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2014-08

その時を逃したら、もう二度と逢えないかもしれない、ということ。


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シンガーの西岡恭蔵さんの前座を務めたのは、富良野の唯我独尊の20周年のステージだから、今調べた上川総合振興局ホームページの宮田さんの店の情報(創業1973/昭和48年)が正しければ、+20で、1993(平成5)年のことになる。21年前? え、そんなになるかな?

富良野駅前の「傷つく森の緑」で関係者が打ち上げしていたとき、僕は恭蔵さんに助けられた。
僕らのライブを観たお客さんが隣で飲んでいて、僕にさっき唄ったオリジナル曲を唄えと言う。
ただでさえ、恭蔵さんの前座で唄うというあり得ない体験に緊張し尽くした後だというのに、そのご本人も本番を終えて寛いでいるプライベートな打ち上げの席、常識的に言っても、またしても恭蔵さんを前にしてという意味に於いても、僕が唄える訳がない。

丁重にお断りしたのだけれど、相手は酔っていて相当にしつこく、場は険悪なムードになりかけていた。

その時だった。恭蔵さんがいとも軽やかに言った。「ほんなら僕が唄いましょ」。
恭蔵さんが引き取ってくれたお陰ですべては丸く収まり、歌自体も晴らしかった。
恭蔵さんのその自然体は僕には衝撃的で、僕は素敵なお兄さんにひと目惚れした少女のマナコになった。

その晩は恭蔵さんも僕も主宰者である唯我独尊の宮田さんの自宅兼民宿に泊めてもらうことになっており、打ち上げ後の帰り途、数台のクルマに分乗したのだけれど、偶然ボクの車に恭蔵さんが乗ることになった。ひと目惚れ状態の僕は舞い上がるような気持ちだった。

その時、北海道をツアーで回っている恭蔵さんが、僕の隣で独り言みたいにぼそっと言った。まだ来たばかりなのに、いったん東京に帰らなくてはならなくなった。カミさんの具合がよくないらしい。

今思えばあの富良野は恭蔵さんにとって、それから4年後に亡くなる奥さんで作詞家KUROさんの病気が発覚した時だったと思う。そのことを部外者で最初に聴いたのは僕だったのではないか。

それから僕は恭蔵さんと手紙のやりとりをするようになった。
小樽のライブハウス一匹長屋に恭蔵さんが出演した際にはもちろん出かけたし、ライブ終了後には共演したギターの関ヒトシさんと三人で飲み明かした。

新アルバム発売の際には、ジャケットにコメントをもらった。

櫻が満開の東京でKUROさんが亡くなった、そのちょうど一年後、恭蔵さんは東奔西走してKUROさんの楽曲の提供を受けたアーティスト二十数名を集め、『KUROちゃんを謳う』と題した追悼コンサートを世田谷パブリックシアターで開いた。僕も小樽から足を運んだ。恭蔵さんはそれをたいそう喜んでくれた。

その後しばらくして、たまたま見かけた音楽雑誌に恭蔵さんのインタビューが載っていた。
KUROさんの一周忌まで、自分に悲しむ暇を与えないように追悼コンサート実現に没頭して来たけれど、それもすべて終わって、今、自分は抜け殻のようだ。生きる意味を喪失したような気分になっている。そんな内容だった。

これはいけない、と思った。

恭蔵さんの音楽に触れ、実際にその人となりを目の当たりにしてみると、恭蔵さんのえも言われぬ優しさは、KUROさんへの深い深い愛情から発せられているのだと思えたから。とにかく、もう一度恭蔵さんに逢いたいと思った。

けれども日々に追われ、時間は過ぎて行った。
追悼コンサートからまた一年、東京の櫻が三たび満開になったある日、新聞を見て僕は腰が抜けた。
恭蔵さんが自ら命を絶った。衝撃? そんな陳腐な言葉であの時の僕の驚きと哀しみは言い尽くせない。

恭蔵さん、あなたは嘘をついた。
KUROさんが亡くなってから発売された恭蔵さんのアルバム、結果、遺作となったアルバム『Farewell Song』のジャケットに貴方は自筆で書いてくれたじゃないか。恭蔵さんの便りにはいつも、その人柄がじかに伝わって来るような優しい字面の言葉がしたためられていた。

『愛は生きること』

こういう言葉を、歯が浮かずに僕に届けてくれる人を、僕は恭蔵さん以外に知らない。
でも、あなたは嘘をついた。


あの時、無理やり恭蔵さんに逢っていたとしても、恭蔵さんの人生がなにか変わる訳がない。僕の中で恭蔵さんはもの凄く大きな存在だけれど、恭蔵さんの心の中に僕が大きく住んでいたと思うほどうぬぼれては居ない。でも、もう一度恭蔵さんに逢いたかった。あの優しさに触れたかった。

逢いたいと思った人には、その瞬間に逢いにゆかなくてはいけない。
行かなくてはならない場所には、一刻も早く訪ねてゆかなくてはいけない。
僕の人生観にその想いが大きく激しくもたれかかって来た。

