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2011-08

心の被爆。

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21年前の8月15日朝、東京のアパートの玄関で靴をはいた所に電話が鳴った。盆休みをタイで過ごすために成田に向かう折りも折り。
今すぐ帰れと横濱の母。たった今旅立つんだからと不機嫌に僕。
珍しく母が強い語気で言った。「お父さん危篤だから」

横濱市金沢区の病院に駆けつけると、ほとんどの親戚が集まっていた。蝉時雨がうるさくて、それはそれは暑い日だった。

父は激しく肩で息をしていたが、もう意識はなかった。
直腸がんの手術をした父は 三ヶ月の宣告を受けたけれど、それから人工肛門の世話になりながら三年三ヶ月が経過していた。その夏、病状はそれなりに安定しており、歳月が緊張感を緩めさせ、危うく僕は人非人になるところだった。

もうだいぶ前から口からの飲食は許されず、胸に刺した管からの栄養だけで父は生きていた。それでもうだるような暑さの中、「乾き」を癒すための一日に数個のダイヤ アイスだけが、口に含むことの出来るすべてだった。

数日前に見舞った時、父は孫娘のような看護婦に懇願した。
「お願いだから、もうちょっと氷を、一個でもいいから…」
あの誇り高き男の媚びるような口調を生まれて初めて聞いた。
人間が口からものを取り込んで、お尻から排泄出来ることはなんと幸せなことだったのか。初めて知った。

海軍兵学校出の父は終戦記念日に意識不明のまま小康状態となり、一両日中は大丈夫であろうということで親戚は解散した。一番父を顧みなかった僕は、看病疲れの母を家に帰し、はじめて父の病室の隣のベッドに泊まることにした。

その未明に父は息を引き取り、僕ひとりだけが看取った。


今春、一年早い父の二十三回忌と認知症で亡くなった母の三回忌の法要を霊園のある神奈川県三浦海岸で営んだ。まだ原子力発電所の問題がこれほどまでになるとは誰もが思っていなかった。それでも地震や津波のショック、余震の恐怖から母のすぐ上の姉は法事を欠席したし、その後の放射能の行方や計画停電は、法要の実施そのものを思い悩ませるほどに重大事だった。

原子爆弾を二度も経験した日本で、終戦と盆が重なっていることの意味をこれまであまり考えたことがなかった。けれども終戦の日に父の危篤が重なり、翌日が命日になってその意味は否応なく深まった。

盆を故郷で過ごすことの意味。離ればなれの血族たちが、散財や渋滞を覚悟で一年に一度だけ同じ時間を過ごす意味。二十年前に北海道に移り住むまで、「故郷」とか「帰省」の意味すら分からなかった。北海道で初めて勤めた会社の初めての暮れ、上司に『ホシノくんは田舎に帰らないの?』と聞かれてようやく少しだけ実感が湧いたっけ…。


ヒロシマ、ナガサキにフクシマが加わったことで、 その惨状を「二度目の敗戦」と呼ぶ人がいる。身内の新盆に故郷 に帰りたくとも、その大切な土地に足を踏み入れることを許されない人たちがいる。 直接的な放射能汚染の恐怖はもちろん、さらに人災で故郷を喪失した人たち、直接被災していなくとも日本が、世界が受けた精神的な傷を、作家の五木寛之氏が “心の被爆” と呼んでいるのを聴いた。


北海道に移り住んだことで、残して来た土地、生まれ育った横濱は改めて「故郷」として僕の中に明確に存在するようになった。でも、一人っ子だった僕が両親を失ってみると実家=故郷という概念も焼失してしまい、ふたたび帰る場所をなくしてしまった感も強い。

ただ毎年のように見慣れていた横濱開港記念の祭り、何万発も打ち上げられる鎌倉や隅田川の花火の絢爛を恋しく思う気持ちが年々深まる一方で、小樽潮まつりは言うにおよばず、わずか1500発の地元朝里の花火をいじらしくやるせなく愛でるようになった自分がいる。


