潮ノ湯界隈2

その時計たちは、基本的にいまだにすべて「お預かり中」なのである。職人でなければ直せない、修理も難しい手巻きのゼンマイ時計はもはや淘汰された。それでも毛利さんが引退したそのときまで、毛利さんのところにはそうした時計が持ち込まれていた。昔に比べて劇的に時計が安くなった近年、修理代に数千円払うのなら、新しい時計を買った方がいいと、いつの頃からか、電話で修理代金を聴くとそのまま引き取りに来ない客が増えたという。すでに修理してしまっているのに。
「どれでも好きなの持っていきなさいよ」
土門さんと僕に毛利さんが言う。でも、
「あ、それは駄目だ。もう動かないよ」
「あ、それはまだ、もしかしてとりに来るかもしれないから…」

毛利さん。その時計は、もう、いったいいつから預かっているのですか。そのお客さんが、その時計をとりに来る可能性が本当にあるのですか。そのお客さんは、すでに「モーリ時計店」が勝納町に存在しなくて、現在毛利さんがここにいることを知っているのですか?
僕はますます毛利さんが好きになった。
というよりも、さらに敬愛の気持ちを深めた。
尊敬の眼(マナコ)、ピッピッ、である。
さらに素敵なものが、金庫に埋蔵されていた。
この道具、見覚えあるでしょう?
なんという名前ですか、と毛利さんに尋ねると、
「僕らは傷を見る、『キズミ』と呼んでたなあ」
きっと、業界用語なのだろう。

ちょっとお借りして、装着してみた。
なんだか職人になったようで、わくわく。
本物と偽物。戯れの一枚。
土門さんは、毛利さんといると本当に幸せそうだ。
ヒトを笑わせるのが大好きなのだけど、毛利さんといると、実に心安いのだそうだ。大声で笑う土門さんの声は、毛利さんが一緒だと200%増量されるのだ。だから、毛利さんと離ればなれになったこの5年ほど、土門さんの笑顔はしぼみがちだった。

3月7日に89歳になったばかりの土門さんの笑顔が好きだ。

僕は、手巻きの腕時計(バンドなし)を金庫開陳の記念にいただいた。リューズを巻くと、仮死状態から甦った様にチクタクいい始めた。なんだか古時計の歌を思い出した。いまどきの時計なら、こうはいかないだろう。
(潮ノ湯界隈のお二人の物語は、発売中の札幌のおやぢのための情報誌『オトン』13号、不肖私の連載「さっぽろお散歩主義」をご覧ください)
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