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2011-09

馬さんの九月。

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去年の冬から夏にかけては、ほぼ毎月のように馬さんを訪ねていたのだけれど、いろいろあってずいぶんとご無沙汰してしまった。

久しぶりの「馬さんの店」では、いつものお姉さんが中華街ではあまり見かけないような優しい笑顔で迎えてくれた。
「おじいちゃん、外にいましたか?」

朝粥をとおもっていたのに、思いのほかホテルを出るのが遅くなって昼時に重なってしまった。いつもなら表で馬さんが外交している時間なのだが、姿が見えなかったので入口脇の独りがけの席に座り、青島ビールと砂肝の冷皿を注文。

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飲まないつもりが、紹興酒に突入すべきか迷っているところに馬さんが入って来た。僕が先に気づいて、すぐ直後に馬さんも。
「どゔぁえぎゅあ!」みたいな意味不明の大声を馬さんが上げたので店員さんも満員のお客さんも一斉に入口で固まっている馬さんに目をやった。僕の背中の厨房からは従業員さんの笑い声が聞こえる。
「ホシノセンセイ!」
馬さんのいつもを超えたオーバーアクションに僕は早々に嬉しくなる。ならばと冷たいネギそばでさっと締めて表の馬さんに表敬だ。

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「ハチジュウハッサイ、アメリカウマレ!」
相変わらず馬さんの名調子だ。道行く人に大きな声で話しかける。
僕が食べ終わって出て来ると、馬さんは急に真面目な顔になって例によって革の鞄の中から自分宛にきた便りを見せる。

たしか以前にも見せてもらった、札幌の女性からのファンレターみたいなものの続編を僕に示す。流暢に日本語を話す人ばかりの中華街に何十年もいるのに、馬さんはほとんど日本語を話せない。片言をつなぎ合わせると…。以前店に来たこの人はよく手紙や写真を送ってくれたのに、最近自分が2通返信したのに音信不通だ。娘さんが身体が弱いと言っていただけに心配だ。

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そうしてバッグの中からさらに紙とボールペンを取り出すと、何やらしたため始めた。馬さんはまず僕への敬意を書き表し、次にその方の携帯電話番号と札幌の住所をすらすらと書き写した。

自分は日本語があまり話せない。でもとても心配なので、僕から連絡して様子を確かめ、自分が心配し、平安を祈っていることを伝えて欲しいと言うのだ。なんとかたのむよ、と。

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僕は何回も馬さんの「片言」に泣かされて来た。
たいてい、笑顔がふと真顔になった瞬間に、言語も国籍も超えた馬さん語とも言うべきひとことが発せられるのである。

最初に僕が馬さんにやられたのは、初めて口をきいた時、帰り際の道端の見送りの際だった。いつも変わらない満面の笑みがふっと真顔になった時に一回、また笑顔に戻ってもう一回、同じ言葉を言った。

「イノリ  イツモ シアワセ」

馬さんの言葉はみんな覚えている。
その次に訪ねた時にはこう言った。

「ワタシ 朝モイノル 昼モイノル 夜モイノル
 イツモイノル ダカラシアワセ アナタトワタシ トモダチ」

近況を聞かれ、とてもよくないという話をしたときだった。
そんなことを口に出していはいけない。シアワセが逃げる。
そういった意味だったのだろうか。


ふと心配になって、さっき馬さんにこう聞いた。
「馬さんは? 健康? 悪いところない?」
馬さんは、最近毎朝1時間半体操をしていると言った。
「毎日健康、今日モ健康、元気。デモ年寄リ明日ワカラナイ」

馬さんらしからぬ表現だな、と思って不安が増した。
しつこく聞こうとすると、 突然シャツを脱ぎ始めた。
快晴の日曜日、観光客でごった返す中華街の午後一時にだ。

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胸板をたたき、どうだ! と言わんばかりにこう言った。
「ハチジュウハッサイ、アメリカウマレ!」

僕は今回も1本取られた気分になって、札幌の人には連絡してみましょう。10月の頭にまた来る予定だから報告しますと言って別れた。

馬手紙





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雨上がりのママ。

雨上がり1

台風の雨上がりに記憶が空を飛んで金井のママを思い出した。

水商売の女性をママと呼ぶのに長年抵抗があった僕が、大学5年の時にアルバイトをした、その喫茶店の雇い主の金井のママが、ママと呼んだ最初で最後のママだ。

ブランカは新橋駅の烏森口から徒歩5、6分の雑居ビルの地下にあった。サラリーマン相手のランチ中心のなんてことない喫茶店。しいて特色と言えば、テレビゲームのポーカーが三台ほど。僕も冷やし中華やピラフを作らされてランチに出していた。後に一世を風靡する第三舞台で芝居をしていた大学の同級生Tが長年勤めていたのだが、もう一人の女性従業員キリコちゃんといろいろあったりで、とりあえず僕がしばらく働くことになった。

いまだに年齢はよくしらない。おそらくは10歳ほど年上の加藤登紀子似の独身のママは、だから決して美人ではないのだけれど、江戸っ子の気っ風の良さでえらく人気があった。酔っぱらうともうハチャメチャで、小さな額でも一万円札で支払い、おつりはすべてハンドバッグにそのままジャラッと押し込んで、また次の支払いは一万円!

