大晦日のてふてふ。
1988年の大晦日、僕は能登半島の輪島にいた。
東京西早稲田のアパート、一人暮らし。
年末年始の酒はドクターストップを受け、
恒例の年越し北海道も諦めていたのだが、
発作的にクルマを北上させた12月30日は、
新潟で日本海にぶちあたり、そこから西へ、
勢いで富山駅までやって来てしまった。
その晩は駅前でおとなしく一泊。
で、翌大晦日はふらふらと石川県の輪島までたどり着いちゃった。
飛び込みの民宿のおばさんの、じき晩ご飯ですから、
の言葉に見送られて、朝市で有名な街をそぞろ歩く。
夕暮れ頃、
一軒の雑貨店で漆塗りの箸などを眺めていると、
後ろから声がかかった。
僕はその年最後の客だったのだ。
店じまいを告げられるのだと思っていたら、
声の主はこう言った。
「これから仲間うちで蕎麦を食うんですが、
よろしかったら一緒にどうです?」
この手の誘いを、僕は絶対に断らない。
焼き物や塗り物を陳列した棚のある店の中二階に通されると、
三々五々、街の顔役らしき旦那衆が集まって来る。
次第にこの集まりの様子がわかってきた。
彼らは月に一度、
この店「てふてふ」で旨いものを食す会を開いている、
ちょっとうるさ型の面々らしい。
「こいつは料理の天才なんだ。今日は年納めに、
こいつが栽培、製粉、手打ちした蕎麦を食べる」
どうやら僕は、想像以上に最高の大晦日の宵を迎えたようだ。
天才の蕎麦は、たぐった「そば」から香り立ち、
鮮烈な切れ味で一瞬のうちに僕をトリコにした。
一度は絶滅しながら甦ったといわれる、
隣の珠洲市のざらざらした珠洲焼きを棚からおもむろに取り出し、
誰かがそれでいきなり本わさびをすりおろし始める。
なんだか、とても大人な夜にまぎれ込んでしまった。
主人は見るからに逸品と思われる一升瓶を掲げ、
「いけるんでしょ。なかなか手に入らない酒ですよ」と奨める。
この手のお酌を、僕はもちろん断らない。
うまい蕎麦、うまい酒。
幸福感が加速する。
二十九歳の暮れ。
足もとをふらつかせながら宿に帰り着いたとき、
夕食の時間はとっくに過ぎていた。
ふと、ドクターの顔が浮かんだ。
(「新年の丸井今井」へ続く)

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