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2013-12

あんときのなみだ。

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フミさんは史さんで、母は冨美さんだった。
キクウラフミさんはこの四年間で三回、小樽ないし札幌を訪れてくれた。

一番最近は去年の十一月。星の庵をこっそりオープンしたとき、彼もこっそり現れた。
平日の午後6時半頃に小樽駅で待ち合わせをして、感じたことを言うから、普通に営業して当たり前に金をとってくれ、と。その通りに史さんは、あらかたの品書きを注文し、きちんとお代を精算し、感想を言って僕の家に泊まり、母の遺影にてを合わせ、翌朝一番のJRで新宿へ帰った。

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その前は2010年の7月。僕が札幌で吉田類さんの講演会とトークショーを企画運営したとき。
イベント前日に狸小路の僕の店に現れ、そこを出た後、夜が明けるまで飲みながら話し込んだ。本番には二日酔いで来てくれたけど、僕が司会進行までしているのを見て、そんな大役だと知っていたらもっと早く寝かせるようにしたのに…としきりに恐縮してくれた。

札幌共催ホールの催事とその後の“吉田類と行くハシゴ酒”には一軒目だけ参加して千歳空港に向かった。

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その前は母の通夜。

2007年11月に横須賀の病院から自分の家にも僕の家にも立ち寄ることなく小樽の施設に入れられてしまった母は、一年半後の2009年4月に突然息を引き取った。

誰も母を知る人のない小樽で荼毘にふすしかなく、斎場ではなく自宅葬で見送った。
当時の僕の会社の仲間の計らいで東京横濱からおびただしい数の供花と弔電が届いたけれど、小樽の葬儀に参列者はひとりも来ないかもしれぬ。座布団もいくつ用意すべきか定かでないままに、ごく少数の北海道での仕事関係者がありがたくも参列してくれた。

居間と食堂と厨房をぶち抜いた自宅で読経が終わり、喪主挨拶のために立ち上がりふりかえると、北海道の参列者は思いがけなく増えており、そして、僕から一番遠い厨房の壁の前に居るはずのない史さんが居た。

僕が母のことできついときに同行してくれた内モンゴルで、母の病状を問わず語りに草原で酒を飲んだりしていたのだけれど、その晩の通夜が終わった献杯の席で史さんはこう言った。

「モンゴルでいろいろ聞いていたのに何もしてやれなかったから、せめて線香をあげにきたよ」

僕は母の死後朝まで枕元に居たけれど、通夜までの丸二日ほど一滴の涙も流さなかった。
それなのに、お坊さんのありがたいお話が終わって、しびれた足をかばいながらふりかえり、史さんが視界に入った瞬間、文字通りその瞬間から条件反射みたいにとめどもなく熱いものがこぼれ落ちた。

どう考えてもその時溢れたのは哀しみのそれではなく、おそらくそれまでの人生で経験したことのない、相手を抱きしめたいほどにいとしく、言葉に尽くせぬほどの敬意と感謝の気持ちで胸のタンクが一杯になって流れたものだったと思っている。

その時もキクウラフミは、翌朝一番午前六時の列車で千歳に向かい、いつも通りに新宿御苑のアウトドアショップ・ラルゴを開けた。

のキクウラフミのラルゴが12月10日で三十周年を迎えると数年前からインプットしていた。だから早々に飛行機を押さえていた。僕が出来ることはひとつ。東京生活の最後を豊かなものに変え、僕の脆弱な心身を支えてくれたラルゴとキクウラフミに感謝を捧げるために、ただその場に居ることだった。
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