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2014-03

葡萄酒の夜。

ピエール

「絶対に文句を言わないから好きなようにして!」
三月二十日、まな板の鯉を宣言して目を閉じた僕の髪を本気で過激にカットした、スペイン語で “海” という名の美容室のオーナーが、週はじめ、久しぶりに星の庵を訪れてくれた。

彼女は昨年二月末、星の庵の開業以来誰も気にしなかったピエールの額の写真を見て、赤ワインを飲みながら「この赤い顔の人は誰?」と訊いた。

一年前に急逝したピエールというニックネームの友人であること、実はこの週末に一周忌の偲ぶ会をこの店で開く予定であることなどを伝えた。

彼女は「そうなんだ。なんかね、さっきからこっちに向って俺も飲みたい、俺にも飲ませろって言ってんだよね。困ったことに見えちゃう人なんだ」と続けた。

それからしばし、僕はピエールのご両親の哀しみ、駆け付けた元妻や無二の親友の話、ピエールの故郷である遠軽と僕の不思議な縁、ワインが好きだったことなどについて話した。店には僕らふたりしか居なかった。

いつもはけっこうポンポンものを言う彼女が、その日は少し、しんみりした様子で「きついね」と呟いて沈黙が流れた。しばらくして彼女は、

「マスター、赤ワインちょうだい。この人の分。あ、マスターもどうぞ。今週末なんでしょ、献杯しよう」

だから、一年と少し前のその日、二人きりの星の庵のカウンターの上に三つのワイングラスが並んだ。僕はその瞬間、今度この人に髪を切ってもらおう、と思った。


そして週はじめの夜。
「カット後の抜き打ち検査!」と言いながら、実に久しぶりに店に現れた彼女は、ワインを注文して少しして、また自分からピエールの話をした。実は去る三月一日、僕はこの場所でピエールの三回忌の偲ぶ会を開いたばかりだったんだよ、と伝えた。

「そっかそれか。なんかね、なぜあんたは来なかったんだ。どうして出席してくれなかったんだ、って言ってんだよ。だから、あたしはあんたの友達じゃないし、第一会ったことも見たこともないじゃないって言ってるんだけど…」

なんとなく、ピエールなら見ず知らずの人にでもまさにそんなことを言いそうな気がして、僕はまたドキッとした。

昨年の盆に僕は遠軽を訪ねた。
危篤の病院と葬儀でお目にかかっただけのご両親に連絡して墓の場所を尋ねると、主人が絶対引き止めてウチに来てもらうように言ってるので、とピエールの母上が電話越しに言った。

その日僕はピエールの実家でご両親と盆帰りしていた妹さんの歓待を受けた上に、ひと晩お世話になった。
翌日お父さんの運転で四人で墓に参り、お昼もご馳走になった。その晩は、やはり盆で帰省していたピエールの中学高校の同級生たちと酌み交わした。

五日前に僕の髪を過激にカットした彼女は、ゆうべは白いワインを飲んでいた。期せずして彼女は、二年続けてピエールのためにワインを傾けてくれたことになる。
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百ひく一は白。

広尾

父の転勤先の神戸で生まれた僕が横濱に住むようになったのは四歳の頃で、今からちょうど半世紀前のことになる。

父の実家は東京は渋谷区広尾で、今でもお茶屋を営んでいる。
東京タワーは1958年、僕の生まれる前年の開業で、昨2013年に55周年を迎えた。
同じく昨2013年9月で43年の歴史を閉じたというタワー内の施設『蝋人形館』は、だから1970年、僕が11歳の年のオープンだった。

祖母に東京タワーに連れて行ってもらった帰り途、お昼に何を食べたい?と訊かれて “うなぎ” と答えたのは神戸から戻ったばかりの頃と記憶しているから蝋人形館の出来るだいぶ前だと思う。

