のこされたもの。

懇意にさせていただいている噺家の古今亭八朝師匠に電話。
今、師匠の師匠、故古今亭志ん朝さんのお墓参りに来ているという。
ついたちは月命日なのだ。
昨夏、日本橋室町の砂場にお供したとき、
「星野さん、俺はようやくこの店に来て泣かずに蕎麦を食えるようになったんだ」
と僕の目を見て八朝師匠が言った。
10年前に他界された古今亭志ん朝さんは大の蕎麦好きで、なかでも日本橋室町の砂場が一番のご贔屓だった。八朝師匠は生前しばしばお供をしたそうで、大師匠はうまそうに酒を飲んでいたそうだ。
志ん朝さんが亡くなる間際、室町の砂場の蕎麦が食べたいとおっしゃって、八朝師匠が飛んで行ってお願いして病室に運んだ。志ん朝さんは喜んだけれど、もう何本も口にすることが出来なかった。弟子たちは泣きながら蕎麦をすすった。
昨年7月5日、その砂場で、僕は八朝師匠から扇子をいただいた。
その扇子は女将の乃理子さん愛用のものだった。わずかひと月前の6月4日に乃理子さんは急逝されていた。つまり、その扇子は女将さんの形見分けだった。新富良野プリンスホテルの『古今亭八朝と仲間たち』という僕の企画でいっこく堂さん他とご一緒した時も、都内で落ち合って食事する時も、いつも乃理子さんと僕が呑んだくれて、下戸の八朝師匠が運転手を務めてくれたりした。
乃理子さんの命日が近いな、と思いながら先ほど電話したら、今日は大師匠の月命日だと言う。週末東京に出張することを伝えたらいきおい乃理子さんの話になり、6月4日土曜日の一周忌の法事に良かったら…ということになった。
昨年、乃理子さんが急逝された時も僕はたまたま東京で師匠から訃報を受けた。
ユニクロで黒い上下を買い、日延べして通夜と告別式に参列した。
日本橋室町から一週間後、師匠は弟弟子の古今亭志ん馬師匠と共に札幌にいて、僕の企画で三つの高座に上がった。最終の7月15日は、狸小路の私の酒場、もっきりバル 風の色が寄席に変身したのだった。
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