山頭火の夜2

ロケ隊との夕食が午後8時半過ぎに終わり、僕は「流れ」をそっと抜け出して、昼間教わった山頭火創業者・畠中仁さんの携帯を鳴らしてみた。留守番電話になってしまったので、僕はひとまず、旭川に泊まるといつも立ち寄る「独酌 三四郎」ののれんをくぐった。
いつものカウンターに座ると、囲炉裏端の煤にまみれ、少し薄暗くなった一角と一体化したご主人が、黒い顔の間から白い歯をのぞかせ、合掌するようなこれまたいつもの感謝の念を表すポーズで出迎えてくれた。
「日本酒学講師」である和服姿のおかみさんに、
「すっきり切れ味の酔い日本酒をください」と告げる。

明朝のロケまでの、少しだけ解放された時間がゆるゆると訪れる。
でも、今晩少し落ち着かないのは、まだ山頭火の畠中さんと連絡がつかないからだ。何度か席をたち、表で連絡を試みたが留守電のまま。まあ、五時半から誰かと飲んでいると言っていたのだから、そのまま盛り上がっているに違いない。いつかまた機会があれば、というようなメッセージを残した。
また、畠中さんが客人としても訪れると聞いた三四郎のご夫妻には、
「もしも近々畠中さんがいらしたら、ホシノはふられて帰ったと伝えてください」
と言い残した。
午後11時近くに3・6街の雑踏をホテルに向かっていると、携帯が鳴った。畠中さんからだった。
「ごめん。今、帰宅したんだ。で、携帯を開いたら…。いやあ、ホントにごめんねえ!」
「いえいえ、また機会があったらぜひお願いします」
「いや、今飲もう。どこにいる? 分かった、そこに立ってて」
数分後、いったいどこから? という瞬間移動の印象で創業者は登場した。そして、ずっと一緒だったみたいに歩き始めた。
「ここが旭川で一番のショットバーだよ」
いつも行く店はそう何軒もない。そう言った山頭火の畠中さんが、満席だった店の次に僕を誘ったのは、地下にあるオーセンティックバーだった。
バランタインの年代物を飲み始めた畠中さんにご相伴しながら、ずいぶんいろいろな話をした。神戸、横浜、小樽。僕がどのような経緯で道産子をやっているのか。現在の仕事について。でも、創業20年にして、山頭火をここまで成長させた男の物語はやっぱり圧倒的に面白かった。特にその語り口の過激さに於いて。
「商売を広げると、いろいろなこと言われるじゃない。俺なんか口悪いし、生意気だしさ。だから余計にね。でもね、これだけは言えるのは、自分の店の味を創るために、他の人が遊んでいる時も寝てる間も、人から何も言わせないだけの努力はしたよ」
「店の数が増えて、スタッフの数もたくさんになってくると、自分の意思とか気持ちとか、味に対する思いとか、必ずしも同じように伝わらなくなってくる。今日の昼間、僕の黄色いカレー、和風のカレーのことをキミに伝えていて、『あ、だからライスカレーというネーミングなんですね』って言ったでしょ。ウン。あの瞬間に今晩この人と飲もう、って思ったんだ」
「20世紀から21世紀にかけて、俺が凄いと思ったことが二つある。ひとつはウォシュレットの発明。これは画期的だった。そしてもうひとつは、今の奥さんに出逢ったこと。これは決定的だった」
おのろけなんていう表現を越えて、その他のクールな語り口とは異なる、奥さんへの賛美のべたべたは、いっそ小気味よかった。
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