甲乙つけがたく…。いずれにせよ、まだ品書には載ってない酒なのです。すんません。あ、そろそろ夕刻だし、せいろお願いします。






酒蔵の今頃。

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ちょうど一年前、四月の第二週は道内夕張郡栗山町の小林酒造の酒蔵まつり、第三週には吉田類さん主宰の句会の吟行で新潟の菊水酒造へと、二週続けて酒蔵にいた。

あれからもう一年。

今年は東京の花見事情と相まって、あえて自粛にとらわれずに、東北の酒で花を愛でている場面が数多く見受けられた。

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4月9日、10日の土日には小林酒造の酒蔵まつりが自粛ムードをはねのけるように開催されたようだ。今冬の大雪で、栗山の酒蔵は大変な目に遭った。修復作業中にこの度の地震が起きて、被害が広がったと同社の小林専務から伺っていた。僕が応援すべきは東北の酒蔵ばかりではなかった。だからどうしてもお邪魔したかったのだけれど、諸事情で断念した。

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お邪魔する度に、敷地内にある豪壮なる本家に通していただいて、過分なもてなしをいただいていたのに…。伺えなくてすみませんでした。


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今週の16日土曜日には新潟県新発田の菊水酒造で今年も吉田類さんの吟行がある。これも残念ながら今年は参加出来ない。浅草むぎとろの天空の定例句会に毎月お邪魔していたこと自体がかなり大変なことではあったのだけれど。

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昨年は東京から1、2週間遅れの酒蔵の櫻を楽しみにしていたのだけれど、冷え込みがきつくて蕾はきゅっとしたままだった。今年はどうなのだろう。被災地でもそろそろ咲き始めているというから、新潟の桜もきっと頑張っていることだろう。

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被害を受けて懸命に立ち上がろうとしている東北の酒蔵の皆様にも、ささやかな祈りを。







今朝の海。

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毎朝まず、仕事部屋のバルコニーから海を眺めます。

日々違う表情を見せてくれますが、この一ヶ月の思いは複雑です。









一ヶ月。




言葉はあまりにも。おやすみなさい。











すなぎも二題。

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震災以来、自分に出来ることは何だ的な迷宮に入り込みやすくなっているのだけれど、答えは見つからないままに、とりあえず料理してみたくなった。砂肝という響きに何気なしに愛しさを感じ、ワインでも日本酒でもいけそうなオードブル感覚。一品目はスモーク。

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二品目は和風に、素揚げした食材の油をよく切って、ワカメとかシソとかを添えてポン酢と合わせる。もみじオロシとか檸檬スライスを添えるイメージ。どちらもお肉を見せるために盛りつけがヘンなのと、冷蔵庫に眠っていたシソがしなしななのは記録写真ということでご愛嬌。巨匠の庖丁で指を切ったりと、何をしてるんだかの週末。



二色目も。

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よく見ると、ラベンダーの根元あたりから、枯れ葉を突き破って二色目のクロッカスが…。

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もうひと息だ。

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咲いた、クロッカス。


東京は櫻満開。
心が波だって落ち着かない。悶々。
僕がいないのに咲き誇っているのが口惜しい。
(開花日にはそこにいたのに…)

でも、ようやくウチの庭先にも春が来た。

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どちらの写真が好きですか?

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福寿草も咲いたよ。

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入学式。



今日は全国的に入学式が多かった。もちろん、被災地もふくめて。
それぞれの想いをのせたそれぞれの入学式が日本中で繰り広げられたのだろう。
そんな日に見つけたこの文章を、入園式、入学式のお子さんを持つ、すべてのお父さんお母さんへ。

http://ow.ly/4u1mm

並木の薮が!?

更地

3月28日月曜昼。歩き疲れて雷門。小腹が空いたし喉も乾いた。
こんな時は雷門を背にしていつもの店に向かう。あれ。何かへん。
通り過ぎた? まさか。つい最近、同じ体験をした。小樽の行きつけの床屋を久しぶりに訪ねたときのことだ。でも今回は…

もう一度雷門を向いて数歩戻りながら、思わず息をのんだ。
お江戸薮そば御三家のひとつ、浅草並木薮そばが更地になっていた。
そんな馬鹿な。最近足を運んだばかりなのに…。

建築計画

僕は無意識のうちに大声を出していたらしい。
工事の人に混ざって、ひとりジャケットを着ていた目元の涼しい短髪の紳士に話しかけられた。

「すいません。そうなんです。建て直します。11月の1日に再開の予定で、ちょっと長いことご迷惑おかけしますが」

「あ、でも、その…」
としどろもどろの僕の言わんとしていることを察したらしく、
「構えも、内装も、だからあの椅子席や小上がりの形も、帳場も厨房も、すべて完全に復元しますから」

そう。神田まつやも同様だけれど、ビルとビルに挟まれて奇跡みたいに存在していた古い日本家屋をピカピカにしてしまうのかと、僕は一瞬目の前が真っ暗になったからだ。瞬間的に東銀座の歌舞伎座のことが浮かんだ。

並木外観

「建築計画」とやらに目をやると、3月1日着工、10月30日完成予定とある。建築主は堀田房子さんとなっており、亡くなられた二代目の奥様の名前だ。なぜ分かるかというと、並木薮にしびれ続けて来た身としては、1992年に亡くなられた二代目主人・堀田平七郎さんの著書「並木薮蕎麦遺文『江戸そば一筋』」を所有しているからだ。