四、五歳の子供が「うなぎを食べたい」と言ったのが、気っ風のいい祖母の琴線に触れたのか、頼もしい孫と思われたのか、祖母はたいそう喜んで僕を古い江戸の鰻屋に連れて行った。そこでご馳走になったのが、ご飯、うなぎ、ご飯、うなぎ、と二段になっている所謂 “中割れ” という鰻重だった。
おそらく量だって大人のそれで、それをまた平らげてしまった逸話は、しばらくは幼子の伝説のように、折りに触れて語られる祖母の自慢話になった。

その僕が三十になっても四十になっても、広尾を訪ねると祖母はこっそり僕を片隅に呼び寄せ、小遣いを握らせた。「ばあちゃん、もう僕は四十過ぎだよ」と受け取りを固辞しようものなら、眉間にしわを寄せて怒られた。「あんた、いくつになってもあたしの孫でしょ!」

九十過ぎまでお茶屋の店番に立っていた祖母は、自分が七十のときも、八十のときも、九十になっても、「あんた、あたしいくつになったと思うの? ◎十よ、◎十!」というのが口癖だった。

その祖母も数年前から施設のお世話になっている。
最初の頃、見舞いに行くと、いつものようにごそごそと懐をまさぐって、財布を取り出そうとする。九十年もそうしてきたのに、今、祖母の懐に財布は収まっていない。小遣いを渡そうとしても渡せないことを悟ると、もの凄く悔しそうに涙を流す。

祖母の拳

さすがに初孫の僕のことも分からなくなり始めた頃、そう思って接していると、突然、北海道は遠いだろう。今日来たのか。今日はウチ(広尾)に泊まって行くのか。夕食は一緒に食べられるのか、と訪ねられたりしてハッとする。傍らに居る叔父や叔母にこの後の(自分も含めた)段取りを尋ねる。突然、そのヒゲはなかなか塩梅がよくて男前だ、というようなことをつぶやいたりする。

初孫はおろか、わが息子やわが娘を承知しているか定かでない様子のときでも、新聞やチラシを見せると、難しい漢字も淀みなく読み上げる。百人一首の上の句を見せると、すらすらと下の句を諳んじてみせる。

その祖母が今日、九十九歳の誕生日を迎えた。
僕は残念ながら駆け付けることが出来なかった。

何年か前、祖母がすこぶる調子が良さそうな日があった。母の一周忌か三回忌で上京した際だと思う。
快晴の日の夕暮れ。僕は祖母に、また東京タワーに連れて行ってくれ、と頼んだ。その帰りにまた “中割れ” が食べたい、とせがんだ。祖母は暮れなずむ施設の窓外を車椅子から見やりながら、今日はもう日が落ちるから、また今度にしよう、と僕に向き直りながらそう告げた。

今年の三月十一日に。

ケーキ

誕生の歓びを
誰もが感じたことがあるから
生命はいとおしく 
召されるのは哀しいと知っています

僕らは歳月と共に鈍感になって
そうした機微は 希薄になっていきます

せつなく 苦しいことばかりあるけれど
なんとか切り抜けて 一年生きてきて
ほっとため息をつく
そんな句読点みたいなのが誕生日

やっぱり がんばってみて 良かったね
たまには 自分を褒めてあげよう って
小さく 打ち上げてみる のが誕生日

生命のいとしさと 召される哀しさを
あらためて心に刻むのが誕生日

あなたが 誕生日の意味を 思い出させてくれた
五十を過ぎた僕を 大真面目に祝ってくれた

いくつになっても 照れたりなんかせず
正々堂々 公明正大に 謳うように
祝ったり 祝われたりしてもいいんだ と

二月の末の あの日から 今日まで
この瞬間も 去年も おととしも
僕の魂は 震えっぱなしです

だから今日は 照れず 悪びれず
正々堂々と あなたの句読点を 打ち上げます 

そっちから こちらの様子は 見えてるのかな
テレビでは 朝から ずっと
今日が 特別な日 だと告げています

五十一回目の誕生日 おめでとう!

(四年前、僕の五十一回目の誕生日に
 あなたがくれたケーキです)

人生 邂逅し 
開眼し 瞑目す

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