わたしの蕎麦包丁2

(「わたしの蕎麦包丁」からのつづき)
96年の春だったと思う。
札幌の百貨店の江戸物産展で、
僕は短く刈りこんだ髪で包丁を研いでいる強面の兄さんに話しかけた。
ショーケースには、出刃やら柳刃やら、たくさんの包丁が並んでいる。
「あのお、こちらでは蕎麦の包丁とかは扱ってないんですか」
「もちろん扱ってるよ。でも、催事には持って来ないなあ。というより、蕎麦包丁なんかの場合、基本的には職人さんと相談しながら、あつらえる訳なんだけど…」
「ボク、蕎麦包丁が欲しいんです」
「そう。おたくは蕎麦屋さんなの?」
「あ、いえ、ただ趣味でやってるんですけど」
「そうか。うーん、作ってあげたいんだけど、
こう見えて俺も結構忙しいんだよね」
とまあ、そんな会話があったんだけど、この人のしゃべり方や面構えが、あまりにも格好よくて、その後会期中に何回か顔を見に行った。
東京亀戸の料理庖丁「吉實(よしさね/登録商標)」の吉澤 操さんは、先代からもう二十年以上にわたって札幌の催事にやって来ているという。こちらで購入した包丁に限って、幾ばくかを支払うと名人芸で研いでくれる。中には随分と年季が入った、刃もすり減って、かなり小さくなった包丁を持ってくる人がいて、それを見て、
「おう、これは親父の包丁だね。うん、しっかり使い込んでくれてる。ね(と、たかって来たその他の方々に向かい)、これは二十年以上前に、僕の親父が売った包丁なんですよ。ホントの鋼(はがね)を使っていると、ここまで使い続けることができるんです。よく女の人はステンレスと比べて、ステンレスは錆びないし安いのに、おじさんのは高いから、なんて平気で言うんだよね。靴とかには何万円もかけるくせにさ。でもその靴は20年も履けないでしょ。で、ステンレスの包丁を持ってくる人もいる。切れなくなったから研いでって。言っとくけど、ウチはステンレスは売ってないし、ステンレスってのは研げないんだからね」
こうした口上に、通りすがりの人も足を止める。
たまたま吉澤さんと食いもの屋の話になって、
その頃取材した、札幌のおでん屋「一平」のことを言ったら、
(この日記の昨年12月 8日「屋台のジョン・レノン」、
今年の1月17日「おでんの一平と瀬戸 國勝」参照)
「なんだ、一平の谷木さん知ってるんだ」と吉澤さん。
「そうか…」と何やら思案げな面持ち。
どうやら吉澤さんと谷木さんは相当の仲良しらしい。
札幌の神輿担ぎである一平の谷木さんが、毎年浅草の三社祭の神輿を担いでいるというのは、いつかご本人から聞いたことがあった。でも、三社の神輿は一般の人は担ぐことができない。谷木さんは、吉澤さんの計らいで三社が担げるのだとこの時知った。その神輿を担ぐために谷木さんは、年が明けると身体を鍛え始める。そんな道産子には珍しい男っぽい谷木さんに僕は惚れていたのだが…。
同類の匂いがして惹かれた吉澤さんが、まさか、直接谷木さんとつながっていたとは!
しばしの沈黙の後、吉澤さんがぼそりと言った。
「包丁、作ってみようか」
「え?」
「ホシノさん、僕と文通しましょう。
ライターという仕事柄、ホシノさんはいろんな職人と会うでしょう。
蕎麦職人と会ったら、まあ、中にはいやがる人もいるだろうけど、その人の包丁を触らせてもらうんです。重さ、バランス、刃渡り…。
頼んでOKなら、使いやすそうな包丁を、紙にこう、輪郭をなぞらせてもらうといい。それを僕と時間をかけて手紙でやりとりしながら、ホシノさんに合った包丁に仕上げて行きましょう。
東京と北海道で文通する訳ですよ」
僕は有頂天になった。
これから一年かけて吉澤さんと「文通」。
僕の、僕のためだけの、蕎麦包丁をあつらえる!
それからしばらくして、当時勤めていた札幌の出版社の編集長からこんなことを言われた。
「ホシノさん。私の知り合いの札幌のコピーライターなんだけど、この人のお友達に東京の包丁職人さんがいてね、その職人さんがこう言ってたんだって。
『この前の札幌の物産展でおかしな奴がいてね。
素人なんだけど、蕎麦包丁を作りたいって言うんだ。
あんまり熱心なんで、つい引き受けちゃったよ』
で、そのコピーライターの曰く、
『●●ちゃん(女性編集長の名前)、分かる?
その人(吉澤さん)はさ、いずれ人間国宝になるような人な訳。客はみんな一流料理人ばかりで、ど素人の包丁なんて、普段はつくらないんだって!』
あなた、いつか包丁がどうとかっていってたけど、これってあなたの事?」
私が死ぬほど赤面したのは言うまでもない。
(つづく)
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