横濱も小樽も、日本中世界中の人々のそれぞれの故郷も、大切な人たちとの記憶と共に末永くあり続けて欲しいと願うのが、盆。





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落日の ホテル ノイシュロス 小樽。

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夕餉の食卓に着いた瞬間、
思いもよらぬ落日の絢爛が記憶を呼び起こす。

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古今亭八朝夫人、乃理子さん。
小樽の木地挽きもの職人、土門収さん。
小樽運河保存運動の峯山冨美さん。
おでん小春の小野寺晴子さん。

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それから、母を大切にしてくれた さとうえみさん。
この一年にお別れした交流のあった大好きな人たち。

あ、憧憬だけだったけれど、原田芳雄さん。
今春、母の三回忌。来夏、父の二十三回忌。

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絶景のホテル ノイシュロス 小樽。
僕はおだやかな気持ちで新盆の彼らを迎えた。




晩夏のノイシュロス。

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8月の2週目も暑い日が続いていたけれど、8月12日金曜日から突然秋になった。

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仕事の環境が変わったりいろいろ慌ただしかったので、夏の後ろ姿を見送りに祝津へ。

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公私ともに客人があるとここへ連れて来る。問答無用の絶景。
今回は久しぶりに自分のためにやって来た。

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来年で根っこのない町に移り住んで二十年にもなろうというのに、
もつれたりからまったり…生きて行くのは大変だ。

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なにか予感のする暮れ色。
来週またひとつ歳をとる。



マックとカヤック。

データ移行

八年使ったPowerBook がご臨終になり、データ も救えなかった。
新OS10.7 ライオンへの移行も何かと問題ありそうなので、ニューマシンでありながら10.6スノーレパードの在庫がある MacBook Pro と iMac27inch が急浮上。

仕事環境が劇的に変わる八月五日から八日に向けた週末は、旧Macからの大データ移行に費やされた。自動で何でも出来るのかと思いきや、ちょっとしたことでつきっきりにならざるを得ない場面が多く、他のことに手が付かない。

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こんな時に限って天気がいい。もう出かけたくて出かけたくてワナワナと身体が震えて来る。来春までは自由にならないことが多くなりそうだからと自分に言い聞かせて、八月七日日曜も暮れどきになっていつもの波止場へ。

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若い男女の楽しそうな声を乗せて漂うクルーザなど見向きもせず、前回の進水式の時に決めていた、紅白の灯台までパドルに力を込める 。

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思ったよりも距離がある。

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そうそう、この2つの灯台さ。

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こんなの近づかないことには見ることは一生なかった。

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あんな船でも横波を浴びるのはおっかない。

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陸地を眺めればこんな様子。

僕

外海に出た途端、波が別ものになる。

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翼をください。

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彼らはパッケージツアー、僕はバックパッカー。

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観覧車のある町(苦笑)。

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どんどん暮れて来る。

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帰還。これは僕の仕業ではありません。

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だって、漁師さんの隣から出入りするのだから。
海は漁師さんの畑です。

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帰ったらまたMacとの格闘が始まるので…




がらす市と風鈴。

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7月31日日曜。小樽潮まつり最終日。
旧手宮線の軌道内で同時開催の小樽がらす市に足を運ぶ。第三回というのに、覗いてみるのは初めてだ。

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雪あかりの路の浮き球もさることながら、浅草ほおずき市以来、風鈴の音色に心惹かれ続けていた。

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線路のあちこちから聞こえて来る。

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ほの灯りと風鈴の音色。激しく琴線に触れた逸品を手に入れたら気もそぞろになって、もう少し粘ればと思いつつ花火をやめてここに。

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花火鑑賞をあきらめるきっかけとなった風鈴がこれ。
季節外れの雪の結晶がしみじみさせるので。

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時代遅れの浜辺。

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ウチから一番近い海水浴場もスキー場も、車でほぼ五分の所にある。
少し足を伸ばせば、湘南となぞらえられ?流行りの若者が押し寄せるドリームビーチなるスポットもあるらしい。でも来年で道民生活20周年を向かえようというのにいまだに行ったことがない。

