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2021-04

彼方へ。

祭壇

誰も知らない土地で息をひきとった母の葬儀だから、自分だけで見送るべきだろうと思っていた。けれど、事務所の面々がてきぱきと僕の仕事関連の名簿を中心に、関係各位に訃報を流してくれたようで、それはありがたく任せ切りにしていた。

4月24日木曜日、通夜の日。仮通夜でも一睡も出来ず、朝からもうろうとしていたが、その日中に役所に死亡診断書を届け、火葬の許可証をもらわなくてはならなかった。出かけようとしていると、次々とチャイムが鳴る。弔電。献花。

多い時にはなんと4、5台の花屋さんの車が拙宅の玄関に横付けになった。花に添えられた送り主は、東京時代から北海道移住に至る僕の勤め先だった会社、その関係筋、親類、現在の取引先、その関係筋、友人…弔電も同様。にわかには信じがたい光景だった。

和室には、一年半前に横須賀から送った母の荷物がいまだ荷解きもせぬままに満載で、仕方なくリビングに母を寝かせていた。そこに次から次花が運び込まれ、とうとうソファなどの家財道具を外に出すしかなくなった。さいわい、事務所のロケ用機材車でスタッフが応援に来てくれたので、膨大な家財をその中に収容した。

通夜にはいったいどれだけの人が来てくれるのだろう。
この弔電、献花の意外な状況である。3人なのか30人なのか、見当もつかない。

やがて午後6時の通夜に向けて、助っ人のほかにも、現在のごく身近な仕事関係者が数名訪ねて来てくれた。先日、雑誌連載の取材でお逢いしたばかりの高校の先生が来てくださったのは、とても意外でありがたく恐縮した。でもだいたい、このくらい。もしもの時のために借り集めた座布団は随分余ってしまうだろう。

ご住職がいらして、読経が始まる。
講話を伺ってから、葬儀社の付添人の方に頼んで、喪主である僕の挨拶へ水を向けてもらう。いくら少人数の自宅葬とはいえ、母を知らない方々ばかりが集まってくださったのだ。ひと言だけ、事情と御礼を述べさせてもらわねば。

誰も知らない土地で母を送る心苦しさもあったが、母をまったく知らぬ人々にご案内するのも気が引けていた。だから、自分だけで見送るべきだと考えていた。一方で、自分にしか送ってもらえない母を侘しく思う気持ちもあった。

正座にしびれた足で立ち上がり、参列者をふり返ると、いつの間にか人数は意外なほどに増えていた。一番後ろの方に、この場にいるはずのない東京の友人の顔が見えた。15年間、何度誘っても一度も忘年会に来てくれなかった札幌のカメラマンがいた。なかなか仕事には至らないのに、花見や忘年会にだけは皆出席の小樽の写真家の姿も。手狭なリビングは、夢みたいにたくさんの花の数々であふれかえっている。

ご縁をいただいた皆さんのおかげで、ようやく母を送る肩を押してもらった気がした。四半世紀にわたるお付き合いの証しのような、僕を支えてくれたほとんどすべての名前が、献花に電報に、そしてこの場に集ってくれていた。それが、実に、僕自身の力になっていた。

件の東京の友人は、午後6時ギリギリにここに到着し、明日朝一番、午前6時小樽発のJRで空港に向かい、いつも通り新宿御苑の店を開けるのだという。一昨年までの3年間、彼は毎度僕の内モンゴル行きに付き合ってくれた男で、その頃から始まっていた母の闘病の話を旅先でも話していた。

「ずっと話を聴いていながら、何にもしてあげられなかったから、せめて線香をあげに来たよ」と彼は言った。

そのとき、訃報で母のもとに駆けつけて以来、不思議に一度も流さなかった熱いものがこみ上げて来た。



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