そうして少しでもそれを実践して生きていかなくちゃと思って来た。
なのにそれからたかだか二十年の間にも、僕は何度同じような後悔を繰り返しただろう。
三日前にも、僕が北海道に移り住むきっかけのひとつを作ったとある人の終焉に立ち会うことが出来なかった。恭蔵さんの教訓を活かせなかった。母の時だってそうだ。ピエールの時だってそうだ。


僕が愛した西岡恭蔵さん。

恭蔵さんはたくさんのアーティストに楽曲を提供していた。
沢田研二も松田優作も矢沢永吉だって、恭蔵さんやKUROさんの曲を歌っていた。
恭蔵さんの名曲『プカプカ』がどんなに凄い歌かは、カバーをしたアーティストの顔ぶれを見れば分かる。

大塚まさじ(ザ・ディランII)
大西ユカリと新世界
桑田佳祐
大槻ケンヂ
つじあやの
福山雅治
奥田民生
原田芳雄
桃井かおり
クミコ
泉谷しげる 
大西ユカリ
清水ミチコ
宇崎竜童 

…まだまだ居る。


合掌。

櫻とお盆の時分にはどうしてもあなたを想い出すので。
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盆が逝く。

盆灯

この三日間、まさに僕の目指す〝毎日が小さなお祭り〟だった。
14日木曜日、こいつらが僕を道民にした! 夫婦が東京から遠軽経由で娘を連れ来店。
15日金曜日、苦しい頃の僕を遠くから見守っていてくれたFB友と四年越しの初対面。
16日土曜日、一年ぶり復活の浴衣の夜に賛同&浴衣優勝を讃えてくれた何人かの人々。

二年前の二月、わずか二年、でも激しい二年の交流で風のように逝ってしまった友人ピエールが、新たな人々との繋がりや、遠ざかっていた遠軽との縁を引き寄せてくれた。

平成元年に父を亡くし、平成四年に北海道に移り住んで二十二年。
五年前に小樽で母を見送り、二年前にピエールを失い、還る場所をなくしたような〝古里漂流〟の一人っ子の僕が、盆や盆帰りを、古里の意味を、強く意識するようになった。

昨年の、ピエールの二度目の盆は、彼の古里の遠軽に居た。
今年は、ピエール以前に僕と遠軽を結びつけた三十五年来の友人夫婦が盆に訪ねて来た。
遠軽も小樽も、僕の古里ではない。古里ではない場所で迎える盆が、僕には当たり前になっている。

         ☆           ☆

昭和六十一年春に父が直腸がんの手術をした時、医者から余命三ヶ月と宣告された。
けれども父はそれから三年半生き続けた。その間に僕の緊張は薄れ、昭和天皇崩御の年の終戦記念日の朝、激烈な業務に盆休みを取り、成田に出かけようとしていた。

新宿区西早稲田から練馬区豊玉南のアパートに移り住んだ頃で、その電話は玄関でまさに靴を履いていた時に鳴った。母からだった。
「すぐ帰って来て」「え? 今からタイに行くんだけど」
「お父さん、危篤よ」
慌てて父の入院先である横濱市金沢区の病院に駆けつけると、父方の親族のほとんどと母の姉が二人、すでにそこに居た。蝉時雨がうるさいほどの、暑い暑い夏の日だった。

入社以来、盆など休んだことのない会社で八月十五日に旅に出るため、前の晩はとんでもない量の仕事をこなしていたので、ひとり息子の僕にだけ連絡がつかなかったらしい。携帯電話のない時代。もしも後一分遅く、靴を履いて玄関を出た後に電話が鳴っていたら、僕はそのままアジアの旅の人になり、人非人になっているところだった。

すでに父は意識がなく、話すことが出来なかった。
でもそれなりに状態が安定し、一両日は大丈夫でしょうとの診断で、集まった親族は終戦記念日の夕方にいったん解散した。横濱に実家がありながら、多忙を理由に都内でアパート住まいしていた自分は、晩年の父と絶望的にすれ違っており、そうした現実から目を逸らしていたところが多分にある。その罪滅ぼしの気持ちもあって、看病疲れの母を家に返し、その晩は父の横にベッドを用意してもらった。

もっと頻繁に横濱に帰れば良かった。
もっと何度も父を見舞えば良かった。
もっと優しく言葉をかければ良かった。
一度くらい二人きりで酌み交わしたかった。

意識の戻らない父の横で、僕は後悔と自責の念にさいなまれていた。
日にちが変わっても、うとうとすらしなかった。

午前三時を回った頃、父の息が突然苦しそうになった。
急いで看護婦さんを呼び、当直の医師も父の枕元にやって来た。
僕は公衆電話から母に急を知らせる電話をかけたけれど、両親共に運転しない人間だったので実家には車もない。タクシー会社に連絡したものの、郊外の未明の時刻につかまる車輛がなかった。
万策尽きた数回目の電話口の向こうで母が言った。
「お父さんを頼みます」

