土門さんからの年賀状。

土門さんからの年賀状は1月10日の消印だった。
土門収さんは小樽市勝納町に住む現役の木地挽き物職人。
昨年のクリスマスに再入院、まだ帰宅出来ずにいるとあるけれど、僕は土門さんが入院していることすら知らなかった。
かつて勝納町の銭湯『潮ノ湯』を舞台に、土門さんと土門さんのご近所の仲良し、時計職人の毛利雅美さんのお二人の取材による雑誌記事を2000年と2009年の二回僕は書いている。

カメラが趣味で、徒歩二分の潮ノ湯に赴く時だってひょいとスカーフを首に巻くダンディな毛利さんは、初対面の日にいきなり僕に古い柱時計をくださった。作業場になんどもお邪魔して、その度にペン立てや絵馬など自作の土産を持たせ、あるときは立体のカモメが飛んでいる木製の葉書で便りをくださった土門さん。
僕はお二人が本当に大好きで、だから、最初の取材の後も毎週日曜日恒例、午後6時30分のお二人の潮ノ湯行にお供して背中の流しっこにときどき混ぜてもらったし、もう一度どうしてもお二人の軽妙にして洒脱な会話を、その少年みたいなお付き合いを記しておきたくて、8年以上経ってから再び取材のお願いをした。

徒歩一分で行き来していたお二人だったのに、毛利さんが2005年に『モーリ時計店』を廃業して、市内塩谷のご長男のお宅に隠居されてから、相棒と離ればなれになってめっきり潮ノ湯への足も遠のいた土門さんはどうも元気がないように見えた。あんなに饒舌でひょうきん者の土門さんがである。


僭越ながら僕は、車に毛利さんを乗せて安全に塩谷ー潮ノ湯を往復すると毛利夫人にお約束して、二度目の取材を実現させた。再会したお二人はすぐに以前の名調子を取り戻したし、あんなに嬉しそうな土門さんを見たのは実に久しぶりだった。何十年も毎週潮ノ湯に通っていたお二人は、4年ぶりに背中の流しっこに興じていた。

2009年の二度目の取材からほどなくして、毛利ご夫妻は突然札幌へ引っ越してしまった。微妙な経緯は定かではないが、仲良しの土門さんすら連絡先を知らないようだったので詮索することもできなかった。先の年賀に毛利さんの住所の件が登場するのはそんな理由からである。

昨年の3月7日で土門さんは90歳になっているはずだった。
毛利さんは元旦生まれで、四つ年上の94歳。

1月14日。僕は朝から病院で検査漬けだった。
午後から別の病院に回らなければならなかったのだけれど、土門さんがずっと気にかかっていたので、お昼休みを狙って小樽病院の456号室に直接出向いた。扉に名札と人気がないのが気にかかってナースステーションへとって返す。

土門さんの見舞に来たことを看護士に告げると、一瞬間が開いてから、僕は何者であるかを尋ねられた。年の離れた友人と答え、土門さんの年賀状を見せた。さらに間があってから、これは本来言ってはならないのだけれど、という調子で、土門さんは昨日手術をされて、本日未明そのままお亡くなりになりました。それ以上のことは言えないので、直接ご自宅なりにお問い合わせください。

めまいがした。意味がよくわからなかった。
僕の想像の中にそうした選択肢は皆無だったから。照れくさそうな笑顔で僕を出迎える土門さんしか…。いかにも来てくれと言わんばかりの文面だったじゃないですか! とその笑顔に向けて投げかける台詞だって用意してた。


個人情報云々という大嫌いな名目で、
「土門さんは死んじゃった」ことしか分からなかった。
まだ12時間も経っていない。

土門さんの作業場には数知れず招き入れられたけれど、同じ建物で別入口のお住まいにお邪魔させてもらったのは初めてだったし、土門さんの奥様もお嬢様も初対面だった。お二人以外にも、ご親戚や近所の方だろうか、茶の間には人が溢れ、電話が次々になっていた。
木地挽き物職人としての通常の受注以外にも、小樽の職人の会の仕事で小学校に出向いて話をしたり、実演をしたりと何かと忙しくしていただけに、世の中とのつながりも普通の九十歳とは違う。さすが現役職人の土門さんだ。
茶の間の奥の部屋の簡易ベッドに土門さんは寝かされていた。
顔を見てやってください。星野さんからの年賀状に毛利さんのこととかも書いてあったので、私が病院の父に届けたのです。お返事書いた方がいいんじゃない?って。本当に書いていたんですね。とお嬢さん。

土門宅を失礼して、僕は徒歩二分の潮ノ湯へ。
土門さんと毛利さんの取材でとてもお世話になった松原夫妻にご挨拶するためだった。月曜定休の銭湯がほとんどの小樽で、潮ノ湯は金曜定休。ちょうど休みの日だ。どうぞあがってください、と奥様。

松原さんのご主人も、昨年大病をされたという。駄目だ。僕は何も知らなかった。しばし故人のお話を。毎年恒例の土門作の絵馬は松原さんはじめ、ご近所に配られる。今年は病床で作っていて、ちゃんとウサギのそれが松原家に届いていた(年賀状のウサギの絵も土門さん自筆)。

次の病院で次の検査を受けなければならない。時間がなかった。
早々においとまして、町の中心部にあるエキサイ会病院へ。
病院のすぐ近く、すし屋通りを下ったところに、ご夫妻でやっている古い床屋さんがある。小樽市民になって初めて僕が大腸ポリープをこじらせて協会病院に入院していた時に奥様が亡くなって、葬儀に参列出来なかった。その奥様を生前一度だけ見舞いに来たのがエキサイ会だった。僕は退院したその足でBarber カナモトの金本さんにお悔やみを言いに行った。あれから何年経ったかな。

昨夏から体調を崩していた僕は、行きつけのカナモトからしばらく足が遠のいていた。そのことも気になっていて、受診の前にカナモトを覗きに行った。あれ? 気づくと僕はどうやらカナモトを通り過ぎていた。そんな馬鹿な。引き返してみて僕は愕然とした。

カナモトは更地になっていた。
いや、正確に言うと、隣のすし屋の駐車場になっていた。
一日に二回もこんな場面に出くわすなんて。膝ががくがくした。
金本さんご無事ですか? でも僕は病院に行かねばならない。

今日、1月16日は土門さんの通夜だ。
毛利さんも参列すると土門さんのご家族に伺った。
金本さんの消息はまだ分かっていない。
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