かしう~札幌の萬里。

横浜の野毛にある「萬里」は、日本で最初に焼き餃子を出した店で、僕は幼稚園の頃から通っていた。餃子はもちろんだけど、僕にとっての「レバニラ炒めこうでなくちゃならぬ」は萬里のそれであって、それ以外にも中華料理の原体験がたくさんある。たっぷりなみなみとしたレバニラのタレをご飯にかけて食べるお行儀の悪さも、ここでなら許された。父はいつもちびちびと老酒を飲んでいた記憶があるし、氷砂糖かなんかを入れていた。中華料理を食べるときは、この茶色いお酒を飲むものなんだと、何となく納得していた。
山下公園で缶蹴りをして、嫌いなヤツが鬼になると、マリンタワーのボーリング場で1、2ゲームプレイして何食わぬ顔をしていた。帰りには中華街でお粥を食べたりした。みんな小学生のころだ。親に中華街に連れて行かれたこともたびたびだったのだが、僕には萬里の方が気楽でしかもうまかった。
今現在でも焼き餃子一人前290円の萬里だけは、何軒かのそば屋同様、帰省するたびに立ち寄る。だって中華街の高級店よりも、萬里の方がどう考えても美味しいし、だから大人になってからも「萬里みたいな店」をいつも探していた。
7、8年前にシンガポール、マレーシア、タイを彷徨したときは、クアラルンプールの下町に“萬里”を見つけた。一昨年の夏は、内モンゴルの首府フフホトの、やっぱりダウンタウンに“萬里”を見つけたけれど、一年後の昨秋訪れたときには、北京中央政府の国策で汚い町は一掃されていた。
今年の正月、東京は浅草橋の有名店「水新飯店」もかなり“萬里”だったが、やっぱり軍配は萬里にあげてしまうだろう。
僕は小中高校と横浜市立の学校に通っており、中学のときは野球部のキャプテンだった。不思議なのは、僕の幼少からの中華の原体験をつかさどる萬里で、今現在、中華鍋をふっているのは偶然にも僕の次の代のキャプテンなのだ。しかもさらに不思議なのは僕の記憶の味と、まったくブレがないことだ。僕の中華の味の記憶が今、中学時代の後輩によって更新されれている…。
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昨日、オトン第三号5日間連続取材の4日目。
僕は札幌に“萬里”を発見した。有名な店らしいので、今さら発見もないものだけど、正確には昨日は取材本番だったので、先週の下見の際に出逢った。なぜ横浜から北海道に移り住んで、15年もの間気づかなかったんだろう。しかもこの店は僕の生年に創業している。間もなく半世紀。それもご縁なのか(ちなみに萬里は昭和24年創業。今年で58歳。萬里の方がちょうど10歳年上になる)。
今回の取材のお題が「チャーメン(炒麺/焼きそば)」で、僕はこいつに惚れ込んだのだけど、実はめっぽううまいと言われ、昨年11月に発行されたマガジンハウスの「餃子のススメ」にも登場するこの店「香州」の餃子は、実はまだ食べたことがない。
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