病室に戻ると、ドラマでよく見かける、最後の最後に蘇生を試みる大がかりな機械がそこにあった。当直医は新米なのか、機械の扱いを熟知していないらしく、この緊急時に慌てて取扱説明書を呼んでいる。だから看護婦に適切な支持など出来るはずがない。俺の親父の命をなんだと思ってるんだ! 激しい怒りが込み上げた。生まれて初めて父親の身体にすがり、大声を上げた。まだ大がかりな機械は、本来の能力を発揮していない。医者はおろおろしている。三文芝居のような、あまりに馬鹿げた光景に、怒りや激情はやがて諦観に変わり、無力と絶望に包まれた。やがて父は静かになった。

簡単な処置が済むと、朝までに部屋を明け渡してくれと事務的に言われた。
教えて貰った葬儀屋に連絡して、絵に描いたような濃い朝もやの中、葬儀屋と二人で父を車に乗せて実家に連れ帰った。

けっきょく、身勝手で冷酷で、ほとんど父の面倒を見なかった僕が、たった独りで父を看取った。
毎日毎日父を看護していた母は、数時間前まで居た病院にたどり着けず、最後を見届けることが出来なかった。半日前まで集まっていた親族の誰ひとりとして。

車に乗ってみれば、それはたった十分足らずの距離だったのに。
終戦記念日が明けた八月十六日早朝、父を自宅の和室に寝かせた。

         ☆           ☆

毎年終戦記念日になると、僕の脳裏に蝉時雨が襲いかかる。
日本人にとって特別な日に、もうひとつ別の意味が僕に残された。

昨年の盆、ピエールの古里遠軽の実家で、彼の両親と妹さんとピエールを偲んだ。
その晩僕はご実家に泊めていただき、翌朝、父上の運転でご家族三人と彼の墓参りをした。

その後ひとりになって、三十五年前のひと夏アルバイトした遠軽の日本通運を探した。
場所は移転していたけれど、通称「マル通」の事務所を見つけた。でも、扉に張り紙があって、昨年の三月いっぱいで遠軽営業所は閉鎖され、紋別の営業所に統合されたと書いていた。そのすぐ近くに、マル通の過酷な肉体労働の汗を流した銭湯も見つけた。ほとんど毎晩のように通っていたのだ。懐かしくて僕はそこでひとっ風呂浴びた。番台でそれを話すと、その頃番台にはきっと母が坐っていたと思う、と牛乳を一本ご馳走になった。

二年前に火葬場の親族待合室でピエールの父上にビールを注がれた時、僕は少しでも僕の知ってる最晩年のピエールのことをご両親にして差し上げなくてはと思って、いろいろ話をした。勢い余って、さらにさかのぼる僕と遠軽の縁に付いても話した。遠軽の銭湯に毎晩お世話になっていた三十数年前の夏、仕事の休みの日に映画を観に行った話をしたら、あそこに坐っているのがその映画館の館長だった男だ、とピエールの父が教えてくれて僕を驚かせた。

昨年の遠軽の盆のふた晩目、ピエールの葬儀で知り合った遠軽高校の同級生がちょうど盆帰りするというので、遠軽の居酒屋で落ち合った。二軒目には同じく遠軽高校の同級生が営むパブへ。夜が更けるに従って、盆帰りで古里に戻って来たピエールの同級生たちが三々五々集まって来る。もちろん僕は初対面の人たちばかりなのだけど、何十年前のピエールを知る仲間たちに交ざって、彼らが語る、僕の知らない頃のピエールの話を聞いた。僕は、彼らの知らない、ピエールとの最後の二年間の話をした。いろいろな時代のピエールのエピソードがそこに集まって、パズルをはめ込むみたいに新しい形が出来上がって来た。そこに居られたことで、お互いにもう少しピエールという人間が立体的になったように感じたのではないだろうか。

         ☆           ☆

今年の盆に小樽の星の庵にやって来たのは、僕が大学に入って初めて仲良くなった、遠軽高校の卒業生早川の家族だった。大学一年の夏に彼の実家の遠軽に寄せてもらわなければ、その初めての北海道で、しかも遠軽でハタチの誕生日を迎えなければ、おそらく僕は北海道民になっていなかったと思う。その半年後、早川と一緒に回った僕の二度目の北海道の旅先、流氷に覆われたウトロの海で、向こうから歩いて来た女子の二人組のために、はかない下心を持って、僕は彼女らのカメラのシャッターを切った。そのうちの一人が、現在の早川の奥さんである。彼女は東京の人で、だから早川は大学以来、ずうっと東京都民だ。僕らふたりはまったく入れ替わってしまった訳。

遠軽も小樽も僕の古里ではない。
でも、盆にわが古里に帰って来る人たち、その時にしか会えない同級生たちの時間を間近にしていると、こちらまで胸が熱くなって来る。優しい気持ちになる。少しだけうらやましくもある。

僕の古里はどこなのかな。新しく創っていくものなのかな。

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