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札幌を東京のような都会、という見方をしてしまうと物足りない。それと同様、訪ねるまでもなくドリームビーチは湘南足り得ないと確信する元湘南ボーイの僕がいる。それよりも海に関しては、こちらに来てから師事した師匠たちの薫陶によって、その素晴らしさは砂浜ではなく、素潜りして獲物と対峙出来る岩場にこそあると洗脳されたゆえ、砂浜は海の選択肢からはなから外れてしまうのだ。

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必然、ため息をつきたくなるような積丹ブルーの透明度の高い岩ゴツゴツの海の得点が高くなる。ただ、海水浴もスキーも気張って行くものだった湘南ボーイとしては、自然体のスキー、普段着の海水浴という価値観も同時に生まれたのである。

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ようやく話は戻って、普段着の筆頭が冒頭の通り、車で五分の東小樽海水浴場である。ここはもう、普段着を超えてアナクロ的と言っても過言じゃない。アジアの片隅、って感じなのだ。砂浜でもなく岩場でもないのが中道とも言える。

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面積の少ない布地の水着を身につけた年頃の女子は皆無。
それどころかどこでも見たことのない、こんな方が活躍している。
クラブやスナックの接客が苦手な僕としては、この浜はホステスさんのいない気軽な居酒屋だ。

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数分ごとに列車の通過音と勇姿を拝めるに至っては、ガード下の焼鳥屋を彷彿させる。

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海の家の場末感は(失礼!でも愛してるのだ!)ただ事ではない。

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今回はどこを贔屓にしようか、毎度迷ってしまう。

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ときどき無性に訪れたくなる、時代遅れの浜辺なのだ。

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小樽を歩く3

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7月30日夜。昼間に足を運んだフォーラムの懇親会がここ、旧岡川薬局で開催された。春に知り合った映像アーティストの福島慶介さんが、取り壊し寸前だったこの建物を私費で買い取り、カフェや宿泊施設として再利用しているのだ。

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カフェ部分は吹き抜けになっていて、ホワイトカフェの名前通り、白を基調としたすっきりしたデザインだ。

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でも心憎いのは、厨房とオープンカウンターは調剤室の外観のしつらえをそのままに、この建物が薬局だった記憶をきちんと留めていること。

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実はこの建物、間口から想像するイメージを遥かに裏切って、奥行きがとても深い。カフェから奥へ踏み込むと、まずソファのあるリビング風のスペースが登場、

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その向かいには疂の小上がりもある。

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廊下の奥にさらに一室。

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石蔵を改造したピアノのあるサンルームだ。

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二階に宿泊用の三部屋があり、こちらは限りなく前オーナーから手つかずのまま再利用しているという。こうしたさまざまなスペースを、福島オーナーのみならず、さまざまな人間がそれぞれの業態、目的に応じて、また時間や曜日によってシェアして運営しようというのが福島さんの目下の試みである。

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各部屋にプロジェクターとスクリーンがある。フォーラム出演者が手がけた、一般の投稿によって作り上げるまったく新しいウェブサイト『LOHABUU OTARU』が投影されていた。
http://otaru.thefareast.asia/

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夜になると福島オーナーの作品はじめ、ゆかりのアーティストたちの映像が建物正面のスクリーンに投影される。FMトランスミッターで音声も飛ばしているので、車内から作品を楽しむことができる。

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フォーラム当事者も関係各位も僕のような部外者も、立場や方法論こそ違え、それぞれがわが町との関わりを熱く語り合った。大好きな町と深く関われるか否かは、どれだけその町を歩き尽くし、足跡をたくさん残せるかにかかっていると思って来た。そしてどれだけその町の人たちと関わり、身の内にその町を取り込むことができるか。

だからその晩僕はさらに小樽を歩き続けていた。
そうした夜がふけて行く。



小樽を歩く2

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7月30日土曜。『小樽まちかどの魅力発見・発信セミナー』に触発されて北運河から歩き始める。駅前通りから運河、第三埠頭にかけての激しい人のうねり。折しもわが町は第45回を数える小樽潮まつり二日目のただ中にいた。初日がふれこみ、二日目がねりこみ。

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しばしそのうねりを眺めるが、流れを突っ切って運河沿いに東(札幌方向)へ向かう。次第に祭りの喧噪からも観光のにぎわいからも離れて行く。

