追悼 古今亭志ん馬師匠。

昨晩、東京からの帰路、もう三十年近くお付き合いさせていただいている噺家、古今亭八朝師匠からの着信があった。今朝気づいて返信しようとしたところへ、ふたたび師匠から。
「星野さん、驚かないでよ」
この導入は、三年前に八朝師匠の女将さんが亡くなったときと同じだった。
だからすぐ、この後に訃報が続くことを直感した。訃報を受け止める側に気遣った八朝師匠流の言い方だった。
「あのさ。志ん馬が昨日死んじゃったんだ」


2010年の6月に八朝師匠の奥様が急逝された時、翌7月に僕が企画していた札幌の寄席は延期すべきだと思った。八朝師匠には重い持病があって、旅の際には薬の管理等々、女将さんが付き人として添われることが多かった。何よりこの時は、何度も師匠との仕事や酒席もご一緒している女将さんから、三件あった札幌の仕事の合間に、旭山動物園に行きたいというたっての希望があって、その約束を僕も楽しみにしていた。
それが叶わなくなり、いろいろな意味で延期すべきと思ったのだけれど、八朝師匠は弟弟子の志ん馬師匠を伴って予定通り札幌に来てくれた。

女将さんが亡くなってひと月足らず、僕は仕事の合間に少しでも八朝師匠に息を抜いてもらいたくて、志ん馬師匠と三人で定山渓に一泊した。志ん馬師匠は茶目っ気たっぷり、昔ながらの芸人さんにはきっとこんな人が多かったに違いない、というムードに溢れた、酒好き女好きの愉快な人だった。一緒に旅館のメシを食い、酒を飲み、湯船に浸かったその晩も、きっちりとその片鱗を覗かせてくれたっけ! 一方で、兄弟子を想い、繊細に気遣いするもうひとつの顔も…。

年齢もほぼ一緒で、だから僕は最初からファンになった。
それから何年も志ん馬師匠にはご無沙汰していて、僕は七月に八朝師匠にお目にかかった時も、今度はぜひ、志ん馬師匠にも!とお願いしたばかりだった。
八朝師匠ばかりか、大師匠、古今亭志ん朝さんにすら面倒をかけ、頭を下げさせたそのやんちゃぶりがもう見られない。声が聴けない。会いたい気持ち。だから、会いたい人には、万難を排してとにかく会わなくちゃ駄目なんだ。後悔先に立たず。

ああ、口惜しい。ホントに口惜しい。
八朝師匠からの電話、僕は途中から声が震えてしまった。電話の向こうのその様子に導かれるように、それまで事実を淡々と報告してくれていた八朝師匠が、「オレの一番の腹心だったからな」とつぶやいた。
志ん馬師匠。口惜しいです。ごめんなさい。
合掌。
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/131008/ent13100810430006-n1.htm
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