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2021-04

邂逅。峯山冨美さん2

冨美

「なぜまた小樽を選んだのですか?」

開口一番の峯山さんの質問に、神戸で生まれて、横濱に育った自分が、旅をして惚れ込んだ北海道で三つ目の港小樽に発作的に移り住んだ旨を話すと、

「私は横濱が大好きです。わざわざ小樽の住民になってもらってありがとうございます」とおっしゃった。最初の言葉だった。

「Smoll is beautiful という言葉がありますけど、小樽という町は小さくて、はじからはじまで目が届く。町づくりを考えるとほんとにちょうどいい大きさなのだと思いますね。札幌になってしまうと、大き過ぎて全体のことはぜんぜん分からない」

「亡くなった主人(峯山巌/考古学者)と私の間には子供がいませんでした。だから、子供を育てるという仕事をしない分、自分たちに出来ることを精一杯して生きていこうとよく話していました。『地域に生きる』と私はよく言うのですが、生きるというのは、その町にただ漫然と暮らすことではなくて、自分の出来る限りの情熱を傾け、愛情を注ぎこんで、深く関わっていくことだと思うのです」

「60歳を過ぎて運河に関わりましたが、あの頃は何も怖いものがなかった。今はもう94(きゅうじゅうし)ですから、大分気力が衰えましたが、当時は道のお役人だろうが国のお役人だろうがぜんぜん何とも思わなかった。この店でも偉いお役人さんとケンケンガクガクやったことがあります」

「町から匠がいなくなってしまいました。ある日、昔から知っている叩き上げの大工が新聞配達をしているのを見て、あんた何やってるのと尋ねると、もう俺たちの出番がないんだというんですね。家を建てる現場を見ても、なんでもホッチキス見たいのでバンバン留めて、半分出来上がったものを現場に運び込んで来る。匠を必要としない町になってしまっているのです」

「運河周辺の石造りの倉庫は、あれはもう大変なものなのです。梁を組み合わせ、そこに軟石を積み上げて、素晴らしい建築物です。今、倉庫群は大半が食べ物屋さんやお土産屋さんになっていて、訪れる人たちはみんな下を向いている。下を向いてものを食べたり物色したりしている。でもね、私は見上げてご覧なさい、と言うんです。一棟一棟梁の表情が違っていて、そりゃあ素晴らしい技を見ることができます」

「今小樽は観光にのみ頼る町になっています。その観光も、本来の小樽らしさを伝えているとは思えない。闘って守った運河が、現在のようになって、ただ嘆いている人もいます。私も残念に思う部分が多々あります。ただ、あの運動で『地域に生きた』人たちの力が集結したことで、この小さな町が全国から注目されることになり、さまざまな問題提起を全国に向けて発信するきっかけになったのは確かです。あのことがなければ、現在のように全国に小樽が知られることはなかったのではないでしょうか」


峯山冨美さんの言葉はすべてが珠玉だった。
経験と深い洞察に裏付けられたひと言ひと言が、明晰でよどみなく、それでいて生きること、小樽の町と人々への愛情に満ちていた。

峯山さんのお話はさらに続く。

昭和50年に北海道文化賞を受賞したご主人の峯山巌さん(平成4年9月没)との絆。敬愛する掛川源一郎さん(平成7年に北海道文化賞受賞の社会派カメラマン。アイヌ民族や開拓民等、道内で生きた人々の記録を残す。平成19年12月没)と故郷伊達の記念館に並んで展示された夫を見て感極まったエピソード。誰もが目指したものを形に残すことができる訳ではないのに、自分たちはそれを実現した幸せな人間であり、人生に悔いはないこと。

94歳の峯山さんは、現在も一人暮らしを続けている。
同じ94歳で、最近まではかくしゃくとして父の実家「お茶と海苔の星野園」の店番に立っていた私の祖母は今、病院と施設をタライ回しされている。Fさんの企画で峯山さんが講演するフォーラムが実施される来月4日に75歳になる、峯山さんと同じ冨美という名の私の母は、小樽の認知症施設にいる。

人間の老いは年齢ではないと頭では理解しつつも、峯山冨美さんのあまりにもお元気な姿と地域に生きた半生に触れて、僕は魂の揺さぶられるような気がした。


峯山冨美著「扉は閉じられて」“はじめに” から

『(前略)私共夫婦は、その生涯を終える前に、夫々エッセイ集を出版し、お世話になった方々をお招きして、「二人の感謝会」をしよう。と約束をしておりました。
藤本先生等のお力添えによって、主人の方が「考える葦」としてまとめ、私はそのあとがきに、次のようなことを書きました。

 結婚後六〇年を共に生きてきた。
 哀感交々の過ぎ去った日々は二人の大切な歴史、
 夫々の生き方を尊重し合いつつ歩んだ道程だった。 
 お互いにこの人のために生まれて来たのだ
 ということを実感するのであった。
 後、どれほど共に生きられるのか。
 「ありがとう」と言って別れよう。
 生かされて生きる身、感謝のうちに過ごしたいと願っている。

と結びました。あと、どれほど…と書いたのですが、それがわずか二週間ほどであったとは、月並みな言葉ですが、神ならぬ身の知る由もないことでした(後略)』


帰りしな、峯山さんは僕に向かって、
「これからも小樽をよろしくお願いしますね」と言った。
そういう言われ方をしたのは、僕が小樽にやって来た当初、僕と入れ違いに故郷兵庫県に帰った舞踏家の小島一郎さん以来だった(長年に渡り小樽の魚藍館と海猫屋を拠点に北方舞踏派として活動。村松友視「海猫屋の客」のモデルにも)。

残った僕とFさんは、運河保存運動の実行部隊の勇、小川原 格さんの藪半でしばし蕎麦屋酒に興じた。

「扉は閉じられて」のあとがきは、
ご主人の巌さんが書く約束だったという。




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