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夏祭りの最盛期なのに、純白の雪に映えるナナカマドがすでに色づき始めているのには驚いた。
秋来ぬと 目にはさやかに見えねども…ってやつかい。

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いつかはここからさらに旅立ちたい。そう思っていたのに、かつてサハリンや利尻島、礼文島への船が就航していた場所はひっそりとしている。

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港は治外法権で何でも許されそうな気分がある。

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散歩好きの僕でも、このあたりは本当に徒歩でめぐることはない。
そうと知ってか、水先案内のように付かず離れずのカモメが一羽。

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いつも何気なく車で通り過ぎる橋の下に、水鳥の生活はおろか、川が流れているという当たり前のことすらイメージしていなかった。

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おだやかな町から実は加速度を増して姿を消し続けている銭湯。
この次この道を通る時にこの風呂屋が存在しているか心配になる人だったら、それを少しでも食い止めたいと思う気持ちがあるのなら、湯銭4百なにがしを握りしめて通うしかない。

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整然とした道よりも、鄙びた情景に惹かれるのは、心のどこかにつげ義春が住んでいるのかもしれない。

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そんな思いで歩いていて、たまさかこんな出会い頭に遭遇すると、もうけもうけ、と一人で波立ってしまうのだ。

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小樽時間旅行二時間弱、そろそろフォーラムの懇親会場、旧岡川薬局の建物が見えて来た。





小樽を歩く1

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7月30日土曜日。
先週の函館に引き続き、姉妹イベントのように手法も出演者も重なっていた町歩きイベントに参加して来た。

『ソーシャルネットワークと小樽まちかどの魅力発見・発信セミナー』は最近産声を上げたばかりのNPO法人・小樽ソーシャルネットワークの最初の一歩である。2つの大好きな町を改めて今どきの方法論で見直してみたい気持ちはもちろん、小樽の映像アーティスト福島慶介さんや、本業の映像制作で関わりのある方も出演していたのが、参加の大きな動機だった。

会場は今まで訪れるチャンスのなかったライブスポット『小樽ゴールドストーン』。

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残念ながら午前11時からのスマートフォンを利用した体験町歩きの概要説明と実際の散策には仕事で間に合わなかった。かなり口惜しい。
午後1時30分からの散策報告会と参加パネラーたちのプレゼンテーションに駆け込んだのは午後2時に近かった。

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初めて足を踏み入れたゴールドストーンの内部。
ちょうど本業で存じ上げている映像制作会社リアクターの代表藤森信光さんが、出来立てほやほやのWebSight『LOHABUU OTARU』を2面のスクリーンを使いながらプレゼンテーションしている最中だった。小樽という町について、誰もが自由にテキストや写真を投稿することによって作り上げて行くという、とても興味深いサイトだ。

別海町版に始まり、稚内、函館、札幌版がすでにスタートしている。
http://otaru.thefareast.asia/

当日のフォーラムの模様は今年100周年の小樽商科大学がustreamで生中継したが、以下のページで現在も観ることができる。
http://www.ustream.tv/recorded/16324834
http://www.ustream.tv/recorded/16326419


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その後も続いたいくつかのプレゼンテーションに触発されて、午後4時過ぎのフォーラム終了から僕なりの小樽町歩き。

会場のゴールドストーンは北運河に位置する。すぐそばにこの北海製罐株式会社の建物がある。小樽に移り住んで来たばかりの頃、運河保存運動の名残りである小樽サマーフェスティバルという大規模イベントがまだ実施されていて、この建物の前に浮かんだ艀(はしけ)をステージに僕もギター弾き語りで出演したことを懐かしく思い出した。


やるせない音色。

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浅草ほおずき市もそうだったけれど、小樽潮まつりでも常に会場のどこからか風鈴の音が聞こえて来て、妙に惹かれた。

旧手宮線の軌道内で同時開催されていた小樽がらす市で、ひと目惚れして連れ帰った風鈴は雪の結晶。やさしくてやるせない音色がする。


元町のギャラリー村岡。

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7月24日日曜、明け方に眠り、午前10時にホテルをチェックアウト。朝飯代わりにと足が向いたのは昨日の朝同様、茶夢だった。
昨日一日の行状を考えるに、ここでまた茶夢の映像をアップするのもためらわれるので、前の晩に知り合った姉妹に茶夢を宣伝した手前、その人等が来るかもしれないのに自分がいない訳には行かなかった。
そう言っておきます。

