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2021-04

百ひく一は白。

広尾

父の転勤先の神戸で生まれた僕が横濱に住むようになったのは四歳の頃で、今からちょうど半世紀前のことになる。

父の実家は東京は渋谷区広尾で、今でもお茶屋を営んでいる。
東京タワーは1958年、僕の生まれる前年の開業で、昨2013年に55周年を迎えた。
同じく昨2013年9月で43年の歴史を閉じたというタワー内の施設『蝋人形館』は、だから1970年、僕が11歳の年のオープンだった。

祖母に東京タワーに連れて行ってもらった帰り途、お昼に何を食べたい?と訊かれて “うなぎ” と答えたのは神戸から戻ったばかりの頃と記憶しているから蝋人形館の出来るだいぶ前だと思う。

四、五歳の子供が「うなぎを食べたい」と言ったのが、気っ風のいい祖母の琴線に触れたのか、頼もしい孫と思われたのか、祖母はたいそう喜んで僕を古い江戸の鰻屋に連れて行った。そこでご馳走になったのが、ご飯、うなぎ、ご飯、うなぎ、と二段になっている所謂 “中割れ” という鰻重だった。
おそらく量だって大人のそれで、それをまた平らげてしまった逸話は、しばらくは幼子の伝説のように、折りに触れて語られる祖母の自慢話になった。

その僕が三十になっても四十になっても、広尾を訪ねると祖母はこっそり僕を片隅に呼び寄せ、小遣いを握らせた。「ばあちゃん、もう僕は四十過ぎだよ」と受け取りを固辞しようものなら、眉間にしわを寄せて怒られた。「あんた、いくつになってもあたしの孫でしょ!」

九十過ぎまでお茶屋の店番に立っていた祖母は、自分が七十のときも、八十のときも、九十になっても、「あんた、あたしいくつになったと思うの? ◎十よ、◎十!」というのが口癖だった。

その祖母も数年前から施設のお世話になっている。
最初の頃、見舞いに行くと、いつものようにごそごそと懐をまさぐって、財布を取り出そうとする。九十年もそうしてきたのに、今、祖母の懐に財布は収まっていない。小遣いを渡そうとしても渡せないことを悟ると、もの凄く悔しそうに涙を流す。

祖母の拳

さすがに初孫の僕のことも分からなくなり始めた頃、そう思って接していると、突然、北海道は遠いだろう。今日来たのか。今日はウチ(広尾)に泊まって行くのか。夕食は一緒に食べられるのか、と訪ねられたりしてハッとする。傍らに居る叔父や叔母にこの後の(自分も含めた)段取りを尋ねる。突然、そのヒゲはなかなか塩梅がよくて男前だ、というようなことをつぶやいたりする。

初孫はおろか、わが息子やわが娘を承知しているか定かでない様子のときでも、新聞やチラシを見せると、難しい漢字も淀みなく読み上げる。百人一首の上の句を見せると、すらすらと下の句を諳んじてみせる。

その祖母が今日、九十九歳の誕生日を迎えた。
僕は残念ながら駆け付けることが出来なかった。

何年か前、祖母がすこぶる調子が良さそうな日があった。母の一周忌か三回忌で上京した際だと思う。
快晴の日の夕暮れ。僕は祖母に、また東京タワーに連れて行ってくれ、と頼んだ。その帰りにまた “中割れ” が食べたい、とせがんだ。祖母は暮れなずむ施設の窓外を車椅子から見やりながら、今日はもう日が落ちるから、また今度にしよう、と僕に向き直りながらそう告げた。
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