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2021-04

生きることは食べること3

せつぶん


北海道の食や習慣で、豆に関して驚かされたことが二つある。
ひとつは赤飯の甘納豆(小豆のエリアもある)。
もうひとつが節分の豆まきにカラ付き落花生を用いていることである。
道産子15年生の今でも、この二つの事実はほとんど許しがたい。

さて、節分とは季節の分かれ目であり、各季節の始まりの日(立春・立夏・立秋・立冬)の前日を指す。明日は立春だ。
驚異的に雪の少ない異様な今冬だが、明日から暦も春になるという。

====   ====   ====  ====

このところの不調を季節感で一新するかな、などととりとめなく思いつつテレビをつけると、とあるドキュメンタリー番組に釘付けになった。

八歳の少年が白血病に冒されてから、あえなく帰らぬ人となるまでの 478日の記録。家族は母親と少年の未修学の妹だけ。父親の影はない。
女手ひとつで二人の子供を養っている母親は、白血病で倒れた息子が入院している遠隔地の病院まで、高速料金を節約するために、毎日仕事を終えてから片道一時間半の道のりを自らクルマを運転して通い詰める。

発病からドナー移植までも様々な困難がこの家族を襲うのだが、ようやく移植手術を終えた後に、今度は激しい拒絶反応が少年を襲う。想像を絶する痛み。血の海のような下血。号泣。絶叫…。

それまでの抗がん剤投与、放射線投射と併せて少年の幼い肉体は無惨な状況にあり、腸を著しく損傷してしまっているために、口から食事を摂ることが一切出来なくなってしまう。栄養のすべては点滴からということに。

幼いながら男前の少年は、愛嬌もたっぷり、妹思い、母親思いで、笑顔が可愛く、病に倒れてからもいつもおどけてみせていた。けれども、再三の白血病再発により彼は微笑みを失い、医師や看護婦たち、母親や大人たちに言われるままに厳しい治療に耐えているのだが、いっこうに良くならない自分の身体に不安と絶望を深めていく。

痛みより何より、彼にとって本当の地獄は食事の時間だ。
普段苦しみを分かち合っているように感じてきたまわりの患者たちも、食事だけは享受している。食べ盛り、食いしん坊の少年に残されていた最後にして最大の楽しみである食事。ごはんをたべるじかん。おいしいとか、まずいとか言う以前に、食べ物を口から摂取できる当たり前の幸せを、ボクらはすっかり忘れてしまっていることがよく分かる。

少年がどんなに苦しんでいる夜でも、どれほど添い寝してあげたい晩でも、未修学の妹がひとり留守番をしている自宅に母親は帰って行く。母親に心配をかけまいとする少年は、自分が苦しんでいる様子を母親に極力見せないように気遣い、母親が帰った後に布団の中で嗚咽するような優しい少年だ。その少年が、ある日病室のテレビに映った食べ物番組を食い入るように、やがて狂気の眼差しで観つめながら、人間本来の健全な欲望を呼び覚まされたかのように、抑えきれずすすり泣き、果ては号泣する場面には涙が止まらなかった。

「食べたい、それ、ああ、ください、お願い…」

少年は母にめずらしくあたる。
「食べさせて、何でもいい、え、食わせろ!」
(母/(口から食べたら)直らなくなっちゃうよ)
「(言う通りにしたって)ぜんぜんよくならないじゃないか。嘘つき。
 もうどうせ直らないんだ。食べたいよ。ワンワンの食べ物でもいいからちょうだい。お願い。何か食べさせて、もういやだ」

それでも少年は、菌の感染を避けるためにほとんど許されない面会で、実に久しぶりに会った大好きな妹の顔を見て屈託ない笑顔、あり得ないような元気な様子を見せる(母親はそれを「ハルちゃん(妹の名前)マジック」と呼んでいた)。妹も一生懸命ふるまっていたが、面会時間が終わっていざ帰る段になって、シクシクと泣き出してしまう。彼女もまたお兄ちゃんが大好きなのだ。その妹に少年は、「ほら、ハルちゃん、泣いちゃ駄目でしょう。ね、お姉ちゃんなんだから。泣かないの。ね」と、自分の目にもいっぱい涙を浮かべて言う。

自分の命に変えても息子を助けたいと思いながら、無力な自分に絶望する母親。大好きなお兄ちゃんのために将来看護士になりたいと考えているけれど、もうずっと一緒にはいられないことを察している幼い妹。


父の末期を思い出していた。
直腸がんで亡くなったボクの父は、手術後に余命三ヶ月を宣告されてから三年間生きた。でも、余生は人工肛門のお世話になっていた。いったん退院して自宅療養していた時期には、その手入れと言うかメンテがやっかいな機器と毎日根気よく付き合っていた。いっときは食事も常人のそれになり、すっかり回復したのかとも思えたくらいだったが、最後はやはり口から物を摂取することが出来なくなっていた。

父の命日は晩夏の盛りの8月16日で、亡くなる少し前には固形物は全面的に禁じられており、そのかわり、暑い夏に乾く喉に一日数個だけ氷片を看護婦さんにもらっては、口中で愛おしむようにその潤いを味わっていた。

バリバリ理数系の、人によってはどちらかというと冷徹な印象を与える父だった。仕事は優秀なのだが、上司を立てたりすることが出来ず、むしろ露骨に侮蔑の態度を取ってしまったりするので、出来る出世も出来なかったという人もいる。その父が、小娘のような看護婦に向かって、
「すみません。なんとか、あと、もう一個だけ氷をもらえませんか?」
と懇願していたことがあると、後に母から聞いた。

口から物を食べて、お尻から排泄する。
そんな当たり前のことがどれほど幸せなことか、ボクらは本当に忘れ去っているのだと思う。逆に言えば、口から食べてお尻から排泄できないことが、人間としてどんなに屈辱的なことか、そうしたことへの想像力をボクらは失ってしまっているようにも思えるのだ。

絶望的に父とすれ違っていた僕にとって、これらの話を聞いてどれほど後悔したことか。どれだけ自分をのろったことか…
墓に布団はかけられずと言うが、自分は布団をはぎ取るような息子だった気がするのだ。歳月が行き、自分も手術、入院を体験したり、世の定めのようにごく近しい人を失ったりする経験が自然と増えて来る。
それから思うようになった。
人間は健康でないと喧嘩することも出来ない。
人間は健康でないと憎むことすら出来ない。

口から物を食べられない屈辱が存在する一方で、どんなものであっても、まずは食べられることへの感謝の念すらなく、旨いだのマズいだの「シェフのこだわり」だのと、小賢しいことを言っていていいのか?

自分をさらけ出すことをせず、まずは自分から精一杯愛することもせず、自分ばかりが傷ついたような顔をして、誰ともぶつかり合うことを避けていていいのか?

大きく傷つくことはない代わりに、激しい感動に出逢うこともない。
そこそこの歓びにしがみつくことで、避けられぬ絶望に目をつぶっている。


「愛情も、歓びも、絶望も、みんなこの子から教えてもらいました」

そう話す少年の母親とその家族の物語に打たれて、ひとつの季節の終わりに、久しぶりに自分自身や世の中の現在に対する嫌悪が溢れてきた。

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