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昼過ぎの小雨模様の中、市電で終点函館どっぐまで。
午后の散策のはじまりは電停数分の大正湯あたりから。

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鎌倉に限らず、小雨にあじさいはよく映える。

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一階と二階で和と洋が混在する建物がこの辺では生活レベルでたくさん見受けられる。

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元町銀座とも言うべき、有名歴史的建造物の間を縫って向かったのは、函館の良心、村岡武司さんのギャラリー村岡だった。

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村岡さんのギャラリーは、函館元町を歩くのにどうしても避けて通れない三つの教会が交錯するあたりにひっそりとたたずんでいる。



村岡

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小樽に移り住むずいぶん以前から、ギャラリー村岡には函館を訪ねるたびにお邪魔させていただくようになり、村岡さんと函館の関わりについてもさまざまなお話を伺って来た。村岡さんの仕事のなかでも、古い木造建築の塗装面をこすり出して、地層のような年輪のような断面から町を掘り下げる、ユニークかつ知的好奇心に溢れた研究を敬愛して来た。

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これまでの20年弱、極力好きなことをイコール生業にしたいと思って来たとはいえ、それでもやっぱり生きて行くことに追われて来た感は当たり前のこととはいえ拭えない。もっとわが住む町に、大好きな憧れの町に、生まれ育った愛しい町に関わって生きたい。それが昨今の小樽や函館、横濱や神戸に対する想いである。

アートを底流に函館の町づくりの一翼を担って来た村岡さん。スタートから8年を数えるバル街のイベントの中枢にいる方でもある。改めてまた村岡さんとゆっくりお話させてもらうことは、今の自分にはとても重要な意味を持つに違いない。

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僕、北海道に住むことにしたんです。
20年近く前、ここで村岡さんに告げた時、村岡さんは同志が増えたと喜んで、作家が漉いた重厚な和紙を仲間になる記念にとくださった。
同じようにこの日、昨今の町への想いを伝えたら、和紙をプレゼントしてくれた時と同じように、村岡さんは前述の研究の貴重な集大成を一冊僕に差し出した。

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毎年の年賀状のやりとりで、村岡さんは、
『悠々として、急げ。これ開高さんの言葉』なんて、その時々の僕の想いにずしりと響く言葉を贈ってくれ続けた人でもある。

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函館では土地がらか古くて貴重な逸品が普通に民家から出て来たりするらしく、ときどき村岡さんの所にも掘り出し物がやって来る。写真の江戸時代の塗り物は、対で万単位の金額で販売していたのだけれど、一緒に出て来た、でも組み合わせるべき相方のいない半端品を申し訳ないような金額でゆずってくれることになった。

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思いもよらぬ貴重な研究資料をプレゼントされ、江戸時代の函館土産を譲っていただいて、なんだか僕はとても満ち足りた心持ちになった。久しぶりに村岡さんを訪ねて本当に良かった。

今度またゆっくりいろいろな話をさせてください。
特にアートと町のお話を。

ギャラリー村岡を辞する時、三回ほどふりかえったのだけれど、村岡さんはずっと玄関に立ち尽くして、見えなくなるまで僕を見送っていてくれていた。

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江戸と繋がった函館からやって来た新しい漆器。
超えて来た時間で食卓を豊かにしてくれるかな。




函館の赤ちょうちん。

赤ちょうちん

最初にこの店に来たのは大学二年、21の夏。
はじめて函館山の夜景を見たある晩、8月でもこんなに冷え込むんだとこごえた身体で飛び込んだ。以来31年が経過。

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その後、学友の藤井先生と生まれて初めてホヤときんきを食し、美味すぎると絶叫しながら生ビールを飲み続けたのはこの函館赤ちょうちんだったし、函館での年越しが恒例となった学生時代の数年間、大晦日の晩には決まって独りこの店のカウンターに腰掛けていた。