「え~い!」と叫んでビルの二階の飲み屋から階段を飛び降りて足を骨折したり、ある晩は佐藤蛾次郎さん経営のスナックのトイレで鍵を閉め忘れ、用を足しているままのの体勢で後ろ向きに店内に転がり出て来たりと武勇伝は数しれない。

当時、ランチの食材をブランカに卸している築地の食料品会社の社長 と、虎ノ門の焼鳥屋のリー・バン・クリーフ似の社長の双方からプロポーズされており、ある晩僕が帰った後に、片方の相手が庖丁を持って押し入る刃傷沙汰があったりで、ほんの小さな店なのにドラマチックな日々だった。

僕の存在と僕の歌を妙に気に入ってくれたママが、
「ギターっていくらするの? これでギター買って来て。店に置いとたらいつでもホシノ君の歌聴けるもんね」
と、ある日突然、いきなり1万円札を5枚も10枚も差し出した。 僕は半分だけ預かって神田でギターを買った。それからというもの、店じまいの準備がひとしきりすると、「ホシノ君、ねえ、歌って」なんてことがたびたびあった。それは、たいていママがちょっとまいっている時に違いなかった。

すし屋のカウンターの『お好み』って奴も 、そこで物怖じしない間合いも、みんなこのママに教わった。僕が店を辞めることをとても残念がってくれて、その最後の日は、築地の寿司屋に始まり、ピアノにジャズボーカルの生演奏のナイトクラブ等々を散々豪遊、なぜだかみんなで号泣した果ての史上最大の大盤振る舞いの締めは、赤坂東急ホテルのスイートルームにママとキリコちゃんと僕の後釜の男子と4人飛び込みで泊まっちゃった!! 

それはそれは不思議な一時期だった。


学生なのに不相応な高給をいただいていた僕は、そのギャランティで、ハタチの夏に衝撃的に出逢った北海道に、初めて、車で、一人旅することになった。これから小樽行きのフェリー乗船のため、新潟に向かうというその晩、僕は挨拶にブランカに立ち寄った。

夏の終わりの、台風の影響の雨が降り続く晩だったのを覚えている。

一ヶ月強の旅を終えて、僕は真っすぐブランカに報告に来た。

平日の昼間だったのに、店の行灯が落ちている。
扉のガラス越しに覗くと、イスもテーブルもぐしゃぐしゃにされている。強盗? これじゃ全く様子が分からない。

僕は雑居ビルの二階の印刷屋さんに駆け上った。
ここの社長はブランカの常連なのだけれど、印刷屋は世を忍ぶ仮の姿、某有名暴力団の幹部とは誰もが知っていた。いつぞやもブランカで声を潜めた「打ち合わせ」をしており、おそるおそる注文に近づくと、どう考えてもぶっそうな言葉が飛び交っていた。

この社長にも 僕は妙に気に入られた。突然「兄さん、どっちがいい?」と尋ねられてエレッセのポロシャツをもらったりした。当時、渋谷のライブハウスで歌っていた僕のステージに、場違いな服装の舎弟風の若者数名と足を運んでくれたりもした。でも、帰り際の社長に挨拶に駆け寄ると、「いやあ、ホシノさん、おれは演歌しかわかんねえんだ、ごめんよ」 と坊主頭をかきながら苦笑していた。

その社長が僕に言った。
「ポーカーゲームのことを誰かがたれ込みやがって、ガサ入れがあったんだ。今ママは留置場だ。気心の知れたデカに頼んで、早く出してもらうように手配してるから安心していいよ」

僕の後釜の自衛隊出の若者はビビって使い物にならなかったのに、印刷屋の社長はほれぼれするほど頼もしかった 。しばらくしてママは、社長の計らいで、予定よりも早く娑婆に出て来た。

ママは釈放される時に、警察官から「また帰って来いよ」と声がかかる天性の人気者だった。若干現金を賭けるとはいえ、もともとポーカーゲームもサラリーマンのお楽しみ程度で悪どいほどのものではなく、警察はルート解明をしたかったらしい。何より、通報があったので調べざるを得なかった。ママがルートを話さなかった というより、月に一度だけ風のように現れてはすぐ消えるゲーム屋の 素性を本当に知らなかったので拘留は思ったより長引いた。その通報の主は…例のママを思う人ではないかとの見方が濃厚だった。

社長に連れられて店に戻って来た日も、ぐずぐずした雨の日だった。
僕とキリコちゃんは店で出迎えた。さすがのママも、いきなり警官が何人も乗り込んで来た瞬間を思い出すのは恐怖で、留置場で店を畳む決意をしたんだと語った。


あれからかれこれ30年に近い。
一昨年、僕の母が亡くなったときには香典を送って来た。
僕が北海道に移り住んでからはずっと疎遠になっていたけれど、連絡先を調べて僕もママ に電話をした。

ママは母と何度か電話でしゃべったことがあり、とても印象に残っているからと言ってくれた。ママ自身もずっと母上と二人暮らしで、その母上が亡くなってからはあまり出歩かなくなってしまったと言う。

あの頃は楽しかったね、と電話口の声がふるえる。

『またホシノ君の歌が聴きたいな。
 でもあたしもおばあちゃんになっちゃったから。
 母が亡くなってから鬱みたいになっちゃってね。
  だいぶよくなったからさ、もう少し元気になったらまた逢おうね。
 今お付き合いしてる人にもときどきホシノ君の話をするの。
 みんなで赤坂東急のスイートに泊まったことなんかも言っちゃうん
 だ。あんな素敵な日々があったなんて夢みたいだね』

ママ、僕もそう思うよ。逢いたいね。
台風が来て、嫌な雨が降って、だから今日も思い出していたよ。
あの頃までもそれ以降も、ママと呼んでいるのは貴女だけです。
仕事部屋に今でもママのギターが置いてあるよ。


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