7月8日と7月9日。

毎年7月6、7、8日が入谷の朝顔市、9、10日が浅草ほおずき市というのは、もう新しい情報は詰め込みにくい僕の脳細胞の中にも深く重く入力されているので、今後も失念することはないだろう。
というよりも、北海道民になってからはなおさら、いかに理由や仕事をひねり出してその場にいられるかにかなり頭を使う。最低7月8日に1泊できれば、両方の市に足を運ぶことができる。そのくらい学生の時分より欠かすことのなかった祭だ。
去る7月8日金曜日に、朝顔市は初めて、という人を伴って浅草から入谷を目指した。ここを越えるとばぁっと市が広がって朝顔と縁日だらけで、と話しながら現地に着いたが、そこには何もなく卒倒しそうになった。5月の三社祭が早々に中止を決めたのは知っていた。7月最終土曜の隅田川花火が8月末に延期したのも聴いていた。かの震災が江戸の祭にも影を落としているのは理解しているつもりだったのに…。朝顔市の中止は知らなかった。

鬼子母神にお参りして、根岸の鍵屋さんへ。東京で一番古い居酒屋であり、朝顔市の際には必ずや立ち寄る名店だ。


その後、二年前の朝顔市の日に鍵屋さんで知り合った飯田夫妻が営む浅草のニュー王将へ。

9日土曜日は午前11時と午後1時に約束があったのだけど、三つ目の約束は周到に浅草午後5時に。大学時代の友人で、名古屋のCBC 中部日本放送でプロデューサーを務めるサトーコージに会うのである。

僕はサトーコージに奨められてドラマの企画書、シノプシスを書いた。9日のメインテーマは実はそのあたりにあった。僕の本業は文章書きであり、二人とも文学部演劇専攻の出であり、僕の卒論は倉本聰と山田太一のテレビドラマ論だった。でもこれまで直接ドラマを書いたことはなかった。

僕とサトーコージは、大学卒業旅行のバルセロナ&マドリッドで、パリでもフランクフルトでも、伝説を創った仲である。彼が真剣に奨めてくれたのに断れる訳がない。というよりも彼自身が本気だということだ。そして実に彼は僕の企画書を、シノプシスを褒めてくれた。

この道三十年に迫る、ドラマの演出を本領とする男がである。星の数の制作会社や海千山千の放送作家と付き合って来た男がである。友人だからとお世辞を言うような奴ではない。

サトーコージは何度も言った。もっとレベルの低い作家なんていくらでもいる。君はもっと書くべきだ。一流のところへ持ち込むべきだ。

そんなこと言われて、杯が進まぬ訳がない。ホッピー通りでのどを潤した後、お参りをし、何十年ぶりかにほおずきを買った。


前の晩に引き続き、ニュー王将へ足を運ぶ。
女将さんの大好きな俳優が、たまたまサトーコージが何度もドラマで起用して懇意にしてる役者だったので、その場で電話をかけ、奥さんに代わった。奥さん大興奮、大感激。



さらにわれわれは、浅草ビューホテルの脇の小路を入った、飯田夫妻も吉田類さんも贔屓にしている Bar Barly へ。
もしもこのドラマの企画が通るようなことがあったなら、音楽はチ・ブルグットさんと彼のバンド Hemell にお願いしようと皮算用。
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