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今年で28年目というから、おそらく学生時代の後半になってオーナーが今の澤田夫妻に変わったのだと思う。焼き方の佐々木さんの口上、話術が天才的に面白く、何時間も飽きずに常連面するようになった。

佐々木さんが店を辞めて移った七飯の食堂や料理長として迎えられた駅前のハーバービューホテル(当時)の和食店にも訪ねて行った。現在では五稜郭で自分の店『雅』を構え、大繁盛させている。

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三十くらいの頃だったかとある金曜日、僕はビール会社のディナーショーの仕事で仙台のホテルに来ていた。広告屋時代のお話。東京に帰れないこともなかったがホテルを押さえている訳でもなく、これからどうしようか思案しながら、牛タンと麦とろで一杯やっていた。

そのとき、学生時分の貧乏旅行でいつも乗っていた“上野初の夜行列車♬”、急行八甲田が仙台に停車することをふと思い出した。午前1時半仙台を調べてそれまで飲み続け、半ば発作的に八甲田に飛び乗った。翌朝6時過ぎ、八甲田青森到着。確か連絡船が7時30分出航で、函館到着が午前11時20分だったと記憶している。青函が存在していたので昭和63年3月以前の話ということになる。

その土曜日を朝市はじめ函館で時間をつぶし、夕方久しぶりに赤ちょうちんに顔を出した。社長が「おやケイちゃん久しぶり、今回は仕事かい?」と威勢のいい声で迎えてくれる。僕は「うん、仕事で近くまで来たもんだから」と返す。「どこで仕事さ?」「仙台」「ぜんぜん近くないっしょや!」一堂爆笑。

思えばこのたったひと言を言いたいがためだけに夜汽車に乗った。それがどれだけ受けるだろうかとそれだけを楽しみに連絡船に乗った。

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(何も注文してないのにこんなに出て来た。社長の心遣い)

馬鹿みたいに忙しい毎日を送っていた当時、東京勤めの横濱市民なのに東京にアパートを借りなくては身体が持たなかった。携帯なんてない時代、深夜に帰宅するとアパートの留守番電話に、二代目の焼き方岩ちゃんからメッセージが入っていたりした。
「ケイちゃん、ご無沙汰だね。今度いつ来るの。待ってるよ」
身も心も疲れ果てた深夜帰宅。函館からの真夜中のメッセージに涙がこぼれた。函館赤ちょうちんとはそんな付き合いをして来た。

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(三代目焼き方、小野ちゃん)

日曜日、佐々木さんが赤ちょうちんを離れた最初の七飯の店に初めて顔を見に行った。佐々木さんは東京からの訪問者にたいそう喜んでくれてビールで乾杯した。気がつけば飛行機の時間に遅れそうだった。その日は事務所で午后6時から大きなイベントの大会議があった。遅れる訳には行かない。佐々木さんがタクシーを呼んでくれて飛び乗る。僕は焦って運ちゃんに言った。
「函館空港! ○○時の飛行機に遅れる訳にはいかないんです!」
運ちゃんは真顔でうなずき、無線で本部にこう呼びかけた。
「○○時に乗るホシノさんて人を乗せてる。空港に連絡入れて、飛行機待たせといてくれ!」

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(奥尻産のホヤとウニの和え物)

考えてみると、人生52年。横濱にも東京にも、まして札幌小樽にも、世界中のどこにも、31年通い続けている店なんてほかにない。


平成23年7月23日。日が変わるまで店にいたら社長が、1時に店を閉めたら寿司食べさせてやるから待ってろ、と。昔正月やその他にも、何度か社長夫妻に閉店後の函館をお供させてもらったっけ。

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小樽に移り住んでから、ロケ等で函館を訪れると可能な限りお客さんを赤ちょうちんへ連れて行った。社長はここぞとばかりに僕の顔を立てて凄いサービスをしてくれる。後からそれを感謝すると、
「当たり前っしょう。ケイちゃんがお客さん連れてウチに来てくれたんだ。ケイちゃんがお客の前で思いっ切りいい顔できるようにするの、当たり前っしょう! あんたと俺の付き合いでねえの」