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並木薮の初代は父上の堀田勝三(敬称略)で、創業は1913(大正2)年だから間もなく百年。勝三はかんだやぶそばの主人堀田七兵衛の三男にあたる。ちなみに、御三家の一翼「池之端薮蕎麦」は、勝三の次男鶴雄が暖簾分けで1954(昭和29)年に創業。大元の「かんだやぶそば」に至っては、1880(明治13)年の創業。ものの本をたどれば、遅くとも1750年頃には「すでに長らく営業していた蕎麦屋」として薮蕎麦の名前が見受けられるという(ウィキペディア参照)。

これぞ老舗の世界(北海道の若いライターが「創業20年のしにせ」という表現をしていたのをかつて読んで腰を抜かしたことがある)。

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目の前で僕に言葉遣いも凛々しく語りかけてくれている短髪の紳士は、「江戸そば一筋」掲載の写真で見覚えがあった。僕は意中のアイドルにバッタリ出逢った少女のように半ば喜びで取り乱し、同時に急激に緊張して来た。しかも彼は僕に向かってこう言ったのである。

「お客さんはよくいらしてくれてますよね。ありがとうございます」
「ええ? 僕の顔を覚えてくださってるんですか!? ホントすか?」
「もちろんです。僕ら厨房からお客さんの顔をそっと見てます(笑)」
「ぼ、僕は、並木藪さんが好きで好きで、想い出もたくさんあり、あ、あのそちらは、いや、シャ、写真とってもいいスカ?」
もう支離滅裂である。

並木休業

けっこう頻繁に通っていたのに、なぜ改装の休業について気づかなかったのだろう。吾妻橋薮の移転休業、開業のときも後手に回ってしまったよなあ。と、北海道に帰って来てから、最後に並木薮で撮った写真を引っ張り出してみた。画面後方、帳場の上あたりのを拡大してみて、あ!っとなった。

休業4

『三月一日より十月末日まで 改装に付 休業仕う候』


櫻さがし。

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ツリーの真下からは、あのオヴジェがちらり。

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こいつも町の意外な路地から眺められたりする。
吸い寄せられて再び隅田川を目指す。

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ため息をつくほど華麗に花を咲かせる隅田川沿いも、どこまで行ってもまったく気配すらない感じだった。

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さらに歩くと…え?! どうしてあそこだけ!

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数本おきに二、三本だけが…ここからもあいつのお尻?

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このアングルをものにしている人は、まだそうはいないだろう。
後からニュースで、この日(3/28)東京が開花宣言したと聞いた。


どこでもスカイツリー。


このあたりはどこにいても「振り返ればそこに」

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空から見ればこんな塩梅なのだろうけど、羽がはえていないので足を棒にして歩く。

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いつの間にか世界一の背高ノッポになっていたらしい。

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ふもとの商店では関連グッズもにぎやか

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押上駅近く

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逆さツリーも風情です

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この日634メートル。これが一番近寄れる「真下」

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春の散歩。

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3月28日月曜日朝。次の用事までの時間、北海道ではまだ遠い春を感じて浅草界隈をそぞろ歩く。

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そこここに春が

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どこからともなく沈丁花のかほりが漂ってくる

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北海道でも春を告げてくれるレンギョウ

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隅田川沿いに1本だけたくさん咲いている木があるらしい

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お供物に添えていた、母の好きだった枇杷(びわ)をバッグにしのばせていた。小休止に河畔でがぶり。



彼らとの夜。

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3月27日夕刻、浅草に。
昨晩世話になったタケさん含め、計三名の都心の友人が集ってくれた。仲間内に直接ひどい被害に遭った人間はいなかったけれど、いつも招集が突然なのと、実家が大変なことになってしまった者等々いて四人だけの集まりだった。

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発作的に故郷横濱を離れて小樽市民になって20年。留守中の有事に、東京や横濱はこいつらが守ってくれているような気がして何かと気がかりだったし、顔を見るまでは今ひとつ安心出来なかった。

藤井先生と、

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テラと、

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タケさん。

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三人とも母と面識があって、昨年の一周忌の前日には横濱弘明寺の櫻を共に愛でたし、おととし納骨の前日には僕の投宿していた三崎口の旅館の広間で母の遺骨を前に酌み交わしてくれた連中だ。この晩も、昔金沢文庫の実家にみんなが泊まった時の母の饗応について話題になったりした。

それぞれそこそこに気分が良くなり始めた頃、仕事で遅れて来た傘職人の藤井先生の赤ら顔が急に青白くなり、みるみる蝋人形のようになった。額から汗が噴き出し、頬杖をついた左手が小刻みに痙攣を始める。一瞬のうちに意識が遠のいたようになり、虚空を見上げたかと思うと小さくいびきが聞こえた。

テラが店の人に救急車を頼み、しばらくして四人の隊員が店にやって来て店は騒然となった。その数分の間に三人それぞれが最悪の事態を覚悟した。動顛を差引いてもそのくらい緊迫した場面だったと思う。

幸い大事には至らなかったけれど、藤井先生は昔から血圧が高かったし、血圧の薬を飲む自分にも他人事ではなかった。僕は昼間の両親の法事の出で立ちで、首に黒いネクタイを巻き付けたままだったのにすべてが終わってから気づいた。なんだかそれが不測の事態を招いたようで即刻外したけれど。

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この二日間の時間はいつもよりはっきりと生命のまわりをぐるぐる回っていたようで、こいつらの笑顔がひとつでも失われたら自分は…と、柄にもなくしんみりとした気持ちになった。

ひとりきりになった頃、東京に小雨が降り出した。



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