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澤田社長の会心の笑顔を見ると、いつも僕は涙が出そうになる。
この一年とちょっと、ほんの少しだけ飲食業をかじってみて、気まぐれに現れる客に対して、何十年にも渡っていつも普通にそこにあり続けることがいかに凄いことなのか理解出来るようになった。

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(社長はいつも豪気に御馳走してくれる)

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(この日だってつまみから始まり半端なことはしない)

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(僕も小野ちゃんももたもたしてると怒られる)

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(朝から飲み続けているけど、嬉しい酒は不思議に酔っぱらわない)

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30年以上経っても、社長がいて奥さんがいて、今は小野ちゃんがいる。そのことに甘えて僕はまた安心して函館に足を運ぶ。

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飲まない奥さんの運転でホテルへ。
初めて部屋に入ったのは午前2時半をまわっていた。





函館を歩く。

23旅路

今回の函館訪問の目的は、函館の若い町づくりの面々が企画した『道内若手まちづくりプレイヤーによる ソーシャルメディア利活用フォーラム』というのに参加するため。知り合いが二名出演していたからだ。そのあとのスマートフォンの拡張ARを活用した町歩き、というのにも興味があった。

すでに朝酒で足元がふらついていたけれど、会場の金森ホールに向かう途中に懐かしい民宿があって、既に僕の町歩きは始まっていた。

旅路に泊まったのは二十歳過ぎのこと。まだ旅の仕方、出逢いのあり方も若かったなあ。これまでも何度か前を通ったし、ずっと以前には女主人に挨拶したこともあった。でも今回入り口のガラリの扉の周りに雑草が生えていて、もうこの家は使われていないことを示していた。

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新生NPO小樽ソーシャルネットワークの理事、福島慶介さんは建築家であり、映像アーティスト。東京横濱と小樽を行き来しながら、アーティストとしての活動を展開して来た。彼は現在、取り壊し寸前だった地元小樽の歴史的建造物を私費で買い取り、カフェや宿泊施設に再利用している。そればかりではなく、別の人間が曜日や時間によって同じ場所を違う形で運営、それぞれがオーナーになれるユニークな試みに取り組んでいる。

福島さんのこの『旧岡川薬局』はじめ、参加パネリスト6名のわが町との関わりのプレゼンテーションとディスカッションが第一部。

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そして、スマートフォンの拡張機能を利用して、現実の風景とインプットされた過去の風景を重ね合わせながらナビゲータの解説を聞聴きつつ町を歩く趣向が第二部だった。

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僕はこれまでどれだけ函館の町を歩いただろう。
何度ひとりぼっちで新年を迎えただろう。
眠らぬまま新しい年の朝を迎えて、そのまま箱館山に昇ってご来光を拝み、函館ドッグ、外人墓地からいくつもの教会、神社、立待岬、谷地頭の温泉とつぶさに歩き、始発の市電の運転手さんが発したあけましておめでとう…たくさんの情景や言葉も顔も刷り込まれている。

この頃、僕は横浜市民で学生だった。北海道にはもともとなんの根っこもない。でも19年前から函館市民ではなく、発作的にもうひとつ大好きな港のある小樽市民になってしまった。だから今でも函館の町は僕の胸を疼かせる。

おそらく、住んだことのない町でこれほどたくさんの足跡を残した場所はどこにもないと思う。

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人は大好きな町をもっと身の内に取り込みたくて歩き回るのだと思う。それにまさる方法はないと思って来た。今どきの新しい方法論は、僕の三十年の函館にどんな新しい情景を見せてくれるのかな。

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朝市の編笠屋順夫さん。


23朝市

函館の朝市を歩いていて、地べたに座っているおじさんから突然スペイン語で話しかけられびっくりした。二十代の頃だ。ふざけてるのかと思っているとNHKのスペイン語講座のテキストとびっしり書き込まれたノートを取り出して、彼が本当にきちんと勉強しているのが分かってもう一度びっくり。学んでいたのはスペイン語だけじゃなかったのでは…。浜言葉丸出しでイカとっくりを商う、ねじり鉢巻のタコみたいな太ったおっちゃんには何度もびっ くりさせられた。

編笠屋順夫81ブログ

以降函館を訪れるたび、まずは朝市でこの人、編笠屋順夫(あみがさや・よりお)さんにご挨拶。何度目からか、自分の陣地に僕を招き入れて、一緒に何時間も店番させてもらうようになった。スペイン語に度肝を抜かれる観光客を逆の立場で鑑賞するのは愉快だった(写真は昭和56/1981年)。

編笠屋順夫87

あるとき突然やせていたので驚いたら、最近は自転車のロードレー サーになって身体を鍛えているのさという。カラフルなウェアやヘッドギアに身を包んで走行する写真も見せてもらった。それからしばらくして訪れたら、網笠屋さんがいつもの場所にいないので周りのおばちゃんに尋ねたら、急死しちゃったんだよ、と(写真は昭和62/1987年)。

今度ウチへおいでと言われて聴いていた住所を訪ねると、人気はなくひっそりとしていた。あんまり哀しくて、お弔いの花を立待岬から海に投げた。

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昼過ぎの閑散とした、なんとなくもの哀しい朝市の情景は時刻ばかりが理由ではないだろう。久しぶりに編笠屋さんのことを想い出した。




函館と茶夢。

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23日土曜、四時起きして小樽築港午前6時06分のJRに乗る。
札幌午前7時発のスーパー北斗2号は午前10時11分に函館着。
だから10時半には函館朝市にある茶夢に座っていた。

神戸で生まれて横濱で育った僕としては、初めて自分で三番目の港を小樽に定めて移り住んだのだけど、それは発作的だったにせよ、最後まで函館じゃなくていいのか…という思いがあった。

今小樽に住んで19年、それでもよく言えばまだ旅の途中のような新鮮さが、悪く言えばヨソ者感が残っている。だから一年ぶりの函館は緊張するほどに僕をワクワクさせた。

仕事以外で函館を訪れた場合、必ず立ち寄る何カ所のうち、恐らく一番新しい茶夢ですら、すでに20数年以上が経過している。

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店名や店の構えだけでは正直およそ立ち寄りそうもない自分がいる。
かつて最初にこの店を選んだ動機はなんだったのか忘れた。

座って数分後に僕のテーブルは写真の如き状況だったのだけど、この中で自分で注文したのは飲み物だけである。それも喉が渇いてビールを所望したものの、心躍る小皿を目にした瞬間から、こりゃ日本酒だとすぐさまビールはチェイサーと化した。

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イカゴロやアワビの肝の塩辛も泣けるけど、函館と言えばのイカ刺しやイカそーめんの概念をかえてくれたのは茶夢だ。切り方によってこうも甘み旨味が違うものか、名物に美味いものは何とやらの定番をこの店が覆した。

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ぶっきらぼうに、つまらなそうに、厨房に開いた小窓のような額縁の中から顔を出して、ほれ、イカの切り方見せてやるからと客を促す。
最初は怪訝そうに立ち上がった旅の人が、その名人芸に引き込まれて喚声など挙げようものなら、わが意を得たりとばかりに口の端っこでにやりと笑って、そうなればもう店主伊川さんのペースなのだ。

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伊川さんがただ者ではないのは、小皿のつまみをちょいと口にしてみればすぐに分かるし、すり減った包丁たちからも伺える。さして時間を要さずに茶夢を選んだ幸運に気づくに違いない。すでに何度も並びの別の店で流行のどんぶりを食してしまった人は、なぜ最初からこの店にしなかったんだと嘆くだろう。

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この朝の逸品はこれ。イカゴロにネギだの味噌だのを和えて炒めてある。ニンニクが効いていて、イタリアンの店でもそのままいけちゃうだろう。バゲットに塗って食べたらワインが欲しくなるはず。

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しゃれみたいにまかないのカレーがひとくち出て来た時には、僕の脳みそは完全にトロけて制御不能に陥っていた。午后から大切な用事があるのにコップ酒が…と最後の理性と闘っていた絶妙なタイミングで三平汁が出て来た。

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まさに後ろ髪ひかれながら、再訪へ万感の想いをつのらせるように外へ出ると、太陽はようやくてっぺんの当たりなのだ。






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